きっと彼女等は後悔しているに違いない。
しかしてこの女共にきっと反省の二文字は無いのだろう。
無理無駄無益。まさしくこのまるまる休日を潰した挙句、何も生み出さない非生産的活動に彼女達は従事していたのであった。何かを生み出したとなれば徒労感のみである。不可能を人は「無理」と言い換え、徒労を人は「無駄で無益」と定めた。
まあ、つまりだ。
皆が皆、憤っていた。―――一人を、除いて。
「何やこの徒労感は--------」
末原恭子は、思わずそう呟いた。
この一日で、この女の頭が一ミリでも改善できたのか?
思わず、その横顔を眺めた。
ああ、何て整った顔をしているんだろう。目はくりくりしてて子犬みたいだなぁ。そのくせ妙な愛嬌だってあるのになぁ。なのに何故だろうなぁ。これっっっっぽっちも女としての魅力を感じないのは。これだけ恵まれた素材を持っていながら、この女は一体何をやっているんだろうなぁ。本当に、何をやっているんだろうなぁ。ダイヤの原石を叩いて砕いて猿にでもくれてやったのだろうか?猫に小判どころじゃない。猫はきっともっと可愛らしい使い方をするに違いない。
この女―――どうやら愛宕洋榎という名前らしい―――は、現在ほくほく顔でたこ焼きを頬張っていた。
「うまうま。やっぱり梅田来たならたこ焼き食わへんとやってられんわ。うまうま。お、唐揚げも売ってるやん。買うでー。おっちゃん、唐揚げ三つ頂戴やー」
ピキリ。青筋が何故だか浮かんでしまった。何でだろうなぁ。
ああ。そうか。そういう事か―――末原恭子はうんうんと頷いた。
「何や恭子。こっちジッと見て。いくら見たってやらへんでー」
何故なのだろう。この徒労感の果てに、皆が皆絶望の暗い炎をくべているというのに、この女は何処までも能天気な幸せそうな顔面でたこ焼きをパクついているのだろう、と。そんな単純極まる疑問符が、踊る様に自らの脳内を駆け回っているのだ。
何だろう。こう、外れクジしか入っていないボックスに手を入れているような、もしくは自動拳銃でロシアンルーレットをしているような―――無常感。
自分達は、もしかしたら人間を相手にしていないのだろうか。
そうだ。そうに違いない。
「ふふ------ははは----」
「なあ、絹。母ちゃん。恭子が壊れ始めてるでー」
「残念やな。致死性のウィルスに感染してもうたな」
「そのウィルス、感染源アンタやけどな、姉ちゃん」
「ウチがウィルス?こんな美少女つかまえてよく言うわ。―――あ、唐揚げもうま。このしょっぱさやな、唐揚げは。うんうん」
「ウチの遺伝子継いで見てくれだけでも立派に拵えた分、隠匿性の高いウィルスになっただけやこのボケ。まさかとは思うが、須賀君とのデートでも同じ行動とるんやないやろうな?」
「そんな訳ないやん―――お、今度はお好み焼きか。どれどれ------お、いい値札してるやん、おっちゃん!一つ頼むで!」
「いい加減にしろやあァァァァァァァァァァァァァ!」
ふらふらと屋台の匂いに誘われるがまま食欲を満たさんとする我が子に、愛宕雅枝は遂にキレた。
背後から右腕をぐるりと洋榎の首へと回し、左腕にてその右腕を固定。見事なチョークスリーパーを極めていた。
「ええ加減にせーよこのボケ!アンタのその空っぽの脳味噌とスカスカの貧相な身体にそんなジャンクな栄養はいらんのや!自重という言葉が無いんかアンタの辞書には!」
「か---かーちゃん-----ギブ、ギブ----]
明後日の方向へ視点がぐるぐる回り始めている洋榎は、苦し気にそんな言葉をうわ言の如く繰り返す。
無視。
誰もが無視を決め込んでいた。
誰もが憤っているのだ。それは至極当然の帰結であった。まるで暗君の処刑場を乾いた目で見つめる群衆の如し。
「うるさいしやかましいし油もんパクつくし甲子園で喚くし対局マナーも悪いし、アンタ一体何処に女を置いてきたん?おおう、こたえーや!」
チョークスリーパーを解除すると同時に、雅枝は洋榎の肩を掴んで揺さぶる。頭に血が上っていない洋榎、意識が酩酊状態。
「あうあうあうあうあうあうあ」
