瞬間最大風速   作:ROUTE

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青い旋風のように

この世代の青道高校の絶対的エースが智巳ならば、絶対的主柱は結城哲也。打の柱で、不動の四番。

弛まぬ努力で磨かれた才能を持つ、ここぞという時に頼れる怪物クラッチヒッター。それが結城哲也だった。

 

一つ深呼吸をして、バットを掲げるように目の前に上げる。

 

(ここで打つ。それがキャプテンで、四番の仕事だ)

 

反撃ムードを途切れさせない。この雰囲気を作ったエースの為にも。

 

ワンアウト、二塁。塁上には伊佐敷純。脚で掻き回すタイプの打者ではない。

 

(投の怪物が斉藤ならば、打の怪物は間違いなくこの男)

 

チャンスお化けで、チャンス以外では打てない今岡こと、御幸は守備の人。

別に馬鹿にしているわけではなく、単純に彼は打撃面よりもリード・捕球・盗塁阻止など、守備面の方が優れている。

 

(ここを打ち取れば、止まる。打ち取れねば、続く)

 

向井太陽に、逃げる様子は微塵も見られない。

ここは、勝負。岡本監督も、その背中を押していた。

 

(クサいところに投げていく。最悪歩かせても―――)

 

五番はエース、六番はチャンスお化け。

怖い打線である。四番を歩かせても微塵も油断できない。

 

内角低めの逃げ気味スライダー。

ギリギリの球を、結城哲也は一瞥もせずに平然と見逃した。

 

―――ボール!

 

ギリギリの球にもピクリとすら動かないその集中力に、今まで余裕の笑みを崩さなかった向井太陽の顔が厳しい物になった。

 

ゆらゆらと、陽炎のように立ち昇る気。

強打者特有の威圧感が、向井太陽から余裕を奪っていく。

 

シニアからのエースとは言え、まだ高校野球では新人。このような怪物との対戦経験も浅い。

二年違えばレベルが違う。高校野球での最強がプロに通用するとは限らないように、シニアの最強が高校野球に通用するとは限らない。

 

(太陽、逃げてもいい。だが、甘い球は投げるな)

 

ここに、来い。

大きなミットを、構え直す。

 

この怪物を倒すには、一人では足らない。二人でやっと勝ち目が出る。

 

低め、スクリュー。

ストライクゾーンギリギリいっぱい。

これを、結城哲也は見逃した。

 

ワンストライク、ワンボール。

 

ここに来て、変化球が多くなってきている。

何も、この打者の威圧感に呑まれているのはエースだけではない。キャッチャーすら、その存在感に圧倒されていた。

 

(……低めは捨て、甘い球を打つ)

 

キャプテンとして、先輩として。

そして何より、誰よりもエースを援護しなければならない四番として。

 

高めに制球された、次の球で打ち取る為の球。

内角ギリギリに、ボールとも取られてもおかしくないインハイの球を、結城哲也は綺麗に捌いた。

 

『打ったぁ、右中間!』

 

当たりが強い。伊佐敷がホームに生還するも、結城哲也は一塁ストップ。

 

だが、ここで踏みとどまるのがエース。

 

フルカウントから斉藤智巳をセカンドゴロゲッツーに仕留め、スリーアウトチェンジ。

 

「すいません、哲さん」

 

「気にするな。またいくらでも打ってやる」

 

ぐっ、と拳を付き出してから守備に向かう結城を見送って、智巳は御幸と配球について相談しながらマウンドに向かう。

 

その去り際。

 

「それにしても、一回に一人で五個アウトカウント稼ぐなんて、中々できることじゃないぜ、智」

 

「次の攻撃をワンアウトからはじまらせるのも、中々できることじゃないよ」

 

いつもの会話を済まして、四回の表。

二人はそれぞれ定位置についた。

 

初球ストレート、空振り。

チェンジアップ、空振り。

ストレート、見逃し三振。

 

初球チェンジアップ、空振り。

スライダー、ファール。

ストレート、見逃し三振。

 

初球縦カーブ、空振り。

ストレート、見逃し。

ストレート、空振り三振。

 

そして、再び青道高校の守りは内野にすら転がらず9球で攻撃に移る。

 

そして先頭バッター、御幸。

 

「もらったぁ!」

 

確信を持って振ったバットは、ボールと5センチくらい離れている。

 

「知ってた」

 

「俺も、薄々だけど知ってた」

 

前の回の攻撃と合わせると二人で仲良くスリーアウトを稼ぎ、二人仲良くベンチへ。

七番白洲がヒットを放つも、樋笠がセカンドゴロゲッツーでチェンジ。

 

「どこかで見たよな、あの光景。具体的に言うと五番の打席あたりで」

 

「すまぬ」

 

