瞬間最大風速 作:ROUTE
「合格だ。まあ、俺には何の権限もないが、お前はエースに向いてるよ」
沢村栄純は、その言葉に思わず張り詰めたものが切れるのを感じた。
やるのが一番楽しいから、プロ野球も見ていない。シニアやリトルも、高校野球も見ていない。
赤城中学でたった一人の投手として投げてきた沢村は、マウンドに味方が立っているのを見るの自体が珍しい。
そんな彼がはじめて見た、エース。
マウンドに立つエースは勇ましくて、頼りがいがあって、そして何よりかっこよかった。
まあ、少し威圧感が漂っていて怖くもあったが、それでも沢村は心から応援できた。
青道高校のエースになると約束して、故郷の仲間に見送られて、留学してきたこの場所で、自分以外がエースとして立っているところなど心から応援できるとは思えなかった。
それはどこかに仲間たちに対する忸怩たる思いと、自分に対する情けなさが去来するから。
だが、無心に応援できた。
だから、認められたのだ。この人が今のエースなのだと。
尊敬と、対抗心と、憧れと。
そして何よりも、いつかはそこに自分が立ってみせるという投手としてのプライド。
「チーフに追いつけ追い越せ、ガンガン盗ませていただきます!」
「マウンドでの振る舞い、変化球、投手としての心得、知りたいことがわかったならばいつでも聴きに来い」
そう言う智巳には、どこか年長者らしい余裕がある。
だが彼は、大人気ないほど本気である。誰であろうがマウンドは譲らない。
中継ぎエース?二番手エース?
ふざけるな。エースは先発で、ただ一人しかありえない。
自分はそれになるし、それはこれからも変わらない。
エースは、チームの中でただ一人。四番が一人なように、濫用していい言葉ではない。
「まあ、後輩だからと譲る気もないが」
「こっちも、譲られる気は無いッスよ」
奪いますから。
やってみろ。
無言の内に言葉を交わし、智巳はヘルメットと防具をつけて元来た道を引き返す。
「そう言えばお前、監督に謝っておけよ。エースになることはこれから次第だから誰であろうと不可能じゃないけど、前提としてチームに投手として認知されなきゃ無理だぞ」
「そ、それは、それを言ったらおしまいよ、と言うやつでは……」
「おしまいの前にはじまってないだろ」
ぐうの音も出ない正論に黙った沢村を後ろに連れて、智巳は進む。
一年生ピッチャーの球を打ち砕く為に。
「と言うかチーフ、そのバット、前の試合で使ってた奴じゃないでしょう」
「立ち直り早いな、お前。いや、そうだけどね」
黙らされて一分も経っていない。脅威の回復力に仰天である。
「不肖沢村、精神的なタフさが一番の売りだと言われております!」
「ほーん」
そりゃまあ、エースの先輩に向かって、意訳とはいえ『エースになる為の投球以外はいらないッス』と言う奴が、精神的にタフではないわけもない。
「チーフ、めちゃくちゃ適当な反応ですね!」
「お前、周りから騒がしいとか言われない?」
「元気だけが取り柄だとも言われております!」
元気だなぁ、と思う。
ここまでの元気さは、自分にはない。しかし、多分暗い方ではないと思う。
周りの人を見渡してみても、哲さんは無口、亮さんは容赦が無い。東条はおとなしい。
御幸は御幸と言う性格なので、説明を省く。
「チーフはこれから何をなさるのですか?」
「一年生ピッチャーの鼻っ柱を折りに行くのよ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべた智巳に、沢村はビクリと怯んだ。
結構珍しいことである。
「それはこの不肖沢村も―――」
「外野手が何を言っておられるのやら、わかりかねますね」
「敬語!?」
「冗談だ。周りはともかく、俺は投手だと認識しているから、キッチリ折ってやるよ。周りはともかく、俺は投手だと認識しているからな」
ちらりと沢村を見た後、智巳は敢えて視線を外してもう一度言った。
「周りはともかく、な」
「ややや、三回も言われるとはつまり、まず周りを認めさせろ、と!?」
「当たり前だろう。何事も一歩から。練習をキッチリこなし、日々の努力で自分の価値と実力を認めさせろ」
少なくとも俺はそうしてきたぞ、と言う言葉を沢村は律儀にメモにとった。
どうやら、事前に準備していたらしい。
「で、質問に答えよう。これは木製だ」
「金属は使われないのですか?」
「……妙に似合わない敬語だな、お前。まあ、答えは『使う』だ。使うけど、木製でも試してみる。そういうことだ」
なるほど、と納得してみせた沢村が黙り、目的地についた。
Bグラウンド。結構ダラダラと来たおかけで、御幸が下級生をしごいているところを見ることができる。
「沢村、御幸が色々してる間にこれ読んどけよ」
「データッスか」
