相対と尊厳
相対する。
かつての、親友―――いや、今であっても親友である事は間違いあるまい。だが、ここでこうして雀卓に座る限り二人は「親友」の括りではなく「仇敵」と表すべきなのは間違いあるまい。
子供の頃から、ずっと一緒にいた。
同じ場所で育って、同じ言葉遣いを覚えた。
同じ事に夢中になって、同じ学校にだって進んだ。
互いが互いの青春を、全力で駆け抜けてきた。二人三脚-----というよりかは、二人乗りバイクで突っ走って来たかのような疾走感がある記憶だ。
辛苦も甘味も、同じだけ味わわされてきた。唯一無二、絶対の親友。
そして、
二人を結び付けてきたモノは―――麻雀だった。
園城寺怜。
清水谷竜華。
彼女等は―――今プロの場に立ち、敵としてそこにいる。
何だか、不思議な気分だ。
「―――行くで、竜華」
「―――勿論や、怜」
賽は、投げられる。
かつての親友と、相対する。
それは大袈裟ではなく―――まるで自分達のこれまでの人生の、集大成ではないかと、そんな風に思えた。
感慨と、ちょっぴりの寂寥をその胸に携えて―――彼女等は、睨み合い、そして笑った。
それはかつての互いの様であり、しかしちょっぴり違う。重なる過去と重ならない現在を比べながら、彼女等は―――ジャラジャラと掻き鳴らされる牌の音を、静かに聞いていた。
※
戦いは、粛々と進んでいく。
鉄壁の防御で場を受け流しながら次々と直撃を奪う清水谷竜華と、次々と立直でのツモ上がりを取っていく園城寺怜。この両者の執念は凄まじく、まさしく両者共に鎬を削る様相を示していた。
オーラス。
ここで竜華は二位の怜と大きく差をつけ、トップ。
追い縋る怜。ここで親番が回る。
―――当然、ここで狙うは竜華からの直撃しかない。
しかし―――こういった状況になってしまっては、自分の親友はとことん強い。
こちらの手の内はばれている。その上で彼女は徹底した洞察力を持っている。直撃させる事すら難しいというのに―――連荘していかねば、勝機はない。
園城寺怜は、ニッと笑った。
―――なあ、竜華。そんな顔せんといてくれや。
清水谷竜華は気付いていた。
今、眼前にいる園城寺怜のコンディションを。
今にも倒れそうな程に、状態が悪い事に。
―――気分は最悪や。けどなぁ、仕方ないやん。それでも、それでも、楽しくて仕方ないんやから。
雀士として、譲れないものがある。譲れない時がある。
間違いなく今がその時だと、確信をもって園城寺怜は言える。
―――無茶をするべき時があるなら、今がその時や!
見る。
見る。
先を。
その先を。
その先の先を。
見ろ。見るんだ。ここで一つトチれば自分は敗北者だ。
敗北は別に構いやしない。自分の親友に敗けるのならば、それはむしろ誇らしい事だ。ここでいう敗北は、そういう意味の敗北じゃない。
敗北する事と、敗北者は違う。
敗北者は―――相手ではなく、自分に敗ける。
勝負の場に後悔を残して。負けた理由という名の逃げ道を用意して。敗北に身を裂かれぬ様に「言い訳」の種を残して、敗ける者共。それが、敗北者。
―――ウチは、欲しい。全力で戦えない「理由」を持っているウチが、それでもその理由すら反故にできる瞬間があるんやって確信が。そんな瞬間があるんやって、その瞬間が今なんやって。そんな確信が、ウチは欲しいねん。
園城寺怜は、苦し気に歪められた表情を無理矢理に吊り上げ、笑った。
―――勝負は、ここからや。
その執念は―――当然竜華にも解っていた。
―――アホ。このアホ。本当のアホや、アンタは。
油断していると涙が流れるかもしれない。それだけ、彼女には―――園城寺怜という雀士の思いを感じていた。
