―――遂に、来た。
大星淡はふんすと息巻き、会場へ向かう。
大学選手権では雀の涙ほどだった報道陣も、今は殺到するように溢れかえっている。パシャパシャとフラッシュが鳴り響く音が、その熱が、ざわめきが、―――かつての敗北の記憶を呼び覚ましていく。
眩いフラッシュが、まるで自分の敗北を嘲笑うかの如く思えた。清澄の大魔王―――その伝説を完成させる為の踏み台、もしくは生贄が自分だったのだと、そう思えて。そう思い込んで。あの時の経験が、自分の心を完膚なきまでに叩き潰したのだ。
彼女は一つ息を吸い、吐いた。
―――大丈夫。
今の自分は、一人じゃない。
―――リベンジ、スタートだ。
※
淡は控室の中、ゆっくりと目を閉じた。
きっと、ここが自分の人生の中での再スタートになる。そんな気がする。きっとこれは―――大袈裟な事じゃない。
過去を打ち破るんだ。
過去を振り返らない事が大事だと、そういう風に言っている人もいる。それもきっと正しい。時間の針は常に進んでいる。人は、一秒だってその針を元に戻せない。ならば、過去に固執する事を愚かだと断じる人も、きっといるのだと思う。
けれども、思う。
墓標の如く積み上げてきた過去によって、自分は形作られてきた。
屈辱も、悔恨も、今まで積み重ねた過去が今の自分が進む道を作って来た。
こんなにも試合を恐ろしいと思える心が、楽しいだけじゃないと思い知らせてくれた敗北の記憶が―――何度も、何度も、振り返る度に自分と言う存在を照らしてくれた。この緩やかに見える遠回りを選ばせてくれた。
だから、どれだけ辛い過去でも、自分はそれを否定したくない。
この過去が―――自分を変えてくれた諸々に出会わせてくれたというならば。
否定したくない。するべきじゃない。
だから―――過去を忘れるのではなく、ここで決着を付けなければならないのだ。この道が無駄じゃなかったと、それを証明しなければならないんだ。
「―――見ててね、京太郎」
―――バーカ。知ってるんだから。
わざわざ、バイト休んで予選から会場に足を運んでくれたことも。今日この時もこそこそ隠れて時間に合わせて来ることも。全部全部。知っているんだから。毎日律儀にチケットを隠している事だって、全部全部。
―――だから、だから。今日はサキに勝って、真っ先にアイツの所に向かうんだ。そして「参ったか」って言ってやるんだ。絶対に―――絶対に。負けない。負けてたまるもんか。
時間を確認する。そろそろ移動しなければならない。淡は再度大きく息を吸い込んで、控室の扉を開けた。
※
会場は、凄まじい盛り上がりようだった。
―――高校時代、名門を打ち砕いた宮永咲。そして、彼女に打ち砕かれた大星淡。実に綺麗なドラマを描いた二人が、今立場を逆にして再度戦おうとしている。プロに進んだ宮永咲に、大学のリーグ戦から這い上がって来た大星淡が立ち向かう。そんな―――またしても絵に描いたような筋書きがそこにある。
こんな筋書きに惹かれぬ者はいないのであろう。この大会は、またしても何処までも注目される事となった。
嶺上地獄を演出し、新人王を獲得した紛う事なき怪物。そして、大学リーグ最多得点の歴代記録を更新した、大星淡。
あらゆる意味で対照的な二人が、それぞれの一年を超えて、再度戦おうとしている。こんなよく出来た筋書きの物語をマスコミが見過ごすわけも無かった。
それも含め、またしてもあの時の再現だ。
あの時の大星淡は、この期待感の中で押し潰された。
だから、心配してしまう。
今度も同じ羽目にならないかどうか―――。
そんな思いに駆られ、結局淡に負けてなお、弘世菫は会場に来ていた。
わざわざチケットを買って、観覧席に向かい、その姿を見届けようと。
「失礼」
彼女は隣に座る男にそう一つ声をかけ、座った。―――隣に座る男は何処かで見覚えのある金髪の男だった。男は実に驚いた表情を見せながらも一礼する。-----大学リーグの試合も見ていた人なのか、と少し感心した。多分、彼は隣の女が弘世菫であると知っているのだろう。
あ、と思い出した。
「君、清澄にいただろう?」
そう隣の男子に唐突に話しかけた。またしても驚いたような表情で、彼はこちらを見やった。
「やっぱりそうか。女所帯で一人目立つ男子がいたから覚えていたんだ。―――元清澄の応援に来たのか?」
