雀士咲く   作:丸米

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フォー・ユー

朝起きると、そこにはもう家主の姿がなかった。

彼女はゆっくりと、目を擦りながら周囲を見る。

―――そっか。キョウタローの部屋で眠っちゃったんだ。

纏まらない思考のまま起きてテーブルまで歩く。そこには、書置きが残されていた。

 

―――起きたか?すまないけど、俺は講義があるから先に出る。戸締りをして、出てくれ。あと、これはもうあげるから。

 

そんな文面が書かれたメモ用紙の上に、鈍色の何かがあった。

カピバラストラップがくっ付いた、鍵。

「え?」

意識が、一瞬にして覚醒した。

「これって----」

合鍵、だよね―――その鍵を凝視しながら、そう自分に言い聞かせるように彼女は言った。

「-----え、えへへ」

思わず、そんな声が無意識の内に漏れ出てしまう。

―――迷惑かけっぱなしだったのに。甘えっぱなしだったのに。

それでも自分を嫌わずに、こうして心を許してくれている事実が、本当に嬉しくて。

その象徴たる鍵を、胸に掻き抱いた。

―――ねえ、キョウタロー。

心の中で、一つだけ問いかけた。

―――これって、そういうことなのかな?

彼は自分を、どんな存在に見てくれているのだろう。

どんな感情を抱いているのだろう。

そして―――自分は、どういう風に、見てもらいたいのだろう。

はじめての感覚。はじめての感情。持て余し気味なその諸々に、最近自分は何処までも引っ張りまわされていた。自分ばかりではなく、彼もまた引っ張りまわした。

はじめて故に、中々定義するのは難しい。

それでも―――それでも、自分は何かを期待している。

その感情はきっと「特別」で。

それでもきっと何処にでも転がっている「普遍」なものでもあって。

拾い上げたその普遍な代物が、自分だけの特別になってくれたのだと思う。

 

「うん」

 

けれども、期待するだけで終わってしまうのは、大星淡は大嫌いだ。

自分は期待に「応える」側だ。

 

「頑張ろう」

 

そう、今は純粋に思える。誰かの為に頑張りたい。名も無ければ形も無い「周囲」なんて代物じゃなくて、自分に頑張ってほしいと言ってくれた、頑張る姿を見てくれた人の為に、頑張りたい。

その思いを胸に―――彼女はそっと合鍵をポッケに仕舞った。

 

 

練習を終えると、辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。

普段ならば彼女は真っ直ぐ家に帰宅する所だが、今日は違う。

そのまま家とは逆の方向へと向かっていく。

―――お礼、しなきゃ。

ここ最近忙しさにかまけ忘れていたが、バイトのお金も随分と貯まっていた。

街に出て、何か喜びそうなものを買ってあげよう。

-----喜びそうな、もの。

「む、むぅ?」

そう言えばあの男は、何が好きなのだろう?

折角バイトで貯めたお金を使ってプレゼントしても、何かこう、苦笑いじみた微妙な表情を浮かべてお礼を言われる絵図を想像してしまって―――躊躇いの気持ちが浮かんでしまう。

―――考えろ。

彼が喜びそうなものを。

そう思いながら、ウインドウショッピングをあてどなく繰り返していたが―――考えが中々纏まらない。

難しい。

人の気持ちを推し量るという作業は。

―――いや、やっぱり違う。

ふんす、と息を吐くと彼女は真っ直ぐに視線を戻す。

―――お礼、なんだから。何をプレゼントすれば喜ぶか、よりも、何をプレゼントすれば今までのお礼となるかを考えなくちゃ。

この両者は同じようで、実の所違う。

喜ぶ姿を見て自身の承認欲求を満たしたいという意図が、前者には隠れている。

だから、迷う。失望される未来が脳裏に浮かんで、二の足を踏んでしまうんだ。

それじゃあ、駄目だ。

今まで彼と過ごした時間を思い返せ。その時間の積み重ねの中で、自分は具体的に彼からどんな恩恵を受けてきたのか。

そうなると、答えは一つしかない。

彼女は、迷いなく家具用品店へと向かっていった。

 

 

月が代わり、すっかり夏真っ盛りとなったその日。彼はこの一月だけ、バイトを休む事にした。

―――すみません。ちょっとこの月だけ見たいものがあるので。

そう言いながら彼は上司に頭を下げて一ヵ月の暇を頂いた。

そして現在、大学事務から買い取ったリーグ戦連日フリーパスチケットをそっと戸棚の裏に隠している。

―――何となく、淡にばれてしまうのが照れくさくて、こんな所に隠したのであった。

本当に、どうかしていると思う。

女にかまけてバイトを休みます、なんて上司に言えるわけもなく、とにかく平謝りしながら何とか認めてもらった。

彼は一息つくと、そのまま風呂に入ってさっさと寝てしまおうかと思った。

全国リーグ戦が始まるのは週明けから。淡は無事地方リーグを圧倒的な力で勝ち抜き、全国リーグへのチケットを手にした。

明日から、ひっそりと陰から応援しようとわざわざバイトまで休んだのだ。英気を養う為にも、今日はさっさと休もう。

そう思った瞬間―――。

ピンポン、と。チャイムの音。そしてカチャリと鍵が回る音。

またか、という言葉とは裏腹に微笑みを湛えながら、彼は玄関口まで迎えに行く。

「やっほー、キョウタロー」

予想通りの笑顔を湛えた、金髪少女がそこにいた。

 

