瞬間最大風速 作:ROUTE
関東大会一回戦。
青道高校(西東京)VS横浜港北学園(神奈川)。
打撃力の古豪対、投打が噛み合った強豪という組み合わせ。下馬評はあくまでも横浜港北学園有利と言ったところだった。
なにせ、ここ数年春夏の甲子園に出れていない青道高校に対して、横浜港北学園は激戦区神奈川を勝ち抜いて前回の甲子園にも出た正真正銘の強豪。
5/20日、朝9時。
青道高校からほど近い東東京で、両校は激突した。
『関東大会一回戦、青道高校対横浜港北学園の模様をお伝えしてまいります。
青道高校の先発は、エースの斉藤智くん。横浜港北学園の先発は、エースの一柳くん』
先攻は、青道。
後攻は、横浜港北。
一番バッター倉持が打席に入り、ネクストバッターズサークルには小湊亮介。
相手投手の一柳は、フォークピッチャーである。
低めのフォークをよく見て手を出さないこと。甘いカーブを叩くこと。それが、青道高校の作戦である。
相手の作戦は、敵エースを消耗させること。全力をぶつけられてはまともに点を取れる相手ではないと、映像を見た彼等は理解していた。
まあ、謎の下位打線に連打される光景もあったので、一概には言えなかったが、概ね勝負は五回からというのが既定路線と言っていい。
この日の倉持、実に調子が良い。初球のストレートを弾き、サードの頭を越すヒットで二塁まで進む。
敵の守備が良い方だということを考えると、相変わらずの快速だった。
「おお……チーター!倉持先輩はチーターや!」
「元気だね、お前」
正式に投手になった沢村栄純は、クリスの指導に色々言いたいことはあるようだが基礎の大事さを知ってからはうまくやっているようである。
それにしてもここ最近、割りとぐぬぬ顔だったことを考えると、この切り替えの早さとさっぱり加減は、すごいのかも知れない。
「沢村栄純、先輩からしごかれつつも元気であります!」
その割にはぐぬぬ顔だったけどな、と心の中で思いつつ、スルーする。
思い出させてまた戻られても厄介なのだ。
そうこうしている内に、チーターが三盗を決めてノーアウト三塁。
バッターは小技も長打も狙える二番打者・小湊亮介。
片岡監督は、スクイズを指示した。
まずは、ここで一点。小湊の技術と倉持の脚を考えれば失敗はない。
これに頷き、小湊はキッチリとツーストライクから一塁方向に転がし、スクイズを決めた。
青道高校、機動力を活かしてまずは先制。
続く三番伊佐敷純が三振、四番結城がセンターライナーで、スリーアウトチェンジ。
初回に一点しか入らないところは、流石は強豪校と言ったところ。
「チーフ、後ろも居ますから全力で!」
「そりゃまあ全力で行くけど、お前らにはまだ回さないよ」
別に今のリリーフ陣を信用していないわけではないが、信頼できているわけでもない。
まあ、今まではリリーフ陣を信用したことも信頼したことも一度もないが。
これまで、彼が信じているのはレギュラー陣の守備と打撃。他はない。
「一点しか取れなかった。すまない」
「完封しますから問題ないですよ、哲さん」
守備に散っていく打撃陣を代表して結城哲也が声をかけ、それに対して智巳は何でも無いように完封を宣言する。
「そう言うな。もっと楽に投げさせてやる」
エースの頼もしさに軽く笑い、結城哲也は一塁につく。
少し踏み荒らされたマウンド。小高い丘に、エースが立っている。
192センチの長身は、完全に打者を見下ろしていた。
最初に要求された球は、縦のカーブ。横浜港北は、一番から九番まで穴という穴がない。
だが、これと言って怖い打者も居ない。
(今回は、プランD)
三振控えめ、コントロール重視。
球数を減らした疲労軽減狙いのプラン。
外角から沈む縦のカーブを引っ掛け、詰まった球がサードに転がる。
サードは増子。全く問題なく捌き、強い肩と巧みな守備で快速の一番を当たり前のようにアウトにする。
次の打者は、外角高めのストレートからスローカーブを投げ、スイングを腰砕けにさせた後、内角低めのストレートで見逃し三振。
三番はアウトローの147キロの球でライトフライ。
計5球で、智巳はアウトカウントを三つ稼いだ。
「ワンアウトからの攻撃ですが、増子さんよろしくお願いしますよ」
「任せろ」
「おい」
ベンチに帰るや否や御幸が亡きものにされたが、御幸は息をするように三球目でフライを打ってアウト。
宣言というか、予想と言うか。まあ、言ったとおりにワンアウトから六番増子が打席に立つ。
狙い球を絞って挑んだこの打席、結果はセンターオーバーのツーベース。
七番は、斉藤智。木製バットを引っ提げての参戦である。
『彼、バットを木製に変えたようですね』
『この時期に変えてくるのは珍しいですね。何を思って変えたのかは、ちょっとわかりませんが』
実況と解説は訝しむが、この理由は単純だった。
三球見た後、狙い球のフォークを掬い上げて、木製バットが静かに鳴る。
『これは外野フライでしょうか』
レフト中段へフライが飛ぶ。
それと同時に、柔らかいリストを使って宙を舞ったバットが地面に落ち、得もしれぬ、官能的な音を奏でた。
