デジタル娘の策略
「結婚相手は、慎重に選べ----ですか」
「そうだ。お前ももう24だ。結婚もそろそろ視野に入れねばならない時期だろう。だからといって、焦って相手をよく見ぬまま結婚するのもよくない」
原村親子の会話である。
学生時代―――この父の言葉の厳格さに、どこか恐怖を覚えていた気がする。麻雀はただの遊びであると言われ、転校を示唆された際も。
父は弁護士だ。故に弁がたつ。子供の時分に、この親を言い負かす事なんぞ出来る訳もあるまい。
だが―――原村和とて、もうプロ生活二年目に入る。
海千山千の怪物共と渡り歩いてきた女傑であり、それ故強固な自我も形成されていった。醸成し、強固となった自意識から自らの父親を眺める。
「へぇ、慎重に選べと言う位ですから、お父さんなりの審査基準が、きっとあるんでしょうね」
「ああ。男は、ちゃんと理性的で、誠実な者でなければいけない。別に私とてお前の幸せを阻む気はない。キッチリした者を選んできたのならば、無理に反対したりしないさ」
その言葉に、―――内心、腹の底で和は笑っていた。いや、嗤っていた。
「へぇ、そうですか。真面目で理性的で誠実な人を選んで連れて来いと、お父さんが言うんですね」
「----な、なんだ、和。どうした」
言葉の端々に、棘が。棘が。突き刺さる様にその声音が耳朶を打つ。
「ならば―――お父さんがお母さんを選んだその瞬間も、お父さんは真面目で誠実な理性を基に、選んだのですよね?」
棘は、鈍色の刃と化す。薔薇が棘を持つように、天使はその手に断罪の白槍を持つのだ。
「そうですよね―――きっと、お母さんの美貌に心動かすことなく、あの豊満な胸に心揺らすことなく、一切の煩悩を排し、合理的かつ論理的な基準を以て、お父さんはあのお母さんを選んだんですよね?」
「そ----そうだ----ああ、そうだ----」
「へぇ、そうなんですか―――私、もうかれこれ十年以上、麻雀をやってきたんです。嘘ついている人の表情は手に取る様に解りますよ?」
槍が、心の臓腑を突き破っていくかの如く。そんな鈍い痛みが、胸奥に拡がっていく。
表情が強張る。
全身に、震えが走る。
「そうなんですね?」
繰り返す。
繰り返す。
「答えて下さい―――そうなんですね?」
そう言い終えた瞬間―――和は父の眼の奥を覗きこんだ。
「お父さんは、いい感じに結婚できたんでしょうけど------知っていますか?そうやって悠々諾々と男を見ている間に、アラサーアラフォーの境地に至ってしまった人間を。積み重ねていく富と名声に胡坐をかいて、結婚なんて簡単に出来るとせせら笑いながら絶望をくべていく人間の事を。私は、デジタルな人間でありかつロジカルな思考能力は持っています。何故彼女たちがああなってしまっているのか、私には理解できています。そして―――このままだと、私もアレと同じになってしまうと言う事も」
「------」
「自分は、巨乳童顔のお母さんと結婚しといて-------」
「-----」
「私を好きでいてくれる男性に、そんな潔癖性を求めるというのですね-----。そして、狭苦しい基準の中に相手を押し込めて、いもしない私に相応しいと勝手に想定された人間を探させて、そして―――アラサー独身喪女の道へとひた走れ、と。そうお父さんは言うんですね」
「い、いや------」
「いいですか、お父さん―――私は、嘘つきは嫌いです」
「-----」
「解ってますね、お父さん。一つだけ言っておきます」
ニコニコと笑む。
笑う。
嗤う。
「―――私の幸せを阻むようだったら、肉親であろうと関係ない。叩き潰します♥」
※
プロ雀士の間で流行するジンクス。最早語り尽されたそのジンクスに、原村和は一つの結論を下していた。
