「-----神境の術が、祓われているファクターですか。そう言われましてもね」
戒能良子は一つ溜息を吐いた。
「------姫様よりも、むしろ石戸家が彼にアタッチしているのかもしれませんね。外部の一般人に、術を用いるなんて、本来ならばリストリクトされているはずですし」
ふむん、と彼女は一つ呟く。
「------いや、石戸家というよりも、霞個人のランナウェイの可能性の方が高そうです。本来、一番こういう行動に待ったをかけるはずの彼女が、こうして一番積極的に動いているのですから」
そうであるならば、―――戒能良子としては、こうして自らの立場を利用されてこき使われるのはあまり面白くはない。彼にかけたと思われる呪法の再編を行う為だけに、こうして都合よく動かされるのは。
―――神境の皆々方は、少しミスアンダースタンドがあるみたいですね。
戒能良子の目に、妖しげな光が宿る。
―――私は、貴方達の為に行動しているのではない。私は、私の為に行動しているのですから。
そうだとも。
あくまで、利害が一致した故に行動しているだけだ。ただ働きをしてやるつもりなんぞサラサラない。
カツカツと歩調を速めながら、彼女は今日も仕事へ向かう。
―――さあ、今日も解説のワークへ向かいますか。
ふふ、と一つ笑みを零しながら戒能良子は向かう。
今日は、須賀京太郎が実況する試合の解説だ。
※
「お久しぶりですね、京太郎君。今日もグッドな実況、よろしくお願いします」
「いやだなぁ、戒能さん。あまりプレッシャー掛けないで下さいよ」
テレビ局にて、戒能良子は須賀京太郎の控室に訪れていた。
須賀京太郎にとって、戒能良子は恩人と言っても過言ではない存在であった。はじめて実況席に座った時に、あらかじめ解説への話題の振り方を教えてくれた女性であり、実況中もそれとなくこちらの仕事をフォローしてくれる―――大体曲者が置かれる解説仲間の中で、一種の清涼剤じみた存在だとすら彼は思っていた。ちょくちょくこちらを弄る事も、奇妙な言葉づかいも、これらの事実の前ではただのユーモアでしかないのだ。
「いえいえ、京太郎君との仕事はこちらもエンジョイしてますから。今日も元気に頑張りましょう」
「はい。よろしくお願いします」
「では、今日も仕事終わりに一杯ひっかけませんか?また新しいバーを開拓したので」
「いえ、すみません。今日はちょっと先約がありまして-----」
「ほう?先約ですか」
「はい。----今日、北海道からこっちに企画でやってきている連中がいまして、そいつと夜に飲む予定が入っているので-----」
「そうですか----それは残念です。では、またの機会という事にしておきますか」
「申し訳ありません」
「ノーウェイノーウェイ。いつも付き合ってくれてありがとうございます」
「はい。では、またの機会に飲みましょう」
―――さて。
少し予定外だったな、と彼女は思う。
飲みに行けるかどうか―――ではない。それは彼の予定が都合よく空いているとは限らないのだから、それは予定外などではない。
むしろ、予定外なのは―――北海道からの友人、という点。
神境の秘術を祓っているとなれば誰であろうか。ずっと疑問であったのだ。
―――成程、カムイに憑かれたあの子か。あの子ならば、確かに“祓う”事も可能だろう。
まだ確定ではないが―――彼女の中で、その推論はもう確信に近いものがある。
「-----これは、うかうかしていられないですね」
そう、ぼそりと呟いた。
※
「ひっさしぶりー!おっしゃー、飲むぜ飲むぜ!」
テレビ局前の待ち合わせ場所に、いつも北海道で大暴れしているこの女がいた。
獅子原爽だ。
彼女は変わらぬ無邪気さと溌剌さを以て、須賀京太郎の前に現れた。
「そんなにはしゃがないで下さいよ、恥ずかしい」
「あっはっはー。忘れたのか、須賀よ!私はあの番組でもう恥という恥は掻き捨てたんだ」
「そうでしたね。でも掻かなくていい恥まで掻く必要はないでしょう-----」
「今日は成香とユキもいるからなー!財布のヒモは緩めておけよー」
ゲラゲラと笑いながら、彼女はぐいぐいと京太郎の手を引いていく。
そうして連れ込まれたのは、安いチェーンの居酒屋であった。がやがやとした喧騒の最中、彼女が言った通り本内成香と真屋由暉子がそこにいた。
「お久しぶりです、須賀さん」
「同じくお久しぶりです~」
二人はいつもの通りそう挨拶した。有珠山メンバーの小動物枠とアイドル枠の二人で、爽と共に企画の為に来たのだという。
「久しぶり。二人共今日は何の企画で東京に来たの?」
「二人で上野動物園に行ってきたんです。パンダがとっても可愛かったです」
「平和な企画だな~」
「先輩は別の場所で何かやっていたみたいだけど、何していたんですか?」
「私?私はゾウに乗せてもらっていたぞ。メチャクチャ楽しかった!」
「それは楽しそうです!」
「いやー、それからあの餌やりもやったんだけどさ、何か興奮しちゃったみたいで私に鼻でビンタした後全力で追いかけて来て、慌ててそのままバリケード超えて水場に飛び込んだ!」
「------狙っているんですか?」
「いや?」
「------爽さん、ほんととんでもないっすね」
