園城寺怜は退院していった。
思い知らされたことは、たった二つ。
自分の情けなさと、自分の弱さ。
今の自分を受け入れられない情けなさ。そして、その情けなさを受け入れられた瞬間に思い知らされた、自らの弱い心。
強がっていたし、意地を張っていたし、そういう自分から自分自身が逃げ続けていた事。
その弱々しい自分が生れ落ちて、そんな自分が嫌いで、心の隅に追いやっていたという事実。
眼前に現れたあの人はまさしく“ありたかった自分”だった。
病気でもめげず諦めずただひたすらに真っ直ぐ歩み続ける人。自分にはない強さを持っている人で。
そして、決意した事もまた二つばかり。
自分が「何をしたかったのか」のではなく―――「何をしたいのか」を見つける事を。
もう一つは。
過去の自分と鏡合わせのように感じているあの友人を、何があろうと応援しようと。
それが―――今の自分が、真っ先にやりたいと、思った事だったから。
※
園城寺怜が退院して早三日。須賀京太郎は特にやる事も無くリハビリに励んでいた。
あまりにも情けない顛末を隠し続けている為、清澄の友人にも入院の事実を隠していた。隠し続けていた。それ故、今の自分に見舞いに来る人間はいない。
しかしそればかりは仕方がない。今自らが抱えている僅かばかりの寂しさの為に、この阿呆な顛末に終わった話を知らされる訳にはいかない。それはもはや使命と言ってもいい。これから一生にかけて弄り倒されネタにされるであろう事実を、知られる訳にはいかない。いかないのだ。
だからこそ、須賀京太郎は日々を怯えていた。
何かの間違いで自分の知り合いがここに来るんじゃないかと。
そうなってしまえば自らの命はお終いだ。男が持たねばならないプライドが粉々にバラバラにされた挙句に今度こそ命を断たれるかもしれぬ。
―――嫌だ嫌だ。知られたらどうなるのか。きっと咲はあははと笑いながら和に悪気なく伝えるのだろう。優希ならばゲラゲラ笑ってスピーカーとなるのだろう。------和は論外。単純に一番知られたくない。もう男として完全にお終いだ。お願いです神様。どうか少しばかりの慈悲を下さい。おお、ジーザス。恵みを―――。
コンコン。
ノックの音が、聞こえてきた。
終わったと思いました。
もう自分は終わりだ。誰が来ようともう詰みじゃないか。
軽く頭を抱えた後―――どうぞ、と声をあげた。
ガラガラと開く扉の先には―――。
「------清水谷、さん?」
黒髪ストレート正統派美女が、そこにいた。
見舞いの品にフルーツなんか持って。少しばかり気まずそう---というか居辛そうな雰囲気を絶妙に醸し出しながら。
「や、須賀君」
「あ、はい。------えっと、園城寺さんは退院しましたよ?」
「うん。知っとる。だから今日は、須賀君の見舞いや」
そう彼女は言うと、手早く近くの丸椅子を持ち、こちらのベッドの付近に近付いた。
------近付けば近づく程、その余りにも完成された女性らしさに圧倒されてしまう。
「------」
「------」
暫し、無言の時間が過ぎる。
それは致し方ない。お互い、園城寺怜を間に挟んでの関係だったのだから。お互い、友達の友達同士。しかも、二つ年上のプロポーションバッチリのハイスペック女雀士。須賀京太郎にとって最も色々と難易度が高い女性であるのは間違いない。
「え、えっと-----」
それは、相手に取っても同じこと。
二つ年下の男の子。しかも、ちょっと世慣れした感じの。女子高出身にとって、少しばかり会話に困る相手だと思う。
よくもまあ、この男の子と怜は仲良くなれたものだなぁ、と思う。病弱故に、あの子は人に偏見を持たない。その辺りは本当に凄い。
とはいえ、このまま無言で終わらせる訳にはいかない。
お願いしたい事が、あるのだ。
そして―――。
「あの、須賀君っ」
「は、はい」
「―――ごめん!」
謝りたい事が、あった。
なぜなら―――。
「え?------ちょ、ちょっと。清水谷さん、頭を上げて下さい。なんで―――」
「その-----怜と、須賀君のお話、勝手に聞いてしまったんや----」
「あ----」
お話、というのは。
あの時の―――。
「------」
腰を曲げて頭を垂れたまま、彼女はそのままの姿でジッと待っていた。
―――本当に、誠実な人だと思う。
隠しておけばいいのに。
別に盗み聞きなんか改めて謝る事でもないだろうに。
「あの----頭を上げて下さい」
「-------」
清水谷竜華は、ゆっくりと頭を上げる。
「その-----気にしてない、と言えば嘘になるんですけど。メチャクチャ恥ずかしいし情けないし。でも、それはまあ、結局自分の過去が還って来てるようなもんですし。だから、その、気にしないで下さい。はい」
