結論から言えば、XX探偵社は現在恐怖のどん底に叩き落されていた。
―――俺は、俺は一体何に手を出してしまったのか。
探偵は一人思い悩んでいた。
今日も今日とて、痛む胃を必死に押さえながら、ポストへと向かっていく。
―――まただ。また―――
毎日届けられるのは、自らが外出している姿を収めた、写真の数々。
探偵業務を日々行っている自分の姿だ。例えば住宅街の路地裏で。例えば繁華街の喫茶店で。例えばラブホテルの裏で。例えば駐車場の陰で。
自分が外出し、探偵として活動している姿が場面ごとに切り抜かれ、写真として毎朝届けられているのだ。しかも―――探偵業務だ。この切り抜かれた写真の数々は警察にとてもじゃないが見せられるモノではない。よって、誰にも相談すら出来ない。
―――これはつまり、こういう事だ。
―――お前は監視されている。お前の行動は逐次見ている。お前が外で何をしているのか。何を調査しているのか。どのような行動をお前がとろうとも、決して見逃しはしない―――。
恐怖のあまり、自宅と事務所に何者かがいるのではないかと、探し回った。
今度は自宅周辺を叫びながら探し回ってみた。しかし影も形も見えない。
そうして探し回っている姿さえも―――写真として届けられ、思わず発狂したかの如き叫び声を上げてしまった。
男は暫しの間、事務所を閉めた。
その後逃げるように県外へと向かった。
なけなしの貯金をはたいて三泊四日の旅行を敢行した。無論、そんな事で気が休まる訳も無かったが、それでも無理矢理でも別の場所に気分転換したかった。しかし、それも叶わず酒で無理矢理記憶を放りだそうともした。
そして、金が尽き、仕方なく事務所に帰ると―――厚めの封筒が一つ。
わなわなと手を震わせ、その封を切ると―――溢れんばかりの、写真がそこにあった。
観光地で煙草に耽る姿、酔い潰れて街角で座り込んでいる姿、旅館に今にも入ろうとしている姿―――呆然とその写真の一つ一つを確認し、最後には、とても綺麗な丸文字でメッセージが書かれた、メモ用紙。
そこには―――。
『逃げられると思っていましたか?』
そう、書かれていた。
「こんにちわ」
ポストの前で恐怖に震える男の背後から―――そんな、柔らかな声がした。
振り向く。
「何を―――そんなに怖がっていらっしゃるのですか?」
ニコニコと。
ニコニコと。
静かに笑う、原村和の姿―――。
「お、お前か----。お前、なのか------」
「--------」
無言。
「お、俺が何をしたっていうんだ!何だよ、これは!何だよ!」
恐怖のあまり胸倉を掴まんと、男は和に突貫する。
その腕を、掴む何者かがいた。
「-------」
その女は、長い黒髪を一つに束ね、眼鏡をかけた女であった。
見覚えがある。
―――プロ雀士の、辻垣内智葉だ。
「さあ」
そして―――事務所の前には三台ほどの黒塗りの高級車が集まって行く。
角刈りグラサンの物々しい集団が、ぞろぞろと湧き出るように現れていく。
辻垣内智葉の、眼鏡の奥が、まるで屠殺場の家畜でも眺めるかの如き憐憫混じりの感情が、宿っていく。
「乗れ」
その声に合わせて、探偵は涙と汗を垂れ流しながら―――乗った。
ああ。
一体これから自分はどうなるのであろうか。
―――想像できないししたくない。そんな悲嘆に塗れた、とある夏の日の夕暮れ時であった―――。
※
「怖がらせちゃってごめんなさい。別にとって食うつもりなんてないですから御安心下さい」
車の中、隣に座った原村和は言う。
「これからこの車は高速車線に乗って、ひたすらに運転をします。辻垣内さんのお家の方がとても親切な方でして、ドライブを楽しませてくれるみたいです―――。ずっと、旅行していらしたんでしょう?移りゆく景色をお楽しみください。あ、お手洗いに行きたい時やお腹が減った時は遠慮なく言ってください。すぐにパーキングエリアに寄らせて頂きます」
