雀士咲く   作:丸米

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離れ行く距離、及びその感情

自分は、よく他者からクールだと言われる。

―――思い返せば、あまり感情を見せる方ではなかったとは思う。

大星淡と比較すれば解りやすいだろうか。まるで子犬の様にコロコロ表情が変わるあの娘に比べ、自分の感情表現は何処までも小さいモノだった。

別段、意識していた訳ではないと思う。

彼女はそういう在り方で日々を生きてきた訳で、その在り方を変える必要が無かったからずっとこのような人間だったのだ。

ここで、少しだけ思った事もあった。

―――自分ではなく、自分に付随した玉座と王冠を見られている事。自分という人間を見られていないのではないか。そんな悩みを無意識に抱え、プロではなく大学の道を選択した。そんな自分であったが、―――そもそもの前提として、自分はそもそも人に見せるような顔を持っていたのだろうか。

自分は淡の様な子犬の様なかわいらしさは無い。菫の様な厳しさや凛然とした佇まいも無い。何事にも無感動で、無表情で、―――まさしく、玉座に座った人形でしかなかったのではなかっただろうか。

そんな自分が、誰かに「自分」を見せられるのだろうか。

麻雀によって培われた実績以外で。

「-----」

だからこそ、意外だった。

何故自分はあの場面で怒ったのだろうか。

その感情の在処を深く洞察するには、まだまだ彼女には色々と経験が足りなかった。

―――そうだ。私はお姉ちゃんだ。

そう、自分はお姉ちゃんだ。お姉ちゃんたる者、弟を馬鹿にされて黙ってちゃあいけない。

だからきっと怒ったのだと思う。

 

ならば―――あの台詞を言われた瞬間に顔面が沸騰したように熱くなった理由は?

「------」

解らない、という事にした。一先ず、その場面を思い浮かべ現れし感情は8割の羞恥心と2割ばかりの怒りだった。

後輩のくせに、弟のくせに、実に実に生意気だ。

これから。きっとこれからだ。

自分のお姉ちゃんとしての威厳を取り戻せる機会は十二分にあるはずだ。

------そう、この時ばかりは思っていた宮永照であった。

 

 

須賀京太郎は自室で一人テレビを見ていた。

----好きな番組だけれど、あまり内容が入ってこなかった。

意外と、先日の出来事が尾を引いているのだとちょっとだけ感じていた。

―――宮永照という不思議な人は、立ち位置によって見え方が違う。

遠目から見ればとても荘厳な人なのだろう。人を寄せ付けない圧倒的な存在感と、それを裏付ける実績の数々。それだけを切り取ればきっと彼女は「超人」なのだろう。

近くの視座から見ているあの姿に見慣れて、大多数の人間から見られている彼女の姿をついぞ忘れてしまっていた。いや、見て見ぬフリをしていたというべきか。その事を実感してしまった先日の諸々は、彼の心に一つしこりを残してしまった。

それは、あの場面で思った事ではない。あの日、彼女と別れた帰り道の途中で、潮が引くようにぶり返した思いだった。

彼女が少し褒めただけであんな風に赤面してしまう程に普通の女の子であるという事実と、しかし結局周囲の大多数はそうは見てくれないという事実。この二つを秤にかけて、宮永照という存在を思う。

―――友達でいる事に、理由は要らない。

そう彼女は言っていた。きっとそれは何処までも普通の感覚で、それ故彼女も何処までも普通の女の子なのだと思う。けれども、周囲はその理由を要請するのだ。それはきっと―――無視できない程に強力な要請なのだ。

これから彼女と付き合っていく上で、またしても彼女にあんな風な対応をさせてしまうのか。

あの時は純粋に嬉しかった。それは間違いない。けれども、きっと多数の人間がああいう思いを持っているはずなのだ。

その事実に―――もうそろそろ向き合わねばならないのだと、感じ始めていた。

「中々、厄介だなぁ」

そんな思いが浮かんできている辺り、自分も彼女との二ヶ月ばかりの日々が楽しかったのだな、と自覚する。

けれども、本気で考えなければならない時期になってしまったのだ。

しょうがないな、と彼は一言呟いた。

 

 

それから―――とても平穏な日々が続いた。

宮永照と須賀京太郎は、いつもの様にいつもの関係に収まっていた。少なくとも、周りからすればそのように見えていたのだろう。

―――けれども、少しの違和感を宮永照は感じていた。

彼はいつもの様に我儘を言えば付き合ってくれるし甘えさせてくれる。

けれども―――その振る舞いに少々の遠慮を感じてしまうのだ。

以前の様に、容赦ないツッコミをしてくれなくなった。「後輩」として「先輩」を立てる―――そういう関係を維持していた。

その変化は、とても唐突だった。

 

