またしても「奴ら」は現れる。
黒い肌、関節に黒い珠。四つの目はこちらへの殺意にまみれ、飛行する黒い甲虫にまたがり各々の武器を構えている。虫人。私たちの天敵だ。
そんなのがざっと五十はいる。これまでにない大勢だ。この襲撃で私たちを終わらせようとしているのだろう。
曇り空の下で飛甲虫が狂ったように喚き散らして飛び回っている。いや、一匹だけ比喩ではなく狂った軌道で空を飛び回っていた。
その飛甲虫の角には黄金の装飾。それを激しく揺らしながらこちらへ墜落している。飛甲虫の尾には赤々と燃える炎が噴き上がっていた。
炎が照らしているのは白いドレスに身を包んだ虫人と、その後ろにいる黒い鎧の人物。墜落の衝撃から虫人を守るように抱えた黒鎧は、そうするまで燃え盛る剣を飛甲虫に突き刺していた。
「やったぞ! おい、この調子であいつらをやっつければ良いのか?」
黒い鎧はそう言うと私に虫人を投げてよこしてきた。白いドレスに隠れてはいるが、関節に珠が埋まっているのは変わらない。目も変わらず四つついている。複眼。墨でも流し込んだかのような虫人特有の目は見ているだけで気味が悪くなる。
「っと、なんだあ? あいつら逃げて帰っていくぞ」
虫人たちがなにか喚き散らしているのは聞こえるが、なにを言っているのかが良くわからない。
だが一つだけ、これだけははっきりしている。白いドレスの虫人は、虫人たちにとって重要な存在である。でなければ一斉に撤退などするわけがない。
私は剣を携えながら黒い鎧の元へ近づくことにした。すでに私の仲間たちが縄で虫人を捕らえており、人を凌駕する虫人の膂力であっても逃げられないようにしていた。
それでも暴れる虫人に向けて剣の切先を向ける。ようやく虫人は黙り、観念したようにうなだれた。
これはもしかすると――私は予感した。もしかすると、これは、虫人との長い争いを終わらせる契機になるのかもしれない。人質。虫人との戦いが始まってから十年、初めて人質を手に入れたのだ。
であればその功績を称えねばならないのは黒い鎧の人物だ。彼のおかげで千載一遇の好機を手にしたと言ってもいい。
だが彼と出会ったのは今日だ。その出会いも奇妙なものだった。彼を見つけたのは砂漠の上。私たちが住む「象」の上ではない。砂漠は虫人の領域である。
だが虫人はあんな思い鎧を身につけない。奴らの肌そのものが厚い装甲として機能しているのだ。だから黒鎧の人物は――彼が自己申告したとおりに「旅人」なのだろう。そんな彼はいま、最後まで抵抗しようとする虫人が槍を向けているのと対峙している。彼の援護をするため、私は弓を構えた。
気がついたら辺り一面が砂だらけだった。砂漠。容赦なく太陽――奇妙なことにそれらしい光が二つ同じ方角にあった――が熱と光をばら撒き、水平線の向こうを揺らがせている。
それよりも目を見張ることが一つ。
右手に山のような影。まるで象のような色をした。
すぐにそれが山でないことはわかった。山に脚が生えているか? 山に象の鼻のような長いパーツがついているか?