(この瞬間のこの音が、堪らないんだよ)
コーン、と。静謐な中に、ひとつ美しい音が鳴る。その為だけに木製を使っている。
『思ったより伸びますね』
『犠牲フライには充分でしょう。ツーアウト三塁でどうくるか、ですね』
実況と解説の言葉を裏切るように、フライの勢いは落ちない。
高く、高く伸びて、放物線をかいて遂に落ちた。
金属で出来ていた広角に打ち分ける技術と、パワー。その維持の為に夜にも素振りをして、ウエイトもした。
なぜなら、そうすれば気持ちよく打撃ができるから。
その為ならば、努力は全く惜しくない。
小湊春市に、斉藤智巳はそう言った。理由は他でもなく、より美しい音を聴きたいからだと。
『外野フライではありません!外野フライかと言うあたりを、パワーだけで捩じ込みました!3対0!
青道高校、リードを3点に広げます!』
ゆっくりと、ダイヤモンドを一周する。
観客の拍手、歓声すらも今は騒がしい。あの静謐な音が、頭の中で鳴っていた。
「いやぁ、思ったよりフォークが落ちなくて良かった。少し高めに入れば打ち頃だな」
「お前の感覚だとな」
打撃陣プラス控え陣に歓迎されたあとメットを外してベンチに座ってそうつぶやくと、倉持に熱いツッコミを入れられる。
酷い言い草だと思うが、小湊亮介、伊佐敷純、増子透が頷いていた。
結城哲也は、その打撃理論に理解を示しつつも外野フライムランに触発されたのか、メラメラと闘志を燃やしている。
「沢村、水くれ」
「へいっ」
寿司屋の店員かなんかかと思わせる返事で、紙コップに注がれた水が渡される。
それをひょいと飲み干して、斉藤智巳は回収してきた木製バットをグローブを填めた手で撫でた。
「いい音だっただろ?」
「そんなもん聴こえねぇよ」
倉持、つれない。
まあ確かに聴こえないだろうけれども、空気を読んでくれてもよかろうではないか。
「でも、綺麗なスイングでした!」
「春市君、ありがとう。君は本当にいい子だね」
その後、八番降谷はひっそりと高校初打席初ヒット初ツーベースを放つ。
これでワンアウト二塁。
続く白洲もツーベースで、降谷が生還。ワンアウト二塁。4対0。
「敵、動揺してるな」
「動揺するようなところあった?」
御幸の分析に疑問を呈すと、周囲の視線が突き刺さる。
特に降谷からの視線が痛い。
「……結構、木製であそこまで飛ばされるとショックがありますよ」
「あ、そう」
何となく頷いた方がいいような空気を察して、智巳は頷く。
ワンアウトながら、二塁で上位打線。取れるだけ点は取っておきたい。
倉持は送りバントでランナー三塁。
小湊亮介がヒットで白洲が生還。これで5点差。
三番伊佐敷ヒットでなおも繋ぎ、打席には四番、結城哲也。
フルカウントから明らかに逃げた球で選び、満塁。
そして、とどめはこの男。
(いつも受けてるアレより、速くもないし落ちもしない)
御幸一也、決め球のフォークを、一切手を抜かない魂のフルスイングでバックスクリーンに運び、満塁ホームラン。9対0。
男御幸、5点差でも手を抜かない。
なお、増子はヒットで出塁したものの智巳は安心の二ゴロに倒れた。
安心と安定のゲッツである。
「すいません、監督」
「如何なる一流打者でも、すべての打席で打てるわけではない。高めに釣られたことをよく理解して、切り替えていけ」
「はい!」
片岡鉄心は全力でやったならば如何なる失敗も叱りはしない。次に活かせ、と言い、問題点を見せてくれるだけである。
だから、いつも調子が悪かったら二ゴロを打ってるこの七番打者は自由気侭にフルスイングできていた。
三割打って結構四球を選び、併殺が多い代わりにホームランをかなり打つ打者の存在を認める片岡監督、心が広かった。
兎に角青道高校、この回打者一巡の猛攻で一挙8点を追加。9対0。
5回コールドまであと1点である。
「御幸、どうする?」
「相手も焦ってるだろうから、甘いストライクゾーンから厳しいストライクゾーンに曲がる球で詰まらせていこう。このゲームは俺達が五回で終わらせてやるから、なるべく流して完封してくれ」
「了解」
御幸の読み通り、横浜港北は焦っていた。
エースがまさかの大炎上に見舞われたこともそうだが、格下にやられたのである。
甲子園常連で優勝校でもある横浜港北が、未優勝で常連とも言い難い青道高校に五回コールドされるなど、恥でしかない。
そもそも、勝負は斉藤智が疲れる五回からだと思っていたのだ。五回までは、疲れさせること。この作戦が完全に破綻した。
(完全に呑まれてんな。焦り、最高よ。焦れば焦るほど、こっちとしては打ち取りやすくなるんだから)
チェンジアップ、カットボール、スローカーブ。
主戦球ではない球を脇に固めた配球でこちらが終戦に走っていることを匂わせ、更に怒らせる。
怒れば怒るほど、焦れば焦るほど、人の視野は狭くなる。
(それにしても、今日はカットボールがめちゃくちゃ冴えてる)
ファーストゴロ、サードゴロ、ショートゴロ。
(この分なら、スライダーもキレてるんじゃないか?)