何故だろう。

自分はそういう関係を求めていたはずだったのに。

姉として、つまりは年上としての威厳を彼に知らしめてやりたい。あの無遠慮で雑な扱いに頬を膨らませていたはずだったのに。

いざその扱いが無くなってしまって、浮かんだ感情は―――。

 

理解したいような、理解したくないような。

そんな入り混じった思いが絡み合って、その感情は彼女には到底解らないモノだった。

 

けれども、何だかその感情と向き合ってしまえば、訳も解らず泣き出してしまいたくなる類のモノだという事は、理解できた。

 

そして―――元に戻りたい、という思いがその根底にある事も。

 

「寂しい-----」

ポツリと無意識に呟いた言葉に、ハッとしてしまう。

あの気に入らなくて仕方なかった日々を自分は惜しんでいる。

一体どういう事だろう。

そう疑問が頭をもたげた瞬間―――彼女は思わずスマートフォンに手を伸ばした。

その瞬間、スマートフォンが鳴り出した。思わず、心臓が跳ねる。

その宛先をジッと眺める。

「------咲?」

ホッとしたような、残念なような、そんな気分に駆られながらボタンにタップした。

 

 

「もしもし-----」

「あ、もしもしお姉ちゃん?今時間いい?」

「うん。どうしたの?」

「いや、三日後に対局する人がお姉ちゃんが高校の時に対戦した事がある人だったから、どんな感じなのか聞きたくて」

「ん。解った。どの人?」

「えーっとね-------」

咲の声に、淡々と応えていく。過去の対局のほとんどを彼女は覚えている。こうして麻雀関係に頭をよぎらせている内は、悩みは忘れていられる。

―――そう思っていたのだけれど。

あらかた話し終え、咲はありがとうと一言呟き、そのまま切るかと思えば―――まだ、言葉をつづけた。

「-----お姉ちゃん、元気ない?」

いつもの通り、訥々と話していたつもりだったが―――妹にはバレバレだったらしい。

「何かあった?」

そう聞く妹の言葉はありがたかった。本当にありがたかった。けれども―――それと同じくらい、聞いてほしくなかった。

情けなくて、恥ずかしくて、言いたくない。でも言いたい。相反する感情が入り乱れてぐるぐる回って、思わず彼女は耳にスマホを当てながら閉口し続けた。

「お姉ちゃん」

そうスマホから聞こえてくる声は、されどとても優しくて―――一方の感情を、優しく抱きかかえるように排していった。

思わず、彼女は滔々と妹にこれまでの事を打ち明けていった。

 

「-----。そっかぁ。やっぱり、京ちゃんも変わらないんだね」

「変わらない------?」

「うん。変わらない。―――何処まで行っても、気遣いの男の子だから。京ちゃんは」

気遣い?

彼は、―――自分に気遣ってくれていたのか。

「多分、馴れ馴れしくしすぎた、って反省したんだと思う。何処のタイミングかは解らないけど。お姉ちゃんの立場とか、自分の立ち位置とか、そういう部分を無視できない人だから。多分、勇気を出して思い切って関係を変えたんだと思う」

だから、と彼女は続ける。

「今が気に入らないなら―――次に勇気を出すべきは、お姉ちゃんだと思う」

そう言い切った。

「私も、ずっとボッチだったけど-----色んな事があったなって思う。和ちゃんとも回数は少ないけど何度か喧嘩もしたし、そもそもお姉ちゃんとだってあんな感じだったし。否応にも、人間関係ってそのままじゃいられないと思う。気が合うからそのままでいたい、ってだけでずっと続く訳じゃないと思う。それが、変に気を回すような京ちゃんみたいな人だったら、尚更」

その言葉を、ジッと姉は聞いていた。

―――今の自分の胸の内に、しっかりとその言葉が落ちてきた。その感覚を噛みしめながら。

「頑張って」

そう言い終わると、彼女はじゃーねーと言い残し、通話を切った。

残された宮永照は、しばしジッとスマホを眺め、何かを呟いていた。

 

 

「頑張れ------か」

何だか自分で言って恥ずかしくなる言葉だ。

けれども、これはちょっとした償いの意味も込めている。

----自分に友達が出来た時から、ちょっとずつ距離を置いていった京太郎と、それに気づく事すら出来なかった自分と、姉をだぶらせて。

姉は、気付けた。

それだけでも―――自分より、きっと京太郎を大事に思ってくれているのだろうと。

だから、頑張ってほしい。

それだけだ。

 

 




人はどれだけカレーのみでやっていけるのか―――現在実証中。二週間目に突入しました。

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