雀士咲く   作:丸米

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切っ掛け

――もっと遠くへ。自分は行けるのだと思っていたのだろうか。

特別じゃない、自分が。その自分のまま。

特別だと思い込んでいた日々から、平凡だと思い込んでいた日々に移り変わって。見えた景色は、共感する何かは、移り変わったのだろうか。

 

怪我でハンドボールが出来なくなって、ならばと清澄高校に進学して、

特別な仲間が特別なまま突き進む姿を見届けて。

 

何かを“する”のではなくて、見届ける人間となって。

もっと。もっと。出来るはずじゃなかったのだろうか。

 

―――けれども、それは所詮自惚れに過ぎないのだと思う。

もっと出来たのではないか、という可能性の話をするのは、その可能性に賭けた事がある人間だけが出来る特権だ。

 

幾度も、幾度も、見てきた。

仲間たちの快進撃の中で涙を飲みこんできた人々の表情を。その姿を。

 

情けないことに、そういう人達の方に強く共感してしまう自分も、また存在していて。

それは、諦めきれずに再起を図ろうとした自分が、心の何処かに存在したからだろうか?

怪我をした日に、きっといつかこの怪我が癒えて、もう一度ボールを追いかけられる日が来ることを信じてやまなかった自分がいたからだろうか?

けれども―――自分は、結局その心を殺してしまった訳で。

諦めなかったその人たちと、諦めてしまった自分を天秤にかけて。

勝手に共感して―――勝手に自分自身に失望して。

そうやって自分自身を情けない奴だと自嘲しながら生きて来て、自嘲しながら青春が終わって。

 

何かを、変えたいとずっと思っている。

けれども今更、何を変えることが出来るのかすら解らなくて。

 

結局このまま来てしまったのだろう。

この先に、何があるのか。解らぬまま―――高校卒業の時期にまで来てしまった。

 

 

その後の顛末を語ろうと思う。

語りたくはないが、語らざるを得ないのだろう。たとえそれが男としての矜持をズタズタに引き裂く類の話であろうと。

童貞とは何か―――その複雑かつ繊細、哲学的かつ永久の命題であるその問いに、園城寺怜は今にも悟りを開きそうな表情でごにょごにょと自らの親友にその意味を伝えた。

精々一言二言程度の言葉を耳打ちするや否や―――清水谷竜華はその顔面を蒼白に染め上げ立ち上がり、

「怜。ちょ―――っとええかな?」

そのまま園城寺怜を引っ張り、病室の外に連れ出していった。

 

居る理由も無くなり、自らの病室に戻る。そのまま一人何となく漫画を読み過ごし、いつの間にやら夜になった―――その時。

先程LINEの連絡先を交換していた園城寺怜から、メッセージが送られる。

”竜華からのありがた―――いお言葉や。胸に刻んどき”

そして付属される音声ファイル。

何やら嫌な気がしたものの、聞かないわけにもいかず、イヤホンをつけファイルを開く。

すると―――。

 

“あんたな!何かを経験していない事を理由に馬鹿にするなんて人として最低や!素人だからって理由で馬鹿にされたら、どんな人でも新しい事始められへんやん!”

“そりゃあ、ああいう二枚目な感じのイケメンさんがど、童貞やっていうのに意外性があるのは解るけど-----ウチ等だって経験なしやん!え、そうやないの----?そうやろ!からかうな、もー!”

“とにかく、それで弄るのは禁止!可哀想やん!男の子にだってプライドがあるんや!それを尊重してやれんで何が女子や!”

 

きっとこれがこの人の優しさなんだと思う。

清水谷竜華さん。本当にこの人は慈悲深く優しい人なのだと思う。それは間違いあるまい。

けれども、けれども。

何故だろう。

こんなにも温かく、優しい言葉なのに―――胸の奥に激痛が走るのは。

可哀想。可哀想。可哀想。

そう。今の自分は―――どうしようもなく可哀想な人間なのだと、そう思われているのだと。そう言う厳然たる事実がそこに提示されていて。同情を受けるに値する程の恥晒しだという事実を突きつけられて。

 

メッセージが、続く。

 

“よ、意外性の男”

 

何をしてもどうしてでもこの人はここまでしてでも自分にやり返したかったのだろうか。例え―――携帯の録音機能を使ってでも、この言葉を伝えたいと思う程度には。

優しさは時に、何よりも辛い針の筵となる。

溢れんばかりの優しさは―――時として何物にも代えがたい傷を作り出すのだ。どうしようもなく、誰が悪いという事も無く。

 

