自由の羽根を得るとは、こう言う事だ。
子供から大人に。一人で社会に向かって羽ばたけるだけの力を手に入れた我が子に、その行き先を制限する事は出来ない。
そう。一度羽根を手に入れたのならば、―――その後、またかつての籠の中に戻って来るかどうかは、子供次第なのだ。
“自分は童顔巨乳のお母さんと結婚しておいて”
“いいですか、お父さん―――私は、嘘つきは嫌いです”
言葉の節々が、まるで焼かれた針で全身を突き刺さるようだった。こちらに投げかける言葉が、こちらを見据えるその眼が、何故こうも自分の心に突き刺さっていくのだろう。
今や弁護士である自分よりも強力な経済力を手に入れてしまった我が子は、もうこちらの言う事を聞く必要はない。わざわざ窮屈な鳥籠の中に戻る必要はないのだ。
―――さあ、原村恵よ。お前の罪を数えてみろ。
頭の中で、何者かがそう囁く。その姿は十字架に吊るされた男か、涅槃で横たわる裸の男か―――とにかくよくも解らぬ声が聞こえてくる。
罪?罪だと?一体自分が如何なる罪を重ねたというのだ。懸命に働き、懸命に育てたではないか。誰よりも我が娘の事を考えてきたではないか。何が罪だ。一体何が―――。
そう自分に言い聞かせていようと、それでも眼前にぶら下がっている現況は何も変わっていない。
こちらを見据える娘の冷たい目。投げかけられる不平の言葉。それが全てだ。結局の所、自分は娘に見下げた存在であると思われているという確定的事実が、そこに存在しているのだ。
自分が選んできた選択を振り返って見る。
彼女が好きなモノをただの遊びだと断じ、彼女から友人を奪おうとした。
それが、彼女にとって何の為となっていたのか。こんな事を多感な子供の時期にやらかしておいて、ようやく自由になれたというのに、戻ってくるわけもないじゃあないか。
「貴方、何をしているの?」
「----いや、ちょっと考え事をしていただけだ」
家に帰って来た妻が、そんな声をかけた。別に台詞程心配している様子もない。
「そう言えば、今日は何処に行っていたんだ?」
「うん?買い物して、和と会ってお茶してた」
「そ、そうか----和も忙しいだろうにな-----」
「遠征でこっちに来る度に結構会ってるわよ。貴方会ってないの?」
無慈悲な言葉が、無自覚に彼女の口から放たれる。-----自分は一度もそんな誘いをかけられたことも無いというのに。
ああ、何と情けない思考だろう。あまりの情けなさに涙が出る。
「いや--------」
「やっぱりね。そんな事だろうと思った。自業自得ね」
だったら伝えとくわね、と彼女は続ける。
「和、気になる人が出来たみたいよ」
無言。何となく理解できていた。
「いいタイミングだったわね。高校生の時だったらでっかいお邪魔虫がいただろうし」
無言。段々、暗黒の気配が漂ってきている。
「以前ね、私全国優勝できなければ転校するって揉めていた時、あの子に別にそんな約束守らなくていいじゃないって言ったのよ。今回も言ってあげたわよ。絶対に何かしらお父さんが文句をつけるだろうけど、気にする事は無いって。そしたら、あの子、なんて答えたと思う?」
無言。聞きたくはない。
「はい、勿論―――そう言っていたわよ。逞しくなったわねぇ、あの子」
※
原村和にとって、麻雀とは唯一無二の存在であった。
何よりものめり込んだ存在で、麻雀を抜いた原村和という人間は、とても機械的なつまらない人間だった―――そう彼女は思う。
勉強は苦にしなかった。親に反抗する事も無かった。そうする意義も意味も特に見出せなかった。
その意義が。その意味が。―――麻雀という存在を抜いた自分には存在しなかった。
父にとっては、そういう意義や意味は遊びであるという認識なのだろうが。
だからこそ、自分は麻雀で生きていくべきなのだと痛切に思えた。大学で法律の勉強をしていても、満たされない思いが溢れかえっていた。
理解されなくてもいい。
そう強い思いを持って、原村和はこの道を邁進してきた。
―――けど。
―――心の何処かには、その思いを。その意義を。その意味を。理解してほしかった。
そういう人がいてほしいと、そう思っていたのだ。
だからこそ、嬉しかったのかもしれない。
―――清澄で、不遇だった須賀京太郎が、それでも麻雀を好きでいてくれたという、事実が。
自分達の戦いを見届けてくれた彼が、今度はそれを見届ける職業に就いた―――その事実が。
例えようもなく、嬉しかった。
だから、世話を焼いたのだと思う。折角好きでいてくれた麻雀を、彼に近付く下らない人物たちによって嫌いになってもらっては堪ったモノじゃない。