うふふ、と彼女は笑う。
ああ、そうか。そう言う事か。万が一にも逃げ出せないように高速道路ノンストップで走らせるつもりなのだ。高速道路のパーキングエリアで逃げられない事も織り込み済み。今、自分は、走る密室の中閉じ込められているも同然なのだ。
「―――私が探偵の方に調査を受けている事を知って、まず行ったのが周辺の探偵社に私から書面での依頼を行う事でした。依頼内容は、“原村恵を調査する事”。無論、これは自分が調査された仕返しの側面もありますが―――父がどの探偵に依頼したのかを、炙り出す目的もありました」
原村和は、滔々と事の真相を話し出した。
尾行していた探偵は男であったことから、女の探偵を除外した。その上で、尾行していた経路をたどり、行動範囲から該当性の高いであろう事務所を辻垣内と相談し、割り出してもらった。
割りだされた探偵社に、一斉に原村恵の調査を書面で依頼。その依頼を受けてくれた探偵には、そのまま父の行動を監視してもらい―――依頼を断ったこの探偵こそが、父が依頼した探偵である可能性が高いとしてマーク。依頼した探偵の半数近くを以てこの男の行動を監視し、原村恵との接触を確認。そして―――執拗なまでの写真の投函によって精神的に疲弊させ、今に至る。
「------目的は、何だ」
「簡単な話ですよ。―――父から受けた依頼内容を、洗いざらい吐いて下さい」
「そんな事出来る訳がないだろう!」
職業として探偵を営む以上、こればかりは話せる内容ではない。どうしたって―――。
しかし、そんな言葉にも、存外に和は無関心そうに返事を返す。
「そうですか。残念です」
そう言うと、彼女はおもむろに携帯電話を取り出す。
「はい、もしもし―――はい、このまま、調査の方は継続でお願いいたします」
これは、まさしく処刑宣告の様であった。
―――まだ、まだ自分はあの地獄のような日々が繰り返されるのか。また、また―――。
「そうですね-----あと二ヵ月たったら、また説得に来ようと思います」
二ヵ月。
―――ずっとずっと、こんな日々が続くのか。こんな、全てが監視される、非日常的な地獄の日々が。
「運転手さん。高速から降りてももう構いません。この人を事務所に送り届けて下さい」
今ここで降りてしまえば―――この地獄が、まだまだまだまだ続いていくのだ。その事実に、男は―――待ってくれ、と。そう言った。
「どうしました?」
「話す、話すから―――!」
「ああ、そうですか。感謝します。御安心下さい。たっぷりと、謝礼は支払わせて頂きますから―――」
その時、男は何者かの存在を感じた。
天使の羽根を生やした―――何者か。とても神々しい姿だ。自分に何かの宣託を与えに来たのであろうか。
だが、それは実態的に―――ただの死神という他、無かったわけであるが。
ICレコーダー片手に滔々と質問をしていく原村和の前に、男は力なく頭を垂れていた。
※
天使の羽根に、死神の鎌。
無惨極まりないイメージを以て、原村和は唇を綻ばせた。
―――さて、戦争の始まりです。遅れてきた娘の“反抗期”。とくとご覧あれ、お父さん。
※
「む」
須賀京太郎は何やら凄まじい悪寒を覚え、目覚めた。
「----嵐でも来るのかな。いやいや、そんな事は無いか-----」
びっしょりと濡れた寝間着を洗濯機に放り込み、もう一度着替える。
―――全く、嫌になる。まあ、和と仲良くなれたし、少しくらい悪い事が起こってもプラスマイナスゼロかもしれないなぁ。
そんな事を思いつつ―――もう一度、布団をかぶった。
むーざんむーざん