―――いい子じゃなきゃ。
ずっと自分はそう思ってきた。
だって自分は、ただでさえ変な子だから。
この両目が、あるから。
この両目を授けてくれた両親に恨みなんてない。けれども、周りはこの目を許容してくれなかった。
奇異な目で、自分を見てくる。
変わった目をしているね―――そう不意にかけられる声が耐えられなかった。
変わってなんかない。自分のこの目は、大好きな両親が授けてくれたものなのだから。
けれども、自分だけがずっとそう思った所で、周りはその思いを汲み取ってはくれないのだ。
だから、怖くなった。
自分の目を、自分のありのままを、周囲に晒してしまう事が。
それが、始まりだったんだと思う。
―――自分は自分のまま、周囲に受け入れられないのだ。
だから、自分から目を背けていた。
周りの役に立たなくちゃいけない。役に立たなければ、自分は受け入れられない。
誰かの為に存在する自分であるならば、自分は受け入れられる。
その単純な構図を知った時、それに執着してしまったのだ。
―――だから、怖かったんだ。
自分の「役割」が無くなっていく事が。
自分が役立たずになってしまう事が。
自分が自分として自分を受け入れらてもらう為の必要要素が、奪われていくような気がして。
徹底的に利他的な在り方は、結局の所―――その全てが利己に繋がっていたのだ。
それが、ずっと目を瞑って見て見ぬフリをしていた真実。
それが、全てだ。
何て―――醜いのだろう。
そう、思ってしまった。
※
大雨の中傘もささずに逃げ出してしまった福路美穂子は、行く当てもなくぽつんとバス停のベンチに座り込んでいた。
-----寒い。
寒いのは当たり前の話なのだが、それに乗じてだろうか。異様な程の体温の高まりと身体の気だるさが腹の底から込み上げてくる。
ガチガチと歯を噛み鳴らしながら、自分の身体を両腕で抱える。
------体調、悪かったんだ。
無茶をするな、という周囲の声は何処までも正しいモノだったんだ。
自分よりも、周囲の方が自分をよく見ていた。
その事実に、情けなさすら自分の感情に浮かび上がってしまう。
雨に紛れて、涙が流れる。
悲しい。辛い。情けない。
そんな思いが一気にぶり返ってしまって、どうしようもなかった。
こんな状態で、麻雀部に戻る訳にもいかない。
どうしよう―――そう思った時。
「福路さん!」
遠く彼方から声が聞こえた気がした。
―――何だか、また泣きたくなってしまった。
その声に安心感を覚えてしまった―――自分の情けなさに。
そして、何故だか急激に瞼まで重くなってきた。
―――意識が閉ざされる前、力強い腕の感触がした。
何だか、安心できる感触だった。
「------う---ん」
目を開くと、そこには天井があった。
ぼやけた意識のまま周囲を見渡すと、そこには―――。
「キャプテン!大丈夫ですか!」
こちらを覗き込む、池田華菜の姿があった。
「あ、カナ------」
身体を起こすと、そこには雑然とした部屋があった。
漫画本やゲーム機が散らかった、よく言えば生活感のある、悪く言えばそこそこ散らかった部屋が。
「ここ、須賀の部屋です」
辺りを不思議そうに眺める福路美穂子を、池田が補足する。
「え、須賀君?」
「はい。キャプテンを見つけた場所で一番近い場所がそこだったので。流石に男一人で連れ込む訳にはいかないから、あたしに連絡を取って一緒にこっちに来たんです。それで、布団の用意だけして、アイツは外に買い物に行きました」
「----そうなの」
「----その、キャプテン」
「ごめんね、カナ。本当に、ごめんなさい」
心配そうにこちらを覗き込む池田を、彼女はその頭を撫でる。
「ずっとここで寝ている訳にはいかないし、そろそろ-----」
「あ、キャプテン!立っちゃダメです」
腕先に力を込めて立ち上がろうとするが―――どうにも、力が入らない。
「キャプテン、さっき38度の熱がありましたし、ちょっと今は安静にしていてください。後でタクシー呼びますから」
「------」
何かを言おうとするけれども、言葉にできない。
―――今の自分が何を言おうと、迷惑をかけてしまった事には変わりないから。
「キャプテン。-----後から、多分須賀が帰って来たら、ちょっと外に出ておきます。話したい事、いっぱい話してください」
言うまいか、どうか―――一瞬だけ逡巡しながら、池田は言った。
「―――どうか、アイツの事嫌いにならないであげて下さい。連絡してきた時、何だか死にそうな目してましたから」
※
がちゃりと玄関口が空く。
「ただいま戻りましたー」
そう声がしたと同時に、池田はそちらに歩いていく。
「おう、キリキリ買って来ただろうな」
「ちゃんと買って来ましたよ」
「全く、何で風邪薬も冷えピタも常備してないんだお前は」
「健康優良児なんすよ。すみません」
「馬鹿は風邪ひかないみたいだしな。納得だし」
「その方式を成り立たせる為には、池田さんも風邪を引かない体質じゃないとおかしいですね」
「なにおう!」
いつものように漫才のようなやりとりを繰り返しながら、―――池田はぼそりと呟く。
「―――外、出とくから。話して来い」
「---はい」
「ふん----」