そう。だから仕方ないのだ。彼は思う存分、麻雀を好きでいてくれなければならない。
だったらちょっと位、世話を焼いたっていい。
ちょっと位、仕事帰りにお酒抜きで食事に行っても。
ちょっと位、休日にショッピングに付き合ってもらっても。
仕方ないのだ。そう、仕方ないに違いない。
―――彼も、高校時代自分の胸を見て鼻を伸ばしていたのだ。そう悪い気はしていないでしょう。私は決してプロの威を借りて彼の行動を強制している訳ではありません。ちゃんと、都合が合わなかったり、そういう気分では無さそうだったりするならば、無理に付き合わせてもいません。彼のプライベートを侵食するのではなく、精々花を添える程度で十分。そういう癒しを、彼はきっと求めているはずだ。あの雀士共に囲まれている状況ならば、尚更。
ただ彼との直接的な繋がりは地道にしながらも、外堀は出来るだけしっかり埋めておく必要があるでしょう。それは彼の意識の上でもそうですし、彼の周囲に対してもそうです。
彼の意識の上で、“原村和はいい女である”と思わせ、周囲にもそう思わせる。それが外堀を埋めていくという行為の本質です。私の欲望を優先するのではなく、あくまで彼にとっての負担にならない事を優先するのだ。そうしていれば、自然と堀は埋められていく。
―――いいですか、お父さん。人を気遣う、という行為はこうやって行うものです。
原村和は思う。
―――ただ自分の理想を押し付けるだけじゃ、人というのは納得しないモノです。親という権威を振り回して行うのならば尚更。お父さんはある側面ではいい教師で、ある側面ではいい反面教師でした。
自分の望みを他者に叶えさせたいのならば、まずその相手を慮る必要がある。そんな、実に単純な事だ。
その単純な事が、父には解っていなかったのだろう。
とは言え、一つだけ確定している事がある。
この先―――大なり小なり、障害となるのはきっとあの父だろうと。
障害は打ち砕けばいい。―――そんな単純な話ではない。父との関係で彼を不安にさせる事はあってはならない。折角、彼に負担をかけさせぬようしっかりと配慮してやってきたのだ。父とのはっきりとした対立関係を打ち出せば、それに気を病んでしまうのは彼の性格上ほぼ確実でしょう。何とかしなければならない。
「今日はありがとうな。いいレストラン知っているんだなぁ、和は」
「いい店でしょう?雀士の先輩からよく教えてもらっているんです。またの機会があれば、今度はイタリアンでも食べに行きませんか?」
「お、それはいいな。―――あー、けど今度休みがいつとれるかなぁ」
「休みが遠いなら、無理に付き合う必要はありませんよ。しっかり身体を休めて下さい」
「いや、ごめんな。何だか付き合い悪くて」
「いえいえ、気にする必要はありません。須賀君のお仕事のおかげで、私達もしっかりとゲームが出来るのですから。ちゃんと身体を労わってあげて下さい。ご飯を食べに行くのなんて、いつでも出来るんですから」
「お、おう-----。何か、和が優しい-----」
「私はいつだって優しいです。失礼ですね----それじゃあ、今日はここでお別れですね。いい夜をお過ごし下さい、須賀君」
「おう。おやすみ」
駅前で互いに手を振って別れる。
ふう、と彼女は息を吐き―――つかつかと背後を歩いていく。
路地を通り、角の裏通りを素通りするフリをしつつ―――背後から回り込む。
そこには、灰色のコートを着込んだ男がいた。
その男の眼前に立つ。
「―――さっきからチョロチョロと。何の用ですか?」
男は不意をつかれたのか、やば、と言いつつ逃げようとする。
―――和はコートの襟を掴んだ。
「パパラッチかと思いましたが、違いますよね?未婚者の私と一般人の彼が、ただご飯を食べている所を追っかけてもつまらないでしょうし。―――誰の差し金ですか?」
「し、知らねえよ!放せこの女ァ!」
男は和の手を振り払うと、一目散に逃げていった。
「-----探偵ですかね?」
もしそうだと言うならば―――誰の差し金かは一目瞭然だ。
「―――いいでしょう、お父さん。確かに私は忠告をしましたから―――」
ここまでハッキリと対立してくれるならば、むしろやりやすい。徹底して証拠を洗い出し、―――二度と、こんな下らない事を出来ないようにしてくれる。
「ぶっ潰します。―――須賀君に気付かれないうちに、ね♥」
ふふ、と一つ笑い、裏路地の角で原村和は笑った。
―――さあ、戦争の始まりだ。
昨日、福岡の中州で友人と餃子を食べました。とても美味しかったです。その帰りに、ピンサロの客引きの兄ちゃんが「へい兄さん、いいおっぱいがあるぜ!」と道行く人に声をかけていました。クロチャーかな?