雀士咲く   作:丸米

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罪と罰

「あ-----えっと、はじめまして。須賀京太郎です」

「原村恵だ」

「-----えっと、いつもお世話になっています」

「ああ」

何やら、重たい雰囲気が充満している。

それも、仕方のない事である。

高校生の時から、和の父の厳格性はよく彼女自身から聞かされていた。

---お礼、ってお礼参りの方じゃあないよな?まさかな?

はては一介の協会職員。はては弁護士。力の差なぞ歴然である。

娘に近付く不埒者を成敗すべく、それとなく合法的手段を以て社会的地位を吹き飛ばさんと訪れた原村家の刺客かも解らぬ。須賀京太郎は心の底から眼前の男性をそう認識していた。

対して原村恵はまるで胃中にナイフが突き立てられんとしているかの如き心持であった。

この男の心理をどうにか娘に誘導せねばならない―――そうせねば自らの家族の中での地位は失墜同然である。危機を回避すべく、やるべき事をやらねばならない。そして、失敗も許されないのだ。

 

そんな互いの認識の錯誤を抱えながら酒の席に着こうと空気が軽くなる訳もない。

しかし、ここで須賀京太郎の経験が生きる。

麻雀協会のお偉方からプロ雀士まで、自分よりも権力のある人間に睨まれながら(狙われながら)も生き残って来たのは、鍛え上げられた処世術ならではである。

こういう時の逆転の一手は、解っている。

「と、取り敢えず乾杯でもしませんか?」

ある種のイチかバチかであるけれども―――酒を飲ませて素の部分を引き出させればいい。

素の部分すら暗黒であるならばもはやどうにもならないけれども―――しかし、何もしないよりかは遥かにマシな選択であろう。

原村恵は無言のまま頷くと、瓶ビールを注文した。

 

 

そして―――二十分後。

原村恵はカウンターに崩れ落ちていた。

「私は、間違っていたのだろうか?どうだろうか、須賀君-----」

「いえ、大丈夫です。きっと和も解ってくれているはずです」

「自立してから、ちょくちょく妻には会うのだが、もう私にはほとんど接触してこない。そうか、それも仕方がないか。私も、子供の頃はあの子に構ってやれなかったからな-----」

愚痴が、次々と零れ落ちていく。

これというのも、この男が実に聞き上手だからだ。如何なる理不尽も何とかすりぬけてきた男である。愚痴を心地よく喋らせる事など朝飯前である。「何かあったんですか?」「あまり元気が無いように見えるので---」「よかったらお聞きしますよ」の三連コンボから繰り出される至極単純な誘導に引っ掛かってしまう程度には、原村恵の心は追い詰められていたのだ。

そして、その愚痴の奔流を聞きながら、何となく須賀京太郎も納得してしまった部分もある。

―――そりゃあ、まあ、そうなるよなぁ、と。

親子関係とはかくも難しきモノなのだ。

子供の頃から悩まされ続けた親に、大人になってからわざわざ会おうとは思わないモノだ。特に厳格な親に反発心を抱いていたのならば、尚更そうだろう。子供の頃に反抗期を抑えさせられていれば、大人になって十分な経済力を身につけた後に、反抗される。それがある種の世の中の常なのだ。

―――とはいうものの、このままにしておくのはなぁ。

「うーん------その、原村さん。一つ提案なのですけど」

「なんだね」

「その-----俺も、それとなく和にフォローを入れておきますから、機を見て、謝りませんか?それで、ちょっとは和の機嫌も治るでしょうし」

「謝る、か-----」

-----原村恵にとって、「子供に謝る」という行為は、一種の禁じ手であった。

それはつまり、子供に自らの非を認めてしまう事に他ならない。生活の中でふとした事で謝るのは別にいい。だが、教育の方針などに自らの非を認めてしまう事は、ひいては「お前に間違った教育を施してしまった」という事を認めてしまう事にもなる訳で。

だが、もう、そんなプライドを守れるだけの心持ちが、今の自分にあるかないかで言えば―――。

「そう、だな------」

謝らねばならないか。

そう彼は自然と思えた。

 

 

―――和があそこまで執着するのも、解るかもしれない。

ずっと厳格な環境に身を置かれ、肩身が狭かった和にとって、彼は心地いい存在だったのだろう。

同じ様に麻雀を好きでいてくれて、それでいて自らの事を否定せずに受け入れてくれる存在が。

―――ちゃんと、人を見る目、あるじゃないか。

そう、思った。

そして、同時に思う事がある。

―――このままで、いいのだろうか?

