カレイドスコープ   作:いかるおにおこ

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妖怪道中復讐劇

 目の前の人間の首が真後ろを向く。体はこちらに向けたままで。竹笠が回転でふりしきる豪雨を弾き、でもそれで誰が喜ぶわけでもない。なんでって、笠をかぶっている奴が目の前でたった今死んじまったんだから。俺? 死んだ人間の持ち物を喜んで漁るように見えるかよ。

 

「大丈夫にござるか? 怪我はしていないでござるか?」

 

 目の前の死体、その死因を作り出した奴が俺に声をかけている。

 雨でひどく濡れてしまった黒い外套に白い服――知っている限りでは和装というものに一番近い――の少女。そいつは首に飛び乗って両脚で挟むと頚椎をへし折り、ひょいと跳んで着地するとまじまじとこちらを見つめていた。

 きっとこの少女は俺が恐喝されていたとか、殺されかけていたとか、そういうふうに思ったのだろう。実際そのふたつは当たっていて、全身黒鎧を奪ってカネにしようとしていた盗賊を名乗っていた。盗賊というか、山奥でこんなことをやっているんだから山賊と呼んであげたほうが良いのかもしれない。そっちのほうが喜ぶかどうかは確認が取れないが。

 

「あー、いや、大丈夫だ。助けてくれてありがとう……でも、あっという間に殺しちまったな?」

「此奴が手に短刀を握っているのは見えたでござるからな。しかしその鎧は……もしかして武士にござるか?」

「違うな。その……なんつった」

「武士のことにござるか?」

「そのブシって奴ではない。俺は旅人で、この鎧は自前のものだな。こいつがないと落ち着かないんだよ。そうだ、俺の名前はベル。さっきも言ったように旅をしている。だから、このあたりはあまり知らないんだ」

 

 白い服の少女が近くの廃小屋――黒ずんだ木で組み上がっていて人気がない――を指差し、一緒に来いと言わんばかりに手招きしているのを見ながら俺は続ける。人懐こい子だなと良い印象を抱いた。助けてもらったのもある。

あ、山賊の死体? とっくの間にこの山の動物がくわえてどっかに持っていきやがった。

 

「ふむふむ。旅人のベルどのであるな。拙者は椿と申す」

「つばき、ね。いい名前じゃん。ヒーローでもやっているのか? それとも殺し屋を?」

「殺し屋というか、それに近いことをやっているのでござるよ」

 

 悪びれもせずに椿と名乗った少女は答える。丸い目に控えめな鼻立ち。線は細くよく整っているかわいらしい顔立ちをしている少女で、場所や事情が違えばアイドルなんてやれそうだと思った。でも彼女は殺し屋に近いことをやっているという。「面白そう」だし話を聞いてみても良いかもしれない。

 

 古びた小屋のドアを押し開け、意外なことに雨漏りは少ない。少ないということは一箇所あるんだけど、見た目の印象とは裏腹にしっかりしていることに驚いた。

 椿は腰の帯にまとめていた旅の道具を床におろし、両腿から6つの短剣をぬいでそっと道具の隣に並べた。黒の外套のせいでよくわからなかったが、椿は物々しく武装していたらしい。

 鞘に収められた短剣は、しかししなやかに反っているその形はまるで「刀」のようだった。短刀。これを殺しの目標にぶん投げるのだろうか。そんなふうに考えていた俺はまたも驚きに目を開いてしまった。黒の外套に隠れていた武器はそれだけではなかった。

 二本一対の刀と、背骨に沿うように真っ直ぐ伸びる刀。椿はそれも床にそっとおいて座り込み、落ち着いたように息をついたがすぐに申し訳なさそうに俺を見ている。彼女はずぶ濡れで、着替えておきたいのだろう。わかったとだけこたえて外の方を見ることにした。

 俺も旅の途中で刀という武器を手にしたことがある。細くていまにも折れてしまいそうな武器だが、やはり鋼、刃を持った金属というべきかかなり重かった記憶がある。そんなものを九振りもはいていたとなると華奢なように見えて強靭な体をしているのかもしれない――腰を落ち着けながらそんなことを考えた。

