その後。
無事須賀京太郎の必死の探索の末に、宮永照はバッグを取り戻す事に成功したのであった。
「ありがとう」
「いえ、どういたしまして------」
少し疲れたようにそう言い返す彼も、何だか呆れたように微笑んでいた。少しムッとしてしまう。自分の方が年上なのに。
----年上とは思えぬ醜態を晒した事実は一旦脇に置き、そんな事を思った。
「咲から聞いたよ。同じ大学に通うんだってね」
「ええ。何だか不思議な巡り合わせですね。宮永さんが先輩になるんですね」
宮永さん、という言葉に何処か不自然さを感じる。別に珍しい呼ばれ方という訳でもないのに。
----ああ、そうか。彼が妹を「咲」と呼んでいるからか。
妹との仲が修繕されても、未だ心の何処かに妹に対する対抗心が存在する。
だからだろうか。自然と、こんな言葉を口に出してしまったのは。
「照でいい」
「え?」
「だから、呼び方は照でいい」
眼前の青年は目をぱちくりさせながらその言葉を聞いていた。
唐突過ぎたのかもしれない。変な女だと思われただろうか?
---まあ、いっか。あまり細かい事は気にしないでおこう。
動揺している様子がちょっとまた大型犬っぽくて可愛かったから、そう思う事にした。
※
さあて、ここで自分の行動を振り返って見よう、と彼女は思う。
初対面で頼み込む彼を大人げなく突き放し、そして次の再開の瞬間には―――この有様。
キリッと「私に妹はいない」と突き放したと思えば、道に迷って右往左往。一緒に無くしたバッグまで探してもらって、駅まで案内してもらって、ここで別れるのか?
酷い。
あまりにも酷い有様じゃあないか。
人としてあまりにも恥ずかしい。
今度は内省による感情の隆起によって、彼女はまたも汗が噴き出てきた。
「それじゃあ照さん、また今度」
そう言って爽やかに笑って帰ろうとする彼の手を、反射的に掴んでしまった。
駄目だ駄目だ。このまま帰らせてしまえばこの男の脳内に「残念極まりないポンコツな幼馴染のお姉ちゃん」という印象だけ残して帰らせてたまるものか。
「す、須賀君」
「え、えーと---何ですか?」
「お、お礼するから----ひゃ、ひゃそこで、お茶しない?」
そうして指さしたのは、駅前にあるちょっと古い外装の喫茶店。
カッコよくきめようとそんな台詞を吐いたものの―――異性の手を掴んだ衝動と恥ずかしさが大きく空回り舌を噛みながら言ってしまう帰結となった。
沈黙が、数秒。
恐らく熟れた林檎よりも真っ赤になった顔面を呆けた顔で須賀京太郎は見つめていた。
事態をあらかた斟酌した彼は―――あっはっはと実に大袈裟な笑い声をあげた。
----プルプルと、両手を震わせ彼女は下に俯いていた。
死にたくなるほどの、恥ずかしさだった。
※
「苺タルトとチーズショコラ、ラズベリーホイップつきパンケーキとバナナパフェ。それとアイスティー一つ」
「た、食べますね----」
「ふん----」
少し拗ねたように、彼女はマシンガンの様にスイーツを注文していた。
無くした事を覚悟した現金を派手に使おうとするその意気は解るのだが、いかんせんその圧倒的スイーツ力に彼は圧倒されていた。
「えーと、俺はカフェラテ一つ----」
若干顔を引き攣らせながら彼は絞り出すようにそんな言葉を出した。
その後目の前に並べられたスイーツの数々を目を輝かせながらパクつきながら、彼女は至福の時を過ごした。
「お菓子、好きなんですね-----」
「うん」
拗ねていた時間は僅かこれが運ばれてくるまでの数分間程度。何ともチョロイお方である。
しかし恐ろしい。
先程の話を鑑みるに、この女性は先程も散々甘いものを平らげてきたのだろう。その果てにこれである。
多分、この人には糖を吸収分解する別器官が体の何処かにあるのだろう。多分。羨ましい限りである。
見るだけで胸焼けしそうな諸々をお供にカフェラテを啜っていく。ブラックにすればよかったかなぁなどと思ってしまう。
決して逸っている訳ではないと思うが、淡々と淀みなく眼前の諸々を平らげると、ケロリとした表情でアイスティーを喉奥に流し込んでいく。うわぁ。
「よ、よく食べますね-----」
「甘いものは別腹だから」
「えぇ-----」
貴女、甘いものしか食べてないじゃん------というツッコミはした方がいいのかしらん?しない方がいいのだろうなぁ。また拗ねそうだし。
何というか-----やっぱり、血は争えないなぁ。
