何だか、不思議な人だった。
人よりも遅いテンポで、人よりも怠けて、その人は生きている。
けれど、それでも―――やるべき事は、しっかりやっていた。
頼れる部分は、何処までも頼ってくる人だけど。
そして、もう一つ解った事もある。
「-----須賀君。おんぶして」
「あの、大学までおんぶさせるつもりですか?」
「うん」
「鬼畜か!」
彼女は、頼る人間はしっかり選ぶ。何か、彼女なりのこだわりがあるのだろうか。そのこだわりの何処に自分が触れる部分があったのか。それは全く解らないけれど。
あの出会いの日から、彼女―――小瀬川白望とは知り合いとなった。
びっくりするほど怠惰な人。けれどもこれまたびっくりするほど憎めない人。
何だか、形容し難い人だ。
言い換えれば、捉えどころがない人ともいえる。
この人でも一人暮らしが出来るのだから、あまり不安に思うのも馬鹿らしく思えてきた。
「小瀬川さんは、サークルに入っているんですか」
「----麻雀」
「ああ、やっぱり麻雀は続けていたんですね」
「うん。ダルいけど」
「あ、やっぱりダルいんですね-----。あの、こんな事聞くのは失礼だと解っているんですけど、どうしてわざわざ大学に出たんですか----」
「----楽をする為の努力。それ以上でも、それ以下でもない」
「ああ----成程」
「納得してくれたようで何より」
「そりゃあ、まあ。これ以上ないって程にらしい理由でしたよ―――で、何処まで運べばいいんですか」
「大学B号館206。寝ていても何も言われない後ろの席に下ろしてくれればベスト。二限も迎えに来て」
「俺をタクシーか何かだと勘違いしてませんかねぇ!?」
そんなこんなで、毎度の如く彼女の送り迎えをしていた。
それは、彼女が所属するサークルにまで。
何度も送り迎えをするうちにサークルの連中に顔を覚えられ、いつの間にやらなし崩し的にそのサークル所属になっていたという。
----正直、大学に不安を感じていなかったかと言えば、それは嘘になる。
コミュニケーション能力に自信は持っていた。とはいえ、所詮自身は長野の田舎者だ。見知らぬ街に、見知らぬ人々。そんな中に放り出される不安が、やはり存在していた。
だが、彼女と出会って、その不安は何が何やら、よくも解らぬまま霧散していた。
本当に、よく解らない。一人気心が知れた友人が出来たからとか、そういう理由では説明がきかない。それ程、あっという間に、自分でもよく解らないまま、不安が消えたのだ。
彼女はそれほど多弁ではない。
彼女は無論積極的な方でもない。
ただ、そこに存在するだけだ。何も言わず、何もせず、ぼぅ、とそこにいる。
ただ、それだけなのに―――。
いや、本当にただそれだけなのだろうか?