池田はそう言うと、玄関口から外へ出ていった。
須賀京太郎は一つ息を吐いて、―――彼女がいる部屋へと歩いていった。
※
「あ、須賀君----」
「目が覚めましたか?」
須賀京太郎が部屋に入った瞬間、そこには―――心の底から所在なさげに、また申し訳なさげにこちらを見やる福路美穂子の姿があった。
「-----はい。あの、ありがとう。そして、ごめんなさい----」
「その―――俺の方こそ、すみません」
「え?」
何故、彼が謝るのだろう。
自分を庇ってくれたのは彼だ。そして、その上で勝手な感情のまま逃げ出したのは自分だ。謝るべきは、自分であって彼ではない。
「今回の事じゃないんです。---その、今まで、俺は出過ぎたことをしちゃったのかな、って」
「出過ぎた、って?」
「俺、福路さんを気遣っているつもりで、全然そんな事なかったな、って。福路さんの役割を負担するつもりだったけど、結局それが重圧になってたのかな、って。だから、出過ぎたことをしちゃったな、って思うんです」
彼女が自分に距離をとるようになった。だから自分も距離をとろう。
そんな安直な思考で、彼は彼女と関わる事に消極的になってしまった。
―――ちょっと考えれば解るはずだ。彼女が、理由も無く人を避けるような人間じゃないはずだと。何か理由があったに違いないと。そう慮る事も無く、ただただこうして避けるだけの時間を作ってしまった事が―――彼女を追い詰めた一因じゃないかと。
涙が、出てきた。
―――自分が勝手な感情のまま避けていた男の子は、その実誰よりも自分の事を考えてくれていたんだ、と。
純粋にこちらを慮って、行動していたのだ。
「あ、あの福路さん-----」
唐突に泣き出した彼女に、京太郎はあからさまに狼狽していた。
「違う-----違うの。須賀君は、何も悪くないの」
泣きながら、彼女は言葉を紡いでいった。
ずっと、怖かったのだと。
誰の役にも立たなくなった自分は、受け入れられないんじゃないかと。
だって―――自分の目を、受け入れられなかったから。
だから、怖かった。須賀京太郎が入ってきた事で、自分はこの部で役にたたなくなるかもしれない。だから、無意識のうちに須賀京太郎を避けていたのだ。
そう、言った。
「だから私は----皆が言う様な、いい子じゃないの。自分勝手な、女なの」
それが―――結論だった。
自分が見て見ぬフリをしていた、自分の姿。
向き合いたくなかった。けれども―――向き合わされた。この須賀京太郎という人間を通じて。
だって、この男は何処までも純粋に自分を心配してくれた。
そこには何の利己的な感情は無い。
ただただただただ、純粋な配慮だけが存在していた。
自分を成り立たせるために、そうしていた自分とは違う。その対比が、彼女には耐えられなかった。
言葉を全て聞き終えると―――須賀京太郎は、真っ直ぐに彼女の目を見た。
その目は、少しだけ怒っているように見えた。それも、当然か。こんなにも、身勝手な論理を振りかざしておいて、許される訳もない。
けれども、―――紡がれる言葉は、予想とは違っていた。
「違います」
と。
そう、彼は言い切った。
「福路さんは、そんな人じゃない。―――その、俺はずっと避けられててもずっと福路さんを見てきました。避けられていると解っていても、思わず見てしまうんです」
少し恥ずかしそうに、まるで述懐する様に、弱々しく言葉を紡ぐ。
「後輩を世話している時も、池田さんとじゃれ合う時も、お茶を入れる時だってそうだ。ずっと、貴女は笑っていた。あれは作り笑いじゃない。本当に、嬉しそうに笑っていた。―――誰かの役に立っている事が、本当に嬉しいと思える人じゃないと、あんな風に笑えない」
だから、違う。
―――きっと、彼女が思う「福路美穂子」は違うのだ。
「その------目の色がそれぞれ違っていて、それを見られるのが怖いという事と、他人の為に頑張れることは、違う事だと思います。俺、池田さんから聞いた事があります。殴られそうになっている時、庇ってもらった事があるって。----もし、池田さんが福路さんに懐いていない、生意気な後輩だったら、庇わなかったんですか?」
「それは----」
それでも、きっと庇っただろう。
だって、あの子はとてもいい子だから。あんないい子が、殴られる道理なんてないのだから。
だから、庇う他ない。
「やっぱり、そうじゃないですか。全然、利己的じゃない。福路さんは、貴女が思っているよりも、ずっとずっといい人です。それだけは、俺も胸を張って言えます」
だから、違います。
もう一度彼は言った。
この言葉に、どう返そうか。
涙でぼやける視界の中で、必死に彼女は考えた。
反論は、出来なかった。
だって―――今自分が泣いているのは、きっとさっきまでのように悲しいからじゃない。
情けないという思いはある。
けれども―――今、自分が認められたんじゃないかと、そう思えて嬉しいという思いも、やっぱりそこにあって。
だから、彼女は―――もう一度、
「ありがとう、須賀君」
それだけを、言葉にした。
兄貴がそろそろ結婚するかもしれないとの事。よかったねー。
自分が独身の幸せを死ぬまで享受させて頂くから、兄貴にはその分結婚の幸せを享受して欲しい。そう心から思います。