それではどーぞー。
辻垣内家は現在、清廉潔白の極みにある家である。
そうだ。それは間違いない。その通りである。
代打ち稼業を長年続けてきた中で、ちょっとだけ---本当にちょっとだけ。道を踏み外した時期があっただけだ。本当だ。本当にちょっとだけだ。
江戸時代に丁半博徒として名を馳せたご先祖様から始まり、明治と大正へ時代が巡る中、麻雀の代打ち稼業が始まった。
その中で-----あんな人達とか、こんな人達とか、色々な人に頼まれて、お金を貰って、打つ事はあった。あったよ。まあそれもこれも時代の流れってやつです。勘違いしないでいただきたいのは、別に辻垣内家そのものがあっち系だったりこっち系だったり----ようするにヤがつく自営業の方々だったりとか、煤臭い政治家の方々だったりってわけじゃないんすよ。ただ、代打ちで金を貰ってた----ってだけでさ。
いや------その。そんな怖がった顔せんといて下さい。ほら。まだ話としては序の序ですから。破と急でわりとこちらの事情が分かってくれると思うんですわ。いや、本当に。
今麻雀がスポーツ化して来て、一人プロを出しておけば代打ちなんぞより巨額の金が動くようになって、ウチもその流れにしっかり乗った訳だよ。
だから、元々の代打ち稼業はもう廃止して、今はプロ麻雀を輩出する為の「家」としての家紋を背負っている訳ですわ。
その証拠に、協会の要職の幾つかは辻垣内の手の者----いや、協力者や血縁者が就いている。これもまあ昔のしがらみをしっかり断ち切ったからこそ出来上がった訳で。
-----ほれ。まあ、どの家々にも文化や歴史ってのがある。そこから生まれる伝統もある。ウチのモンが皆角刈りなのもやたら言葉遣いがアレなのも智葉がお嬢なんて呼ばれているのも、今までこの家が積み重ねて残してきた文化と伝統だよ。決してこう-----アレな事情がある訳じゃない。本当だぜ。
何でそんな話をしているかって?いやぁ。君はまあ、ほら。智葉と懇ろな関係だと聞いている。ほれ、この前見合いだってしたって話じゃないか。
いやぁ。嬉しい訳だよ一人の親としてはさぁ。
男の影なんて全く見せなかった娘がさ。-----この前言ったんだよ。気になる男がいるって。だから口出しするなって。
なんて成長だ、って思ったね。いや本当に。
------で、何で君が呼ばれたかって?
いやいや。君もそこまで初心じゃあるまい。
気になる男がいるのに、そいつを一先ず脇において見合いなんてあの子がする訳無いじゃねぇか。
まあ、色々可能性はあるのかもしれない。君との見合いを経て、僅かな間に一目惚れした相手がいたのかもしれない。
でも-----一番可能性があるとすれば君なんだよ。解っちゃいるとは思うけどね。
あの子は生粋の雀士だけど、その心の芯まで、真に打っちゃってるからさ。心まで捧げて牌を握っているフシがある。
それもまあ凄い事だけどさ。人生の-----ほんの一部でいいんだ。普通の、一個の人間としての幸せってのもさ。知ってほしいんだよ。
------ほれ。君だって見合いした位だから憎からず思ってるところもあるんだろ?一応言っておくと、あれでも智葉は生娘だ。心根は厳しい所はあるが、それも母性と優しさから来ているもんだ。可愛げ、って意味での女らしさは---まあ、アレだけど。けどイイ女なのは間違いないんだ。
だから、ほら。頼みたいのはさ。
解るだろ?
解ってくれるよな?
-----まあ、だからさ。切っ掛けとか色んな環境とか、協力とかさ。そういう諸々はウチがやるからさ。君も-----ね?
ね?
ね?
ねぇ?
解ってくれる----よねぇ?
