宮永照は文学少女である。
よって今日も今日とて本を読む。好きな作家の新刊が出たとあって、彼女は実に機嫌よさげにそれを読み耽っていた。
------少しの間、本を読もうと思っても中々集中できない時期が続いたので、フラストレーションなしで読めることが出来るこの状況が、とても嬉しい。
リズムよくペラペラとページを捲りストーリーを追っている中、ある一説でピタリと文字を追う目の動きが止まる。
“恋とは、自らの欠けた部分を他者に求める行為だ”
「-------」
ふむん、と一つ頷く。
成程―――自らの欠けた部分を他者に求める行為が、恋なのか。
栞を挟んで、パタンと本を膝の上に置く。
別に。そう別に―――自分は恋なんてしていないけれども、将来的に僅かでもする可能性があるのだ、うん。だとするならば、徹底した自己分析が必要なのだと思う。
自分が欠けているもの―――。
「---------」
---探せばいくらでも出てきました。はい。
いや、違う。違うのだ。方向感覚とかそれに付随するポンコツぶりとか、そういう事じゃない。ここでいう欠落というのは、そういう軽い意味合いじゃない。
どうしても埋めたくて、それでも埋められない欠落。
必死になって足掻いて―――わざわざプロの道を遅らせてまで見つけ出そうとしたもの。欠落を埋めるモノ。結局それでも見つけられていないモノ。
「-----うん」
きっと、それは。
その欠落を埋め合わせるモノは―――自分の中にあるモノじゃなかったんだ。
だから見つからなかった。だからもやもやとしていた。そして―――今、まさに、それが見つかりそうに―――。
「------」
なって-----いるのだろうか?
その欠落は何なのだろうか?
それを誰が埋めてくれそうなのか?
解らないフリを、今自分はしているのだろうか?
だから今―――考えている内に、考える事を止めてしまいたいような、そんな変な感覚に追われているのだろうか?
自分が抱えている疑問は、麻雀をする理由。
それは未だ見つかっていない。
そして、新しく見つけた自分の欲求。
それは―――。
※
「京ちゃん京ちゃん」
「何ですか照さん」
「------今度、ここに行こう?」
「何処ですか------またスイパラですか」
「ただのスイパラではない。チョコレート特集」
「糖分には変わりないんです、照さん。糖尿になっても知らないですよ。そうなったら、年単位でお菓子食べられなくなりますよ」
「------それは困る」
「そんなに死にそうな顔になる位だったらもうちょっと節制を覚えましょうよ、全く-----」
麻雀部部室内。ごくごく前までは当たり前だった光景が眼前に繰り広げられていた。牌を拭いている京太郎の背後から雑誌を見せる照の姿。
何となく距離が空いたかと思えば、いつの間にか戻っている―――それに、京ちゃんなどと呼称まで変わってしまっている。
「おーう“京ちゃん”。ウチのエースを手籠めにするなんて随分ご機嫌じゃない」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい、キャプテン。------だったら先輩方もどうですか?スイパラ地獄を一緒に巡りましょうよ」
「やだよ。馬に蹴られる趣味は私には無いんだ。一人で行って一人で血圧を上げてくるんだね」
「------照さん、健康診断大丈夫なんですか?」
「一回の対局で消費するカロリーが、そこらの雀士の数倍だってさ、この子。本気で脳内活動で糖分を使い尽くしてるんじゃない。ま、だから大丈夫よ」
「本気で何なんですかこの人------」
「知らぬが仏って奴だね。知らない方がいい」
ケラケラと笑いながら弄られる。しかして照は実に涼しい顔だ。もうこの程度で羞恥心に顔を真っ赤にすることも無い。
―――何だろう。何故否定しないのだこの人は。
「ほれほれ~照りんも、ようやく男に熱を入れ上げる季節が来たか~。いっひっひ、やったぜ」
「何がやったぜなんですかね-------」
「ん?この子はね、恋愛話になる度私興味ありません、って顔していたからね~。麻雀も強いくせに男で痛い目見ていないなんて理不尽にも程がある。大失敗して大火傷して大泣きしやがれいい加減」