山のようにデカい象。それが影の正体だった。長くてデカい鼻がやたらに砂を巻き上げている。奇妙なことに象の背中には白い煙がいくつかのぼっている。
象は機械仕掛けで動いていて、それが理由で排煙するのかと納得しかけたところで象の背中から小さな飛行機械――人が寝転べる程度には大きな円盤に杖のような操縦桿がついている――が飛んできて、もちろんそれには搭乗者がいた。
搭乗者は女性。少女と呼んだほうがふさわしいかもしれない。長い黒髪を一つにまとめてやたらと布を巻いたような出で立ちだ。
「お前、虫人だな!?」
「あ? むしひとだって?」
俺は全身黒鎧。肌を見せない兜だってある。遠目に見ればクソでかい虫に見えないこともないかもしれない。でも目の前に来て虫呼ばわりはド近眼のやることに違いない。
飛行機械に乗ってこちらを警戒する少女は戸惑いを隠せないようだった。こちらに向ける槍をおろし、それでも険しい表情でこちらを見ている。目はゴーグルで見えないが緊張しているのはひと目で分かる。
「虫人を知らない……お前、何者だ?」
「旅人だよ。ただの」
「鎧を着込んで砂漠を歩く奴がいるか! それにこの砂漠には虫人がいるのを知らないのか!」
「だからその虫人ってのはなんなんだよ」
ため息混じりではあったが、少女はおれがすっとぼけているわけではないことをわかってくれたようだった。その証拠に少女はここが危険だと告げ、強引に飛行機械に乗せてきて高度をゆっくり上げ始めた。
砂まみれの地上からどんどん離れていく。少女の肩につかまりながら俺は息を呑んでしまった。飛行機械は象の方へ戻っているが、思っていたよりもこの象がデカい。小さな村程度なら余裕を持って生活を営めるに違いない。
いや、実際に生活を営んでいるらしい。象の背中というには色が違う。土の色に草の緑色も見える。
赤い屋根の家屋が三十数は見えるし、どういうわけか広大な象の背中には森林さえあるようだ。家畜のための牧場も。出来の良いジオラマを見ているような気分になった。
「君はあれに住んでいるのか!?」
「あれとは失礼だな。お前が見ているのは『陸象様』なのだぞ、敬意をはら――いや、部外者にそこまで求めるのは酷だな。遠い土地の国の旅人だろう、であれば陸象様のことは知らなくて当然だな」
勝手に納得をし始める少女。それなら適当に合わせていこう。俺はそう考えながら高度を落としつつある少女に声をかけた。
「この砂漠のことはよくわからないんだ。いくつか質問してもいいか?」
「どうぞ」
「君たちはこの象さん、あー、陸象様の背中に住んでいるって言ったっけ。どのくらい前からなんだ?」
「私が生まれるずっと前から。両親も生まれる前からって言っていた」
「ずっと砂漠を歩き続けているのか、すげえな。水場には立ち寄ったりするのか、オアシスとかいう?」
「いや……陸象様が砂漠を歩かれたのは十年前なんだ」
暗い調子で少女が答える。ということは象さんが砂漠を歩いているのは彼女の意にそぐわないことなのかもしれない。
「それまでは陸象様は森を行かれていた。どこを見ても緑に溢れていて、静かで穏やかでとても過ごしやすいところだった。森は災いももたらしたが大抵はどうにかなっていた。猛獣はいても陸象様には近づかない。そして森の恵みは陸象様の背中を豊かにした」
「君たちの生活基盤は森によって形作られたってことか」
「ああ。あそこにある果実の樹は森が与えた恵みの一つだ。あの畑も森の土を頂いて作ったものだし、誰の家だって森の木々を頂いていた。私たちにとって森は聖域だった」
「それがどういうわけか砂漠を歩いている、と」
「私たちは陸象様を信じている。次の聖域たる場所に導いてくださっているのだ。砂漠という過酷な環境は陸象様が与えた試練なのだ」
んなこたねえだろ、とは言わなかった。言えるものか。宗教じみた奴にろくなやつはいない。正確にはそいつの信条っていう地雷を踏み抜いた時が危ないってのが正しい。
「だが……砂漠には脅威が潜んでいた」
「暑さや乾きのことを言っている?」
「違う。いや違わないが。私が言った脅威とは虫人のことだ。奴らは砂漠の原住民だ。陸象様を奪おうとして私たちを襲っている」
どうやら俺は最初に敵と間違えられていたらしい。
不本意とはいえ原住民の縄張り――この場合だと砂漠――に足を踏み入れて刺激してしまったら……穏便に済ますのは難しいかもしれない。
