瞬間最大風速 作:ROUTE
コールドの参考記録とはいえ関東大会記録となる45球での勝利と、一死球無安打のほぼほぼ完璧な投球。そして何よりも、木製バットによるホームラン。
試合が終わった途端マスコミに囲まれた智巳は、それらに丁寧に応対しながら最後まで長々と付き合ってやり、結果的に帰りはコールドしたのにしてないのと同じくらいになってしまった。
マスコミを味方につけるのも勝つ上での戦略。
そのことを片岡監督もわかっていたが、あまり負担をかけさせない為にインタビューなどはいつも軽く切り上げさせていた。
その強面も相まってそれはかなりの成功率を誇っていたのだが、今回は別。
投げた球は45球。フォークが2、チェンジアップが4、カットボールが3、スローカーブが2、スライダー1、あとは殆どストレート。
正直なところ、精神的にはともかく身体にあまり疲れはない。
そのことを考慮して、インタビューを最後まで受けることを許可していた。
勿論これは次の試合はレフトへ行く、ということが決定したからでもある。
イケメン、高身長、(対外的な)礼儀正しさ、お化けじみた野球のセンス。
更には、相方もイケメンで(対外的には)礼儀正しく、抜群の野球センス。
これらを総合してみると、智巳と御幸は甲子園のスターになる才能があった。
そしてこの二人は、リトルからのバッテリーで家も隣。マスコミにとっては格好の餌。
まあ、利用されてるのはどちらなのは神のみぞ知ることである。
兎に角、マスコミの注目はまずこの二人。次いで主将の結城。こんな雰囲気が漂っていた。
「大変ですね、チーフ」
「二年後のお前だぞ」
「うが……やっぱり、エースって大変なんですね」
「そらそうだよ」
色々背負う物もあるんだから。だけど、その分やり甲斐がある。
マウンドに立てるんだから面倒くさいと思わないことだと諭しながら、気を利かせて飲み物を差し出した沢村が何か言いたそうにしているのを見て一つため息をついた。
「なんだ」
「チーフ、何か変な球投げてましたけど、なんですか?」
「どんな球だった?」
変な動きをする球筆頭は現在高速スライダーだが、この試合では未使用。
次席は高速フォークだが、これに関しては沢村も知っている筈である。
「見た目ストレートだけど凡打にした奴と、やる気がない球ッス」
「前者はカットボール……あ、俺的には小さいスライダーと小さいシュート、それと小さいシンカー。後者はチェンジアップと言う。チェンジアップはともかく、前者ならお前のムービングの変化の中にも似たようなものがあるが、それがどうかしたか?」
「キソ終わったら、その小さい系統の球をいっぱい教えて下さい」
自分はあまり三振を取らないタイプの投手になると、沢村は前回のピッチングからなんとなく察した。
この察しはいずれ裏切られることになるのだが、今のところは正しい。
なので、バラバラに動くムービングボールの方向を自分でコントロールできれば、と思い始めている。
「うーん」
智巳としては、教えてやりたい。しかし、小さいシンカーと小さいシュートは3日前に投げ方を御幸から教わって何となく投げてた物。小さいスライダーも最近何となく投げられるようになったもので、カットボールとは本人の感覚が微妙に違う。
チェンジアップも副菜のようなもので、あまり優れているとは言えない。
「お前が基礎を終える前に、俺が教えられるくらいにまで投げられるようになったら教えてやる」
「投げられてたじゃないですか」
ケチー、とでも言うように口を窄めながら追及してくる沢村に青さを感じながら、智巳は少し苦笑して隣を歩く沢村の肩を叩いた。
「基本的に小さい系統は御幸が球数対策として新たに投げてみろと言ったものだ。今はまだ、開発中。それに、お前のムービングの方が曲がっているからな……教えた結果劣化する可能性もある」
「なんで?」
謎のタメ口を特に咎めることもなく、まだまだ実例やなにやらを知らない。
「そりゃお前、一つ間違えればムービングボールが変わるかもしれないからだよ」
「野球って難しいんッスね」
「特に投手は繊細なものだからなぁ……」
捕手にスライダーを勧められながらシンカーを覚えた結果、ストレートのホップするような回転が死んだ、という実例もある。
「じゃあチーフは繊細じゃないんですか?」
「俺はその微妙な繊細さが当て嵌まらない程に繊細な調整力を持つ指と肩と肘を持ってるんだよ」
「おおー……!」
聴き用によってはものすごい質問に適当な嘘を言って誤魔化しながら、智巳はさっさとバスに乗った。
だが実際、最近異常は起きている。
ただのスライダーを投げられないようになったのである。だから、結局昨日も高速スライダーに関しては誤魔化した。結果として今日のアレに繋がったが。
(どうしたものか)
投げられないと言っても、曲がりが変というだけ。あとコントロールが割りと雑。
でも、キレてはいる、と思う。
やはり早めに言った方が良かったのだろう。あんなことが起きたわけだし。
「智」
「はい」
「ちょっと話がある。結構重要なことだから、よろしく」
