「姉ちゃん」
「----はい」
「正座」
「はい」
「報告は以上なんやな?」
「以上や」
「なあ、姉ちゃん」
「なんや絹?」
「アンタ―――本当にやる気あるんかァァァァァァァァァ!」
デート決行日の次の日。愛宕絹恵はそう怒り狂った。
前日の事。
大層面白おかしい表情の愛宕洋榎が大層不審な挙動を繰り返しつつ須賀京太郎を部室に一人残し、一緒に出掛けるで、と言った所、何の疑いも無く京太郎はその誘いに乗った。
まさか何の疑いも無くデートの誘い―――と思っているのは本人ばかり―――に乗ってくれると思わなかった愛宕洋榎は、この第一の関門を無事突破した事で大きく浮かれてしまった。
その結果、地獄を見る事となる。
※
須賀京太郎は普段の私服と変わらぬ、ジーンズにジャケットを羽織り、約束の場所に立っていた。
―――おう、須賀。頑張っているやん。
そう部室の前で言葉をかけた愛宕洋榎の声は、実に実に奇妙に上擦っていた。
その声に振り返るとその顔面は噴火寸前に真っ赤になっていた。
―――ああ、成程。
須賀はこの実に奇妙な彼女の態度を、冷静に分析していた。
何かしらギャグをやろうとして盛大に失敗してしまったのだろう、と。
上擦った声から判断するに誰かの声マネであろうか?それが失敗してしまい、何やらいたたまれなくなり恥ずかしがっているのだろう、と。
実際と全くずれた判断をしている京太郎を、しかして責めることは出来まい。一般的もしくは実態的更にもしくは論理的思考に基づき考えれば―――愛宕洋榎という女が男に声をかけるにあたり恥じらいを覚え、それ故に態度に急変を起こしているなどと誰も考える訳もあるまい。そんなもの、例え自意識過剰な思春期の少年であろうともそのような論理の飛躍は行えないであろう。量子力学を前にした古代物理学信奉者の図式に等しい認識の齟齬である。そもそもの前提からして違うのだ。
―――お、お前も色々頑張っているみたいやしな。この美少女洋榎ちゃんがちょっと休日に一緒に遊んでやるで。
ははは、先輩面白いなぁ。ギャグの不発を誤魔化す為に一緒に出掛けようと来たか。
さて、本来であるならばここで付き合う義理も無い。場を誤魔化す為に口に出した言葉を本気で捉える必要もない。しかして、何といってもこの先輩は実に面白い。丁度その指定日の予定が空いた事もあり、その日須賀京太郎は暇であったのだ。
―――だったら、お願いします。
そう、至極あっさりとその提案を受けたのであった。
そして、約束の日。
決めていた時刻を少し過ぎ、遅れてやってきた愛宕洋榎は鬼の如き形相で走って来た。
「遅れた!スマン!」
「いえ、いいんですよ」
少しだけ―――この傍若無人の表象者の如きこの女が遅れた事を詫びるという行為に微かな違和感が存在していたが、まあそんな日もあるか、と何となく流す。
服装は―――おおう、やっぱり整えるべきところを整えたらしっかり綺麗になるものだなと感心してしまう。黄と紺を基調とした花柄のワンピースは、明るい彼女のイメージと合致している。
この服装を選べるだけのセンスがあったのだろうか?