テレビ越しに見えていた彼女はとてもハキハキしたしっかり者という印象だったが故に、やはりちょっと衝撃が大きい。
それと同じくらい、安心感もまた同時に感じていたりもするが。
やっぱり-----どう足掻いたって、この人はアイツのお姉さんなのだなぁ、と。
「今は、咲とも仲良くしているんですね」
「うん。それなりに-----あの時は、ごめんなさい」
「いや、いいんですよ。今仲良く出来ているなら、それだけで」
「それと、ありがとう。私達の事を気にかけてくれて」
「いやぁ、まあ。なんつっても俺とアイツは腐れ縁ですし」
少しだけ、雰囲気が和らいだ気がした。無表情の中に、少しだけ笑みが見える。
だからこそ、少しだけ気になった事を須賀京太郎は聞く事にした。
「そう言えば----照さんは、どうしてプロに行かなかったんですか」
少しだけ、踏み込む。
この理由は―――妹である咲が一番聞きたがっていた事だったから。
宮永照は、アイスティーのグラスを置き、真っ直ぐに彼の目を見た。
そして、答える。
「一言でいえば、“プロに行く理由がなかった”から」
「理由が、無い?」
「うん―――私の中にこれといった“プロになるべき理由”が見つからなかったんだ」
「それは、重要な事なんですか?」
「前までは、重要じゃなかったと思う。私は麻雀をやるべきで、麻雀が私の全てで、その帰結として麻雀のプロになるんだ、って。そう自然と思っていた」
「------」
「でも、ここで一つの疑問が生まれてしまった。―――本当に、麻雀が私の全てなのかな、って」
以前ならば、麻雀が全てであると断言出来ていただろう。
玉座に座る者が、自らが王である事を疑わないように―――自分の過去という足跡に麻雀以外の何かが介入する余地なんてなかったのだから。
けれども、その足跡は本当に一本道だったのだろうか?
他の道は、存在しえなかったのだろうか?
他人が敷いた道を通っている内に、何処かに切り捨てた道が存在しなかったのだろうか?
そんな疑問が、渦を巻いて自分の中に存在していて、
だからこそ、プロの道という直線上に存在する道に足を踏み入れるか否か―――その判断に迷いが生じてしまった。
「私は、理由が欲しい。麻雀を続けるに値する、理由を。周りの人が与えてくれる理由じゃなくて―――私が見つけた、私だけの理由が欲しい。だから、プロにならなかった」
その言葉を、彼はジッと聞いていた。
自分で言っていて、何て曖昧な言葉なんだろうと思う。
自己陶酔だと思われても仕方ない。
----実際、周りのマスコミの中には、そう言う風に非難する声もあったのも事実だ。
ただ遊びたいだけ、プロに行く自信が無いだけ―――それなのに、それを理由を並び立てて逃げているだけだろう、と。
それでも―――宮永照にとってとても重要な事だったのだ。
その言葉を、想いを―――眼前の彼はどう受け取ったのだろうか?
笑うだろうか?
そう思っていたが―――彼の眼は笑っていなかった。
「凄いなぁ」
と、そうポツリと呟いた。
何が、凄いのだろう?
所詮は―――ただ、大学に逃げ込んだ、そう思われても仕方のない状況なのに。
「いや、ごめんなさい―――正直、何だか子供っぽい人だな、って思ってました」
「む」
「けど、本当はずっとずっと大人だったんだな、って。周りの期待に黙々と応え続けていたんだな、と思って。凄いなぁ、って」
「-----」
「ええと、何だか上手く言葉にできないですけど-----今、周りの大人たちが奪っていた時間を、照さんは取り返しているんだと思うんです」
「時間を、取り返している------?」
「高校生の時間って、もっと子供らしくいていい時間じゃないですか。けど、ずっと照さんはその時間を奪われていた訳じゃないですか。周りの期待に応えるって形で。本来、その自由な時間で見つけるべきモノを、時間が奪われていたから、見つけられなかったんだと思うんですよ。だから、その時間を今、取り返しているんじゃないかな、って」
「-----」
「だから、俺は照さんを応援します」
そう言って笑う彼を見る。
―――そうか。咲が懐く理由がちょっとだけ解った気がした。
「須賀君」
「うん?」
―――何だか、不思議な包容力がある。
「ここで会ったのも何かの縁だし、連絡先、交換しよ?」
今度は、噛まずにしっかり言えた。
そんな些細な事が、ちょっぴり嬉しかった。