そんなこんなでまた攻守が変わり、敵の打者は九番向井太陽。

打者としての向井太陽はそれ程でもない。

観客も七連続三振の九球勝負を期待していたのだが。

 

(あ、抜けてる)

 

カキン、と。バットが鳴った。

明らかに甘い球だった。7回を投げるための力配分の関係上なのだろうが、明らかにカーブのコースが甘い。

 

智巳は、その長身と威圧感で物理的にも精神的にも見下ろして投げる。

 

舐めているわけではないが、『お前にこの球が打てるかよ』と投げるわけで、その匙加減は投手がその場で適当に変えることになるのだ。

 

ここで御幸としては、自分のエースの弱点を再確認せずにはいられない。

ピンチでクリーンナップ。これはまず抑えられる。しかし、ピンチで下位打線。これが予想外の一発を喰らうことが多い。

 

ピンチ補正で力は入れるが、所詮は下位打線だから力を抜こう。その分クリーンナップに注ごう、となるわけで、これはもうどうしようもない。

 

常に全力で投げられると、ペース配分ができていないことになる。

それに、ここぞという時にギアを上げられる投手が、強いのも確かなのだ。

 

向井太陽、ヒットで出塁。

ここで御幸はタイムを取らなかった。次は一番からの好打順。

 

自分が何を言わなくとも、抑えられる。

 

その予想は裏切られることなく、一番小山田をショートフライ、二番多田をセンターフライ、三番内藤を三振に仕留め、スリーアウト。

 

ノーアウトからランナーを出すのは様式美だとしても、3つ取るまではやはり若干不安が残る。

 

「今、向井は何球だ?」

 

「五回裏で、87球。かなり投げさせてるな」

 

実際、6ー4ー3と自動アウト以外の打者はかなり粘って出塁したりゴロを打ったりしている。

 

五回裏の攻撃は、九番坂井が三振でスタート。しかし、一番倉持がやっと出塁。

その快速を誇る脚で掻き回し、二盗からの三盗を決める。

 

その後は小湊が10球粘ってスクイズを決め、2点差。

 

「亮さん、粘りましたね」

 

「あそこまで負けん気が強いと、いじめたくなるんだよね」

 

フフッ、と暗黒微笑を見せた小湊亮介の次の打者は、悪球打ちの伊佐敷純。

クサいところに入った初球をセンターに運び、ヒット。

 

ネクストバッターズサークルに入った智巳に代わって、御幸がふとした疑問を吐いた。

伊佐敷純、絶好調の案件である。

 

「何か、純さん絶好調ですね」

 

「まあ、元々選球眼の無さを反射神経でカバーしてるところあるからね。球筋を見て慣れれば、ああ言う手合いには強いんだよ」

 

悪球打ちなので、少しくらいズレてもその場で無茶苦茶して無理矢理飛ばす。

読み打ちの御幸とは違った意味で、伊佐敷純はストライクゾーンからボールにするような形で精密さを活かすのが売りの投手に強い。

 

一方で、向井太陽は逃げなかった。

誰かと言えば、結城哲也からである。

三度目の対決。今まで二度のヒットを許している。

 

ここで切って、勢いを得る。

その勢いに押された次の味方の反撃で、突き放す。

 

それがベスト。故に敬遠は論外。勝負して三振させるか、打たせて取るか。

 

(……逃げないか)

 

一礼し、打席に入る。

精密機械ばりのコントロール。エースが反撃ムードを作り、完全に敵打線を抑え込まなかったら、大差に焦って攻略できずにずるずると逃げ切られただろう相手。

 

相手にとって不足はない。

本日三度目の勝負を前に、結城はバットを掲げて精神を研ぎ澄ませて構えた。

 

一球目、外角低めのストレート。

大飛球が、レフトスタンドに突き刺さった。

 

ファール。

 

帝東バッテリーは、逃げなかった。青道の四番も、フルスイングでそれに応えた。

 

二球目、内角低めのストレート。

 

詰まった打球が、ライト方向へ。スタンドの壁に当たり、ファール。

 

三球目。

またも内角に、甘い球。

 

(……ボールになるスクリューか)

 

二球続けての、ストレートは無い。空振りを取れるような球ではないから。

 

そう思った結城の思考の裏をかき、その球はそのまま伸びてミットを鳴らした。

 

『青道の四番・結城くん相手に三球勝負!