 

「ベルどのはいったいなんの旅を?」

「なんの旅? 目的がってことか?」

「さようにござる」

「目的ね……楽しいものを見つけること。美しいものを見つけること。そんで、そうだな、決意に満ちた人間を見たいなって思っている」

「決意にござるか」

 

 そうだよ――振り返りながら俺は灰色の和装に着替えていた椿の顔色を伺う。

彼女の黒い瞳には決意が宿っていない。あるのは暗い殺意。思わず息を呑んでしまいそうになる程に底の知れない殺意だ。でも、正直な感想を言うと、この子についていけばきっと面白いことが起きるだろうって予感を抱いている。そんな殺意と裏腹にこの子は明るく振る舞っている。

殺し屋だというのならば、その対象を追いかけて息の根を止めることに全身全霊をかけているのだろうか? 藪を突いたら蛇が出るかもしれない。それでも俺は尋ねてみたくなった。そうせざるを得なかった。

 

「椿は……いまは誰を狙っているんだ?」

「まさか本当に殺し屋だと思っているのでござるか!」

「は? 違うの? そう言ったじゃんか」

「あれは驚かそうと思ってついたデマカセにござるよ。嘘にござる」

「なんだ嘘かよー、嘘をついたら口からどんな味がした?」

「ベル殿があまり動じていないから信じていなかったと思ったのでござるが、こうして驚いているのを見ると楽しいものにござるな」

「あのなあ、あのですねえ。喋られないんだったら別にいいんだけどさ、俺も椿のことを少しは知りたいなとか思うわけだ。話せないんだったらそれでいいけど」

 

 喋られないわけではないでござるよ。椿は懐から小さな武器――先に床に置いたものよりも小さい投げナイフのようなもの――を取り出しては床に置くのを繰り返して続ける。

 

「拙者は椿。斑鳩椿にござる」

「いかるがってのも名前か?」

「左様にござる。斑鳩というのは拙者が暮らしていた里にいた者すべてが名乗っていた名で……皆が『斑鳩の者』と名乗り、呼ばれていた。その里は斑鳩の里というのでござる。世にはびこる悪を斬るための技を磨き、世のために尽力する――あの里に生まれた者は例外なくその使命を帯び、死ぬまで戦い続けるのでござる」

「なるほど、初めて聞いたな。斑鳩の里か……」

「だが……いまから三年前に斑鳩の里は滅びたのでござる。里の者は幕府に仕えて悪を斬ることを負っているが、一年に一度だけある儀式のために国中に散っていった者たちが里に戻るのでござるよ。そこを……そこを、物の怪にやられたのでござる」

「物の怪っつーとバケモンか」

 

 椿は静かに頷き返すが、表情は怒りと悲しみの入り交じった、近づきがたい印象をしている。それでも彼女はちょっと笑っていたように見える。

 

「バケモン……左様にござるな、あれは人ではない。あれは人ではない……狸の物の怪にござった。あやかしのもの、妖怪にござる」

「たぬき? ようかい?」

「里の者は決して弱くはない。それどころか一度に十人を相手取れるほどの強者ばかりにござる。それをやつは爪の一振りで軽く屠り、対峙した者を化かして自害させ……あの時の光景は今でも焼きついていてもう離れないのでござる。特に化かされ、目を虚ろにして自害した父上と母上の姿は、忘れたくても忘れられはしない……」

「あー、そりゃあ……ってーと、椿の旅は狸のバケモンをぶっ殺すことなんだな?」

「道をゆく中で悪と出会うことがあれば斬ることも付け加えるでござるよ。……斑鳩の里が一夜にして崩壊したことはもうこの国のものであれば誰もが知っていることにござる。知らないというのなら、ベルどのは本当に旅人なのでござるな。この国ではない遠い何処かからやってきた、旅人なのでござるな」

「ああ、そうなんだよ」

「……世の中では斑鳩の者は滅んだとされている。だからベルどの、他の誰にも拙者が斑鳩の者であると教えないでほしいでござる」

 

 分かった、とだけ返した。教えるなと言うなら最初から話さなければよかったのかもしれない。でも椿はそうしなかった。できなかった、が正しいのかもしれない。嘘をつくのが絶望的に下手とか、そんな人種なのかもしれない。