高度を下げつつある飛行機械。少女は落ち込むのを隠さずに陸象の背中への着陸態勢をとっていた。
「奴らは空を飛ぶ甲虫にまたがり、武器を持って私たちを襲った。象の民たちは必死に戦って追い返したが……少なくない死者が出た」
「そうか、残念な話だ」
「族長だった父親がその時に死に、まだ子供だった私は族長を継ぐことはできなかった。だが私はもう一人前の戦士だ。族長代理も認めてくれて、族長の座を譲ってくれたんだ」
飛行機械が着陸。そっと降りた俺は、少女がゴーグルを外してこちらを見たのを見てハッとした。
青の丸い目は決意に満ちていて、射抜くような魅力が確かにあった。
過酷な環境や戦士としての活動からか肌はきれいなものではない。だが俺は少女の決意に満ちた目に惹かれた。例えるなら砂漠の茫漠さに佇む青いバラってところ。……興味を持たざるをえないだろこんなの。
「そうだ、自己紹介が遅れてしまったな。私の名前はアービター。象の民の族長だ」
「俺はベル。旅人のベルだ。よろしくな」
アービターが手を差し伸べる。俺は握手して一歩下がり、彼女が飛行機械を倉庫にしまうのについていく。
「なあ、君はなんか成し遂げたいことってのがあるんじゃないか?」
「は?」
「あーその、突然過ぎたな。なんていうかいい目をしているなと思ってさ」
「誘っているならお断りだ」
「そうじゃなくてさ。普通の人間がする目じゃないと思ったわけ。断固たる決意っていうかさ……どうしてもやりたいことっていうのがあると思ったんだ。良かったら聞かせてくれないか」
驚きを隠さずにアービターはこちらを見る。彼女は視線を外せないようだった。
「……なんでそう思った?」
「いい目をしているって言ったろ」
「そうか。したいことがあるんじゃないかって? 私の願いはたった一つ。象の民に平穏な暮らしをさせることだ」
「族長として?」
一人の人間としてもだよ。そう言うとアービターは飛行機械を仕舞って外へと戻ろうとする。その足がピタリと止まった理由は俺にもわかった。
空を割らんばかりの勢いで鳴り響く警報。ややあって村の方から沸き立つどよめき。
「なんだ? なにが起きているんだ?」
「虫人の襲来があればあの警報を使う。奴らが攻めてきたんだ」
「俺も戦うよ。ここの連中に平穏な暮らしをさせてやりたいんだろ?」
アービターを先頭にして駆け出しながら問いかける。だが彼女は少し迷いを見せ、しかし足は止めない。
「ベルを危険に巻き込む道理はない」
「旅をしていりゃいろんな危険があるさ。それに君みたいにいい顔しているのを放っておけないんだよ」
「こんな時にまで誘いの言葉かお前は!?」
「違うって。言葉にするならそうだな、決意ってのが君の目には映っていたんだよ」
「決意?」
「応援したくなるだろ、そういう奴って」
「その理屈はわかるよ。手伝ってくれるというのなら助かる、今から武器庫へ向かうからついて来い!」
どこか嬉しそうにアービターが言う頃には村の真ん中くらいのところには出ていた。
避難場所でも作っていたらしく地下の穴に逃げ込む子供たち。象の背中をくり抜いたのか、もともとそこにくぼみでもあったのかもしれない。それよりも俺の印象に残ったところがある。
男も女も関係なく大人らしい人々はアービターが指差した武器庫へ入り込むと、急所を防護する軽装鎧を着込んで武装して飛び出していた。誰もが燃えている剣を握り、弓を構えているやつも篝火を使って矢を燃やしている。武器にまとわりついている炎が彼らの必死な表情――怒りと恐れが入り交じったような――を照らしあげていた。
「アービター!」
「どうしたベル」
「虫人の弱点ってのは炎なのか?」
「そうだ! この首飾りを持って武器庫に入って剣を受け取れ。私は族長としてやらねばならないことがあるのでな、ここでお別れだ!」
言うが早いかアービターは武器庫で弓矢を受け取るとどこかへ行ってしまった。戦闘準備を進める村人たちが「奴らが来た」と叫んでいる。いよいよ虫人やらをお目にかかる時が近づいている。
武器庫では武器を渡す役割らしい子供が数人。そのうちの男の子――アービターと同じように布をぐるぐるに巻いたような出で立ちだ――が全身鎧の俺を見て驚いていたが、アービターから渡された水晶の首飾りを見せると納得したように武器を渡してくれた。
「あんたは新顔だが。族長の友人なんだよな?」
「あー、まあ、そうだと思う。そうだといいんだけど」
「その首飾りは族長が認めた人間しか渡さないんだ。それ、弓矢も渡してやるぜ」
