勝ちたい、という思いだけで実力が上がることは無い。
その思いは、ただの燃料だ。
着火してこそ、燃料は人を動かす。
勝ちたい。
勝ちたいんだ。
心の底からそう思えるようになれたのは何故なのだろう。
―――勝たなきゃいけないから、勝ちたいになった。
私を認めてくれる声。私の頑張りを静かに見てくれる存在。皆が、私の全てを変えてくれた。
変われるチャンスは、何処でも転がっている。
変われた私は、今―――全霊を込めて麻雀と向き合えている。
それが全て。
勝ちたいという思いが自分を走らせてきた。その帰結として、今の自分がある。
今、もう一度向き合って変わる。
過去の自分と、過去の仇敵。
―――怖がるな、逃げるな。その先には、またあの時の絶望しかないのだから―――。
※
大星淡は、大学リーグを駆け抜けていった。
大将に居座りながらぶっちぎりの総得点NO・1キープしながら、全国リーグでもその勢いはとどまる事はなかった。
元々、高卒でプロ入りしてもなんら遜色ない実績の持ち主である。この活躍は予想外という訳ではないだろう。
それでも、皆が皆口を揃えて言う。
あの雀士は眼の色が変わった。打ち筋に傲慢さがなくなった。―――要は、以前の様な能力頼みのプレーヤーでなくなったのだと。
彼女の華々しい経歴に、最後思い切り泥を塗られた経験―――アレで心折られたのではないかと、皆が皆心配していたのだ。
今は、もう大丈夫だと―――そう、この姿を通して伝えたい。
淡ちゃんはもう、大丈夫。
「うぅ-----」
しかして―――最近、少しだけ身体が重い。
何だか、毎日が不完全燃焼している気分に襲われている。何かが足りない。
原因は解っていた。
いつもある時間が、無くなってしまったから。
同じ髪色をした愉快な男の子との触れ合いが無くなってしまったから。
「が、頑張れ淡----もう少し、もう少しだから------」
そのもう少しは、残りあと一ヵ月。近いようで、果てしなく遠い未来だ
麻雀に打ち込む為に暫く会わない事を決めた淡であったが、その影響は最近如実に現れるようになっていった。
―――以前は、これが当たり前だったのに。
一人の食事。一人の生活。
最近の楽しみは―――一週間の最初の差し入れのみだった。
これだけが、彼の存在を感じられる瞬間であったから。
ふと、自分の行動を振り返って見る。
「-----」
何というか-----本当に拾われた捨て犬の如き懐きっぷりであった。
その事実を思い知り、羞恥心が湧き起こる前に、不安が湧き起こっていく。
鬱陶しくなかっただろうか、とか。迷惑じゃなかっただろうか、とか。
他人の事をあまり斟酌しない彼女が、まず第一にそんな風に思うようになった。
それだけでも、相当な変化である。
「------」
けれども。
彼女の本質は、やっぱり我慢強い方じゃない。
隣部屋のキーロックが外される音に、胸が弾む音を自覚する。
今までの思考がぐるぐる回って我慢しろ、我慢しろと命令をしていく。
けれども。
けれども―――。
彼女は半ば衝動的に自分の部屋から飛び出し、隣部屋のインターフォンを、押した。
我慢は、出来なかった
※
「久しぶりだなぁ、淡」
「久しぶりぃ-----」
現在、彼女はふにゃふにゃとした笑顔を浮かべながら、およそ二週間ぶりに須賀京太郎に頭を撫でられていた。大層お気に召したらしい。
インターフォンに応え出ると、そこには何だか涙目のしおらしい金髪少女がいた。
事態をそれとなく察した彼はにこやかに彼女を自宅に招いた。
その帰結が、これである。
何というか-----いつの間にこれ程懐かれたのかと。
何だか旅行から帰って来たカピーのようだった。
「どうした、嫌な事でもあったか?リーグ戦、頑張っているみたいじゃないか」
「うん。リーグ戦、頑張っているよ。麻雀で嫌な事は一つもないよ。調子も、悪くないし」
