瞬間最大風速 作:ROUTE
辺りが暗くなり始めた暮れ時に、青道ナインは帰ってきた。
泥と土埃と汗を含んだユニフォームのまま玄関に上がり、ひとまずと荷物を置いた御幸は、既に風呂に入っていた二人に声を掛けた。
「勝ったぞ。これでベスト16だ」
「よかったね。おめでとう」
「おめでとうございます!」
智巳の肩は何ともなかった。
医師から何で来たの?違和感でもあったの?と言われるほど、何ともなかった。
『筋肉の鎧で脆さをカバー〜打者と己を制圧するピッチング〜』なる御幸発の謎のプランに(一応トレーナーや医師と相談し、意見をもらって作ったらしい)従っただけあり、いい感じに進んでいるらしい。
「おいおい、素っ気ないな。俺はこれでも3打点を上げたんだぜ?」
「やっぱり、得点圏には強いんですね」
「得点圏でしか打てないけどな」
空気の読める東条のフォローを牽制で殺し、智巳はへの字の口のまま御幸を見た。
「何も無かったぞ、肩も肘も」
「まあ、何かあってからでは遅いからな」
全く反省していないどころか、よかったよかったと笑っている態度を除けばぐうの音も出ない正論を喰らい、智巳は黙った。
エースとして全試合、チームとともに居られないのはどうかと思う一方で、御幸の心配を有り難くも思っている。
それに、ただ心配しているだけなら一言で押し切れるが、実際にこれをどうすれば怪我の防止になるかをちゃんと調べ、わざわざ専門家に聴きに行ったりと、その努力を知っているだけにそう軽々とは早とちりを責められない。
「その通りだが、少しはこちらの感想も加味しろと言っている」
「でもお前、チームに必要だと思ったら無理してでも投げるだろ?」
「ここぞという時に勝ってこその、エースだと俺は思っている。必要だと言われて、個人の事情で断りはしない」
「まあ、そこが全く信用できないんだよ。わかるだろ?」
まあ、智巳としてもわからなくもない。
御幸の要望のコンセプトは持続で、自分の目標は持続よりも思いに応えられるかに重きをおいている。
そこの、価値観の差だった。
「無理をするなとは、言えないよ。俺はお前じゃねえからな。だけど、これからもあるんだから程々にしろってことだ」
「大学か」
一瞬の、沈黙。
その後に結構重要な話だな、と思って黙っていた東条が思わずといった様子で驚きを言葉にした。
「智さん、プロに行かれないんですか!?」
「故障しやすい投手を、人は地雷と呼ぶ。つまりはまあ俺のことだけれども、地雷を指名しようと思うスカウトは居ないだろ。そういうことだ。行かないんじゃなくて、行けない」
「……ああ、うん、そうね」
適当に御幸が相槌を打ち、東条の耳元で囁いた。
(あいつ、自分に足りない物を高く見る質でさ。まあ、無事是名馬と言うけど、そんなこと言ったら殆どの選手が、なぁ)
(ヤクルトスワローズとか、最近すごいことになってますもんね。
因みにどこが来てる、とかあるんですか?)
(シニア国際試合でやけに調子が良くて完封マシンと化してたから、そこらへんも一応は。国内でも結構。あ、俺も結構見られてるっぽい……かな。でもまあ、まだ話しかけられたりはしてない)
基本的にペアで行動しているから、正直どちらがどちらか、というのはわからない。
だが、今でも明らかにそれっぽい観客が居るのは確かだった。
「まあ、そんなことはどうでもいい。東条は、練習はどうだった?」
「はい、なんとか付いていけてます」
御幸の問いに、東条が答える。
最初、片岡監督は徹底的に基礎を仕込む。如何にシニア時代の猛者とはいえ、高校野球では通用しないことがままある為であり、体力をつけて怪我を防ぐ為でもある。
そう考えると、一年生でスタメンは希少だと言えた。単純に、二年か一年の差を才能と努力で超えなければならないのだから。
「最初はキツイが、徐々に慣れる―――と、丹波さんが言っていた。頑張れ」
丹波さん、優しい。智巳に対する姿勢を見ればわかるが、彼は強面だが、面倒見のいい先輩を目指していたのである。
大人気ないところは変わらなかったようだが。
「先輩方はどうでした?」
「俺は練習終わった後ロードワークしていたぞ。はい、御幸」
「俺も割りと余裕あったな。練習終わった後配球の組み立てとトスバッティングをしてた」
はい、化け物。
初日だけに、軽めの練習。しかしそれが軽めだということを事前に聴かされている東条としては、戦慄すら覚える量だった。
「っと、じゃあ風呂に入ってくるわ」
「混む前にササッと入って戻ってこいよ」
「はいよ」