いや、そんな訳あるまいか。偶然だ、偶然。そう京太郎はまたしても疑問をスルーしたのであった。
「いやあ、スマンスマン。こちとらちょいと寝不足になってなあ。寝過ごしてしまうところだったんや」
「----もうレポートの手伝いはしませんよ」
「何や冷たいな」
「冷たくもなります―――それで、これからどうするつもりですか?」
「へ?」
「いえ、何か予定があって俺を呼んだんでしょう?買い物だったら付き合いますし荷物持ち位ならしますよ?どうするんですか?」
ここで愛宕洋榎は決定的なミスに気付く。
―――京太郎を呼び出す事に注視してしまい、肝心のデートの計画を立てていなかったのである
ここで、愛宕洋榎に残された選択肢はまた数少なかった。
計画を立てていない事を相手に悟られるのは論外。悪印象以外残さぬ最悪の結果となるのは目に見えている。
と、なれば―――自らが行った事がある場所に行く他ないのだ。
とはいうものの、この女、地元大阪で暮らし続けてはいるが―――実の所、男女2人で行くような場所をほとんど知らない。
スィーツの代わりにたこ焼きをかっ食らうような女である。風情あるデートスポットなど知る訳も無いのだ。
どうするべきか―――パニックに陥った彼女は、電撃的に現れた発想を、そのまま採用する事となった。
「甲子園-----」
「え?」
「これから、一緒に甲子園に行くで!」
生粋の阪神ファンである彼女が、自らの人生において男女と共に行くことが出来るスポットは―――そこしか、存在しなかったのである。
※
ここまでは、悪手すれすれであれど、致命的という程では無かった。
京太郎はスポーツ好きだ。自らが中学の時までハンドボールをやっていた事もあり、スポーツ観戦も割とフラットに楽しめる性格をしているであろう。聞けば贔屓も存在しないという。巨人ファンであればそのままその心魂を矯正せねばならない所であった。よかったよかった。
甲子園球場。球場前で売られていた黄色の法被を2人分買い、ホーム側の黄色の集団へと二人は紛れる。
「凄い盛り上がりですね」
「せやろ。今日は我が阪神が誇るエースの登板や」
阪神VS巨人。野球ファンの間では伝統の一戦と呼ばれるこのカードでは、やはり阪神ファンの盛り上がりもそれに応ずる形となる。阪神のエースピッチャーが入場曲に合わせ出てきた瞬間、地鳴りのような歓声が響いた。
「凄い声ですね」
「せやろ。今年の阪神は違うで~。やったれ!」
長身痩躯の身体から放たれる球がミットに収まる度に、歓声すらも打ち消す破裂音が響く。野球を体育程度でしかしたことのない京太郎にも、その球の凄まじさが理解できた。迫力あるなぁ、と心の底から感心してしまう。
そして、純粋に野球を楽しもうとする京太郎の傍ら、愛宕洋榎もまた阪神ファンとしてのスイッチが入り、こちらも純粋にその試合を応援するべく意識が集中した。
-----本来の目的とは何であったか。それはきっとその時間、無意識の次元へ呑み込まれ脳内シナプスの大波の底の下へと消えていってしまったのだろう。
それから試合が始まった。
阪神、巨人とも両エースの投げ合いにより始まったゲームは、互いを打ち崩せずロースコアのまま進んでいった。
その間―――京太郎の傍らには味方のファインプレーに全力で雄叫びをあげ、エラーする度に天を仰いで「何しとんじゃあ!」と叫ぶ愛宕洋榎の姿があった。それはもう、周囲の黄色法被姿の親父共とシンクロしているかの如き堂々たる振る舞いであった。
そして、九回。
1-1のまま進み、ここで投手が交代。リリーフピッチャーの外国人選手が投入される。
「頼むで」
祈る様に両手を合わせながら、愛宕洋榎はその姿を見やる。
その後―――最初のバッターをセカンドゴロで打ち取るも、次のバッターから連打を浴び一塁三塁のピンチ。そして、ピッチャーの打席で巨人は代打策を取る。
そして―――巨人の代打が放った強烈なゴロはサードのグラブに収まら―――なかった。
綺麗にサードの股を抜けたその打球は、哀し気に減速したゴロとなって、レフトの前へと―――。
記録、エラー。無惨にも、スコアボードには1点が刻まれる。
辺りが、シン、と一瞬静まり返ったのを、京太郎は感じ取った。
そして、
「何してくれとんじゃァァァァァァァ!」
辺りの阪神ファンと共鳴する様な声を、張り上げるのでした―――。
※
「アンタ、何の為のデートやと思ってんねん!アホか!いや、アホなの解ってたけどもう時空超えたアホなんか!?救いようも一切ないアホなの!?」
「しょ、しょうがないやんか-----。あんなの、目の前に見せられて平然としていられるのはファンやないわ------」
「そのデートで一体何が残ったん?何を残せたん?乙女になるという目的がこれっっっっっぽっちも達成できてないやんか!ウチが必死に選んだ服の上に虎の法被着て何がしたいん!?何処の時空に甲子園で声張り上げて絶叫する乙女が存在するん!?」
「け、けど須賀も楽しかった言うてくれてたで-----」
「楽しかったから何や!須賀君の記憶の中には“愛宕洋榎は阪神ファン”以外のメモリーが残ったように見えるか。アンタが絶叫している姿見て“へぇ、先輩にも可愛らしい所あるんだなぁ”とでも思うと?アホか!」
「次は、次は頑張るから!」
「その次が一体いつ来るねん!ああ、もう-------」
こうして、愛宕洋榎と須賀京太郎の初デートは終いと相成った。
それは、何処までも熱狂の渦に巻き込む、甲子園の魔物に包まれた一日の事であった。
目的、果たせずッッッ!
何か、野球ネタ書いちゃってすみません。書きたかったんです。反省すれど、後悔はせず。創作において五番目位に大切な事だと思います。うわはははは。