雀士咲く   作:丸米

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巡る巡るお世話スパイラル②

利き手が動かせない状態というのは中々不便なのだな、とよく理解できた。

ギブスで固定したまま自宅で療養する事となったが、中々これが大変だ。靴ひも一つ結ぶにも、服を着替えるにもかなりの労力が割かれてしまう。

自炊も度々やっていたものの、流石に左手一本でどうにかなるものでもなし。

手術は一先ず一週間後と伝えられ、それまでの間病院にいるのも億劫であるので自宅に帰ったはいいが、中々悪戦苦闘の一日を過ごした。

----色々、色々解らない事があるのだ。

この部屋を片付けてくれた人は誰なのか、とか。光熱費を払い込んでくれた人は誰なのか、とか。あの振り込まれた七桁のお金は何なのか、とか。

想像は、簡単だ。

ただその想像を現実と見なすには、あまりにも彼は彼自身への自己評価が足りなかった。

ああ、もう余計な事は考えないようにしよう―――そう暗示をかけながら彼は一つ息を吐いた。

今日は中々疲れたなぁ、などと現実逃避気味にぼやきながら固定ギブスを更に固定する器具をくっつけ、ベッドに横たわる。

寝返りがうてない睡眠の不便さを感じながら、意識を落とした。

 

 

ぐつぐつという煮沸音が耳朶を打つ。

楽し気な会話が聞こえてくる。

カチャカチャと茶碗がテーブルに置かれていく音も、また同時に聞こえてくる。

-----これは夢なのだろうか。

かつて学生時代、家族と共に暮らしていた時以来の光景がそこに広がっていた。

鰹節の薫りがこちらに漂って来る。

何だか懐かしい匂いだ。この、寝室越しに聞こえてくる音と漂う薫りは、もう随分と昔の記憶にしか存在しないはずなのだ。

 

-----あれぇ?

 

おかしいなぁ。自分は確かに一人暮らしのはずなのになぁ。

「お、起きた?おはよーさん」

「おはようございます、須賀さん」

エプロン姿の美人二人が、そうこちらに笑いかけた。

-----えぇ。

間違いなく彼女達は清水谷竜華と福路美穂子だ。それは間違いない。間違えるはずもない。

「ごはん出来とるで。簡単なもんしか作れんかったけどなー」

「申し訳ありません。今日はちょっと時間が無くて----」

いや、そうじゃない。

そうじゃないんだ。

須賀京太郎は―――現在眼前に広がっている光景をまずもって現実であるかどうかを説明してほしかった。

だが悲しいかな。固定されたギブスと重苦しい右腕の感覚があまりにもリアルに脳に現実を囁いていた。

ならば、次なる疑問である。

―――貴方達、一体何故ここにいるんですかね?

「あ、そうか。ごめんなぁ、須賀君。説明せなアカンわな」

「今日から、右手が治るまでお世話させて頂きます。ふつつかものではありますが、よろしくお願いします」

まだだ。

申し訳ないのだけど―――まだ理由が解らない。

「さ、起きてーな須賀君。ご飯はもう出来とるで」

「あ、器具を外しますね」

こちらの応答を待つまでも無くパチパチと固定具を外し、福路美穂子はリビングのテーブルへと須賀京太郎を導く。

眼前には、白飯にシシャモの塩焼きに味噌汁が並んでいる。湯気を放ちながら存在するそれは、明らかに出来栄えが自分が作った物とは違っていた。

「あの、」

「さあ、召し上がれ-----あ、そうか。利き腕が使えないのでしたね。ではでは」

福路美穂子は得心あり気な様子で、箸を手に持つ。

シシャモを切り分け、一口分にすると―――それを掴み、彼の口元へと持ってきた。

「あーん」

穢れの無い慈母の笑みで、彼女は躊躇なくそう言った。

 

待て。

待ってくれ。

 

「須賀さん、どうしたのですか?」

いや。このシチュエーションは男の夢だというのは理解できている。理解できているが―――こうも唐突に朝っぱらから夢が出て来ては現実との境目が解らなくなってしまうではないか。ここは夢か現実か。それともこう、天国の入り口で天使の接待でも受けているのか。