 

「あのさ、しばらく椿についていっていいかな」

「ついていく?」

「危ないことをしようとしている女の子をひとり放っといて旅を続けられるほど神経が図太くねえんだよ。だからついていく。ずっと山道を歩くわけじゃないんだろ、どっかの町とか目指しているはずだよな? 殺しに行くったってそいつがいる場所はまだ遠いだろ?」

「確かにあやつがどこにいるかは分からぬし、町では情報を集めるつもりでござるが……わかった、ベル殿がついてくれるのなら一人旅の寂しさも忘れられるでござろう。今日はここで一夜を明かすでござるよ。明日からよろしくお願いするでござる」

 

 小屋には人の気配はないし、実際に俺たち以外に誰もいない。それでも布団とかはしまってあった。ここは誰もが使える、使っても良い、そういう場所なのかもしれない。

 雨の音が小さく聞こえる中で椿は静かな寝息をたてて眠りについた。彼女は手早く二人分の布団を用意してくれたが、もしかすると疲れから早く眠りたいことの裏返しなのかもしれない。

 暗い殺意を抱いた、でもそれを表に出さず明るく振る舞う少女。人が死ぬのを見るのは長く旅をしていて見慣れている。目の前で首が真後ろを向くのは今日が初めてだが、首から上が飛ぶとか、穴に落ちて死ぬとか、後ろから刺されるとか、そういうのはこれまでに何度も見てきた。だからなのか、冗談でも殺し屋と名乗った少女に対してあまり恐怖していない。不謹慎だとも思わない。ああでも、旅に出る前の自分はどう思うのだろう?

 

 

 

 

 

 

「この道をまっすぐ行けば町に出るはずにござるが――昨日、言いそびれていたことがあったのでござるよ」

「なんだ?」

「昨日に山賊に会ったでござろう。このあたりの村や町を荒らしている山賊共を先に成敗してくれようと思っていたのでござる」

「ふうん……俺もついていこう。大丈夫だ、自分の身は自分で守れるさ」

「その全身鎧であれば簡単に傷をつけるなど出来っこないでござるな。だが気をつけてほしいでござるよ。奴らは残忍にして冷酷。一つの村が焼かれたとまで聞いているでござる……なんとしても、奴らを討たねば」

 

 小屋の片付けをした俺たちは山道に戻る。

 外はすっかり晴れていて、青空にはかわいらしく膨らんだ雲が流れている。木々の葉には雨粒がまだ残っていて、それを小さな虫が飲んでいた。

 椿が前を歩いて俺があとに続く。昨日に外していた武器を身に着けた彼女は、しかし黒い外套のせいで武装していることを全く悟らせないように見えた。

 

「今から出れば夕方には着くでござろう。そして……それまでの間に山賊に会うことになるはずでござる」

「どうしてだ?」

「奴らは人を襲って盗むのでござるよ、道を見張らぬ道理がないでござる」

「なるほどな。奴らの仕事はそれだし怠ける理由がないよな」

 

 道行く人を襲い、金品を奪う。これほど楽な商売があるだろうか。

 実行難易度も易しい。道に潜んで通行人を選り好みできる。強そうな奴が旅をしているのなら無視していいし、弱そうなやつが――特に丸腰の奴――目の前を通りがかれば格好の獲物、ということになる。そして椿はパッと見じゃ丸腰のように見えるときた。山賊がのこのこ出てくるのなら椿にとって格好の獲物になるだろう。

 要は魚釣りと同じだ。じっと待つという点ではとても似ている、と思う。断定できないのはどっちもやったことがないからだ。

 

 

 

 

 

 

 俺の予想が少し外れた出来事が起きた。

 斧や刀を手にした山賊が山道の藪や木々の影から出てきたのは良い。でもそれは不意打ちをするためのものではない。

 なにかに怯えているのは明白だった。薄汚い格好をした三人組。彼らは息も絶え絶えに、こちらには気づかずに真っ直ぐ進む。そこで道を塞ぐように椿が前に出た。俺の目にも見えない程の踏み込みと抜刀。抜いたのは背骨に沿って背負うまっすぐの形をした刀だ。