「ありがとな。じゃ、行ってくるぜ」
武器を渡していた男の子が「無理はするなよ」と声をかけてくれた。それに答える余裕はないが、俺は手を振って返事にすることにした。
村の広場ではアービターが武装した村人たちを相手に演説をしている。陸象様を守り、虫人の脅威を取り除く――そんなようなことを話していると櫓にいた村人がドラを叩き鳴らした。
見上げてみれば黒いカブトムシみたいな奴が空を飛んでいる。ただのカブトムシではない。二人はまたがって飛べそうな大きさをしているし、実際に一匹につき一人がまたがり搭乗しているようだった。虫人というのは搭乗している奴のことを言うのだろう。
「弓隊、構え!」
アービターの号令で燃える矢をつがえた村人たちが横一列に並び、いつでも放てるようにしている。彼らの後ろに篝火を置く役は炎の剣の村人が担うようだ。
俺は空を見上げて呆然としてしまった。さっきのアービターの演説で言うところの飛甲虫とやらは空飛ぶカブトムシのことで間違いないはずだ。
でもその数はあまりに多すぎる。ざっと数えて三十以上。村人たちの不安そうな表情はきっと予想以上に敵の数が多いことが原因なんだろう。
「恐れるな! 我らには陸象様がついている! 陸象様も我らを頼っている! 逃げ出すことは我らと陸象様のどちらも裏切ることと同じだぞ! 私は逃げぬ、我らの安息がもたらされるまで!」
矢に火をつけて空に構えるアービター。そこで俺が見たのは他とは違う印象の敵だ。
白いドレスを着ている搭乗者。飛甲虫には黄金の装飾。奴がリーダー格なのだとしたら他の奴らと印象が違うのは納得のいく話だ。
そんなことを思っていると、白いドレスの虫人と飛甲虫がこちらめがけて急降下を始めている。虫人は手に槍を握り、四つの目で睨みを効かせていた。
「弓隊、放て!」
火矢が突撃する虫人を出迎える。号令したアービターも矢を放ち、幾つかが飛甲虫に深く命中する。それでも飛甲虫は勢いを衰えさせることなく、むしろ加速してアービターたちに突っ込んでいく。
咄嗟に俺は駆け出していた。奴の狙いはアービターと、自分の後ろに虫人たちを連れていく尖兵としての役割なのだ。実際、奴に追随するように大量の虫人たちが押し寄せている。
「怯むな! 次を構え――」
アービターの眼前に白いドレスの虫人と黄金装飾の飛甲虫が迫る。だが間に合った。俺が思い切り飛甲虫に体当たりをかますとやつはバランスを崩し、しかしそれでも空に逃れている。
でも俺は飛甲虫にしがみついていた。右手には燃える剣を握っている。飛甲虫のケツにこいつを突き刺してやると汚え黒い液を撒き散らしやがった。
悲鳴を上げる飛甲虫。制御が効かなくなって狼狽する白いドレスの虫人。俺はむりやり飛甲虫にまたがり、突き刺した剣をぐいぐい動かして強引に舵を取る。あと少しで墜落するのは免れないが、墜落場所は砂の上ではなく象の上にしたい。
「死にたくなかったらつかまれ!」
虫人を抱えて飛甲虫を蹴り飛ぶ。僅かな浮遊感の直後に背中に衝撃。吐きそうになるのをこらえて勢いのまま転がっていく。
この時に分かったのは、虫人が人間とは全く違う容姿をしていることだった。間近に見て分かったが、顔には四つの濁った黒い目が、関節には硬いボールのようなものが埋まっている。肌の色は気味が悪い具合に黒い。
「いや、嫌だ! 離せ、離しなさい!」
だが人間の言葉を話している。俺はこいつを組み伏せてから弱らせ、アービターに向けて投げるように寄越した。
「やったぞ! おい、この調子であいつらをやっつければ良いのか? っと、なんだあ? あいつら逃げて帰っていくぞ」
白いドレスの虫人に続いて襲ってきていた虫人たちに向けて剣を向けていたが、奴らはどういうわけか逃げ出していた。象の背中に降り立ち槍を振り回していた奴がいくつかいたが、その大半は慌てて飛甲虫にまたがりなおしている。
それでもこちらに向かってかかってくる虫人が一つ。赤い槍を構えて俺に向かって突っ込んでくる。
鋭い突きを剣で打ち払いつつ奴の隙を伺う。体つきからして男だろうか。さっきの白ドレス虫人も女のようであったし、虫人にも性別があるに違いない。
「姫様を! 返せ!」
虫人の戦士の一突き。身を反らしてかわし、これを脇に挟んでへし折る。これで戦意喪失したかと思えば今度は殴りかかってきやがった。
