おとなりは金髪同士
―――無敵であり続ける事を、期待される。
常に勝ち続けなければならない。負ける事は許されない。
それが、白糸台という場所であった。
常勝無敗の伝統を築き上げた宮永照という怪物が去り、その華々しい実績だけが残された。
―――テルもスミレもみんないなくなっちゃった。
楽天家な自分も、常に勝ち続けなければならない状況に陥るとその意識が変容していった。
もう、ごめんなさいと言った所で、呆れながらも慰めてくれる存在はいない。
待っているのは、何処から来るかも解らぬ失望の声だけ。
―――いや、そんなもの何処にだってないのだ。
別に自分が勝とうが、負けようが、失望の声なんて上がらない。マスコミ連中がワーワー騒ぐ事はあるかもしれない。だがそれよりも―――自意識の中に、勝手にそんな声を作っている自分がいるのだ。
負けたら、きっと失望するのだろう。
勝たなくちゃ、自分は認められないのだろう。
だろう。だろう。
勝手な推測だけがぐるぐると頭をもたげていく。
勝手に自分の中に敵を作って、勝手に怯えて、そして―――勝手に自壊してしまった。
高校最後のIH。宮永照の妹に完膚なきまでに叩きのめされた、その瞬間に。
自分の中で積み上げたものが、情熱が、自信が、―――いわば、自分の麻雀を構成していたもの全てが。
プロの誘いはあった。
返事は―――言うまでもない事だろう。
大星淡は、宮永照になれなかった。
なれなかったのだ。
ただ、それだけの話だった―――。
※
大学推薦で入ったからには、どれだけ嫌でもその大学の麻雀部に在籍しなければならない。
白糸台の時には、様々な衝突があった。
自分の実力への過剰な自信。そこから生まれるある種の傲慢さ。その結果生まれた周囲との軋轢、衝突。それは避けられぬものであったのだろう。
しかして、大学ではそれすらも起こらなかった。
白糸台の大将を三年間張り続けた実績は、大学において最も重い力となる。決して機嫌を損ねぬよう先輩ですら腫れ物扱いに終始する始末。
―――何故だろう。余計な事が起こらなくて、とても居心地がいいはずなのに。
何処となく感じる、不快感。疎外感。それがどうしても、どうしても、胸につっかえたように取れなくて―――。
下宿先に帰ると、何故だか涙が流れた。
―――助けてよ、テルー。
そう、彼女すら気付かぬ無意識の彼方で、そんな声を漏らしていた。
あの時に、戻りたい―――けれども、戻れない。
想像もしていなかった辛い現実に、一人部屋の中、少女は一人思い悩んでいた。
何だか悲しくなって、開放感を求めてベランダに出る。
―――何だか、いい匂いがした。
夜風に紛れて、芳醇なスープの薫りがした。耳を澄ますと、隣部屋であろうか。グツグツと鍋が煮える音がしている。
初夏の涼しさを味わおうと、隣部屋の窓は網戸を残し空いていた。そこから、声も聞こえてくる。
―――いやあ、ありがとうございます。ハギヨシさん。スープ、上手く出来ました。鶏ガラの薫りがいいですね。
男の声。―――ああ、そう言えば、この隣部屋は金髪の男だったか。引越しの挨拶と長野土産を持ってきたのを思い出した。美味しかったなぁ、あの饅頭。チャラいように見えて、その実何とも家庭的な会話に思わず微笑んでしまう。今の現状と合わさって軽くホームシックになっている自分としては、何とも暖かみのある会話だった。
―――けど随分作っちゃいましたねぇ。気合い入れて作ったら余り過ぎましたね。冷凍パックも切らしているし、どうしようかな。え?隣の人に分けたらどうかって?ははは、冗談はよして下さい。あまり物を持っていって喜ばれるのは女子大生かハギヨシさんみたいなイケメンだけですって。俺が持っていったら不審者扱い間違いなしです。
屈託なく笑う声が聞こえる。
―――それに隣の人有名人ですし、それに頑張っている人ですし。あまり邪魔はしたくないんです。
そんな声も、また聞こえた。