 

「ひえっ!!」

「お前ら、ここの山賊だな?」

「黙れえぇどけぇ!!」

 

 一番大柄な山賊の男が椿――人懐こそうな印象が幻のように消えている――を押しのけようとするが、彼女が放った回し蹴りをアバラに喰らって横に吹き飛んだ。

 

「なんだこのアマァ!?」

「マズいよ兄貴、こいつも妖怪かもしれねえ」

「ざけんな畜生……あの狸野郎に続いてわけの分かんねえ人外だと!」

 

 どうやら狸の妖怪とやらに出くわし、怯えて逃げ出したらしい。待てよ、狸の妖怪っていえば椿の故郷を襲ったやつじゃないか?

 椿もそこにピンときたらしく、兄貴と呼ばれた中背の山賊の首を掴んで持ち上げた。兄貴と呼んだ背の小さな山賊の怯え具合がさらに深まったのはきっと椿の表情が険しいからだろう。

 

「狸の妖怪と言ったな?」

「ああ、言ったよ! それがどうしたってんだ!!」

「名前は? 奴は名を名乗ったのか?」

「刀提笠風とか言ってたぜ、ぐげっ、苦しい……」

「かたなさげ、かさかぜ……間違いない、奴であったか」

「なあ嬢ちゃんや俺は喋ったぞ、ちゃんと話したじゃねえか! なあ、その手を離してくれよ! おい!!」

 

 兄貴と呼ばれた山賊の懇願は急に止まった。椿が握る刀が山賊の胴を滑らかに貫いている。椿の黒の外套は返り血を浴びてさらに黒くなったように見えた。もしかするとあの黒色は返り血で染め上げたものなのかもしれない。

 目の前の殺人をそんなふうに見ていると、兄貴と呼んだ山賊が死んだのを直視した背の低い山賊が絶叫しながら刀を構えている。手も足もなにもかもを震えさせながら、興味をなくしたかのように死体を道の真ん中に投げ捨てた椿を殺そうとしていた。

 

「お前、そんなに早く死にたいのか?」

「あんた……あんた、いったい何者なんだよ!!」

「世に悪を成す者を斬る。それが人であろうと、そうでなかろうと」

「なっ……なんだってんだよこいつ! おい、おい! そこの鎧の奴! 俺を助けてくれ!!」

 

 俺の方に駆け寄りながら背の小さい山賊が泣き出している。もしかするとこいつは荒事の経験が少ないのかもしれない。命の危険を前に泣き出す山賊やら盗賊やらを俺は見たことがない。

 実に人間味のあるやつだと素直に思った。だから俺は助けないことにした。人間味がどうこうというのが理由じゃない。ここで山賊を見逃す理由がどこにもない。

 

「頼むよなあ、もう絶対に悪いことしないって誓う、誓うから! 誓います!!」

「いやーごめんな。そういう気分じゃねえんだ。ホントにごめんな」

 

 いつからこいつは俺が助けてくれると信じていたんだろうか。裏切られたような顔をした直後に俺に斬りかかってきた。椿を狙わなかった理由は分かるが、ここは逃げ出すのが正解だろうに。

 山賊の刀を白刃取り。そのままひねって刀を折る。同時に山賊がこの世の終わりのような顔をしていたが知ったこっちゃない。折った刀身を後ろに投げ捨てた直後に椿が背の小さい山賊の首を刎ねていた。

 

「そんな……なんてこった、頼む、おらも殺さねえでくれ……」

 

 椿が最初に蹴り飛ばした長身の山賊が土下座して懇願する。いや、だから、それは不正解の行動だ。尻尾巻いて逃げるのが最良の答えだが、人間、極限状態に陥ると頭がうまく回らないのかもしれない。

 背の小さな山賊の返り血を浴びながら、椿は最後の山賊の元へ歩み寄る。

 

「死にたくないというのなら」

「ひっ」

「答えてもらおう。この山にいる山賊はお前たちで全部か?」

「ひっ……へ?」

「この山の山賊は残り何人いるんだ?」

「おおお、おらだけだぁ! たくさん狸の妖怪にやられて、そこであんたが二人もやっちまったんだぁ!」

「そうか、安心した」

 