―――でも、それでも。アホやない怜なんか、怜やないわ。
本当は、今すぐにでも止めてもらいたい。この場でトップに立つ事よりも怜の方が大切なのは言うまでもない。手を抜いたって、構いやしない。
いや、そんなあからさまな事じゃなくて、自分もまた防御に徹した今のスタイルをかなぐり捨て、積極的に一つ直撃を取ってしまえばこの一局で終わらせる事も出来る。勝算は下がるが、それでも怜との一騎打ちによって速やかにこの試合を終わらせることが出来る。
だが、出来ない。
解っている。
それが―――親友の心をどれだけ傷付ける事になるのか。侮辱する事になるのか。解っている。解っているから、出来ない。今ここで「怜の為に勝算を下げる」麻雀を行使する事が、どれほどの侮辱なのか―――それを理解できない竜華ではない。
今連荘の中で虎視眈々と機を狙う怜に対して―――その機すら渡さず握り潰していく事。それがこの場における、全力に他ならないのだから。
―――怜。ウチは、謝らんで。
彼女は、心の中で呟く。
―――だってウチ等は、紛れもない“親友”なんやから―――。
※
試合は、清水谷竜華の勝利で終わった。
連荘に次ぐ連荘。安手で場を流しながら戦い抜いた園城寺怜は、しかし直撃を取る前に清水谷竜華の他家への振り込みによって、終わったのであった。
その終わりを見届け、園城寺怜はニコリと一つ笑うと―――雀卓の上に、突っ伏した。
かかりつけの医療スタッフに抱えられながらその場を去っていくその姿を―――清水谷竜華は、ただ見つめる以外になかった。
―――怜は、ずっとこないな事を繰り返すんやろか?
病弱の身でありながらプロになるとは、こういう事なのだろう。こういう事を覚悟しての事だろう。
―――それが、どれだけその身を削る事を意味したとしても。
それが、園城寺怜という女だ。
―――か弱い身体に何処までも熱い魂を詰め込んだ、雀士なのだ。
※
「------なあ、見てくれた?」
「そりゃあ、見てましたよ-------何度でも言いますけど、馬鹿なんですか?」
「せや。ウチは馬鹿や。―――そんな馬鹿が親友と戦うってなったら、そりゃあどれだけ馬鹿になるか、解っているやろ、京太郎?」
「------予想以上でした。いくらリーグ最終戦だからって-----」
「だって-----手ぇ抜きたくないやん?」
「はあ、全く-----」
しゃりしゃり。林檎の皮が剥かれていく音が、静かな病室で響いていた。
最早慣れきったこの静寂と薬品の香りの中、ゆっくりと彼女はベッドから体を起こす。
「おー。おいしそうな林檎やん。どしたん?」
「実家が長野なんで-----」
「おー、そうか!そういえば京太郎の実家長野やったなー。あれやなー。もし京太郎が実家付近に住む事になってそれを打ち明けてくれたら“リンゴ!”って叫んだる」
「それ元ネタ青森でしょ!絶対に小馬鹿にしてるでしょそれ!失礼極まりない」
「ええやんええやんそない細かいこと気にせんで。寒くて林檎が美味しい田舎やろ?さほど変わらんって」
「ひでぇ-----ひでえよ。俺の故郷がどんどん馬鹿にされていってる------。そもそも怜さん、俺が長野に帰るからって一緒に来れる程暇じゃないでしょ」
「せやな。世知辛い世の中やぁ------ほれ、京太郎」
くいくいと彼女は口を半開きにしたまま、催促する様にかぶりを振る。
一つ溜息を吐くと、彼は切り分けた林檎をつまむと彼女の口に入れた。
「んぐんぐ-----おお、流石長野や。林檎、って感じや。うまいなぁ」
「そりゃあよかった」
しゃくしゃくと小気味良い音を鳴らしながら、暫くの静寂が過ぎていく。
そんな時間の中、ポツリと彼女は呟く。