「ええか、一つ言ったるで!アンタ、散々あのザ・アラフォーの特番見てゲラゲラ笑っとたな?アンタの二十年後の姿は間違いなくアレや!覚悟しとき―や!ウチはいややからな、60にもなってアンタの面倒見るの!そんな事なったらメロンの代わりにアンタの胸をカツラ剥きにしてやるからな!覚悟し―や!」
「どうどう、かーちゃん、落ち着き―や!姉ちゃん、泡吹いとる!泡吹いとる!」
流石にここに至っては、愛宕絹恵も止めに入った。このままであると、更にこの姉も女としてのこれ以上の醜態を晒す羽目になるやもしれぬが故に。
「何でや!何でウチの娘なのにこんなんなってんねん!うわ―――――――――――ん!!」
哀し気な叫び声は、辺りの喧騒に消えていく。
叫びながら我が子を揺さぶる母。揺さぶられる長女。止める妹。乾いた笑みを浮かべる末原恭子。
形容しがたいカオスであった。
しかし、このカオスすら、この街の喧騒は吸い込んでいく。
大阪の空は、何処までも器が大きかった。きっと、そうなのだろう。そんな事を、この中の誰かが思った。そう、きっとこの空は、何処までも澄んだ色をしているのだろう、と―――。
※
形のないイライラは、何らかの形にしなければ解消できない。
そういう訳で、愛宕一行は雀荘に向かっていた。
夕暮れ時。仕事終わりの親父共や、暇を持て余した学生が溢れるその雀荘は、道頓堀の商店街を少し外れた場所にあった。
愛宕雅枝が手続きをし、四人は卓に着く。
「ぶっ潰したるわ。かかってこいやおばん&ピーチク共」
「はん、小娘が。よく言うわ。まだまだウチに比べりゃアンタなんざひよっこや。アンタの心根ごと叩き潰したる」
「格下かて思って油断してると足を掬われるで?覚悟し―や」
「ああイライラする------。もうここでぶっ潰すしかないんや----。潰す----潰す-----!」
何やら、鬼気迫る悪意に塗れた空間が、一つ出来上がっていた。まさに、異質。お互いをお互いに食い潰さんと獣の眼光で睨み合うその空間は、周囲を野次馬に変えた。
「ギャラリーが増えてきたやんけ。ええ感じやな。これでウチ以外全員ぶっ飛ばして大恥かかせていい気分で帰ってやるわ」
ニヤニヤニヤニヤ。四人分の嘲け笑いが辺りを包んでいく。
賽が、振られる。
―――さあ、勝負の始まりや。
カオスが、より深まって行く。
洋榎が全方位に向け喧嘩を売りまくり、そしてその他三人がそれに凄まじい勢いでそれに噛み付いていく。“おうおう、更年期に差し掛かって麻雀の腕も更新してきたんかかーちゃん?歳ってのもキツイもんがあるんやなー”“よく言うわ。アンタの恋愛遍歴なんかなーんも更新期がないのになー。一生空白のまま、肉体だけが更新されてくで。可哀想になー”“スカスカなんは胸だけで十分やで、姉ちゃん”“もうアラフォールートでええやろ、部長―――あ、もう部長でもなくなったか”
溢れ出る罵詈雑言が、次から次へと。マナーも悪ければ口も悪い。しかしここまで振り切っていれば野次馬共は盛り上がる。
ぎゃいぎゃいと盛り上がる中、ゲームは進み、二時間ほどの対局を以て終了した。
互いが互いに思う存分やりたい放題し、皆が皆何やらやりきった顔をしていた。
「スッキリしたな」
「おう。ま、もういっか。これで」
互いに笑い合いながら、席にもたれかかる。
その時、声がした。
「失礼します。ゲームも一段落したようですし、ドリンクのサービスをさせて頂きます」
「お、ありがとさん―――え?」
給仕姿で、ドリンクを持ってきた男を、―――呆然と、末原恭子を除く三人は、眺めた。
「え、皆どうしたん?」
末原恭子がそう呟くも、皆が皆その光景に呆気にとられていた。
そこにいたのは―――。
「本当―――何やってんですか」
金髪をオールバックに纏めた―――須賀京太郎の姿であった。
終末の鐘の音が、何やら聞こえた気がした。
最近、私の隣に住む方が、ずっと斉藤和義の「歌うたいのバラッド」を大声で熱唱しています。夜一時くらいに。声は-----何か、心なしか今や懐かしき野々村議員の如き美声でした。私は何も言わず、大音量の豊田議員の音声を垂れ流す事を決意しました。かしこ。