「じゃあ、どうした?」
そう聞くと、彼女は黙りこくって京太郎の身体にしな垂れかかっていく。
何ともやわっこい感覚に、京太郎の鼓動も跳ね上がる。
―――妹のようなもんだと、思うようにしていた。
最初、彼女の存在を知ったのは「大星」の表札を見た時。
同姓だろうと思っていたけど、偶然彼女が出掛ける瞬間を目撃してしまった。
―――咲に、相当ひどいやられ方をしたのを、彼は清澄側のベンチで目撃していた。
全ての絶望を抱え込んだ様な、試合終了の時の顔も。
立ち上がれない程の、絶望―――それは、彼も知っていた感情だった。
ハンドボールで、肩の怪我をした時。最後の大会に出られない事実に、直面した時。
少し気になって、彼女の事を少しだけ調べた。
大学リーグの出場者一覧に、しっかりと彼女の名前は記されていた。
まだ、―――彼女は諦めていなかったんだ。
あの目を浮かべて、それでも歯を食いしばって麻雀と向き合っているんだ。
そんな、自分勝手な共感を胸に、彼はならば自分勝手に彼女を応援しよう、と心に決めた。
挫折に向き合う強さを。その心を。
それらを持ち合わせている限り、絶対に彼女の事を応援するのだ、と。
そして、幾度となき成り行きの果てに、今こうして彼女にはっきりとその心を伝えることが出来た。
応援している。頑張ってほしい。お前のおかげで、自分は元気を貰っている。
その言葉を伝えた時の花咲くような笑顔が、ずっと脳に張り付いていて。
自分の感情の在処が、ちょっとだけ解らなくて、混乱している最中なのだ。
だから、こういうスキンシップが、今となってはとても心臓に悪い。
いい匂いがするなぁ、とか、柔らかいなぁ、とか。そんな思考が脳裏に浮かんでしまって。
そして、
「すー------すー-------」
寝息が、聞こえた。
シャツの裾を弱々しく握りしめながら、彼女は眠っていた。
「本当に----子供っぽい奴」
そんな風に軽く毒づきながら、さてどうしようかと思ってしまう。
彼女の部屋に返してやりたい所だけど―――流石に彼女の服をまさぐってキーを取り出して女の子の家に勝手に入るような愚行はおかせない。
と、なると。
「まあ、しょうがないか」
彼は彼女を持ち上げると静かにベッドに横たえた。
これでいい。
この後、しっかりと戸締りをして、自分はちょっと近場のネカフェにでも行って寝泊りするのだ。今自分にできる、最大級理想的な紳士的な振る舞いをしよう。そうしよう。
そして、ベッドから離れようとした瞬間に、
その言葉を聞いた。
「----寂しい」
うわ言の様に放たれたその言葉は、何処か溺れているような苦しみの色が滲んでいた。
「----キョウタロー------」
やめてくれよ。
そんな言葉を聞いたら―――後ろ髪を引かれるなんてもんじゃない。
だって、―――その言葉すら、共感できてしまえる程に、須賀京太郎は大星淡の事を、理解してしまっていた。
孤独に苦しんで、孤独に再起を誓った彼女の苦しみが。
天真爛漫な彼女の姿と、その裏返しとしての、寂しがり屋な本性が。
純真無垢で、弱々しい姿が。
「-----」
彼は、一つ溜息を吐いてベッドの横に胡坐をかいた。
丁度、彼女の寝顔が見える位置に。
「なあ、淡」
呟く。
彼女に届かないことをいい事に、彼女に伝えるように。
「俺は、お前の寂しさを紛らわせることが出来ていたのか?」
くしゃり、と彼は彼女の髪を撫ぜる。
その時に湧き上がった感情を、見つめる。
自分の心中にも―――確かな、嬉し気な感情が芽生えている事に気付く。
まだ、まだ―――その感情の名前が何に分類されるかは解らないけれど、
それでも。
「解ったよ。今日はここにいてやるから。寂しく、ないだろ?」
そんな言い訳を用意して、彼もまたベッドの縁を背もたれ代わりに、彼女の手を握った。
そして―――そのまま、彼も意識を落とした。