お前何で結婚しないんだよ、と何度か言われた事がある。
男子のリーグといえど、プロ雀士。曲がりにもプロの世界で十年も生きて来て、所帯を持つ事すら出来なかったのかと。
おう、その通りだ。そう須賀京太郎は思う。
何故逆に出来ると思えるのか。
いつクビを切られてもおかしくはない職種。出会いなんぞさらさら存在しない環境。不安定かつ無軌道かつ不甲斐ない自らの生活。
その中でどうやって結婚しろと?
自分だけの不幸が身に降りかかるならばまだしも、それに他者までも巻き込めと?
自分以外の事まで責任を持てるわけがない。
そういう道を選んだのは自分で、そこに付随する諸々を犠牲にしたのは自分だ。
―――今こうしてクビを切られて、安堵の感情が幾つも存在する。
もうこれ以上自分の夢に縋りつく事も無いのだと。
ようやく自分の足掻きも終えることが出来るのだと。
―――自分一人でよかった、と。
自分の選択が、ここに来て正しかったと心の底から思う。
とても胸を張れるものでもない、むしろ男として情けない事ではあるが―――自分の夢に付き合って馬鹿を見る人間は自分一人で済んだのだ。
と。
様々な理由をつけた所で。
ならば―――これからどうするのか。
齢28。
あと数カ月もすれば29になり、再来年には30だ。
仕事もテレビ関係のお仕事へとシフトしていくのだろう。以前よりも遥かに安定した収入を得られる。
―――もう言い訳は通用しない。
「まあ、でも、もういいかぁ」
割に独身でも人生は楽しめそうな気がしている。
制限の無い、果ての無い自由。
誰にも頼れない。されど誰にも縛られない。その果てにある慣れきった生活。
それを捨てるのは、少しばかり惜しい。
結婚という言葉に、今の自分にさほどのリアリティがない。だから仕方がない。流れるまま生きていく中で、こう言った状況になったのだから。女に縁のない不甲斐ないアラサーという存在に。
まあ、それでも。
流れるままに生きて来て、こうなったのならば。
―――今後違う流れの中で、別な出会いがあるかも解らない。
それを楽しみに待つというのも悪くないのではないかと考えている。
―――そんなもの、期待するだけ無駄だろうけど。
そう思っていた。
思っていたのだ。
されど―――現実は自分が想定していた流れと見当違いに進んでいくのだと、彼は暫し後に思い知る事になる。
それは喜劇か。
はたまた悲劇か。
※
「拗らせる」と言う言葉は便利にして深い。
風邪を拗らせ肺炎になるように、人と言うのは自らの中に拗らせた代物を抱え込み生きている。
社会生活という暗い影に落とされた土壌に捻じられた自らの内心を拗らせに拗らせ、一生それを抱え込んだまま生きていかざる人間だって存在するのだ。
その病理は過去の足跡。
歩き続けたその道は、きっと心の内を拗らせに拗らせ、ついには現実と化し顕現する。
拗れに拗れた人間関係が修復困難であるように、人が自身の生き方を変える事は難しい。
歩み続けた過去。作りすぎたキャラクター。その全てが自身の歩む道に茨の棘を配置していく。
拗れた過去が作り出す拗れた未来は遥か彼方まで続く泥沼の道へと誘っていく。
新子憧。
28歳。
職業、アナウンサー。
恋人なし。男性経験なし。
男への苦手感情が高じて女子高と女子大をはしごしてきた女が選んだ職業はアナウンサー。
要領もよく機転も利くデキる女。その上で男性が苦手と嘯くギャップが大うけし一躍売れっ子アナウンサーに。
二十二で就職し、現在六年目。
お金もある。地位もある。
されど、この身はもはや―――アラサーへとまた一歩近づいたわけだ。
「---------」
今年の誕生日。
誰も祝ってはくれなかった。
一人渋谷で買ったシャンペンと苺のタルトを頬張りながら麻雀番組を見るだけの一日が終わる。そんな誕生日だった。
「--------」
無言の時間が増えた。
高校時代の友達は皆阿知賀で頑張っている。大学時代の友達も、この年になれば所帯を持っている人間が多い。そして多忙極まるアナウンサー生活。誰かと一緒にいる時間なんて、そうそう作る事なんて出来なくなる。
「---------」
さあどうする?