「御気分がすぐれませんか?」

「いえ、違います------あの、この状況がうまく呑み込めていないのです」

「?」

「えぇ------」

「あの-----朝食、お気に召しませんか---?」

不安気な声。不安げな表情。その空気を瞬時に読み取った須賀京太郎は、半ば脊髄反射の如くこう答えた。

「いいえ!全て大好物です!」

「そうですか!だったらよかったです!」

その声を聞いた瞬間、花咲くように笑いながら彼女はゆっくりシシャモを口に差し入れた。

----形容しようが無い位、おいしかった。

もう何だかその味を感じた瞬間から今まで必死に紡いできた思考がどうでもよくなりそうになる。

―――いや、駄目だ。須賀京太郎。

ここで、ここでこの理由の解らぬ現況を滔々と受け入れてしまえば、間違いなく何かおかしな道に逸れてしまう気がする。そんな予感が脳内でアラームを撒き散らしている。

だが、こう------無邪気にその表情を綻ばせながらおいしいですか、と聞いてくる彼女の善意とか厚意とかを跳ね除けることも出来ず。

嬉し恥ずかし、あーん攻撃をずっと受け続ける事になった。

 

 

「えーと、つまり-----大会に出ながら、俺のヘルプもする、と?」

「せやで、須賀君。-----確かに、自分の過失で大会棄権するなんてプロ失格や。それはもうせーへん」

「はい。須賀さんの真摯な言葉に、私達も思い直したんです。だったら、せめて、せめて自分達が出来る範囲だけでも貴方の手助けが出来ればと思ったんです」

予想外の展開であった。

何が予想外と言えば、―――彼女達が自分の想像を超えた慈母的献身精神を持ち合わせていた事か。

須賀京太郎はあの時、―――自分とプロとしての矜持を秤にかけて、後者を優先してくれと言ったつもりであった。

だが彼女達はそうは捉えなかったようだ。

あくまで須賀京太郎を手助けするという大前提の下、それでいて他者に迷惑をかけない方法を選択する事にしたらしい。

その帰結として、諸々の現象だったと言う事らしい。

大会の試合が終わった後にこちらのアパートを掃除し光熱費を払い込み、大会のバトルマネーの全額を須賀京太郎の口座に振り込み、甲斐甲斐しく朝食を作り身の回りの世話を買って出たというらしい。

絶句。

言葉も無かった。

何というか―――自罰的にも程がある。何なのだこれは。

「あの、お金は返金-----」

「駄目やで須賀君。―――知ってるんやで。傷病保険で振り込まれるお金は基礎給与から差っ引かれるし、ボーナスは支給されへんってな」

「そうです。これは私達が引き起こした事です。けじめなんです。どうか、お気になさらず受け取って下さい」

いやいや。

そこら辺の損害賠償は居眠り運転をかました阿呆な運転手が払い込むべきで、貴方方が一切払う義務はないはずです。そもそも大会のバトルマネーの全額っていくらだと思っているんですか。何でメルセデスが買えそうな額面が一職員の手帳に刻まれているんですか。こんなお金を貰える程重大な怪我じゃないですからお願いですからどうか返金に応じて下さいマジで若くしてこんな貯金持つのは怖いんですマジでお願いします。

言葉はまるで風見鶏がくるくる回る様に彼女達の横を通り過ぎていった。

返金に応じるつもりは一切ないという。

「優しいなぁ須賀君。―――あ、洗濯物干しとくな。ちゃんとおしゃれ着洗い用の服は別口で洗ったから安心してな?」

「茶碗の置き場所はここであっていますか?あ、そう言えば洗剤を切らしてましたね。買いに行ってきます。どうせだったら食材も買いに行ってきます―――え?駄目です!怪我人なのですから、ここはお姉さんに任せて下さい!」

「大会開始は明日からやな。ちゃんとウチ等の勇姿をテレビで見ててな。おゆはんまでには帰ってくるから、しっかり療養するんやで」

「こうなったからには簡単には負けませんから、応援してくださいね。ふふ、ちょっと楽しみになってきました」

ここに一つのスパイラルが出来た気がした。

何のスパイラルなのだろう。

こう、優しさとか慈愛とか、そんな素晴らしい何かがサイクロン状になって暴風雨を巻き起こしているような、そんな感じ。

須賀京太郎は、乾いた笑いを一つ浮かべた。

どうしてこうなった。

 




大三元振り込み記念。麻雀は難しいなぁ。あーあ。

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