二回の裏を終えて、三回の裏。
御幸は決め球に、スライダーを指示した。
(スライダーか)
言われた通りに、言われたコースに。
智巳は投げた。
スライダーは構えられたキャッチャーミットの上をすり抜け、打者の背中に直撃して地面を転がる。
『ああっと、ツーストライクノーボールからまさかの暴投!』
『どうしたんでしょうかね。彼、暴投とか死球のたぐいは少ないんですけど』
―――148。
スピードガンを持ってネット裏で測っていたスカウトと、捕手だけがわかった。
この球は、失投ではない。もっと別の、得体の知れない何かだと。
「タイムお願いします」
御幸がタイムを取り、マウンドに駆け寄る。
帽子を取って謝った後の智巳は、黙り込んで空を見ていた。
「あの球、お前の言ってた高速スライダーか?」
「そう。笑い事だけど、投げられなくなったんだよ。あれしか」
「……スライダーを投げようとしても、か?」
「癖になってる、らしい。指の切り方とか、振り抜きようとか、そこらへんが。これから戻していく」
「いや、戻さなくていい。今日はスライダーやめとこう。カットボールならいけるんだな?」
無言で頷いた智巳の左肩を小突いて、御幸は切り替えを促してホームベースに戻る。
(ストレートのキレが増したのは何でだと思ってたが……)
一球種覚えた結果、ストレートの回転が死ぬこともあれば、その逆もある。
今回は、その方向だろう。しかも、あのスライダー。
(―――いや、今は目の前のことに集中しろ)
目に焼き付いた球が、目の前にある。
そのことを必死に忘れようとして、御幸は配球に思考を傾けた。
ファーストライナー、セカンドゴロ、セカンドフライ。そして、ファーストフライ、センターライナー、ライトフライ。
その後は計九個のアウトを十八球でとる省エネピッチで、斉藤智巳は計三十六球で四回まで投げた。
そして、五回表。二回以来沈黙していた打線が爆発し、4点追加。これで13対0。
となれば、沢村が出る場面なのだが。
「監督、あんなことしておいて何ですけど、五回も行っていいですか?」
「勝ち進む以上、こちらの新戦力見せないに越したことはない。行ってこい」
対策しても一回は問題ないと思われるが、それでも余計な情報は与えないに越したことはない。
それにこのエース、まだ四十球いっていないのだ。
「キッチリ0封してきます」
どこか少し『まずかったかな』と言う顔をしている監督に向かって、智巳はグッと親指を立てながら自信たっぷりに宣言した。
だが、監督の心配はそこにない。
「そこに関しては心配していないからは安心しろ」
むしろ、あの球と、先発として連投しようと考えているであろうことが怖い。
そのことをおくびにも出さず、片岡鉄心はエースを送り出した。
この絶対的な信頼に若干気を良くしたエースは完全に調子乗り、打者三人を九球で三者連続三振に切ってとってピシャリ。
被安打0、四死球1、奪三振4、45球完封勝利。
『脱三振』を題目にした関東大会一戦目は、敵のアシストが大きかったものの概ねうまく行った。
「ナイスピッチングだったぞ、斉藤。明日はレフトでその打撃を活かしてくれ」
「明日も行けますよ、監督」
「明日はレフトだ」
「45球しか投げ―――」
「レフト」
犬がハウスと言われるように、智巳はピシャリと抑えられた。
明日も使っても良かったが、守護神として使うかもしれないから温存する。
順調な滑り出しにもかかわらず、片岡鉄心に油断はなかった。