―――名前は勿論個人情報だから言わないですけど、本当に凄い人でしたよ。挨拶した時すげービックリしました。こんな偶然あるんだなーって。------一年の時から強豪校を引っ張っていって、どんどん人がいなくなっても、歯を食いしばって頑張っていた人で、凄いなぁ、なんて。
やめて。
やめてほしい。
頑張ってなんかいない。頑張りきれなかったのが、自分なのに。
そう思っても―――何故だか涙が溢れてくる。
ずっと、周りには勝つ事を期待している人間しかいないのだと考えていた。
結果にしか、注視しない人間ばかりだと、そう思っていた。
結果に至る過程までも―――凄いのだと、言ってくれる人間が、確かにいたのだと知ることが出来て。
―――俺も、もうちょっと頑張らないとなぁ、なんて思えるんです。
そう屈託なく言い切る男の声が、じんわりと心の奥底に広がっていく。
そうなのか。
自分の、あの苦闘の日々も、誰かの心に残ってくれていたのか。
―――それじゃあ、切りますね。ありがとうございました、ハギヨシさん。また今度もよろしくお願いします。
そう男は通話を終わらせると、足音を鳴らす。徐々にその音が近づいていって、
ガラリと音がなった。
「あ」
大星淡はその瞬間、隣部屋の男と対面した。
「あ、偶然ですね。こんにちわ、大星さん」
先程と全く変わらぬ声音で、そう爽やかに彼は挨拶した。
「こ、こんにちわ」
どもる。何とも無様な声音だ。しかし、彼は特に気にすることなく会話を続ける。
「今日は夜風が涼しいですね。ベランダが気持ちいい」
「う、うん。えーっと-----」
「あ、俺須賀って言うんです。よろしくお願いします」
「ス、スガ?-----その、ゴメン」
「どうしたんですか?」
「----さっきの会話、聞いちゃった」
「さっきの会話----って」
須賀京太郎は先程の会話を思い出し----瞬時に湯沸かし器の如く顔面を真っ赤にさせた。
「あ――!す、すみません!俺、偉そうな事言っちゃって!」
「ちょ、ちょっと!謝らなくてもいいってば!勝手に聞いちゃったのは私なんだし!」
「いえいえ、俺の方こそ!何だか上から目線で喋っちゃって-----!」
そうして、謝る京太郎との押し門答の末―――その先にあった一瞬の沈黙の後、両者は唐突に同じタイミングで笑いだした。
「あはははははは」
ひとしきり笑った後、―――憑き物が落ちたかのようなスッキリとした表情で、大星淡は隣の男を見る。
「その、さ。ありがとう」
「え?」
まさか、感謝されるとは思っていなかったのか―――素っ頓狂な声を、須賀京太郎は上げた。
「私さ、自分の周りにいる奴等って、勝手な奴しかいないんだって思ってたんだ。勝手に期待して、勝手に裏切られた気になるような奴ばかりなんだって。----そんなの、思い込みに過ぎない、って解ってても、そう思っちゃってたんだ。でもさ----スガの言葉を聞いて、本当に思い込みに過ぎなかったんだって、解った」
須賀京太郎は、その聞いた事の無い彼女のトーンに、ジッと耳を傾ける。故に、
「だから、ありがとう。本当に、嬉しかった」
そう花咲くように笑った顔を、直視してしまった。
―――顔が熱くなって行く様を、自覚してしまった。
「-----具合、大丈夫?顔赤いよ?」
「い、いや。大丈夫。心配してくれてありがとう----」
「ふーん----ねぇ、スガの下の名前は?」
「京太郎だけど----」
「それじゃあ、今日からキョウタローだ!その代わり、キョウタローは私を淡ちゃんとよぶべし!」
「え?」
「あ、あと----確かに、男子の夕飯のおすそ分けは気が引けるかもしれないけど、あわいちゃん的にはOKだから」
「え?」
「それじゃー、じゃーねー!おやすみー!」
まるで台風の如くそう言い切ると、大星淡は速やかに自分の部屋へと戻っていった。
-----噂には聞いていたが、本当に天真爛漫を具現したような女の子だった。
しばし、京太郎はそのまま夜風に当たっていた。
これが、何とも言い難い両者の出会い。
どう物語られるのか、未だ解らず。
続くかどうかは、本当に解らない。