渾身の右ストレート――を屈んでかわしながら後ろに下がるように回転斬り。腹を軽く裂いたつもりだったが虫人の肌はまるで鎧のようにかたい。中途半端に剣が奴の体に食い込んでいる。
「なんて肌ぁしてんだこいつら」
「があああ!!」
剣を引き抜いた俺は「どこを攻撃したらこいつを戦意喪失させられるだろうか」と考えた。その考えはすぐに無駄になった。目の前の虫人の頭が燃え上がったからだ。
燃えているくせに熱がったり苦しんだりしていない。それもそのはず、奴の頭に深々と矢が突き立っている。痛みも知らずに死んだに違いない。
矢が飛んだ方を見ればアービターが肩で息をしていた。その近くで白ドレスの虫人が泣き叫んでいる。縄を持った村人たちが白ドレスの虫人を縛り、動けなくしていた。
虫人との戦いは十年以上続いていた。だが人質をとったのはこれが初めてらしい。戦いが終わったあと、アービターが嬉しそうに言った。
俺はアービターの家に招かれ、あれこれと話を受けていた。何人かの村人が虫人の犠牲になったことや、人質をとったことでこれ以上犠牲を生むことはないかもしれないこと。
確かに交渉ができるのであれば良いことのように思う。けれども引っかかる部分があった。アービター達には、象の民には、足りないものがある。
「交渉ね。それは良いと思う。あれは虫人社会のお姫様なんだろ? 大抵の取引には応じると思うが」
縄できつく拘束された白ドレスの虫人は、武器庫にある檻に閉じ込められ尋問を受けている。彼女は自分を姫と名乗り、虫人が王権社会を構築して地下世界を生きていることを話したという。
「自分を殺すと王様が黙ってはいない、ということらしい。たぶん嘘はついていないはずだ」
「でもアービター。どうやって交渉するつもりだ?」
「象の民の命を脅かすことがあれば虫人の姫を殺す。そう伝える」
「伝えるって言っても使者を出すとか出来ないんじゃないか」
「こちらから伝えよう。方法ならきちんと考えてある」
「……待ってくれ。もしも虫人の王が姫のことを全く気にしないとしたらどうする? 交渉はなにも進まないどころか始まりもしない。抑止力が必要だ。手を出したらお前らはただじゃすまないぞっていう姿勢を見せるのが必要なんだよ」
そう。足りないものというのは抑止力だ。ケンカをふっかけられたらその相手も無事ではすまないようにする力が交渉では必要だ。個人間の闘争ではなく組織間のそれであればなおのこと必要になる。
「それは……大丈夫だ」
やや青ざめたようにアービターは答えた。抑止力になりうるなにかを象の民が持っているのは間違いない。が、アービターはそれを使いたくないらしい。
「どんな武器なんだ?」
「森にいた頃の象の民はある武器に親しんでいた。爆弾だ」
「爆弾? 象さんの背中から落として狩猟でもしていたのか?」
「そうだ。幼いころの私はその光景を見ていたし文章で記録もされている。象の民は爆弾を改良し続け、より効率的に狩猟が出来るようにしていた。そして最後に作った二つの爆弾は……禁忌の箱と呼ばれるようになった」
「禁忌の箱?」
「一個の爆弾で大量の成果を得ようとして、森の恵みを組み合わせて作った爆弾がある。でもそれは私たちが想像していたよりももっと大きな力を持っていた。……森にとってはほんの僅かな部分だが、私たちが見渡す限りの全てが死に絶えた」
それで使ってはいけない爆弾ということになったのだろう。どこに封印しているのかは聞かないでおいたほうが良さそうだ。
「普通の爆弾を砂漠に落とし、起爆する。そこに矢文を用意する。あの時に撮った写真も添える。……禁忌の箱を抑止力として使う。なに、本当にあれを使うつもりなんてない。抑止力というのはそういうものだろう?」
そうだ。抑止力は実際に使う必要はない。必要に迫られたら使うしかないが本当に最後の手段だろう。そんな最後の手段を気軽に使われたら――想像するだけで恐ろしい。
アービターの許可をもらい、俺は虫人の姫に会うことにした。戦闘準備の時とうって変わって武器庫の中は静かだった。奥の方からは不機嫌そうな高い声が響いている。
少し前に進むと虫人の姫が見えた。陸象が森を歩いていた頃に使っていた猛獣を閉じ込めるための檻にぶちこまれ、身動きが全く取れないほどに縄で縛られている。
「こんにちは。あー、そこの村人さん?」
「あんたは族長の友人だな。どうしてこんなところに?」
「虫人の姫さんと話をしたい。どうだ、なんか喋ったかい」
「いいや……尋問して聞き出せたのはあいつが虫人のお姫様ってだけだよ」