多分、それ以外の理由があるはずなのだ。
それは何なのかと問われれば、よく解らないけれど―――解らないからこそ、気になったりもする。
何だか、不思議な人だ。
それでも―――とても、一緒にいて、心地いい人だ。
今はそれだけ解っていれば、十分な気がした。
※
そうして、今日も今日とて彼女を背負って大学を歩く。
立派なおもちに反して、彼女自体はとても軽い。背負う分には京太郎にはそれほど負担にはなっていない。
ただ―――こう、周囲の連中から見られる視線とかが、ねぇ。
嫉妬混じりの視線はまだいい。優越感に転嫁すればいいだけだ。けれども、こう、生温かさを孕んだ、「あー、あれね。あの恒例行事ね」的な、ぬるい視線が刺さる度、謂れも無い非難を浴びた異国人の様な何とも言えない感覚が走る。
彼女はその辺りの感覚が完全に消失しているらしい。はい、そうですか。そうですよねー。
「------小瀬川さん」
「シロ、でいい」
「え?」
「だから、シロでいいってば。―――京太郎」
そんな言葉にときめいてしまうほど、今の自分はとても単純なのだと気付いてしまって。何だかこの人にはずっと勝てないような気がしてならなかった。
※
春が過ぎ、夏。その土曜日。
暑い。
蝉がうるさい。
―――東北出身の彼女にとって、夏は果てしなくダルい季節だ。
蜃気楼が揺れる。―――実際はただただ、あまりの暑さに眩暈を起こしているだけだが。
「京太郎―。暑い----」
彼女は、京太郎の玄関先で、チャイムを唐突に押し呼び出すと、開口一番そう言った。
「それで、一体どうしたというんですか」
「クーラー、壊れた------」
「はぁ」
「京太郎-----」
「えっと---それで?」
「入れて」
「え、ちょ、嘘でしょ」
「----お願い」
「はぁ。もう。しょうがないですね-----」
彼女の「お願い」には、並々ならぬ力がある。断れた記憶が無い。
けれど、こうして軽々と自室に入れる事に何も意識するなというのも無理な話で----何というか、本当に無防備すぎて心配です。
―――多分、本当に全幅の信頼を置いてくれているからこその行動であるのも、理解できている。
結局、自室に入れてあげる事となる。「涼しい---」と何だか感慨気に呟く彼女はそのままクーラーの風が直に訪れる部屋のど真ん中に陣取り、寝っ転がった。
「クーラー壊れたなら買いに行きましょうよ----」
「買う。買うよ。だけど、今日明日はダルい。本来ならば、休日は一歩たりとも出なくて済む日だった。どうせ買い物しなければならないなら、大学に行かなきゃならない日が一番いい」
「何て怠惰な合理性だ-----!」
「暑さは、私の天敵。ありがとう、京太郎」
「ちょ、夜はどうするんですか」
「泊めて-----」
「駄目に決まっているでしょう。何を考えているんですか」
「駄目かー」
「駄目です。全く-----」
心の底から残念そうな表情でごろごろ転がっているその姿は、まさしくふてぶてしく軒先に居座る肥えた猫だ。
京太郎はソファに座り、先程からずっと見ていたテレビに再度眼を向ける。
―――決まった!ツモった!これで宮永選手の一位抜けが決まりました!
やたら喧しい実況の声と呼応して、テレビからは凄まじいまでの声援が飛び交う。
新人にして、もう既にスター街道を駆け上がる幼馴染を、ジッと眺める。
「-----そうか。京太郎は清澄だったか」
「ええ、そうです」
テレビに映る気弱そうな、見慣れた顔を―――それでも、何処か遠くを見つめるように、目を細めて、京太郎は見る。
「何だか、遠くに行ってしまったなーって。もう、別世界の人間なんだなって思ってしまって」
その声に、シロの感情がちょっとだけ呼応した。何故だかは解らないけど、それでも。
「京太郎」
「はい」
変わらぬ口調で、けれど何処か諭すような口調を以て、言う。
「違う世界なんて、存在しない。皆、同じ空の下で生きている。―――変わるとしたら、それは多分、人でしかないと思う。」
「---」
「だから、そうやって遠くを見る様な眼で見ない。―――どんな場所にいても、京太郎は京太郎で、あの子はあの子なんだから。君が変わらなければ、きっと彼女も変わる事はないんだから」
その声に―――ああ、そうか、と心中で納得してしまった。
こういう部分も、きちんと持ち合わせていた人だったのだと。こういう風に、ちゃんと人を見ているのだと。
彼女はただそこにいるだけでは無かった。
その人のあるがままを受け入れる、温かくも深く広い懐があったのだと。だから、納得できた。この人を、誰もが憎めない理由を。
「シロさん」
「ん」
「ありがとうございます」
「----礼は別にいい。ダルい」
そう言って彼女は京太郎に背後を向けるようにゴロンと転がった。
-----何だ、ちゃんと恥ずかしがれるじゃないか。そんな事を、ちょっぴり思った。