世間体、という言葉がある。
―――例えば。例えばである。日本の既婚者の結婚を決めた理由でアンケートを取ると、一定の割合で「世間体の為」と答える者がいる。
大人は結婚している状態が正常な在り方であり、その在り方から離れた自分自身に耐えられず、結婚してしまう―――信じられない話だが、そういう事例も存在する。
要するに。人は自らが「異常」である事を極端に嫌うのだ。正常な在り方に拘り、その拘りの為に自身の本心を隠してしまう―――そう言った事が多々存在するのであろう。
「なあ、美穂子さん」
「どうしました、竜華さん?」
「これ、見てーや」
竜華は一枚の紙切れを提示する。
そこには荒いモノクロ写真が張り付いていた。
「これって-----」
「せや。ウチ等二人が、京太郎君の家に訪れた瞬間を激写された瞬間や」
その写真には、同じアパートに連続して入っていく女性二人―――つまりは京太郎のアパートに入っていく竜華と美穂子の姿が存在する。
「これはウチの事務所と懇意やった雑誌で撮られたモノらしいんや。男のアパートに入っていくアンタの姿をスクープしようとしたら、その後時間差でウチまで入ってきて、大慌てで事務所に連絡してくれたらしいねん」
「え!そうなのですか---?」
しゅん、と明らかに肩を落として彼女はそう言った。不注意でした、と小声で呻く。
「今回は、運が良かったけど----もしこれで京太郎君が“女性二人と関係を持っている不埒な男”だとでも広まってしまえば、大変な事や。ウチ等の所為で、世間にとんでもない誤解を与える事になりかねん」
「ですね----」
「という訳でや―――今度、うちら二人が共演する番組があるやろ?」
「ありますね」
「こそこそやっているから、そんな下らない誤解を与える羽目になるんや。やったら、ウチに策がある。ちょいと耳を借りるで」
そうして、両者は一切の悪意無く、画策する。
全ては全て、一人の男の為に―――。
※
事故より、二週間の月日がたった。
骨が未だ完全にくっ付いている訳ではなく、ガーゼに包まれた右手を眺める。
何だか、思った以上に無力感を感じる。
「あ、おはようございます。京太郎さん。今日のご予定はどうなっていますか?」
本日は予定が入っているとの事で福路さんのみがこのアパートにいる。彼女は起き抜けの京太郎を見るとパタパタと近づき、ガーゼを手際よく取り替えていく。
---最初は、見知らぬ人間が二人いる状況に当惑ばかりであったが、もうすっかり慣れきってしまった。それに両者ともその行動の全てを母親から許可を取った上で、行っていたという。
貴方から言ったんじゃ絶対にあの子は断るに決まっているから私から言ってあげる―――そう言っておいて、ついうっかり忘れていたという。何がうっかりだ、何が。
「今日も朝食を作ったので、どうぞお食べ下さい」
そう言ってニコニコと笑んでいる姿を見て断ることが出来る訳も無く、今日も今日とて彼女の厚意に甘えてしまう。
さあて、着々と駄目人間への道をひた走っている事を自覚して、彼は何とか言葉を紡ぐ。
「いつもすみません----」
そう。せめてこうして「自分は貴方の厚意に感謝し、それ故に申し訳ないと思っています」とアピールするのだ。
そうでもしないと、この状況を当たり前と認識し始めた瞬間から、きっと自分は墜落してしまうような気がするから。
「すみませんなんて---当然の事をしているだけですから」
ニコニコと笑いながら、彼女は至極当然であると言う。きっと、心の底からの本心で。
----やばい。本当にやばい。
「いえ。----出来るだけ、早く怪我を治す様に頑張ります。今、福路さんの負担になっている訳ですから」
自分が怪我した分の負担を、今彼女達に背負わせてもらっているのだ。だからこそ、自分は速やかにこの怪我を治さなければならないのだ。
そう言うと-----珍しく、彼女は少しだけ顔を下げた。
表情を悟られぬ様にか、一瞬だけ顔を床に向けると―――瞬時にニコリと笑いかけ、
「そうですね。私も早く治ってくれる事を祈っています」
と笑った。
―――ちょっとだけ、寂しそうな笑みだった。
※
昔から、人のお世話をする事が好きだった。
自分の行動が、人の笑顔を作り出す。