「さあさあ、馬鹿話もこれまでとして、取り敢えず飲もうぜ!のーもーぜー!」
そうして、四人が席を付き、注文を始める。
ここ全部須賀の奢りだから取り敢えず一番高い酒でも頼もうぜー、という悪乗りから一升瓶ごと日本酒がやってきたという悲劇の中、成香は一杯で潰れてダウン。澄まし顔で飲み続けていた由暉子も、段々と顔に朱が差してきていた。
そして―――由暉子もうつらうつらと意識が混迷する中で、隣に座る須賀の肩にその身を寄せた。
「あっはっは。モテモテだな須賀」
「いや、まあ役得ですけど―――もう二度とこんな注文しないで下さいよ」
「いやいや、ごめんごめん。ま、いいじゃん、役得みたいだし」
そう言い終わると、京太郎の正面に座る爽は、少しだけ押し黙り―――唐突に彼に顔を寄せる。
「ど、どうしました爽さん----?」
あまりにも唐突なその行動に、たじろぐ。
「うーん、酔ってないな。まだ」
「へ?まあ、はい」
「うんうん、よろしい事だ。―――なあ、須賀。これはちょっとだけ酔ってしまった、私の独り言だと思って聞いてくれ」
「-----」
「私はさ、最初お前を番組に出すの反対していたんだ。それは、お前が嫌いって事じゃなくてさ。身体を張らせる役目をゲストにさせたくなかったんだよ。私がやる分には構わないんだ。楽しいし、それで人気が出るしさ。けど、私一人でやるには編成がもうマンネリするから、ってなった時にさ。じゃあ外部から呼んでひどい目に合わせて笑わせればいいじゃん、ってなったら―――すごく、嫌だったんだ。大変な所をゲストにやってもらってさ。それで私達の負担を和らげる、なんて嫌だったんだよ。それだったら、本当は嫌だけど、ウチのメンバーに背負わせた方がまだ道理が通っているじゃん、って」
「そうだったんですか----」
「でもさ。お前は、自分からその役を買って出てくれた。散々な目に遭っても、番組の外でそれに不平を言う事なんて全く無かったしさ。楽しんでくれてるんだな、って。―――それに、私の“カムイ”を見ても、お前はずっと変わらず友達でいてくれたしな。ユキなんか、ずっとお前に感謝してるって言ってるんだ。こんな澄ました顔してても」
やっぱりだ、と須賀京太郎は思った。
この人は―――。
「やっぱり、爽さんは優しいですね」
「そうか?」
「うん。それに―――何も考えていないようで、すっごく考えている人なんだな、って」
「そうかな-----うん、まあ、そうか」
この人は、なんだかんだ言っても―――このグループの「お姉さん」なのだと。
子供のようでいて、けれども一番周りを見ている。
この人は、そう言う人なんだ。
「まあ、だからさ。須賀。私―――というか、私達はな、みーんなお前に感謝している。何かあったら、何だっていい。私達を頼れ。何だって力になってやる。それ位感謝してるんだ―――以上!独り言終わり!ちょっとトイレに行ってくる!」
大声でそうデリカシーもクソも無く宣言すると、彼女は席を立った。
「あの人らしいなぁ」
照れ隠しにあんな台詞をぶっ放すあたり、全くもってあの人らしい。
ううん、と少し寝苦しそうにそう呻いた由暉子は、頭の位置をずらす。そうして、がくりと首が肩口から落ちて、
「あ」
そのまま、須賀京太郎の膝の上に行った。身体ごとあぐらをかいた須賀の方へ傾けて。
「うん-----まあ、役得だし、いいか」
安心しきった寝息をあげる彼女に、そう一言ポツリと呟いた。
※
「―――残念だったね」
声が、聞こえた。
「―――カムイが反応した先を見れば、まさかプロに会えるとは思わなかったよ」
居酒屋がある通りでじっと壁に腰を掛けていた戒能良子は、思わずその声の方向を振り返る。
「----獅子原爽」
「あの怪しげなもん、アイツの身体に入れてたのは、アンタか?」
「ノーですね。私ではない」
無表情のまま、彼女はそう答える。嘘は言っていない。
「だったら、アンタの元々のお家か。―――鹿児島の神様か。厄介だね」
「------」
「けどさ―――これから、アンタの思い通りにいくとは思わないこった」
「-----それは、こちらの台詞です」
「-----そうか」
それだけ彼女は言い残し、また元いた場所に帰っていく。
「存外アッサリと去りました---ね----」
戒能良子は、背後を見た。
そこには、禍々しい、夜の陰にさらに映える黒色があった。
これは―――
「うぐ!」
それが身体に触れた瞬間―――身体の奥底にマグマが注ぎ込まれたような熱が全身に走った。
感触がもぞもぞと全身をそばだたせ、腹の奥を中心に燃え滾る様な熱が注ぎ込まれていく。
「あ-----はぁ!ま、まさか----!」
これが-----カムイか!
身体全体が、感覚体になってしまったような苦しみが、全身に迸っていく。
「うあ-----や、やってくれましたね---!獅子原---爽!」
彼女は何とか言う事の聞かない身体を引き摺り、その場を去っていく。
かくして―――戒能良子と獅子原爽との邂逅を、終えた。
しかして、その出会いはまだ一握りの出来事に過ぎない。
混沌と混迷は、まだまだ連鎖していく。
カムイの事を知りたくば、ゴールデンカムイ、読もう!面白いよ!いつかゴールデンカムイの二次創作も書きたいなぁ。