「はい」
割りと反省モードに入っている智巳としては、頷くより他にない。
「あ、怒ってはいないからな」
「は?」
「いや、マジで」
似たようなのだから大丈夫だろうと思い勝手に新球種覚えた結果、ストレートのキレと球威が増し、カットボールのキレが上がり、新球種の高速スライダーを得てスライダーを失った。
智巳からすれば貴重なカウントを取る択を一個潰してしまったことは悔やまれることだが、御幸からすればそうでもない。
バスに揺られて青道高校に着いて、珍しく御幸はクールダウンを終えた智巳に休めとも言わずにブルペンに立たせた。
「あの時、俺は斜め横に構えた。斜めに落ちながら横方向に進むのが、スライダーだからだ」
斜め横。右打者にぶつけるように投げるとよく曲がると言われるのが、スライダー。
必ずしもそうではないが、利き手と反対方向にスラッシュを描くように滑る。
「だけど、お前のスライダーは落ちなかった。ついでにコントロールも乱れた。だから打者にぶつかった」
静かに、キャッチャーミットを構える。
「本気で、腕振って投げてこい」
「どこ行くかわからんぞ」
「それでいい」
ワインドアップモーションにはいる。
何の遠慮もない、十年前とかの古い時代を見るような豪快なフォーム。
天然でこの原型ができ、実戦の中で削ってきたフォームは、死球の後でも崩れていない。
0.01秒単位の世界で最良の時を判断して、エースの指がその魔球を切り抜いた。
(ストレートか)
すっぽ抜けたのか、或いは遠慮したのか。コンマ何秒の世界で咄嗟にそう思った御幸は、一先ずこのストレートを捕球しようと試みた。
相変わらず、キレている。それは間違いないが見たいのはそれではないのだと思いながら。
だが、その球はミットに収まるのを嫌うようにチェックゾーンを超えて、ホームベース付近で初めて横へ動いた。
―――その魔球は、加速しながら滑るように真横に曲がる。
頭ではわかっていたが、ストレートと誤認して触れさえ出来なかった。
いや、誤認していなくてもできなかったろう。
他に誰もいないブルペンに、白球が転々と転がった。
「見たか」
「……ああ」
お前ごときが捕れると思うなと、憧れた魔球は笑っていた。
まだまだ技術が足りないのだと、それでは触れることすら無礼だと。
人が投げられる球ではないから、魔球と呼ばれる。
その名を冠すに相応しい球は、高速スライダーは言っている。
「このざまだ。まるでコントロールが利かない。完成してキレと速度は増したが、とんだ暴れ馬だよ」
立って地面に転がった白球を拾った御幸に、智巳は言った。
茫然自失としているのは、カウントを取るときに頼みとするスライダー系がカットボールしか投げられなくなったからだろうと、智巳は察していた。
「……もう一回投げてくれ、頼む」
「は?」
「頼む。次は捕る」
鬼気迫る、と言うのか。いつになく本気の御幸に思わず頷いて、智巳はまたモーションに入った。
(来る。それはわかってる)
眼に、全く技術が付いていかない。と言うか、眼もついていっていない。
この男のフォークは一瞬消える。だが、勘と経験で捕れる。
この球は消えない。だが、予想を嘲笑うようにあり得ないくらい曲がる。陳腐だが、そうとしか表現できない。
ミットに僅かも掠らず、また白球が転がった。
また投げて、掠らない。
4度目で身体がやっと反応できて、5度目で掠った。
「智、今変化が小さかったけど」
「気の所為じゃないか?」
「いや、小さかった。と言うか、徐々に変化が小さくなっていってる。
お前、変化量調節できるんだろ」
マズッ、と言わんばかりの表情をしたエースの顔が何よりも雄弁に事実を物語っている。
謂わば、一番大きいのが最初の。ニ、三と対応できなかったから下げていき、四で明らかに縮めて五でこそぎ落とした。
「できるよな?」
「できるよ。五段階までだけど」
「どうやってやってんの?」
「指の切り方を変える。速くしたり遅くしたり、カッと切ってみたり」
見てる分には同じなんですがそれは、と言いたくなるのを堪えて御幸は黙った。
こう言う感覚派に何を言っても無駄であることを、理論派の彼は知っている。
「わかった。カメラ持ってくるから、取り敢えずこのスライダーをもう3球、ネットに向かって投げてくれ」
「はいよ」
偵察班を引っ張ってきて撮影させ、撮影した映像をパソコンに移す。
そこまでをちゃちゃっとやって、御幸はビシッとエースを指差して宣言した。
「一日十球まで投げ込んで、コントロール強化よろしく。コントロールが若干でもマシになれば、必ず捕れるようにするから」
「いや、その短い時間の中で完璧に制球できるまでにする。そしたら受けてくれ」
「……そうか。なら、その気でよろしく」
ブツブツ言いながら部屋に戻っていく御幸を見送って、智巳は室内練習場に足を運んだ。
目的は素振り。木製バットの美しい音をより聴くために、彼は毎日三百回これをしている。
より速く、より強く。
完全に打撃に面白みを見出しているエースを、一つの影が追っていた。