 本当にそう思っているように椿が言ったのが聞こえた直後、顔を上げていた長身の盗賊の首がとんだ。俺の足元にゴロゴロと血まみれの頭が転がってくる。深い絶望と恐怖を宿して苦痛に歪んだ顔面。あまり直視したいものではない。

 容赦のない椿の殺戮。刀を振って血を飛ばして納刀。斑鳩の里とやらで彼女は殺しの技術を骨の髄まで身に着けていたのだとはっきりわかった。

 

「奴らが逃げ込んできたところとこの道が続くところは同じにござるな。ベルどの、先を進むでござるよ」

「わかった。しっかし容赦なく殺したな」

「奴らは悪であるが故、致し方なし。……この宝刀を背負っておいて悪を斬らないのは、初代様に申し訳が立たないでござる」

 

 それだけ言って椿は前を進む。道に沿って歩くのではなく、山賊たちが出てきた方へ歩みを進めていた。

 考えてみれば山賊たちは狸の妖怪と戦い、多くの損害を出してたった三人が敗走していた。パニック状態にあった奴らは早く遠くに行きたいとか逃れたいとか考えているはずだから、道に沿って走るよりも直線距離で短いルートを選んだのだろう。そして椿は藪の深いところについた痕跡を辿って狸の妖怪に近づこうとしているらしい。

この先どうなるんだろう。俺が死にそうになったところで「魔法」を使えばなんてことはないんだが、どうしても椿がどうなるかは見届けておきたい。人間を、それもたくさんの人間を簡単に殺してしまう「狸の妖怪」とやらもこの目で見ておきたい。きっと楽しいことになるだろうし、もしそうなるなら俺は見届けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 山道から外れてしばらく歩くと、やや遠くに村が見えた。古い造りの家屋が並び、畑も広く伸びている。

 思っていたよりも早く着いた。まだ太陽が真上を陣取っている。山道に合流した俺と椿は村を訪れることにした。

 

「おそらく」

 

 ふいに椿が口を開く。なんだ、と返すとため息混じりに彼女が続ける。

 

「ここに狸の妖怪……刀提笠風がいるはずにござる」

「この村を拠点にしているってことか?」

「それもあるとは思うでござるが、妙な気配を感じるのでござる」

「第六感ってやつだな」

「盗賊たちは……ここのものを略奪しようとしていたのかもしれない。そこに笠風が居合わせて争いになった、いや、争いにすらなっていない一方的な殺戮があったと思うのでござる。ベルどの、慎重に」

「ああ。わかった、椿も気をつけてくれ」

 

 頷き返した椿は村の門をくぐる。僅かに血の匂いが残っていて、確かにここで戦いが――いや、戦いにすらなっていないことが起きた。山賊たちの死体は見つからないが、笠風という狸の妖怪が喰ったか埋めたかしているのだろう。

 あっ、と椿が足を止めた。ゆっくり彼女の隣に立つと俺も足を止めてしまう。

 別にそこらに山賊の死体が転がっているとかじゃない。それだったら血の匂いはもっと濃いはずだ。俺たちが見ているのは「子供たちが元気に遊んでいる光景」だ。

 

 たぶん十分前くらいには山賊たちが殺されていたはずの場所の近くで? 子供たちが? 遊んでいる? 追いかけっこをして?

 意味の分からない状況。それは椿も同じなのだろう、驚いているのを隠すことすらしていない。お互いにそんなんだから後ろから誰か近づいているのに気づくのが遅れた。

 

「こんにちは」

 

 爽やかな男の声だった。はっとして動きを止めた椿は、しかし目にも留まらぬ一瞬の動きで背骨に沿う形で背負っている真っ直ぐの刀――椿がいうところの宝刀――を抜いて斬りかかっている。