「------苦労かけるなぁ。すまんなぁ、京太郎」
「全くです----もっと自分を大事にして下さい」
「------京太郎もな」
「俺?俺ですか?俺は全くの健康優良児ですけど-------」
「せやろ?だったら、ウチに構わんで素直に大学生楽しんでや。こんな薬臭い病室なんかおらへんで、もっと楽しい事が―――」
そう口に出した瞬間、―――ゴツゴツとした手が、頭に置かれた。
サラリと、指の間に髪がゆっくりと挟まれ、梳かれていく。ちょっとだけ、気持ちがいい。
「俺は、今の時間が楽しいからいいんです。―――気にしないで下さい」
「------うん」
素直に、そう彼女は頷いた。
「------ごめんな。本音言えばちょっと不安だったんや。その台詞聞きたくて、ちょっと意地悪した」
「------」
「こないポンコツの身体でもプロでやっていくって決めたからなぁ。泣き言言ってられんのやけど------まあ、時々はこういう気弱な時もあんねん。ほら、ウチ病弱やし------」
「病弱であっても無くても、気弱になる時くらいありますって。気にしないで下さい」
「優しいなぁ------京太郎も、竜華も。竜華、ずっと泣きそうな顔してんねん。でもそんなんでも全力出してくれたねん。ホンマ、嬉しかったわ-----。以前やったら、竜華は勝負は二の次でさっさと勝負を終わらせにかかってたと思うわ」
「------そうなんですか」
「うん。ウチは、どうしようもなく身体が弱いんや。そんなウチが、全力で向かい合える唯一の場所が麻雀やったんや。麻雀ですら弱者だと認定されたら------ウチは、本当どうやって生きていけばええんか解らんのや」
「------はい」
「だから、な------ウチは、------」
言葉が、途切れる。
眠気の波に攫われたのか、彼女はがくりと起こした身体を崩していく。
彼は慣れた風情にその身体を両腕で支えると、―――ゆっくりと、ベッドに横たえさせた。
思う事は、あるのだ。
―――この人は、麻雀をやるべき人だ。
その価値がある人で、それだけの心を持っているはずで。
なのに―――その強靭な心とアンバランスなか弱い身体を抱えていて。
それでも立ち向かう姿は何処までも痛々しい。けど―――その心の在り様も何処までも綺麗だと、思ってしまって。
自分の中を動かした気がした。
ガラリと、静寂の中に音がまた響いた。
「―――怜!」
「あ、竜華さん。お久しぶりです」
そこには―――肩で息を吐く清水谷竜華の姿があった。
「あ------もう寝たんやな。ごめんな、須賀君。騒がしくして」
「あ、いえ。大丈夫ですよ。さっき寝て、結構深く眠ってますんで」
所在なさげなその姿に、少し笑ってしまう。いつまで経っても、この人は変わらないのだなぁと。
「ごめんな須賀君。ここからはウチが看病するで?」
「あ、いえ大丈夫です---何となくこんな気がして、今日は予定明けておいたので」
「ふふん。流石、“怜ちゃんお世話検定二級”は伊達やないなー、須賀君。よしよし、見直したで」
「流石永世一級ですね----全部この人の勝手な妄言ですけど」
「ええやんええやん。あんまり難しい事考えなきゃええねん。―――まあ、二人でまた看病すればええやんね」
「そうですね」
そうして、ベッドの前にまた一つ椅子が置かれ、清水谷竜華が座る。
―――また、こうして「三人」の時間が始まる。
須賀京太郎。清水谷竜華。そして―――園城寺怜。
すっかり慣れた薬品の匂いを感じながら―――三人は静寂の中、同じ時間を味わっていた。
咲キャラの巨乳化が著しい中、怜ちゃんは何処までも変わらない。あのバランスのいい感じをいつまでも保ってもらいたいなぁ。本当になぁ。