※
「なーにが清廉潔白じゃあ!!!!!」
須賀京太郎。
休日の午前を連れ去られ、豪勢な昼飯を馳走になり、そのまま自宅まで送られ------誰もいない事を慎重に確認し、窓を閉め切り、ついでに監視カメラや盗聴器が無いかをしっかりと確認し、そして――叫んだ。
「こえええええええええええええよ!何だよ!あの眼マジのやつじゃないかよぉ!信じられるかぁ!!」
叫んでいた。
彼の頭の中には、ぼやけた記憶と、しっかりと刻み込まれた恐怖が埋め込まれていた。
彼は珍しく狼狽しながら部屋の中を右往左往していた。
そんな中、携帯が鳴る。
睨む。
着信元は――ネリーの名が。
「やっほー。キョウタロー、生きてるー?」
「死んだかと思ったわああああああああああああああああああああああああああ‼」
京太郎は叫んだ。
とにかく、叫んだ。
「あ、よかったよかった。これだけ元気だったら、先方の機嫌を損ねて海に投げ棄てられてはいないみたいだね。いやー、まあキョウタローならまず会話をミスするようなことはしないとは信頼していたけどさ。万が一もあるからね。無事でよかった。ネリーは嬉しいよ」
「やっぱりな!お前の事だから送ってきたメッセージも嘘っぱちだと思っちゃいたよ!」
「安全だったでしょ?ネリー、嘘はついていないよ」
「あの場で確実に確信していたぞ。一つ返答を損ねたら俺はもう死んじまうってなぁ!」
須賀京太郎は――辻垣内の者に連行を願われ、車に乗り込んだその先に存在していたのは――辻垣内本家であった。
巨大な石垣に、城の如き門を潜れば、任侠溢れる男衆に囲まれた世界があった。
正門を通ると、まず広大な枯山水の庭園が見えた。その先にある木造建屋の屋敷の縁側からは、ガチャガチャと鳴り響く牌の音。
屋敷に入り、世話人の老女に案内され向かったのは-----辻垣内家当主の部屋であった。
つまりは、辻垣内智葉の父親であった。
小柄で痩せた男であったが---目が。目がとにかく据わっている御仁であった。常ににこやかに話している。口元も笑っている。だが---目だけが、一寸たりとも形が変わらない。
こちらを迎えに来た運転手の言葉に嘘はない。だが錯誤があった。彼の言う「辻垣内様」は辻垣内智葉ではなく、辻垣内家当主の事であったのだ。
この前の見合い芝居の全貌がばれたのかしらん---と半ば絶望心に燻る思いを抱きながら話を拝聴していれば、どうやらあの芝居が二転三転した結果、「辻垣内智葉の想い人」というあり得ない図式の中に放り込まれたのだという。なんじゃそりゃあ。
「おいどうするんだよネリー!」
「ん?」
「ん?-----じゃねー!もう俺は辻垣内さん家に目をつけられてしまったじゃないか!終わりだ!」
「大丈夫だよ―。別にいいじゃん。サトハはいい人だよ」
「ねぇそういう問題?辻垣内さんがいい人だなんて百も承知なんだよ!そういう問題じゃない!」
「だーかーらー。解んないのかなぁ、キョウタロー」
「何が!?」
「いい人だから、そのまま付き合っちゃえばいいじゃん」
※
「-----これは、どういう事だ----?」
辻垣内智葉。
彼女は自宅で頭を抱えていた。
「------その、オジキが。お嬢が恋をしている、という言葉にもう有頂天になってしまわれまして----」
部下の一人が、そう報告する。
「------それで?」
「その-----いままで男っ気一つなかったお嬢が気になっている男性となると-----見合いをした男以外いないだろう、と------」
「何故そうなるんだ------」
「そりゃあ----。好きな男いるってのに見合いするのはお嬢の性格を考えれば不自然ですし、だからといって見合いの後に好きな男が出来るのも、唐突過ぎて不自然ですし-----」
「-------」
ああ、と一つ頷いた。
ネリーの策は正しかったのだろう。
だが――自分が辻垣内智葉であるという事をもう少し考慮して自分は動くべきであった。
プロ雀士でかつ、硬派な人間。男っ気も無く、麻雀一筋の雀士。------確かに、この人間であれば「気になっている人物」というのはおのずと限られてくる。
「もう本家の連中-----オジキをはじめ、他の親類連中まで大騒ぎでありまして-----。もうこれは孫の顔も秒読みだと」
「------もう付き合いきれん」
「あと、これ-----オジキからの手紙です」
「------」
手に取り、手紙を拓く。
そこには簡潔な言葉が並んでいた。
”千載一遇故に、狙う獲物は確実に。その為の助力であらば犬馬之労も厭わぬ”
そう書かれていると同時に、
「-------」
また、辻垣内智葉は目を見開いた。
※
「--------」
「-----は、はは-----」
瞠目し、珍しく顔を下に向け「どうしてこうなった----」と顔に刻んでいる辻垣内智葉――と。
もう笑うしかない須賀京太郎の両者が、向かい合っていた。
「それじゃあ――サトハの芸能事務所入りの記念と、京太郎の新しい担当業務の追加を記念して、お互い握手しましょー!」
ネリーはにこにこと笑みながら、二人の間に立ち、背中を押した。
「-------」
「-------」
両者、共に半笑いのまま――手を握った。
互いに、困惑による手汗の為か、あまり感触が無かった。