 このままじゃ俺が返り血を浴びることになるだろう。ところがそうなってはいない。虫をつまむかのような所作で背後に立っていた男は椿の攻撃を防いでいる。

彼女の宝刀をつまんで無力化している。そのことに俺が気づいたのが早いのか、椿が男を蹴り飛ばしたのが早いのか、俺にはわからなかった。

この男が笠風という狸の妖怪なのか? ケツから尻尾みたいなのが見えている。素直に人間らしい容姿には思えない。

 

「子供の前でやりあいたくはない」

「妖怪風情が人間らしいことを言うな! あの子らの保護者のつもりか!?」

「そうだ。今は僕が保護者だ。あの子たちの家族はみんな山賊にやられた。今日襲ってきた奴らじゃない。それよりもずっと前にこの村は襲われていたんだ」

「知るか。私はお前を殺しに来た。だがひとつだけ意見が合ったな。殺るのは村の外れだ」

 

 椿はまたも一瞬で納刀すると風のように走り出した。もう人間が出せる速さではない。なんかの世界大会に出たらぶっちぎりで一位をとれるだろう。笠風も楽々とついていく。実は俺もなんとかついていっている。俺? 魔法を使っているからな。

 

 

 

 

 

 

 村から離れた山道で椿は踵を返すと有無を言わせず笠風に斬りかかった。同時に、見えない速さで両腿に備えていた短刀を投げつけていたらしいが、笠風はくるりと回転して避けてしまう。その回転のせいで暴風が短く巻き上がり、椿はわずかにふっとばされる。

 

「君は人間のはずだ。だがその動き、あの里の誰よりも鋭く洗練されている」

「お前を探すまでの時間はすべて鍛錬にあてていた。お前を殺せない道理があると思うか? だとしたらとんだうつけ者だな」

「もう君の動きは人間を超越している。そして……精神さえも。もっとも、精神はその刀が高めて守っているようだ。さっきから僕の術が効かない」

「お前の言いなりになって死ぬと思うか? ふざけるな!」

 

 瞬く間に五回も刀を振るう椿。そうしながら両腿の短刀を一振り投げつけて攻めの幅を広げているが、笠風はそのどれにもかすってすらいない。

 その一瞬の攻防で椿の蹴りが笠風を捉える。吹き飛ばした笠風を両腿の短刀二振り投げて追撃。短刀は残り二振りのはずだ。

 吹っ飛ばされている笠風は迫る短刀二振りを蹴り飛ばし、そこが椿のつけいる隙となった。ようやく一撃ぶちこんだ椿は全く嬉しそうではなかった。傷が浅いらしく、吹き飛ばされつつ斬りつけられた笠風は少し苦しそうに立ち上がっただけだった。

 

「あのときのことを許せとは言わない。君は僕を殺すだけの力があるってわかった。でも、あの子供たちには僕しかいないんだよ」

「お前を殺せば子供たちが悲しむと? ふざけるな、お前は私の里の者を、家族や仲間も友人も……ひとり残らず殺したじゃないか!」

「そうだ。強いものが弱いものを搾取する。殺し、奪い、糧を得る。それが自然の掟だ。だから僕は大きな力を求めたし、力の証を手に入れなければならなかった。その過程が君の里を襲った理由だ」

 

 椿の顔が怒りに歪む。もはや年頃の女の子がしていい表情ではない。まるで怪物。人間の顔ではない。これを人間というなら何かが破綻してイカれちまっているに違いない。いや、ためらいもなく惨殺が出来る時点でイカれているか。

 

「そうして僕は糧のために旅を続けていた。そうしていたある日、僕はこの村に目をつけた。幸せそうに日常を過ごす村人たち……彼らを襲えばしばらくは食べるのに困らないはずだった。でも僕よりも先に手を出した奴らがいた」

「山賊と言ったな。今日のとは違う者だと」

「奴らは村に火をつけ、逃げ惑う村人たちを惨殺した。その光景は自然の掟に沿っていて僕はそれを肯定しないといけなかった。強奪を是とする立場にいるんだから。でも……僕の心に湧いた感情は賛同や喜びなんかじゃない。混じり気のない怒りだった」

「なんだと?」

「同族嫌悪ってやつなのかもしれない。何故かわからないけど、あの山賊たちを浅ましいと思ったんだ。同時に同じ生き方をしていた僕も浅ましいって。気がついたら村を襲っていた山賊たちは全員死んでいた。僕が殺していた」

