日曜日。この日は天気予報通り強めの雨が降っていた。それもかなりの強風を伴った、軽めの台風と言っても過言ではない大雨。
予報通り故に買い物も洗濯も前日に済ませていた須賀京太郎は、する事も無くただソファに寝転がっていた。
ざあざあと降り続ける雨の音だけが聞こえ続ける。こういう日は、意外と余計な事を考えずに済む。彼は無心となってネト麻をスマホで行っていた。
―――いつも通りだ。
ゆっくりと、ゆっくりと。このまま距離を開いていけばいい。
いつも、とはいつの事だろう。
それは、きっと高校生だった時の事だったと思う。
―――別世界に住む人間とは、こういうものなのだ。
きっと何処かで、理解が及ばなくなってしまう。
そうして、自然と―――ゆっくりとした歩調のまま、いつの間にか離れ行くのだ。
そういうものだ。そういうものだった。
雨水が降り落ち、そして日が昇れば空気に紛れていく様に、消えていく。
自分は何処まで行ってもそういう存在なのだ。
だから、今回の事もきっと正しいはずだ。―――そう、自分は思えているはずだ。
そのはずなのだ。
「----うーん、駄目だな」
満貫直撃によって無事最下位が決定したネト麻の惨状を眺め、そう苦笑する。何が無心だ。いらない事ばかり考えすぎているからこんな事になるのだ。
やめだやめだ、と彼は呟くと狭苦しいキッチンへと向かいやかんに水を入れ、湯を沸かす。
茶でも飲んで、落ち着こう。そうでもしなければやってのられない。
火をつけた瞬間、チャイムの音。
―――こんな雨の日にご苦労様です。
きっと宅配便だろうとお待ちくださーい、と間延びした声をあげながらチェーンとキーを外し、がちゃりと扉を開ける。
そこには、
「須賀君-----」
そう弱々しく呟く、美人な女の子。
雨にまともに打たれたのだろう。髪の毛はすっかり濡れ、衣服共々べったりと素肌に貼り付けている。
あまりにも予想外の出来事に沈黙を続ける須賀京太郎のその姿を、彼女はどう解釈したのであろうか。ぶるりと寒そうに震えるその顔面を斜めに傾け、
「え、えっと-----き、きちゃった----?」
震える腕でピースを作り、笑ってんだか寒さに悶えているのかよく解らない表情で須賀京太郎を見やった。
沈黙。およそ五秒。
ようやく、―――この光景を脳味噌が処理してくれた須賀京太郎は、同じような引き攣った笑みで、言った。
「あの―――取り敢えず、シャワー貸しますよ」
「お願い」
即答だった。
なんだこれは、と彼は内心ぼやいていた。
※
「あの------本当にごめんなさい----」
「いや、それは別にいいんですけど------何でこんな事に----」
現在、シャワーを浴びた後にダボダボのシャツにドライでどうにか即行で乾かしたジーンズを着ている彼女が、弱々しく頭を下げている。本当、何でこんな事になったのだ。
「あのね、本当はもっと早くつくつもりだったの」
「うん?」
「道に迷ってしまって------それで歩き回っていたら雨が降り出して------近場のコンビニで傘を買ったんだけど、それも風で壊れちゃって-----」
「早くつくつもりって-----何処に?」
「須賀君の家」
「-------」
何故だ、と聞きたかった。今すぐにでも。
―――でも、きっとその何故を伝える為に、きっとここに来たのだと思う。
その空気を読み取った須賀京太郎は、ジッと彼女の目を見る。
その目を受けて、彼女はゆっくりと話し出した。
「須賀君-----」
「はい」
「―――どうして----?」
どうして。
何に対しての疑義か―――須賀京太郎はすぐに理解できた。
そして自分が言うべき言葉も。
嘘を投げかけねばならない。
この態度の急変は、自分の本位であると。自分が望んだままそうしたのだと。そう言わねばならない。原因は全部自分で、貴女には一切関係ない、と。
もう貴女との友達関係は自分にとって負担だから、だから自分は望むままそうしたのだと。そう言わなければならない。
けれど。
目を、見る。
変わらない目だった。
―――麻雀をしている時の、力強い目と。