「そうか。代わりに俺が質問してきても良いかな。あ、俺が良いって言うまで席を外してくれないか」
わかったよ、と村人は武器庫をあとにした。それを見送ってから、持ち込んだ小さな椅子を置いて腰を落ち着ける。
「あっ! お前はあの時の――」
「こんにちは。少し話がしたくてな」
「――お前と話すことなど何もないわ!」
「そんな邪険に扱うなよ。俺はあんたが殺そうとしたこっちの族長の命を救った。んで、あんたも殺すことなく助けてやった。嫌そうにする道理がどこにあるんだ」
虫人の姫は俺を睨むとひとつ吼えた。鼓膜がびりびりと震える勢いだ。
「そんなに怖い顔をするなよ。怖いじゃないか」
「私の虫を殺したくせに」
「あれはどうしようもなかった。そんなことを言うならお前たちは象の民をたくさん殺してきたんだろ? お互い恨みっこなしさ」
「ふざけないで! 先に手を出してきたのはお前たちでしょう!」
姫の抗議に俺は動きを止めた。
先に手を出したのは象の民だという。
戦争状態にある国が二つあるとして、敵国を憎ませるための教育がなされるのは当然のことだ。だが俺にはアービターが嘘をついているようには見えなかった。ひと目見ただけで興味をひきこませる決意の目をした彼女が、嘘をついただって? 先に手を出したのは虫人の側のはずだ。
「待てよ。そりゃどういうことだ」
「そのままよ。お前たちが私たちの聖域を踏みにじったの」
「虫人の聖域?」
「だいたい十年前の話よ。私たちの聖域が突然消えることが何度も報告された。私たちの同胞は砂と岩に押しつぶされて死んでいく。お前たちが……災厄の象が砂漠を歩くたびに私たちの聖域は滅び去っていったのよ!」
つまり――陸象が砂漠を歩く。たまたま真下にあった虫人の生活圏が、陸象が砂漠を踏みしめるせいで壊滅状態になる。
そして虫人社会は陸象が自分たちの生活圏を脅かすものだと悟り、象の民が陸象を操っているものだと考えていた。だが象の民は陸象を操ってなどいない。象の気まぐれで砂漠を歩いているだけのはずだ。
「私たちは持てるだけの戦力でこの象を止めようとしたわ。でも失敗に終わったなんて思ってない。私は姫よ。父上が、王様が私を見捨てるなんて絶対にない。いまに私たちの軍勢がお前たちを滅ぼすわよ」
「そうか。分かったよ。どちらにも都合が良いように交渉ができると良いな」
それだけ言って立ち上がり、持ち込んだ椅子を抱えて去ることにした。後ろから馬鹿にするなとか罵声が飛んできたが、気に留めるつもりは欠片もなかった。アービターに知らせなくてはならない。初めての虫人の人質をとったのなら、いま聞いた話は全て新鮮な情報のはずだ。
アービターが爆弾を使者代わりにしてしばらく。使者を名乗る虫人が日の沈む頃にやってきた。アービターは村の中央広場で使者の虫人とやり取りしている。まわりに護衛の村人を連れ、俺もそこに加わっている。
虫人の使者は虫人の王から預かった言葉をアービターに伝える。象の民を襲わない代わりに虫人の姫を返して欲しい――だがもう一つだけ聞きたいことがあると付け加えていた。
「この象はどこへ向かう?」
「陸象様はこの先にある我らが聖域へと向かう。我らに安息をもたらすために」
「……というと、西の方角にある森へか。なるほど、承知した。明日、日が昇る頃に我らが王がこられよう」
「交渉は明日の日の出だな。分かったよ」
やり取りが終わったらしい。おまけに虫人の口から、このまま先に進めば森があることも教えられている。アービターの隣で話を聞いていた俺は警護の役目が終わったことを悟った。
使者が虫にまたがり帰っていく。いつの間にか月が青白く夜の空を染めていた。村では篝火が赤く燃えてあたりを照らしている。
アービターはひとつにまとめていた黒髪をほどいて俺に向く。なにか言いたいことがありそうだった。
「ベル、お前が来てから事態は急に進んだよ。とても良いように」
「君の抱いた決意が実を結んだってことだよ」
「そうであれば嬉しいな。でも、きっかけはベルが協力してくれたからだ。なんというか……うまく言えないが、お前がいなければきっと私たちは最悪の時間を迎えていたんじゃないかと思うんだ」
「虫人に全滅させられるとか?」
「そうだな。私は象の民に平穏な暮らしを約束しなければならない。そう決意したし、覚悟を持って族長を継いだ。まだ若い私にみんなよくついてきてくれている。でも明日には平穏な暮らしができるんだ」