「……村人はどうなっていた?」

「全員が死んだように見えた。僕が山賊を殺すよりも山賊が村人を殺すのが早かった。でも村人たちは子供たちを地下室に隠していた。なんの音もなくなって出てきたところを僕が見つけた」

「子供たちにはなんと伝えた?」

「君たちのお父さんやお母さんは全員死んでしまったと。通りがかりの僕は山賊が略奪をするのを止めたと。そして子供たちが成長するまでは僕が保護者になることを宣言した」

「お前の素性は子供たちになんと伝えたのだと訊いたのだ!」

 

 びょう、と刀を振って椿が声を荒げる。下手なことを言えばすぐに斬り殺す勢いだが、そうはしないだろうと俺は思った。まだ理性はある。理性がないのなら椿は狂乱して滅多刺しにしていることだろう。

 

「狸の妖怪であると伝えた」

「妖怪だとばらしたと? 自分は人の敵であると? 人を喰らい糧にする者であると? 子供たちにばらしたと?」

「そうだ。君が思うように、子供たちは僕を恐れていた。家にあった包丁や武器を持ち出して向けられたさ。でも長い時間をかけて接して、僕たちはやっと仲良くなれたんだ」

「仲良くだと? 人間とそうでない者が? 仲良く? 犬や猫を飼うとかいうのとはわけが違うんだぞ!」

 

 ゆっくりと刀を構え直す椿。対する笠風はなにも抵抗する気がないらしく、力なく体をぶらりとさせていた。

 

「……僕は君の家族や友人、仲間をすべて奪ってしまった。取り返しのつかないことだといまは思う。だからここで殺されて文句を言う筋合いはない」

「ああ、だろうな」

「だから選んでくれ。こんなことを言うのはおこがましいが、言わせてくれ。君に選んでほしいんだ。僕を殺すか、殺さないかを」

「言われなくても――」

 

 首を狙って構える椿は、しかし頭を抑えてあとずさった。

額から血が流れている。笠風が行動を起こした様子はない。

 その笠風の後ろに小さな影があった。子供だ。村で遊んでいた子供のひとりだ。それを認めた頃には椿に残りの子供たちが群がり、笠風から遠ざけようとしていた。誰も彼もがきれいな目をしていて、強い決意を感じさせた。

 

「笠風にいちゃんから離れろ!」

「やめろ!」

「なんだって殺そうとするんだよ!」

「人殺し!」

「やめろ!」

「その刀を離せ!」

「殺さないで!」

 

 椿の膂力の前では子供たちの抵抗など無にも等しいはずだ。そして椿は無抵抗の人間をなんのためらいもなく殺せる非情さを持っている。

 もっと正しく言うなら、悪党であれば無抵抗の人間をためらわずに殺せる、が妥当だろう。世の中の悪いやつを倒すのが斑鳩の里の人々が持っていた使命とかそういうもののはずだった。

 だから椿は容赦なく笠風を殺すものだと思った。昨日に見た底の知れない殺意は本物だった。だが――椿は一歩も動かないでいる。上段に刀を構えながら、一歩も動かない。子供たちが大声で椿に静止を呼びかけ、押しとどめ、笠風の側にいる子供たちは彼を逃そうとするが、当の笠風は一歩も動く様子がない。

 

 笠風は選ばせている――俺はそう直感した。選ばせる。殺すか、生かすか。生殺与奪の一切を椿に委ねたのだ。

 歯を食いしばって椿は一歩前に出る。笠風の首に届くまであと三歩。子供たちの呼びかけがよりいっそう大きくなる。

 唸り声をあげて椿は一歩前に出る。笠風の首に届くまであと二歩。子供たちはさらに大きな声で呼びかける。

 