どうするのだ?
どうしようもないのだ。
いつからだろう。誕生日が忌々しく思えるようになってしまったのは。まるで命の刻限を進める死神の時計の針のように思えてしまったのは。
そうだ。
これから自分は次々と死に近づいていく訳だ。
あと三年経てばサーティーになる。それからまた同じ時間を過ごせばアラフォーだ。次に来るのはフォーティー?この人生を二度繰り返せば今度はフィフティか?
期限切れのケーキは徐々に腐臭を漂わせ、最後は何も感じられない無機物と化す。それが運命。
頭もいい。顔もいい。スタイルだって悪くない。なのに。なのに。何故だ。何故なのだ。
それは拗らせて来た痛々しく、哀しき妄執の果てに答えがある。
「-------待ってなさい」
帰ってきたいつものマンションの中、化粧を落としシャワーを浴び寝間着に着替え沈むベッドのシーツの上。彼女はぼそりと呟く。
「-------いつか。いつか私だけの王子様が-------」
新子憧。
男の苦手意識が空回りし続け出来上がった少女的ロマンシズム―――それはアラサーとなって顕現した。
拗れた結果、これである。
「------うふふ。今度は、何を買おうかなぁ。“花より野獣”今度新刊でるのよね。ふふ。うふふふふふ」
夢見がち少女の可愛げ満載の妄想癖がアラサーに搭載された。
その破壊力。推して知るべし。
きっといるはずなのだ。
男が苦手な私の意識を塗り替える程の、素敵で爽快な王子様が。
きっと。きっと。
こんなに頑張っている私を攫ってくれる、そんな人が―――。
ベッドの上で妄想に耽る。この時間こそが―――ここ二年ばかりの彼女の唯一の楽しみであった。
※
「―――久しぶりね。須賀君」
「はい。お久しぶりです、竹井先輩」
戦力外通知より二カ月後。
須賀京太郎は結局依頼を受ける事にした。
仕事の依頼を受けた瞬間、スケジュールが送られてきたが―――成程と思えた。
「須賀プロから、須賀解説員に華麗なる転身。期待しているわよ」
今やすっかり中堅アナウンサーの先輩の言葉に苦笑しながら、彼はこれからの未来を思った。
「―――ねえ先輩?」
「何かしら?」
「ここ、俺をボロ雑巾にするつもりですかね?」
スケジュールにはびっしりと------これはこれは本当にびっしりと、予定が埋められていた。
「プロリーグ大会の時期は忙しいのは解りますけど-----地方ローカル局の解説が何故にこんなに詰められてるんですか?俺、このままじゃあ一年の半分は家に帰れないじゃないですか」
「何よ。いいじゃない。楽しそうだし」
ケラケラ笑いながら、竹井久はそう言った。
「貴方人気者じゃない。各地方の連盟支部から依頼が飛ぶように来ているらしいわ。だからこんなスケジュールになっているのよ」
「はぁ------」
「男の解説者も少ないしねぇ。女性ウケもそろそろ狙わないといけないからって事で上の方も貴方に依頼出したみたいだし」
「もうそろそろいい年齢なのに、あんまり無茶させないで下さい-----」
「いいじゃない。どうせ独身じゃない」
「-------それは先輩もじゃないですか」
「いいのよ、私は」
彼女は拗ねたようにそっぽを向く。自分から話題を振っておいて理不尽だ。
「ああ、でもね、須賀君」
「はい?」
「気を付けなさいよ」
「はぁ」
気を付けなさい。
何に?
「―――ねえ須賀君。一つ教えておいてあげるわ」
竹井久は―――瓢げたいつもの調子をその瞬間だけ消し、“年上の女性”の顔を浮かべる。
「人間、年を取ってから現実と夢に板挟みされると、二つに一つしかないの。―――諦めるか、妄念と執念にしがみ付くか」
そして、言い切った。
「私は前者だけど―――雀士なんて勝負師連中は、当然のように後者を選ぶ生き物だからね」
だから気を付けなさい。そう彼女は言った。
その言葉の意味を知るのは―――もう少し、先のお話。
お久しぶりです。
社畜一年目。更新頻度が落ちてしまい申し訳ない。慣れて来たのでもうちょい頻度を上げて行こうと思います。かしこ。