「うわ-----性格悪っ。失敗する前提ですか-----」
「だって須賀じゃない?こんなもん、泥船で太平洋つっきて行くようなもんじゃない。失敗は保証されたようなものよ!」
「何て言い草だ!誰が泥船ですか誰が!」
ぎゃいぎゃいと言い争いを始める京太郎と主将の間に―――平坦な言葉がぴしゃりと入る。
「大丈夫」
「------へ?」
「私、これでも見る目があるつもりだから―――キャプテンと違って」
ニコリと、雑誌で見せる様な猫かぶりスマイルを完璧に貼り付け、何とも残酷な言葉を投げかける。
主将は笑顔のまま固まり、そのまま沈黙が数秒ほど辺りを支配した。
そして、
「うるせええええええええええええええええええええええ!!」
泣きながら部室を去っていった。
------強かな所は、本当に強かなのだなぁ、とちょっとばかり感心したのでした。
※
「京ちゃん、一緒に帰ろ」
部活が終わると、この頃はこういう誘いを受ける事が多くなった。
まーたお菓子珍道中かと思えば、そういう訳でもない。ショッピングや書店、果てはスーパーでのお買い物などにも、何故だかつき合わされる事が多くなってきた。
------何故、と言っているけど、その理由は流石の彼でもこの期に及んでその理由が解らない程に鈍くは無かった。
あの時、自宅で受けた真っ直ぐすぎる程に真っ直ぐな言葉は、彼の胸に刺さっている。
「ねえ、京ちゃん」
「はい?」
「今日の夕ご飯は何?」
「え?今日はちょっと部活が遅くなったので、カップ麺でも------」
「それは駄目だよ。栄養が偏っちゃう」
「あの-----申し訳ないんですけど、とんでもなく糖分過多な栄養事情の照さんに言われたくないです-------」
「京ちゃんは料理が上手いんだから、毎日でも作るべき」
「別にそれほど気にしなくてもいいと思うけどなぁ。所詮は大学生男子の独り暮らしですから」
「駄目。―――私も手伝うから」
「え?」
「一緒に作って、一緒に食べよ?」
表情を全く変えぬまま、そんな言葉を放つ。こういう時に、少しだけ困る。冗談かどうか、判別がつかない。
何を言うべきか迷い、無言となる。彼女はこれを了承と受け取ったのだろう。自然と京太郎の手を引き、近場のスーパーへと引っ張っていく。
「いや、あの照さん」
「いいから」
何がいいのか了承を得ぬまま、彼女はゆっくりと彼の手を引いていく。
「―――ご飯も、一人より二人で食べたほうが楽しいよ?」
まるで当たり前の道理を言葉にするかの如く、彼女はただそう言った。
------何と言うか。
そういうのはやめた方がいい、と言うべきなのだろうけど。けど彼女のその言葉も、京太郎だからこそ言っている言葉であるという事も理解出来ていて。だからこそ、何も言えずにいるのだ。この辺りの絶妙な匙加減と言うか、如実に距離が縮められていく様に、何とも言えない危機感を覚えると言うか。
「私ね、京ちゃん」
「ん?」
「前に、麻雀を続ける理由が欲しい、って言った事あるよね」
「ええ、はい」
「―――見つけちゃったかもしれない」
「------聞いても、いいですか?」
「ううん。まだ秘密―――。実の所、私もまだはっきりと言葉には出来ていない」
「そう、ですか」
「うん、そう。だから、今日のご飯はエビフライにでもしようか」
何が「だから」なのか一切解らない奇妙な決定により、本日の夕飯はエビフライとなった。
油の用意が面倒だなぁ、なんて思いながらも笑みを浮かべて、彼は彼女に手を引かれ、スーパーマーケットへと足を踏み入れた。
まあ、こんな日々も悪くないなぁ、なんて思いながら。
※
その日の夜―――。
「照さん!違う、違います!小麦粉に何で砂糖混ぜようとしているんですか何を考えているんですかああ今油跳ねてるんですから近付かないで下さい本当にお願いしますからリビングで待っててくださいああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
手間は結局二倍かかったとさ。
50話ですか------。結構長続きしましたねえ。これもひとえに読者様のおかげ。ありがとうございました。ネタ切れの恐怖に怯えながらまだ頑張ります。