 椿が葛藤しているのは俺にも分かった。一族の仇、家族や仲間の仇。そう思っていた奴が改心しているらしいのがわかり、実際にそうなっているのを認めざるを得ないからだ。

 笠風の術にかかって自殺させられた人間は目が虚ろになると椿は言った。だが子供たちは例外なくきれいな目をしている。必死に敬愛する者を守ろうとしている。

 だから椿は迷っている。自分の仇を討つか、討たないか。どちらも正しい選択だろう。すべてを失った、奪っていった仇が目の前にいる。刃を向けているのなら振らないほうが、銃を向けているのならトリガーを引かないほうがおかしい。だが、いまの笠風を殺す道理は以前に比べて薄れている。

 

 うんと時間をかけて椿は一歩前に出る。顔は真っ赤で、涙でくしゃくしゃで、意味不明の喚き声をあげている。軽々と振るっていた刀を重々しく構え、かなり荒く大きく息をしている。

 椿は決断しなければならない。決意に満ちた決断を。

 

 

 

 

 

 

 森に響き渡る絶叫。

 それは椿のものだった。

 人間らしさのない獣のような咆哮だった。人が出し得ないような圧があった。

 彼女は刀を下に向けて突き刺している。

その切先に笠風の体はなかった。

 

 

 

 

 

 

「どうして笠風を殺さなかったんだ?」

 

 あれから村を後にして、俺と椿はその先の道を歩いている。山も降りているし、森も大自然の様相を少しずつ失っている。別の町が近いと椿は教えてくれた。

 泣き続けていた椿も落ち着きを取り戻していて、俺の問いかけにも余裕を持って応えられるように見えた。

 

「……奴はもう悪人ではのうござる」

「それが理由?」

「左様。……これでよいのでござる。拙者は間違ったことをしたつもりはござらぬ。たぶん斬っていたとしても同じことを言うと思うでござるが」

「そりゃそうさ。あの時の椿は決意に満ちた選択をしたんだからな。正解なんてものはないし、不正解なものもない。なあ椿、いまの椿はとても良い顔をしているよ」

「そんな! さっきまでずっと泣いていて、もう真っ赤で真っ赤で――」

「殺意に満ちた暗い顔より、決意に満ちたきれいな方が良いに決まってんだろ?」

「――うん、左様にござるな」

 

 照れているのを隠さずに椿は笑った。心の底から笑ってくれたのだと思う。

 極限状態からの選択は椿に決意をもたらした。おれが見たかったものはまさに目の前で起きた。これは旅の土産話で絶対に外せないやつになる。

 

「これから椿はどうするんだ?」

「これから、にござるか。悪党退治を続けるでござるよ」

「斑鳩の者として?」

「いいや。拙者は拙者として……ただの椿として生きるでござる。一族の仇を見逃してしまったでござるからな」

 

 困ったように笑いながら――もしかしたら泣くのをこらえているのかもしれない――椿は前を歩く。俺はその後に続く。

 もう椿と旅を続ける理由はない。その理由はひとつしかない。椿が決意を抱いたからだ。決意に満ちた決断をした瞬間をこの目で捉えたからだ。

 彼女とは友達でいたいと思った。あの場で仇を見逃す選択ができる奴はそうそういない。それに椿はその瞬間まで仇討ちに強くこだわっていた。それでも椿は笠風を見逃した。

 決して平和主義者なんかじゃないだろう。これからも旅の途中で悪党を見つけたのなら俺が見たように容赦なく刀を振るって殺し尽くすに違いない。そうだとしても俺は椿と友人としてそばにいたいと思った。

 だが俺の事情がそうさせない。俺は「旅」をしなければならない。俺は「決意を抱く人々」を見つけ続けないといけない。……ずっと友人としてそばにいたいと思った人間は椿が初めてではない。

 

「ベルどの! 町が見えましたぞ!」

「あれか。結構大きいんだな」

「町の宿屋で今日は一泊にござるな。せっかくだから豪勢に食べ飲みと洒落込みましょうぞ!」

「そうだな! よし、今日は楽しくやろうぜ!」

 

 椿が軽い駆け足で先を行き、俺が後を追う。地平線にはいくつかの煙を上げている集落が見える。そこそこ大きいみたいで、人間社会らしさを感じさせた。

……椿には悪いが、夜に書き置きを残して去らなければならない。俺には俺の旅をする目的がある。そうしなければならない事情がある。すまない。許してくれ。

 

 

 

 

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