瞬間最大風速   作:ROUTE

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井口選手、お疲れ様でした。


怪物君をやっつけろ!

沢村ムーブに毒されたマウンドが、続いてコールされた内容に静まり返った。

今の一年生は、クリスのことをよく知らない。二年生でも知っている人間は少ない。シニアの時有名だった人、という認識でしかない。

 

「御幸、お前の差し金?」

 

「沢村を一番活かせるのはあの人だからね。三番手捕手としてベンチ入りメンバーに入れてみてはどうですか、とは言った」

 

スライダー云々が主であるから、嘘である。まあ、あながち嘘ではないから、嘘でもあると言ったところか。

 

智巳は少し驚いているが、クリスの肩は完治している。

沢村専用の1イニング逃げ切り捕手としてならば、まるで問題なくこなせるだろう。

 

今は2イニング投げなきゃいけないけれども、最近の黒士舘戦では一試合キャッチャーとしてマスクを被っている。おそらくは問題はない。

たぶん監督はフルイニング出場を許さないが。

 

相手にする打者は、小湊亮介。

 

「お兄様!行きますよ!」

 

「おいで。軽く捻ってあげるから」

 

一球目、ボール。

二球目、ボール。

三球目、ボール。

四球目、ボール。

 

構えたところに入らず、ストレートのフォアボール。これで川上の残したランナーを含めて満塁。

 

一瞬の沈黙。

 

クリスも、御幸も、智巳も、沢村も何も言わない。

ワンポイントフォアボーラー。そんな単語が頭を過った。

 

「さあスピッツ先輩、いざ勝負!」

 

(こ、こいつ、何事もなかったかのように言いやがって……)

 

一瞬真顔になったが、それにしても素晴らしく切り替えが早い。

いや、確かに出した四球に囚われすぎてもいけないが、それにしても凄まじい。

何も感じていないかのごとく振る舞うその姿は、丹波や川上など神経の細い投手にはないものだった。

 

まあ、気にしなさすぎるのもどうかとは思うが。

 

「おいしょー!」

 

謎の掛け声と共に投げられた球は、きっちりの構えたゾーンに決まる。

構えたミットに収まったわけではない。そこまでコントロールはよくない。ギリギリ許容範囲というレベルである。無論キッチリと捕球してはいる。

 

この球を見送った伊佐敷は、妙な感覚を抱いていた。

 

(腕が見えねぇ……)

 

ボールがリリースされる瞬間まで左腕が隠されているようなフォームなので、球の出どころが掴めない。

 

「おいしょー!」

 

そして、クリスのリードも沢村の投球もテンポが速い。考える時間を与えない、馴らす時間を与えたない、攻めのノータイムの投球。

 

森福並みとはいかないが、打者のタイミングを外す二段気味なフォームの所為で一動作一動作がゆったりしている智巳にはできないことであった。

 

「だらぁぁ!」

 

気迫と気迫の応酬の結果、金属バットが甲高い音を立てて白球を打ち上げた。

 

セカンドの小湊春市が捕って、ワンアウト。

タッチアップは当然できない。

 

「春っちナイス!」

 

「栄純くんも!」

 

「ふははは、エースは満塁でこそ無敵となるのだよ!」

 

そのエースはお前じゃねぇだろ。恐らく誰もがそう思ったであろう中で、智巳は面白そうに沢村を見ていた。

 

「恐怖の満塁男、どうよ」

 

「容赦するつもりはねぇけど、クリス先輩だからな」

 

「だろうな。だけど哲さんが返すだろう」

 

結城哲也。不動の四番。

 

沢村栄純が癖球と言えども、そうやすやすと全国屈指の打者は打ち取れない。

長打ではなく、単打。当てるバッティングに切り替えた結城哲也からオーラが見える。

 

だが、沢村栄純は怯まない。

クリスも、怯まない。

 

「タイムをお願いします」

 

キャッチャーがマウンドに上がり、ピッチャーに話しかけた。

怯んではいないが、あてられてはいる。

結城哲也の雰囲気に呑まれかけて自力で復活したものの、沢村に僅かに残った緊張をほぐす為である。

 

「怖いか」

 

「怖いッス」

 

素直な感想に、クリスは思わず笑った。

怖いという感情を恥じることはない。それを感じ取ることができずに打たれる投手が何人いることか。

 

怯むのと、怖がるのは違う。打者は逃げられないが、投手は逃げられる。

しかし、それは今ではない。

 

逃げるべき時は、今ではない。

 

「だが、甲子園にはこれ程の打者が何人も居る。試合独特の雰囲気に呑まれることもあるだろう。ここで切れなければ、エースにはなれないぞ」

 

「そうッスよね。

それに―――」

 

どんなピンチでもどんな不利でも。

どんな強打者相手でも、あのエースは不敵に立っていた。

お前が俺を打てるのかよと見下ろし、心の余裕と剥き出しの闘志を武器に。

 

「そうだな。あいつはいつも敵を見下ろして立っている」

 

「エスパー!?」

 

「視線でわかる」

 

ドン、と胸を小突いてホームベースに戻る。

 

(さあ、来い。お前がエースを目指すならば、ここで結果を見せてみろ)

 

そう思って構えられたアウトローに、球のブレと共にムービングボールが決まる。

ワンストライク。

 

軌道をよく見てその動きのブレを見極めた結城は、もう少しバットを短く持つ。

 

(クリス、智。あの二人が面倒を見ているから素質はあると思っていたが)

 