そう言葉をかけると、あまりにも唐突だったのかしどろもどろになりながらも、彼は何とか答える。
「いえ、それもあるんですけど―――今は元清澄としてではなく、大学の応援に来ていますから」
「大学------ああ」
成程。彼は淡と同じ大学に進学していたのか。となると、同学のよしみとして応援している、と。
「弘世さんも、あわ―――じゃなくて、大星さんを応援しに?」
「------別に誤魔化さなくていい。君、淡と知り合いだったのか」
「まあ、はい。友人です」
「そっか。それは世話になる―――アイツの友人というのも大変だろう」
「大変ですけど、面白い奴です」
「ふ、それには同意しよう―――そっか。大学でも友達、作れたんだな」
弘世菫は兎にも角にも心配していた。
大学に進学して本当に一人暮らし出来るのか。そして、新しい環境で意地張って友人が出来ないのではないか―――まるで母親の様だと笑われるかもしれないが、本当に心配していたのだ。しかも、あれだけの挫折の後だ。どうしたって、その後の心配はせざるを得なかった。
「―――アイツ、変わったな」
「そうなんですか」
「高校の時は、本当に子供だったからな。生意気で、すぐ調子乗って、周りが見えない。天真爛漫だけれど、ある種の傲慢さがあった」
「-------」
「だから、本気で麻雀をやめるんじゃないかと思った。あれだけ、言い訳も許されないくらいの負け方をしてしまって。けど―――それが逆に良かったのかもしれないな」
「よかった?」
「逃げ道がなかったから、足掻く選択をしたんだよ。自分の心の脆い部分と向き合って、何とかそれを超えようとした。だから、傲慢さが消えた。必死さが生まれた。―――君から見て、淡はどういう奴に見える?」
「その―――俺は、大学に入ってからのアイツしか解らないので、率直に言います」
「ああ」
「素直な奴です。本当に―――何に対しても素直な奴だな、と。そう思います」
「----そうか」
何だか、感慨深げに息を吐く弘世菫に―――言おうか、言うまいか。悩みながらも、彼は言った。
「アイツ、滅茶苦茶喜んでましたよ。スミレから成長したって言われた、って。本当に、満面の笑顔で」
「-------」
「多分------高校の時の意地っ張りな部分をずっと見続けてきたのが誰か、ってのを、アイツなりに解ったんだと思います。ずっと、感謝してたんだと思います」
「ああ、知ってるよ」
そう。知っている。
以前とはまた違った表情で、何処までも素直な言葉を送って来た時の顔を。その言葉を。
「だから―――その、ありがとうございます。俺からも、友人としてお礼を言わせてください。ずっと、アイツを見てくれて、ありがとうございます」
「-----何だろうなぁ」
別に、礼を言われる事なんて自分はしていない。どいつもこいつも―――淡も、この男も、もしくは照だってそうだ。一番頑張っている、支えてくれている人間が、自分にこうして「頑張ってくれてありがとう」と言うのだ。何だか皮肉にしか感じられない。自分は、いつもいつも保護者面しながら楽な場所にいるだけだというのに。
けれども―――少しばかり、彼女もまた淡に絆されたのかもしれない。
こんな時くらい、礼くらい受け取ってもいいじゃないか、と。そう思えるようになれた。
「まあ、礼くらいは受け取っておくよ。どういたしまして。こっちも―――アイツの友達でいてくれてありがとうな」
自分でもわかる位ぎこちない笑みを張り付け、そう言った。
案外、気持ちのいいものだ。礼を言い、そして返す。単純な事なのに。
何だか晴れやかな気分だ。今だったら―――素直に、淡の試合を見れそうな気がする。
そうだ。
心配なんてしなくていいんだ。ボロボロに負けたっていいじゃないか。その時は涙目のアイツの頭でも撫でてやればいい。心配は、後でだって十分に出来る。アイツはもう、一人じゃないんだから。
そんな気分で、彼女と彼はあと五秒後に迫った試合に集中すべく、ジッと黙った。
ストロボの光と、入場曲が流れ―――今まさに、試合が始まろうとしていた。
自分で書いていてなんなんですけど、ネキ書いた後これは何か落差に酔いますね。文章の組み立てが違い過ぎて書いていて自分で自分が気持ち悪くなりました。訴訟。