毎日が、楽しい。
一人だった生活に、会話が増えた。繋がりが出来た。
もう、迷うことは無い。麻雀に対する苦しみも払拭した。
―――そもそも、自分は何故麻雀をやっていたのか。より強い雀士と、せめぎ合う様な戦いがしたかったからだ。
この望みは、簡単な勝負をしたくないという事とほぼ同義だ。
簡単な戦いなど願い下げだ。
強い雀士と、戦いたかったんだ。
ならば、ならば。その次元にまで行きたいと願うのならば、期待されるのも当然じゃないか。負ける可能性があるのも当然ではないか。―――そんな熱い戦いの果てに掴んだ勝利こそ、何よりも自分の魂を震わせる代物ではないのか。
負けるかもしれない。―――それを怖がった先に、きっと何もないのだ。
期待されている。―――当たり前なのだ。自分の勝利を願う人たちが、自分に相応の期待をかけるのは。自分が麻雀をやれているのは、自分に期待してくれる存在がいるからなのだから。
苦しくて、辛くて、逃げ出したくなった日々。それに終止符を打った宮永咲。―――超えるべき山が、そこにある。超えなきゃならないものが、自分の遥か先にいる人間が。
大星淡には、目標が出来た。
―――サキに、勝つんだ。
そしてその先にある道の果ての頂点を掴む。
―――もう、逃げちゃいけない。
一度は逃げたプロの道。その道から、もう逃げない。
だから、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ―――。
※
結論から言えば、まるで拾われた捨て犬の如く懐かれた。
毎晩の如くベランダで二人は話し、いつまでも夜に外で会話をするのも具合が悪かろうと京太郎が言えば、だったらキョウタローの部屋でお話する、と言う始末。
だが―――下宿先の中でもアルバイトの一環として牌譜のデータ整理をしている京太郎にとって、隣に話し相手がいるのは非常にありがたい事であった。
その果てになし崩し的に淡の常駐を許してしまい、一緒に飯を食べる仲までになった。------あれえ、何だかおかしいなぁ。何がおかしいのか自分でもちょっと解らなくなる位自然に見えるのに、そこはかとなくおかしいぞぉ。
―――いや、意識するな、というのが無理だと思うが。けれども不思議と、何ともない
どちらかと言えば、京太郎の淡に対する意識は、男女のそれというよりも庇護意識の方が強かった。何というか、大きな妹が出来たという感じである。
「ねーキョウタロー」
「んー?」
「それ、バイト?」
「そう。牌譜の整理。協会のデータ保存の為に、一試合ごとに牌譜整理をするの。流石に全部は捌き切れないから、協会主催のゲームだけだけどな」
「へー----。ねえ、キョウタロー」
「ん?」
「それ、私も手伝っていいかな。私も、ノートパソコン持っているし」
「え?」
「お世話になったばかりじゃ悪いから、せめてそれくらいしたいの」
「いや、けど-----」
確かに、彼女ならば牌譜整理なんてお手の物だろう。だが、明らかに彼女の性格上、好きな労働ではないはずだ。地味で、面倒な作業なのだから。
「あのね、キョウタロー。私、今よりずっと強くなりたい」
「------」
「私は、相手を知る努力が欠けてたんだと思う。自分の能力ありきで麻雀を捉えてて、だからいっつも隙が出来てしまって-----だから、強くなりたい。相手を知りたい。どんな考えで相手は麻雀をしていて、どんな風に打っているのか。地味で、面倒で、本当はやりたくないけど、けどやらなきゃいけないと思うんだ」
「そう、か」
「うん、そう。----駄目、かな」
「駄目な訳、ないだろ。そういう事なら、手伝ってくれ。あ、あと、やるなら絶対にデータ残してくれな?その分、給料は山分けにするから」
「え、いいよ。お金が欲しくてやっている訳じゃないし。それに、自分の為でもあるけど、京太郎のお礼でもあるし」