結城くんはこれで去年の夏の第一打席で成宮くんに奪われて以来の三振になります!』

 

さらっと恐ろしいことを言う実況。

連続無三振記録が途絶えた結城は、少し笑ってから乾に話しかけ、打席を後にした。

 

「いい球だった」

 

だが、次は打つ。

身に纏うオーラが何よりも雄弁にそう言っていた。

 

「哲さんでも、三振することあるんですね」

 

「ああ、完敗だった」

 

その表情に悔しさはなく、闘志のみがある。

―――次は打つ。その気持ちは敵だけでなく、味方にも伝わってきていた。

 

「相手はこれで更に突き放そうとしてくるだろう」

 

つぎの帝東の打者は、四番の乾憲剛。他にも五番板垣、六番馬場園と打力のある面々が続く。

 

「頼むぞ、エース」

 

「期待に応えてこそのエースですよ、キャプテン」

 

何よりも、このチームで敗ける気はしない。

 

悠然として、エースは再びマウンドへ向かった。

 

「フォークを混ぜていくぞ」

 

六回表になって、御幸が伝家の宝刀の解禁を告げた。

ストレートと同じような球速で、スプリットよりも遥かに落ちる魔球。

 

あと四回はフォークを織り交ぜて抑えようと、御幸一也はそう言った。

 

「決めに行くのか?」

 

「まあな。多分これが、敵の最後の攻撃のチャンス。完膚なきまでに叩き潰してやろうぜ」

 

悪い笑み。

それに応じるように、プレートを挟んで斜めに立っていた智巳は鋭く目を御幸に流した。

 

「相変わらず、容赦ないな」

 

「まあな」

 

「でもその叩き潰し方、嫌いじゃない」

 

グラブで口元を隠しているが、恐らく智巳も笑っている。

敵の全力を真っ向から踏み潰してこそ、本当の勝ち。

 

そんな真実の勝ちを求めなくとも良いが、求められるなら求めたい。

 

「三球な」

 

「わかった」

 

ピッ、と。わかりやすくミットをつけていない方の手の指を三本上げて、御幸は改めて三球勝負をするかのように見せかけた。

 

三球勝負といえば、頭に過ぎるのはあの打席だろう。

 

三、四、五、六、七、八まで。全てストレートを最後に三振させた。

計18球の蛮勇。それが、ここに来て活きてくる。

 

『さて、帝東高校の攻撃。打席には四番バッターが入ります。ここは青道高校としては抑えたい場面でしょう。

どう抑えてくるでしょうか?』

 

『先程御幸くんが三本指を立ててましたからね。三球勝負で決める腹じゃないでしょうか』

 

『意趣返し、と言ったところでしょうか』

 

『そうですね。それが難しいだけに、これが決まれば大きいですよ。反撃の芽をエースが作れば点を取ってくれる青道高校と、はっきり差がつくことになりますから』

 

打席には、乾憲剛。

マウンドには、斉藤智巳。

 

勝負の一球目は、ストレート。

バットにあたって、レフト方向へ。

 

『これは、ファールです』

 

『合わせてきていますね』

 

『二巡目ですからねぇ。いくらストレートがキレていても、対応できないわけではないということでしょう』

 

乾程の打者であれば。

全国レベルの打者であれば、ストレートには二巡目でタイミングを合わせてくる。

そんなことは知っている。

 

御幸としては、ここまでストレートがキレていることが嬉しかった。

そうすれば自然と思考はストレートへの対策に向かう。

 

代名詞となっている、高速フォーク。そちらへの意識が薄れる。

 

『さあ、二球目。縦のカーブを使ってきました。これも、ファールです』

 

『このカーブだけみれば、丹波くんの方がキレているんですよね。カウントを取るための球と、割り切っている感じがあります』

 

『まあ、彼はフォークボーラーですからね。今日はまだ一球も投げていませんが』

 

二球目で追い込み、三球目。

 

頭に過ぎるのは、やはりストレート。手元で伸びる、空振りの取れる直球。

 

配球自体は変わっている。だが、決め球も変えるだろうか。

それほどまでに、今日のストレートは素晴らしいように思える。

 

(……読み打つ)

 

ストレートが来る。そう思って構え、遅い球ならば片手だけでファールにする。

 

そう思って構え、目の前の怪物が振りかぶった。

場を満たすは、圧し潰されそうな威圧感。

 

投げられた球は、速球。

 

(もらった!)

 

140キロ、後半はある。この球速とこのノビで変化球はない。

チェックゾーンは近づくが、曲がりもしないし落ちもしない。

 

ずば抜けた身体能力を駆使してその軌道の上を叩き、空振った。

キャッチャーミットは、遥か下。

 

電光掲示板に、球速が煌々と燦めいていた。

 

《150》

 

捕球を終えた御幸がほっと一息ついて、勝敗が決まったかのような歓声が鳴る。

 

『150キロだぁぁあ!』

 

その日最速は、152キロストレート。

青道高校対帝東高校、12対8。

 

青道高校、五年ぶり八度目となる春季東京大会優勝を果たす。

 

西東京に、青い旋風が吹き荒れた。


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