 

「全国リーグ進出けって―――い!いやっほー!」

「おお、よかったな」

いえーい、とハイテンションで諸手を挙げてハイタッチを要求する淡に合わせて、彼は台所からわざわざリビングに赴き腰を下げて両手を突き出す。バチン、という景気のいい音が鳴り響き、当たり所が良すぎたのか、叩いた本人の方が痛がっていた。涙目でこちらを睨んでいる。----いや、睨まれても。

「そろそろ飯が出来るからおとなしく待っててな。おめでとさん」

実はもう既に知っている事だが、あえて彼は黙っていた。

「うん!」

かぐわしい肉の匂いにケロリと機嫌を直した彼女はゴロゴロと転がりながらソファで寛いでいる。

「そう言えば、その紙袋どうした?」

彼女はやけにかさばった紙袋片手にこちらに来ていた。現在ソファの横で物々しい存在感を放ちながら存在している。気にするなという方が無理だろう。

「ふっふっふー。それはご飯の後のお楽しみと言う事で、ほらほら早く淡ちゃんにハンバーグを持ってくるのだー!」

「はいはい。米はどれ位食べる?」

「いつもより多く―!ハンバーグの時くらい、ケチケチせずに食べなきゃね!」

「はいはい」

彼は苦笑しながら、夕食を運んでいく。

淡は目を輝かせながら、ハンバーグを口に運んでいく。二転三転する表情の変遷にこちらまで笑みが零れる。これほど作り甲斐のある表情をする人間に会った事が無い。

「おーいしいー!やっぱりハンバーグは大正義だね!」

「はいはい。大正義でも何でもいいから、もうちょっと落ち着いて食べような。口元にソースが飛んでいるぞ」

そう指摘されると大慌てで口元をティッシュで拭うその姿も、何とも可愛らしい。

そうして、夕食を食べ終わり、さて洗い物をしようかと立ち上がろうとして―――裾を掴まれた。

何とも、神妙な顔をした淡がこちらを見ている。

「キョウタロー」

「お、おう。何だ?」

「プレゼント。受け取って下さい」

彼女はそそくさとソファの横にあった紙袋を、京太郎に差し出した。

「プレゼント?」

「うん。----その、バイトで手伝った分のお金を貯めて、買ったの。やっぱり、お礼したかったから」

ああ、成程。

手伝った分の歩合金を全く受け取る気すらなかったのが、急に素直に受け取り始めたのは、こういう事だったのか。

別にそんな事をしなくてもいいのに。手伝ってくれるだけで十分だと思っていたのに。―――けれども、そんな事より、彼女のその純粋な善意に、心打たれた。

だから、

「ありがとう」

と。それだけを伝える事にした。

「開けてみて」

彼女に促されるまま、包装紙にくるまった諸々を取り出していく。

「包丁と、研ぎ機に、エプロン-----」

コクリ、と彼女は頷いた。

「私ね。本当に―――この温かい場所に感謝してるんだ。温かい空気に、温かい会話に、温かいご飯があって―――その中心に、ずっとキョウタローがいるこの時間と場所が、私は大好き。だから、プレゼントするのはこれにした。もっと楽に料理できればいいな、って」

プレゼント一式をまじまじと見つめる。

派手な装飾のない、堅実で地味な意匠の包丁と研ぎ機だ。だが、それ故に扱いに手間がかからず実用的だ。エプロンも、可愛らしいデザインではあるものの、撥水性の高い素材の、油汚れがしにくい素材で作られている。

実用的で、その分―――思いが伝わってくるプレゼントだった。

「どうかな----?」

不安気な声が、聞こえる。

「馬鹿。いいにきまってるだろ、こんなの。―――ありがとう。本当に、嬉しい」

くしゃくしゃと、彼女の頭を撫でていく。

「俺も、何かお返ししなくちゃな」

「え、いいよ」

「いいじゃん。多分、これから結構長い付き合いになりそうだし―――お返しし合う関係ってのも、素敵じゃないか?」

「お返しし合う------うん、なんか素敵だね」

「そうだろう。それじゃあ次は楽しみにしとれよ~。ほれほれ」

「あ、もう乱暴にするなー!髪がぐちゃぐちゃになる~!」

今日も、アパートの中では二人の笑い声が木霊していく。

―――夜が、更けていく。




やたら数字が伸びているなーと思ったら、日間に載っていたのですね。ビックリ。ありがたやありがたや。

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