トスされた風呂用具一式を空中で掴み、玄関に立ったまま話していた御幸はスパイクからサンダルに履き替えて部屋を出ていった。
暫くして、智巳が声を微かに小さくして東条に話しかける。
どうやら、御幸には聴かせたくなかったらしい。
「正直なところ、投手は合宿以外は比較的野手よりマシだぞ」
「そうなんですか」
「まあ、自分でやらなきゃ一つ頭抜けられないし、それをやるにしても捕手を確保しなきゃうまいこといかないって言う欠点はあるけども、楽だ」
ネットスローもいいし、シャドーピッチングもいい。しかし、やはり他人に受けてもらうほど為になることはない。
「自分の球を取れるように、自分の意思が伝わるように、自分の強みを活かせるように。積極的にコミュニケーションをとっていけ」
捕手も人である以上、馴染みのある人間からの頼みを優先する。
どちらが受けていて楽しいか、どちらが受けていて勝てそうか。
配球を組み立てるのも、一瞬では済まない。投手の持つ球種を把握し、時間をかければ組めるには組めるが、経験値を積めば積むほど精錬されていくことは間違いない。
「俺の強さは、4割は御幸のお陰だ」
「あと6割は何なんですか?」
「3割は野手陣、3割は実力。
ちまたでリードは結果論とか、打たれたら捕手が悪いとか言われているのは、知っているだろうが」
ここで少し辺りを見回し、少し玄関から外に出て御幸の不在を確認し、智巳は改めて胡座をかいて話し出した。
「俺は、そう思ったことはない。納得して投げている。あいつの選んだ最善を信じているから、結果論とかリードが悪いとかは思ったことがない。他人の所為にするのは、格好悪いしな」
「正直に言わせていただくと、そこまで信じられたことはないです」
指示された球種はどうなのか。こうしたら打たれなかったのではないか。
渾身の球が打たれた時に、そう思わないと言ったら嘘になる。
「打たれたのはあくまで、投手が投げた球。そこで他人の所為にするかしないかで、次の道が見えてくる」
「……一球一球、納得して投げろと」
「そうだ。一球に泣くスポーツだから、一球は大事にしなければならない。イマイチ付き合いの浅い捕手でも、こういう場合はどうするか、それを予め考えて、事前によく話し合う。それだけで大分変わると思うぞ。
そしていつか、その最善を超えてやれ。超えた時、エースへの道の更に一歩進んだことになる」
実感と、少しの回顧とともに、智巳は言っていた。
捕手から投手に転向しただけに、投手であると言う意識が薄かっただけに、エースへの道に至り、進むまでには色々苦難があったのだろう。
そのエースの言葉を、東条は一言一句聞き漏らすことなく刻み込んでいた。
「御幸は、いい捕手だ。所謂天才って奴だろう。だから、俺も結構付いていくのに必死なんだ。あいつの要求を踏まえて、その上を行くってのはな」
最後に一言だけ、エースとしてではなく私人として漏らした言葉を、東条はしっかり聴いていた。
そして、恐らくは御幸一也もそう思っているだろうと予想した。
天才のピッチングに付いていくのが必死。追い越され、取り残されるのではないかと悩み、必死で自分を磨き続けてきたのだろう。
だが、楽しかった筈だ。そこに辛さは無かったから、あれだけ健康に気を使っている。
いつまでも、ベストなバッテリーで居たいから。
「さて、もうすぐ夕食だ。あの風呂入ってるねぼすけの分も運んでおいてやるとしようか」
「手伝います」
この後、東条は御幸を少し呼び止めて質問した。
『智さんとのバッテリーは、どうでしたか』と。
御幸は答えた。
『あいつには言わないけど、結構悩むこともある。出した要求の上を行ってくるから、最善ではなかったんじゃないか、もっと巧く引き出せたんじゃないかと、思うことも少なくない』、と。
しかし、御幸はそれに続けてこう言った。
『でも、楽しい。あの天才を最も巧くリードできるのは俺だ、と言う自負がある。だから秀才なりに頑張ってんのさ』、と。
あなたも天才だと、東条は思う。
そして、この二人は止まらない。才能の果てを定めていないが故に、どちらかが常に進み続けているが故に。
才能を競い合って、最善を競い合って、笑い合って、助け合って、到達する場所はどこなのだろう。
それは恐らく、自分では覗けない場所にあることだろう。
自分の最善を尽くす。
自分の最善を見せる。
必要とされた場面で、まずはそれからはじめよう。
最初は何故この二人と、と思ったが、環境は人を育てるらしい。
少なくとも、東条秀明はこのときに何かを学んだ。そしてそれが活かされるときは、そう遠くない。