―――ジンクスなんて、下らないものです。
フッと笑んで、
―――アレは、何処までも合理的で、因果関係がはっきりした現象です。
そう、彼女は分析していた。
そもそもだ。男女が結ばれるまでの間には相応なプロセスが存在する。
一つに男女の差異を知る事。
二つに男女の付き合いを知る事。
三つに男女と共に生活する時間を知る事。
一つ目は思春期に、二つ目は学生時代のどれかで、三つ目は恐らく成人してから。とにもかくにもこの段階ごとに確実なる経験が必要なのだ。
お金よりも。名声よりも。前提となるのはこの経験だ。
お金で繋がれた関係は、結局は上手くいかない。
そもそも女の金の多寡を気にするような下賤な思考を持った男なぞ、ロクで無し以外に存在しまい。
すり寄ってくる下賤な男共を見る度、吐き気すら催す生理的嫌悪感が催してくる。
それは、恐らく、和の中に存在するある種の潔癖性なのだろう。
―――ああいう連中の腹の底を見抜けることが出来るだけの眼力は、やはり厳格な父のおかげだろう。
それ故、そう言った部分では誇張なく感謝している。
だからこそ、狙うべき人間が何処に存在しているのかが理解できるようになったのだから。
これから行われるのは、外交戦争である。
もしくは営業ともいえるかもしれない。
―――勝たねばならないのだ。
※
須賀京太郎は、現在麻雀協会専属職員である。
麻雀好きが高じてか、常に雀士の熱い戦いを記録する係に任命された彼は、日々生まれていく牌譜を纏め、世間様にそれを公開するお仕事をしている。
こうやって、麻雀の過程を記録する事は、地味ではあるがやりがいはある。彼等の記録が、後々の麻雀の発展へと繋がっているのだから。
所変わって彼の周りを見渡せば、そこそこに華やかになったのかもしれない。
----まあ、アレだ。麻雀協会は至極当然であるが雀士の方々と付き合いが多くなるのは当然である。
その中には“ジンクス”の餌食になった方々もいる訳で。
----和の気持ちが、ちょっとだけ理解できた気がした。
あの、何というか、据わった感じで見られるあの感覚は、ちょっと背筋が粟立つような不快感が催す。
あんな感覚を毎度の如く味わわされれば、確かに男への抵抗感が増してしまうのも仕方があるまい。
そういう訳で。
ここで働き始め、和と再会した時、その諸々を打ち明け、心から詫びた。
その時―――何というか、面食らった顔をしながら、それでも顔を綻ばせて、
―――馬鹿ですね、
そう彼女は笑っていた。
------京太郎はその笑顔に見惚れるばかりで気が付かなかった。
彼女の眼に潜む、捕食獣の色を。
「いいですか、須賀君。確かに美人な雀士ばかりで目移りするでしょうが、それでもその大抵がろくでもない下心―――つまりは、貴方を保険代わりに確保しようとしている人がほとんどです。惑わされてはいけません」
「須賀君、どうしたのですか―――え、ランク16位の方から、お酒の誘いが来た?駄目です、須賀君。断りましょう。彼女は以前芸能人の方との破局が報じられていたばかりじゃないですか。目移りしたのか、それとも心の穴を埋めたいのか解りませんが、どちらにしろあまり感心はしません。角が立つのが嫌ならば、私がそれとなく言っておきますから」
彼女は気付けば、京太郎の周辺の諸々に関して気を回し、世話を焼くようになった。
プロ雀士と、職員。その地位の差はやはり歴然であり、自分から誘いを断るのはどうしたって角が立つであろう京太郎の事を慮ってくれたのだろう。彼女がやんわりと間を取り持って周辺の整理をしてくれた。
-----着々と、外堀が埋められている事なぞ露とも知らず。
原村和。
彼女は何処までも、デジタルな人間である。
続きは----まともに書くとR指定に入りそうな感じなので、ちょいと考えます。