この青年はとてもいい子だ。

こんな馬鹿親父の愚痴も嫌な顔一つせずに聞き入れてくれている程に。

だからこそ、だ。

―――あの、悪魔の片鱗を見せ始めた和の本質を知らせぬままに、見て見ぬフリをして、あてがってもいいものか―――。

そうだ、見て見ぬフリをしてしまえばいい。

自分の所業も、和の所業も、一切伝えずに、こう言えばいいのだ。君の事は気に入っている。私との関係は気にしなくてもいい。和の事は心から応援している。そう言えばいいのだろう。そうすれば、和も自分も、一切合財損はない。この青年だって、悪い事じゃない。そうだ。そうすればいい。そのまま―――。

「須賀君------」

「はい?」

―――だが、駄目だ。

駄目なのだ。

自分は弁護士だ。正義を実現すべく人と社会を統括する法を扱う人間だ。かつて自分は―――正しい人間でありたいと思っていたはずだ。その正義の心を今の今まで、ずっと忘れていた。

自分は、やってはならぬことをした。

やってはならぬことをした。だからこそ現状があるのだ。

それはどうあっても変えられぬ。

ならば―――それを認め、告白し、罰を甘んじて受けるべきではなかろうか。

 

そして、私は―――誰かの幸せを願うべきではないのだろうか。

この青年を、今の和の心底を知らせぬままに―――人生の墓場に持って行かせて、いいのであろうか?

いいのか?

本当にいいのか?

「これから話す事を、よく聞いてくれ-----!」

血を吐くような気分で、原村恵はそう口火を切った。

 

話さねばなるまい。

例え―――この身が朽ち果てようと。

 

 

「-----という訳だ」

彼は話した。全てを。

自らの所業も。娘の所業も。余す所なく全てを。

ただ、自分がここにいる理由―――つまりは「脅迫」されてここにいることだけは隠して。こればかりは中途半端ながら最後の親心であろう。

探偵を使い身辺調査をしていたこと。それを逆手に和が自分を追いつめている事。その際の和の所業とやり取りを―――全てを。

そうとも。

これで自分は終わりだ。

この青年がそれでもって和と距離を置くようになれば、自分もまた死ぬのだろう。詰られ、迫られ、断罪されて―――ここで原村恵なる人間は社会的に死ぬことになるのかもしれない。

だが、それでいい。

彼か、自分か。死ぬべき人間がどちらであるのか。

そんなもの決まっているではないか。

我が身可愛さにこの青年の未来を暗澹に沈ませるくらいならば、我が身の罪は甘んじて受けねばなるまい。それが罰だ。罰とは、罪を犯した者だけが受けねばならぬのだから―――。

「----そうですか」

眼前の青年は、何だか困った様な笑みを浮かべる。

それもそうか。自分のあずかり知らぬところで場外乱闘をしていた親子の話を聞かされても何のことだと思う他あるまい。

しかし、その後に発せられた言葉は、実に意外であった。

「------何だか、少し安心しました」

そんな言葉を放ったのであった。

「あ、安心?」

「はい。ちゃんと、怒る時は怒るんだな、って。和も」

「------」

「まあ、手段としちゃあやりすぎかもしれないけど、でも加減を知らない辺りも和らしいかな、って思います」

「------そうか。その、君は私に何も怒らないのか?」

「もう十分に怒られたみたいだから、構わないです。いや、正直あんまり被害を実感できていない所もありますから。本職の探偵って、凄いんですね」

「--------」

 

何だか、不思議な夜だった。

不思議ではあるが、理解した事もある。

たった二つの事だ。

自分の器の小ささ。

そして―――器の大きい人間がどういうものであるのかを。

それだけを、知った夜であった。




実家でNHKで放送されていたピングーを以前見ました。甥っ子がキャッキャキャッキャ騒いでいましたね。シュールで面白かったです-----で、ツイッターで出回っていたあの地獄絵図は何なんですかね?

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