その単純な因果関係から導き出される方式に、彼女はずっと好ましく思っていた。
笑って感謝される度に、喜びの感情がこんこんと湧き出てくる。
―――けれども。
今の自分は、少しだけ別な感情が存在していた。
「早く治ってほしい」この想いとは別な、想いが。
「治ってしまえば、この関係も終わってしまうのだろうか」という―――切なさ混じりの、恐怖。
いつから。いつから―――自分の奉仕行動が、こんなエゴイスティック極まる感情に染まる様になってしまったのだろうか。
そんな感情を自覚するだけで自分を責め立ててしまう程度には、彼女はとことん自罰的な性格であった。
「なあ、美穂子さん」
「----どうしました?竜華さん」
「いや、ちょいと元気が無いなー、と思っただけや。体調悪いなら、暫くウチに任せてもらっても構わんで。無理してたら、流石に京太郎君も怒るやろうし」
「いえ、違うんです。違うんです竜華さん-----」
「-----何か、あったんか?」
竜華は、そう心配そうに尋ねる。
―――あまり接点の無かった二人であったが、あまりにも似すぎていた性格ゆえに、同調したのだろうか。気付けばとても仲良くなっていた。
だからこそ、素直な心持ちで彼女はその思いを、彼女に吐き出した。
それを、竜華はジッと聞いていた。
「そうかぁ-----」
「はい------」
「よしよし、―――ホンマ、アンタええ娘やなぁ」
「そんな事ありません-----」
「ウチも、よく解るわその気持ち----ウチもな、今“終わり”を想像した時、そういう気分になったわ」
「そうなんですね----」
二人は、お互いに頷く。
「なあ、これって----」
「やっぱり、そういう事ですよね----」
そう両者は実に気恥ずかしそうに言った。
互いの想い。そしてエゴイスティックな感情。これを斟酌した時、その帰結は実に解りやすいモノであった。
「なあ―――ウチ等で男の取り合いっちゅうのも、何だかおかしな話よな?」
「ええ。何だかしっくりきません」
「そもそも、三人から始まった関係や。ここから一人をのけもんにする必要性が、浮かばんよなぁ」
「はい」
「―――なあ、美穂子」
「何ですか、竜華?」
「前に言っていた策―――大筋に、変更はない。ただ、目的は変わるで」
「ええ。―――私も、ちょっとだけ解って来ました」
二人はにこやかに笑うと、拳をぶつけ合った。
―――作戦は、目的が変更されどつつがなく行使される。
※
その四日後。二人は巷に大騒ぎを巻き起こした。
麻雀大会会場で起こった事故。大会に三日の遅滞を巻き起こしたこの事故の裏で、二人の雀士が事故に遭いかけ、決死の覚悟で助けた職員がいる事。そしてその事にいたく沈痛な感情と感動を覚えた二人が、その職員の社会復帰の為にリハビリを手伝っている事。―――その全てを隠すことなく世間に伝えた。無論、須賀の名前は隠していたが。
世間の反応は様々であった。その職員の漢気を褒め称える声もあれば、大金を稼ぐプロ雀士でありながら自ら彼を手助けする彼女達を称賛する声も、同じだけ存在していた。ただ、概ねその声はプラスの方向に働いている事は、確かな流れであった。
世の中には、世間体が存在する。
そしてその「世間」は「異常」を嫌う。
彼女達の目的―――それは、「二者による須賀京太郎の共有」であった。
明らかに「異常」を伴う関係性だ。世間はその存在を正常な認識を基に徹底して叩きだすだろう。この世間体を黙らせるだけの、武器が必要であると、彼女達は考えたのである。
それが、世間にこのドラマを伝える事であった。
この三者を繋ぐ関係性がどうして出来上がったのか―――その過程を知らしめることによって、この一見して「異常」な関係性が確かな因果を巡って出来上がった「正常」な代物である事を伝える事が、重要だと考えたのである。
こう言う経緯があるなら、二股もやむを得ない―――そう世間様が思ってくれるほどの強固な事実の積み重ねが必要なのだ。
それを、彼女等は達成した。
ふふ、と笑う。
―――後は、当事者間の合意を得るだけだ。
最近の私のマイブームは某議員の「このハゲー!」の録音音声をアラームに朝、目を覚ます事です。不快ではありますが確実な目覚めを促進してくれます。不愉快すぎて二度寝すらするきもおきないですし。おすすめ。