その日―――須賀京太郎は静かに枕を濡らした。

青春を全うできず、

旅立ちの日に足を折り、

入院先の女性にそれを弄られ、

その友人に同情心を提示され、

 

今日という一日で、何か心が砕け散ってしまった気がするのだ。

ズキズキと痛む足首など、気にもならなかった。

あまりの、情けなさに。

 

 

それからというもの、流石にあれだけの事をやらかしたのだからもう距離をとってくるだろうと思ったものの、何故かは解らないがあの日を境にもっと気に入られたらしい。よくよく彼女は須賀京太郎の病室に顔を出してはいつもの通り会話をしてくるようになった。

「取り敢えず、須賀君の大学での目標は、“目指せ非モテ脱出”やな」

「随分なご挨拶ですねぇ。また喧嘩売りに来たんですか?」

「まあまあ、そう恨むな。あの時は確かにウチも悪かった。だからこそ、折角出来た友人や。友人のおもしろ――-もとい輝かしい未来の実現の為に一肌脱いでやろうというありがたい申し出や」

「ほほう。面白いイコール輝かしいですか。随分と関西人らしい発想ですね」

「やろ?もっと褒めてや」

「申し訳ありませんが、貴女の笑いの種になる事が輝きなら、それは昨日でお終いです。お帰り下さい」

「ちょ。ちょ、待ち―や。押すな押すな。こんな美少女が遊びに来てるのに無下にするのはアカンで。こんな風だと、絶対モテなくなるで」

「貴女の暇潰し相手をしていてもモテる気しないので結構でーす」

「まあまあ、ほら。ウチ病弱やし、竜華もおらへんし、相手して―や」

「病弱ならさっさと寝ときなさいよ」

「寝る子は育つ言うけど、ウチの身体は一向に育たんかったし、寝れば元気なるのも眉唾もんや」

「------ああ」

「その“ああ”は何に納得したんや-----?」

「いや、かつての友人を----」

タコスを食ってはぐーすか寝ていたアイツを思い出す。授業中すら寝ていたというのに、一向に育つ事の無かったあの身体を。

その時自然と視線が身体全体に向かっていたのだろうか。園城寺怜はハッと身体を掻き抱いて叫ぶ。

「やっぱりスケベやん!このエッチ!」

「はいはい。むっつりさんは黙っといてください。そもそもこの話をぶち込んできたのは貴女の方ですからね」

話の端緒は女の方からでも、、乗っかれば男がスケベ扱いとなる。この理不尽さは、実に認めがたいものがある。

「まあまあ、須賀君。ウチもあんなに面白い話を聞かせてもらった身や。須賀君がモテる為に、協力できることなら何でもやるで。―――暇やし」

「人の心配出来る身ですか」

「あん?何やその言葉は」

「女プロ雀士は、ほら------」

言葉を続けようとしたその時―――目で、静止が入る。恐ろしい程に相手に威圧を与え、また怯えるような色まで含ませ、こちらの罪悪感を煽る、目で。

「------須賀君」

「はい------」

「やめような----?そういう事言うの-----」

「はい------」

どうやら彼女も現実逃避の真っ最中らしい。

「まあほら、ウチはええねん。ウチは。―――どうせなー。正直、そこまで長生きできる身でもないやろうしな」

「-----え?」

あっけらかんと言い放ったその言葉に、声が、止まる。

その様子に気付いたのか、あからさまに慌てた様子で―――取り繕うように、声を放つ。

「あ、そんなに深刻に捉えんといて。別に今に死ぬとか容態が悪いとかそういう話やないねん。―――ただ、まあ、そう言う覚悟をもって、プロ入りしたってだけや」

彼女はひらひらと手を振りながら、言い訳を始める。

「だから―――まあ、ウチは気にせんといてや。それより!須賀君や!童貞脱出したいんやろ!やったら気合い入れて、女の子にモテるようになったりやー!」

バシバシと背中を叩く彼女の様子は、ちょっとだけ空元気を振りかざしているように思えた。

―――少しだけ感じた、違和感。

それが何なのだろうか―――少しだけ気にかかってしまった。

 

思えば、これがこの人に「興味」を持つ切っ掛けだったのかもしれない。

この人の言う、「覚悟」とはどういうものなのか―――少しだけ、気になり始めたのだと。そう、思った。




暫くこっちの更新が続くかも解らないっすね。かしこー。

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