「そうだ。敵を知って、己を知って、どうするか考える。これが戦いの基本」
「なるほど」
と御幸が言ってました。
サラッと他人の言葉をパクりながら、智巳は遠目に練習風景を見つめる。
Aグラウンドは、活気があった。だが、Bグラウンドの方が活気がある。
Aグラウンドには、切羽詰まった感じはあったが勝とうという気持ちが薄く見えた。
Bグラウンドには、切羽詰まった感じは薄いが、勝とうと言う気持ちはあるように思える。
(どう転ぶかな)
実力では二軍だが、野球というスポーツは実力では測れないところで勝敗が決することもある。
特に一戦だけならば、尚更。
「そう言えば沢村、お前球種は?」
「ストレートだけッス」
「あれ、遠投でカーブ投げたんだろ?」
「いや、あれは何か曲がったと言うか……カーブを投げようとして投げたわけじゃないッス」
ふーん、と。
智巳は少し見直す思いで、隣りでデータをまとめたノートを読んでいる後輩を見た。
御幸をして『面白い球』と言わせしめたことはあるらしい。
「お前、ちょっと見込みあるかもな」
「え、今までは!?」
「メンタルは認めてた。それ以外は未知数だから低く見積もってたけど、お前はポテンシャル自体は高いよ」
予想通りなら、だけど。
結構重要なそのことは言わずに、智巳は自分の右肩を見た。
(御幸が敢えて投手を引っ張っていく時に無視して俺のところに押し付けたってことは、似たりよったりな特徴をしてるってことか)
智巳の場合、肩と手首の関節の可動域がずば抜けている。特に手首。
これが原因で彼は、普通の人間には投げられない理不尽なフォークと、もう一つの変化球を連発できる。らしい。
御幸曰くホークスに似たような投手がいたらしいが、なるほど、フォームは似ていた。
因みに御幸は南海ホークスに好きな選手が居て、それ繋がりでソフトバンクのファンである。
セリーグならばヤクルト、とも言っていた。本物のスライダーを投げる投手が好きで、故障してしまったからもう二度と投げられないらしいが、未だ見返すほどに未練があるらしい。
自分としては、酷使の所為で故障したんだから仕方ないじゃん。恨むなら酷使を恨めよ、と言ったが、酷使した側も好きな選手だったらしい。もう昼ドラである。
本物のスライダーがさぁ、本物のスライダーがさぁ、とうるさいから北川博敏の伝説の瞬間にまでビデオを飛ばしたこと数知れず。隣の実況・解説・ヤジ・観客を一人でこなす捕手がうるさく、未だまともに本物のスライダーは見ていない。
と言うか本物とはなんぞや、と実際見たことがない智巳は思う。彼は楽天―――と言うか近鉄のファンだから。
話は飛んだが、彼としてはスライダーは本人がそう主張すればスライダーだろ、と思わないでもない。
高津臣吾のシンカーはメジャーではサークルチェンジとかチェンジアップとか言われていた。だが、高津臣吾とシンカーだと言えばシンカーだろうと思うし、本物のシンカーではないとも思えない。
上原浩治もスプリットとフォークの違いは投げる時の感覚と言っていた気もする。
稲尾和久のスライダーも実際はカットボールに近く、シュートはツーシームに近かったとか。
要は、言ったもん勝ちだろうと言うのが彼の持論。実際智巳としても高速フォークをスプリットと言われて少し気に食わなかったわけであるし。
閑話休題。
「よし、行くか」
「オッス」
謎の体育会系アピール全部載せな沢村の返事を受け、智巳は二、三回素振りをして歩き出した。
「やることやってきたよな?」
「ぼちぼち」
御幸の色々な意味が隠された言葉を正確に把握した上で、頷く。
沢村栄純(外野手)、投手になる。その第一歩は既に踏み出せたような気もしていた。
「見てみてどうだった?意外とポテンシャル高いだろ、そいつ」
「磨けばな」
わざと周りに聴こえるようにした声量に付き合ってやり、何もわからずにいる沢村に囁く。
「一先ず今は、投手として練習していいってことだ」
「……マジっすか?」
「マージ・マジ・マジーロだよ。ほら、肩作れ。受けてやるから」
果たして今、そのネタがわかる人間は居るのか。
いや、確かに自分たちが十代になるかならないかの子供の頃にやっていたけれども。
「あっ、投手陣は智巳に打ってもらえよ。捕手は狩場な。球審は金丸がやれ。後の打撃陣も見たいなら見ていいぞ」
一年生三人が返事をして、それ用のスペースに移動する。
投手の前には、ライナー防止用のネット。打席には智巳、ホームを守るのは狩場航。
唯一降谷の球を前に落とせると言うことで採用された一年生軍団の正捕手。
素振りをやめて集まりはじめる打撃陣と、どこからともなく嗅ぎつけたのか許可を得て入った大人たち。
スカウトか、或いはOBか、或いは記者か。
観客の目線を集めて、斉藤智巳は打席に立った。