「……虫人社会は大変なことになっているようだがな」
「虫人の姫が言っていた『虫人の聖域』の話か? 陸象様が通った場所の下にある奴らの巣が壊滅状態となったという話だな?」
「ああ。あの使者の虫人はこの先に森があるって教えてくれた。もう虫人に脅かされることも、虫人が怯えることもないってと思うとな。良い結末になる気がする」
俺はそう思っている。だがアービターはそう思わなかったらしい。怒っているのか、悲しんでいるのか、良くわからない。
旅人の目線、第三者の目線。俺の目線は誰の立場にも寄り添っていない。アービターを気に入って協力してやりたいと思った。現に協力している。でも彼女の目線にずっと立っていることは出来ない。ここでの旅の終わりは近い。
翌日。日の出前に俺は武器庫の前に立っていた。隣にはアービターが大きな花束を抱えている。彼女が言うには虫人の姫に渡してやるのだそうだ。
「どういう風の吹き回しだ?」
「……奴らはずっと地下世界で暮らしてきたんだろ、なら森の恵みを少し分けてあげても良いんじゃないかと思ったんだ。昨日の晩にベルと話して、少し考えたんだよ」
「ほおん?」
「奴らと出会うのは今日で最後だというのも響いているよ」
嬉しそうにアービターは笑う。そんな彼女の前に虫人の姫が入っている檻が近づく。五人の村人たちがつなを引いて動かしているのだ。
「お前たち、ただで済むと思うな!」
「虫人の姫よ。もう互いに争うことはない。平和だ。我らは平和を手にする」
「そんな……父様は、王はお前たちを見逃すというのか! そんな馬鹿な話があってたまるか!」
檻の中で虫人の姫が悔しそうに声を荒げた。黒い肌の手が錆びてなお重厚な鉄を打つ。何度も、何度も。
きっと――きっと、最初に手を出してしまったのは象の民だ。正しくは気まぐれで歩き続ける陸象だ。そいつが砂漠の脆い部分を踏み、地下にある虫人の巣を潰してきた。
悲しいことに違いはないが、誰が悪いわけではない。土を踏めば足跡がつく。氷を触れば冷たいと感じる。風が吹けば髪がたなびく。陸象がしてしまったのはそういうことなのだ。
でもそうやって感じ取れるのは俺だけだ。陸象に住む連中も虫人の連中も全員が当事者だ。俺は当事者ではない第三者の人間だ。それでも象の民の側に立ったのはアービターの決意に満ちた目を見たからだ。
彼女はどれだけの決意をどれだけの間に持ち続けたのだろう? そんなことを思いながら、空に昨日飛んでいたよりも大きな飛甲虫を見た。
その飛甲虫は全身白色で、その上には白い法衣のようなものを着ている人がまたがっている。顔を見れば四つの目。虫人に間違いない。
「父上! マリーヌはこちらに! 父上ーッ!!」
檻に囚われている虫人の姫が必死に叫んでいる。白い飛甲虫にまたがる虫人は緊張をたたえながらゆっくりと降下し、村の中央広場に降り立った。
つなを引いていた五人の村人は檻を開き、虫人の姫を外へ出した。全ての拘束を解いてはいないがひとりで前を歩くのは問題がないらしい。
「砂漠の民が王、ロドーサである。此度は交渉のためこちらへ出向いたが……この象に住むむのたちを殺さないと約束すれば娘を――姫を返してくれるのだな?」
「そうだ。象の民の族長、アービターが全てをかけて約束する。もしも貴様ら虫人がこの交渉の後に象の民に指一本でも触れたのなら……分かっているな?」
「禁忌の箱を使うというのだな。分かった、私もすべてをかけて交渉に応じよう。娘を返してくれ」
「ああ。……縄をほどいてやれ」
檻を引いていた五人の村人が虫人の姫の拘束を解く。解き終わるとすぐに村人は散り散りに離れ、代わりにアービターが花束を抱えてゆっくり近づいた。
「もう会うことはないだろう。だが贈り物をなにかしてあげたいと思ってな」
「え? どういうこと?」
「昔、陸象様は森を歩いていらっしゃった。この花束は森の恵みのひとつでな、砂漠にはこんなものはなかっただろう。……部屋にでも飾ると良い」
アービターはやさしく花束を渡すと姫から去り、虫人の王の前に戻っていった。
「あれが花というものか。とてもきれいなものだ」
「虫人の王よ、これに記名をして、交渉は終わりだ」
静かな調子でアービターは一枚の紙と筆を差し出す。村人たちが机を運び、虫人の王の前にとんと置いた。
手慣れた様子で虫人の王はサインをしていく。誓約書かなにかだろう。アービターは満足したように受け取り、しわがつかないようにきちんと持っている。