「本当に、ごめんな----」
「ちょ、ちょっと涙目になんかならないで下さい。だ、大丈夫。大丈夫ですから」
涙まで浮かび始めた彼女の姿に慌てふためきながら彼は何とか宥める。------謝られてるのは、自分の方だというのに。何なのだこれは。
グスグスと鼻を鳴らしながら、彼女は―――また、真っ直ぐにこちらを見た。
「そんでな、須賀君----。一つだけ、あの話を踏まえた上で、お願いがあるんや」
「お願い、ですか-----」
「うん。------その図々しいのは、重々承知の上で」
何なのだろう。
―――実を言えば、何をお願いされるかは解らないが、何の事についてお願いされる事は、実は推測できていたりする。
「-----怜の事や」
想像は、当たっていた。この誠実さの塊みたいな人が何かをお願いするとあらば、親友のこと以外あるまい。
けれども―――この先は、全然わからない。
今の自分に、怜に何かが出来るとは思っていない。それは、ただの自惚れでしかない。
清水谷竜華は、ゆっくりと口を開く。
「-----お願いっていうのはな。ちょっとだけで、いいんや。これからも、怜とお話してあげてほしいんや」
「それは------何でですか?」
正直な所、連絡先はあるものの、病院という場所から離れたあの人とこれからも気軽に連絡してもいいものか、迷っていたりもしている。
彼女は、問いに答える。
「ウチと怜は親友や。------だからな。思う事もあるねん。ウチは、怜の重荷になってんやないかって」
「重荷-----?」
「-----ウチは、どうしても怜が麻雀をする為のモチベーションの一つや。だから、ウチの存在は、あの子を麻雀に縛り付けるモノでもある。それは、いいと思う。チームメイトからライバルになって、それがモチベーションになるのは、当たり前の事や。でもな------ウチは、麻雀に向かう怜の心の支えにはなれるかもしれん。でもな-----麻雀が心底嫌になった時、ウチはただの重荷でしかない」
「------」
「身体、本当に弱いねん。でもあの身体を酷使せな、プロの世界ではやっていけんのや。-----そういう世界に、ウチは重荷つけて、怜を逃がさんようにしてるんや。あの話を聞いた時、ウチはその事を理解できた。だからな、須賀君。もしも、もしも―――怜が、プロを辞めたいと思った時に、そっと重荷を外して、背中を押してほしいんや。それだけで、ええ」
「そんなの―――」
「出来る。須賀君なら出来る。------伊達に、全部盗み聞きした訳やないねん」
それが、彼女の“お願い”だった。
夢を諦めようとする時―――そっと、その為の支えになってくれ、という。ある意味で、何処までも残酷なお願いだ。
自分を今でも苦しめているモノは、まさしくそれなのだから。
返答は、決まっていた。
「清水谷さん。俺は------今の怜さんを、応援してあげたい」
「------」
「俺が、成れなかった姿があの人なんです。ああ成りたくて、成れなかった。だから-----もう、どうしようもなく、ファンになっちゃいました」
「------うん」
「多分、あの人は辞めたいとは思わないと思います。どれだけ苦しくても。辛くても。そういう人だから。たとえ表面上でそういう言葉を言っても、心の奥底には変わらない思いがあるんだと、感じるんです。----それすらも凌駕する程に心底逃げたいと思ったなら、その時は解らないですけど-----基本的に、自分も、麻雀に向かう気持ちを、応援したいです」
「------そっか」
清水谷竜華は、それだけを零すと、フッと寂し気に笑った。
呆れた様な、感心したような―――その笑みは、きっと自分の親友に向けれられているのだろう。
「清水谷さん」
「うん?」
「―――重荷なんて、言わないであげて下さい。多分、口には出さないと思いますけど、怜さんは清水谷さんの親友でもライバルでもあるんでしょうけど―――きっと、ファンだとも思うんです」
「-------」
「清水谷さんがいるから麻雀から逃れられないんじゃなくて、清水谷さんがいるから麻雀を続けているんだと思うんです。それは、重荷とは言わないと思うんです。だから、そんな風に思わないで下さい。怜さん、絶対に貴女の事大好きですから」
※
帰り道。
夜空を見上げ、一人歩く。
「ズルいわ、あんなの-------」
我慢の限界に達し、決壊した瞼を上に向け―――清水谷竜華は、ぼやけた月を見ていた。
ヒップホップは元々好きだったのですが、この前はじめてフリースタイルダンジョンなるものを見ました。凄く面白かった。FORKあんなにフリースタイル上手かったんだね。次も楽しみにしていたら司会が大麻で逮捕されていました。あーあ。