「あのね、須賀君―――私、前に友達でいるのに理由は要らないって、言った事あるよね」
はい、と答える。
「あれ、私は多分こう言いたかったんだと思う―――理由が要らない友達が、ようやく出来た。嬉しい、って」
彼女は微笑む。
その笑みは子供のようだった。子供みたいに、純粋な感情を湛えた、笑顔だった。
「私は色々肩書きが出来ちゃったし、その恩恵だってたくさん受けているって知ってる。でもね。―――私を、私として見てくれる人はとても少なかった」
王冠と玉座。
それを頭上に乗せ、それに座りし者は、周囲から見れば間違いなく王様以外の何物でもない。
彼女はそれをずっと被り続けてきた。それを背負い続けてきた。
その事実が―――彼女が一人の女の子だと言う事実を覆い隠してきた。
「だから―――本当に悲しかった。今回の事」
胸が突かれるような痛みが走る。
―――予想はしていたけど、やっぱり気付いていたし、傷ついてもいたんだ。今回の事。
「でもね―――それでもやっぱり嬉しい。ああ、これが友達なんだ、って」
笑いながら、彼女は続ける。
「ちょっとした事であたふたして、ちょっとしたことで悲しんで、ちょっとしたことで―――嬉しくなって。こういう、些細な出来事も含めて友達なんだって。友達である為に、こうやって勇気を出せた事も、―――ああ、本当に欲しかった友達が出来たんだって、その事に気付けて、嬉しかった」
そう、本当に嬉しそうに彼女は言う。
―――友達。
些細な事で笑い合って、些細な事で傷つけあって、―――そういう事を繰り返して、繰り返しの果てに出来上がる関係性。
この関係の心地よさを、須賀京太郎は知っている。きっとそれは空気や水の様に当たり前に存在するものだと決めつけていた。
けれども、やっぱり―――ある人にとっては、それは中々得難いものなのだ。
「だから、須賀君」
彼女は笑いながら、
「―――どうか、面倒かもしれないけど、私と友達でいて下さい」
そう、言った。
「周りが何と言おうと、どんな風に捉えようと―――私は、須賀君は素敵な人だって胸を張って言える。これだけは、本当の事」
「照さん------」
「私の事を知らない人なんかより、須賀君の方がずっと大事。―――だから、気にしないで」
疑うまでもない。
きっとこればかりは本当の事なのだろう。
そしてこの言葉が本当であるならば―――自分は、何という馬鹿なのだろうと、思ってしまう。
いらない気を回して、そしていらない傷を彼女につけてしまった。
自分がやったことは、結果的にはそういう事だ。
けど。
それでも―――きっと彼女はこう思っている事も解っている。
このいらない気回しもまた、須賀京太郎を構成する一要素なのだと。
そういう部分を知っていく事が、そして許容する事が、本当の「友達」なのだと。
だからきっと、こんな風に笑えるのだ。
そして自分も―――繋ぎ止めたい彼女の思いを、自覚することが出来た。
だったら―――いいかな、と思う。
彼女はポンコツだけど、だけどとってもいい人で―――何処までも可愛い人なんだと。そんな事を知ることが出来て。
「やっぱり―――照さん、可愛いですね」
「うるさい」
睨み付けるその姿さえも―――例えようもなく可愛いのだから、本当に困ってしまう。
外を見る。
いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。
まるでふるめかしい映画みたいだ。そう彼は何となく思ってしまった。
※
「それじゃあ、仲直りの握手―――そしてついでにお出かけ」
「はいはい付き合いますよ、全く------」
「それじゃあよろしくね―――京ちゃん」
その最後の言葉は、別段違和感を覚えられないくらい自然だったのが、とても意外だった。
こういうものか。そう彼は自然に納得する事が出来た。
―――雨上がりの昼下がりに、一つ薄い虹がかかっていた。
綺麗だなぁ、と少し思った。
朝起きて、水飲んで、パン食って、畳の上で寝て、起きたらベッドの上でした。
夢とはかくも複雑なモノなのだなぁ。何て無意義なのだろう。