「馬鹿。女の子働かせた分のお金が貰えるか。----手伝ってくれるだけで、十分お礼になっているから」
その時、何となく―――隣に座る彼女の頭を撫でてしまった。何だか可愛らしい小動物がしおらしくしていたから、うっかり―――といった具合に。
あ、しまった―――そう思ったのも束の間、
―――スリスリと自分からもっと撫でろと催促する動きが掌から伝わってきて、
「----」
何も言わず、そのまま無言で撫で続けましたとさ。
※
それから、彼女の麻雀の取り組みには徐々に真剣さが垣間見えていった。
決して彼女が率先してやらなかった、対局相手の研究や牌譜集め。この地味な活動を、積極的に行うようになった。
例え格下相手であろうとも、その打ち筋から何かを得ようと。
―――例え、一芥でも、糧があるなら拾わなければならないんだ。貪欲に、貪欲に。自分は強くならなくちゃいけない。
サキに勝つ。
自分の過去に、打ち克たなければならない。
そうでなければ―――その道を進まなければ、自分の麻雀は死んでしまう。逃げ出した先の道に安穏と生きていては、自分の麻雀は摩耗するほかないのだ。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
―――私は、麻雀を捨てたくない。
その想いが、彼女を果て無き研鑽の中に引き摺り込んでいった。
そう思えた瞬間、彼女の中で全てが繋がった気がした。
―――無駄に見えて、無駄じゃなかった。
あの苦しい日々も、逃げ出してしまった事実も。
その全てが、巡り巡って今の自分を形作っているのだと。
もしも。もしもだ―――あの時、宮永咲が自分を折っていなければ、恐らくプロになっていたに違いない。そして、―――その何処かで、折れていたのだと思う。
そうなれば、逃げることは出来なかった。こうして、もう一度麻雀と向き合う事は出来なかったかもしれない。
遠回りだった。
でも、確かに必要な遠回りだったに違いない。
この日々を、無駄だったと思いたくない。
だから―――今ここで、この時間を、一瞬を無駄にしたくない。一度の対局であっても、その全てを糧にしたい。
負けたくない、という思いは―――こんな力にもなるんだ。あれだけ苦しくて、逃げ出したくなる思いだったのに。今はそれが、なによりも自分を走らせるエンジンになっている。
その事実に気付くまで、確かに遅かった。
だが、知った事ではない。
結局―――巡り巡って、正しいと思える道の上に立つ事が出来たのだから。
※
「―――そう。頑張っているんだね」
「うん。テルーも今四連勝中?凄いね!」
現在、淡は旧知の先輩―――宮永照と、電話をしていた。この両者は、無論道が分かれても、変わらぬ関係を保ったままだ。
「うん。こっちも頑張っている。―――この前の大学予選、見たよ」
「え」
「大学麻雀連合会に申請すれば、主催試合のテープを無料で見れるから、見てみた。―――淡、成長したね」
「へ?」
「高校の時は、良くも悪くも感情が表に出るプレーヤーだった。勝てば喜ぶし、負ければとことん悔しがる―――でも、今は違う。勝っても、負けても、ずっと変わらない。何だか、軸が出来た気がする。すごく、どっしりしている。菫も、ビックリしていた」
「------」
「何があったのかは解らない。だけどね、今の淡は以前よりもずっと頼りがいがあるし、楽しそう」
「え、えっと----楽しそう、なの?」
「うん。―――どんなものでも一緒。真剣になればなるほど、負けたくないって思えば思う程、楽しくなる。それは私も、菫も―――淡だって、一緒の事」
「テルー-----」
「頑張れ。これだけしか今は言えないけど、それでも―――応援しているから」
そう言い残すと、電話が切れた。
「----駄目だなぁ。最近、ずっとこんな調子だ」
彼女の眼には、涙が浮かんでいた。
綻んだ表情に、添えられているかのように。