虫人の王族たちも足早に立ち去っていった。見れば、陸象から遠いところに大穴があいていて、王族たちがそこへ入ってからしばらくするとひとりでに閉じていくのが分かった。
驚いたのは。アービターと同じように虫人の王、いや、砂漠の民の王が決意に満ちた目をしていたことだった。四つの目が不気味なことに変わりはないが、あの王だけは明らかに違っている。
そして――少なくとも砂漠の民の姫には地上へのあこがれがあるのではないかと俺は思ってしまった。アービターから貰った花束を大事そうに抱えていたのが妙に焼き付いている。もっと別の形で「象の民」と「砂漠の民」が和平を結べても良いのかもしれない。
性急にやるべきことではないし、陸象だってこのまま進めば森に入って二度と虫人たち――いや、砂漠の民と出会うことはないに違いない。別の形の和平をどったらこったらというのなら、長い時間のあとにふたつの種族が出会った時がいいだろう。茨の道であることは間違いないのだろうけど。
「じゃあ俺はここで降りる。歩きの旅に戻るよ」
虫人たちとの交渉が終わったあと、黒鎧の旅人――ベルはそう言った。
ベルは旅人だ。ひとつところにとどまりたくはないのかもしれない。虫人たちの争いに終止符を打つ助けになってくれた。
だから彼の意思を尊重することにした。飛行機械で陸象様から少し離れたところに彼を送り、その途中に見た。地平線の向こうに緑色があるのを。
「よし、この辺で降ろしてくれ」
「分かった。……世話になったな」
「いいや俺は何もしてねえよ。気持ちだけ受け取ってお――」
ベルが飛行機械から降りようとした瞬間、砂漠を大きく揺るがす轟音がすべてを包んだ。
「なんだこりゃ、いったいどうした!?」
「ありがとうベル。お前のおかげで私の決意は成就した」
「そりゃなんだ、お前、何を言って――」
きっと砂漠の上に立っていれば振動が骨を砕くだろう。それほどまでの衝撃が飛行機械で飛んでいても伝わっている。
「――何をしたんだ?」
「象の民に平穏な暮らしを約束した。たったいまな」
「まさかお前……虫人たちに使わせたのか? 災厄の箱とかいう使っちゃいけない爆弾をあの花束に仕込んだのか?」
旅をしていると勘が鋭くなるらしい。愉快な気分になっていた私は笑いながら頷き返した。だがベルは笑っていなかった。
「時限式の爆弾なんだ。本当に小さな箱の形をしていてね。花束に仕込むのは造作も無いことだよ」
「どうしてこんなことをした?」
「だから言ったじゃないか。象の民に平穏な暮らしをさせるためだと」
「そのために砂漠の民を皆殺しにしたっていうのか!!」
「砂漠の民? 違うぞベル、奴らは虫人だ。奴らは陸象様と象の民に刃を向けた、ならば取るべき道はただ一つだ」
「……あー、そうか、そうかよ、わかった。つまりお前は……最悪の時間を過ごしたいってわけだ」
「最悪の時間? 何を言っている? 最高の時間の間違いだろう!」
「考えてみろよ。普通に考えてあの象さんが歩いただけで地下に被害が出るだなんてありえないんだ。砂漠の民の建築技術が未熟なだけかもしれない。でもそこは問題じゃない。彼らの巣はこの砂漠全体に広がっているはずだ。ということは、この砂漠は『脆い』んだぞ。言っている意味、分かるよな」
意味が分からんぞ――そう言いかけて私は飛行機械の高度を上げる。早くこのことを象の民に知らせなければならない。
私はなんてことをしてしまったんだ。象の民の平和を祈った行いのはずだ。滅びを呼ぶためにこんなことをしたのではない!
「ま、俺は先に行かせてもらうわ。じゃあな大量虐殺者さんよ、業の報いってやつを受けてくれ」
ベルが飛び降りた。振り返ったがどこにも彼の姿がない。飛び降りて死ぬような高さではないし、砂に埋もれるような高さでもない。まるで魔法を使ったかのようにベルは、黒鎧の旅人は姿を消してしまった。
そこにあったものが最初からなかったように消える――そんなことよりも。早く陸象様の元へ。
皆を飛行機械に乗せて森へ移らなければ! 焦燥に駆られたアービターが空を駆ける。爆発が起きた地下のまわりが、空にまで届く轟音とともに奈落の底へ落ちていく。
アービターが陸象にたどり着き、陸象の民をまとめあげようとした時。陸象を巻き込んで遙か先まで、砂漠全体が、真っ暗でぽっかりと暗い口をたたえた。
陸象も、虫人も、すべてが闇の中に落ちる。砂漠だった場所には生命を感じさせない静寂だけがあった。