公式戦でのピッチングでも感じていたが、原石が大きい。

球速とコントロール、変化球のキレ。これ以外の伸びしろがない智巳と違い、フォームしか固まっていない。

 

それでも、化けた。その印象が強い。

 

二球目は、三塁線を僅かに切れてファール。

 

(次の癖球は、何が来るか)

 

どう来るか、と言ってもいい。

 

どう変化するかがわからない球。だからこそ対応しがいがある。

 

「来い」

 

「いきます!」

 

今までブレていたストレートの軌跡が、急に美しい物になる。

 

―――速い。

 

ブレを気にする必要がないと判断する前に、その認識が先に来た。

 

ブレも何もない、綺麗なストレート。手元で加速するようなノビがある。

それがインコースいっぱいに決まった。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

少し驚いていたからか、片岡鉄心のコールが一瞬遅れる。

「ッしゃぁぁぁあ!」

だがそれでもその言葉を待っていたかのように、沢村が吼えた。

 

四番結城哲也、見逃し三振。

 

「智。お前、変化球教えてなかったんじゃなかったっけ?」

 

「ストレートを投げられるようになれって言ったのは聴いてたろ。嘘はついてない」

 

「ハハッ、なるほどね……」

 

変化球ではない。ただ、ムービングボールを更にきらめかせる綺麗なストレートを教えただけ。

 

あくまでも、基礎の範疇でしか無いのだ。ストレートの投げ方なんて言うものは。

 

それを敢えて教えた智巳、活かしたクリス、土壇場の勝負所で決めた沢村。この三人に勝たなければ、打てない。

 

ツーアウト、満塁。

 

迎えるバッターは、満塁時打率八割超えの恐怖の満塁男・御幸一也。

 

対するは、滝川・クリス・優と沢村栄純のバッテリー。

 

ここで切るか、ここで続くか。

 

ここ一番の勝負と言える幕は上がった。

 

「中2の時以来っすね」

 

「……ああ。あの時は、随分してやられた」

 

御幸は、自分にできないことをやってのけるクリスを尊敬している。

戦って負けたことはないが、それは自分のリードを活かせる絶対的なエースが居たからこそで、捕手としての実力では敗けていた。

 

二度対決して二度とも勝ち、そして二度ともそう思った。

 

勝ったのはバッテリーとしてであって、捕手としてではないのだと。

 

だから若干劣等感がある。

 

「あいつ、強打者には強いんですよ」

 

「そして、下位打線に弱い。この試合でも手を抜いていたな」

 

「あー……そうっすね。でも、あいつはそれを補って余りあるピッチャーですから。ぐちぐち言わず、長所を伸ばしていこうと思います」

 

「だが、いずれその力配分が命取りになる。セーブして抑えられる相手が下位打線にいれば良いだろう。しかし、そうとは限らない。そして、成孔のように下位打線全てが強打者とも限らない」

 

褒めて伸ばすか、叩いて伸ばすか。

 

沢村は散々叩かれて伸びて、智巳は褒められて伸びてきた。

 

そう指摘されて、黙る。

甘いのは身びいきと言うやつで、腐れ縁(智巳談)の親友だから。

 

そして、何もしなくても勝手に化けていくから、怪我についてとやかく言うだけでよかった。

 

思考を乱され、初球のストレートに空振り、ムービングボールを引っ掛けさせられる。

 

冴え渡る、クリスのリードの前に、青道打線は三者凡退。スリーアウト、チェンジ。

 

「まずはこの回を無失点で抑えた。次の回で、完全試合はおしまいだ」

 

クリスは不敵に笑い、御幸はどこか苦しそうに笑う。

すれ違って、一塁側と三塁側のベンチに二人は帰った。

 

また読み合いに敗けた。

そして勝つと言われて、ちょっと緊張している御幸を迎えたのは、エース。

 

「おお御幸よ、満塁でクソボールに手を出すとは情けない」

 

「ハハッ、手厳しいな」

 

この強心臓なエースとは違い、緊張している。

次の打者は守備交代の調整により―――七番センターに代わって入って守備位置を交代しただけだが―――七番に入ったクリス。

どの配球で打ち取るか、正直自信がない。

 

「お前なら打てたのに、打てなかった。さては、余計なこと考えてただろ。

打者にささやく奴が打者になった途端ささやかれて無様晒すとは」

 

「期待してた?」

 

「信頼してた。裏切られましたけどもね」

 

正直、その信頼に応えられるかどうか怪しい。

完全試合。このままいけば昼寝してても行けたが、クリスの存在が大きい。

 

リードで勝てるか、読み勝てるか。

試合に勝てるか、勝負に勝てるか。

 

自信家の御幸には珍しく、あの冴え渡るリードを目にして敗けのイメージが先行している。

智巳ではなく、自分の敗けが。

 

「ごめんごめん。公式戦では打つからさ」

 

「打たなかったら何があったのかと思うわ。満塁で凡退するお前なんか一年に一度見ればお腹いっぱいだよ、本当に」

 

「……言うね」

 

「知っての通り俺は信頼する奴には容赦なく頼る質でな」

 

信頼も信用もしていない奴らには一切頼らないのが、智巳のエースとしての欠点なのだろう。当然弱みを見せない。強さだけを見せる。

 

チームメイトを信頼することがエースとしての条件ならば、智巳は確実にそれを満たしていなかった時期の方が多い。

江戸川リトルでも、シニアでも、二人で野球をしていた。

 

凡退しても全く動じないこの男を見て、周りの大人は冷静だとか言った。

しかし凡退して帰ってきた時に散々見せられた、は?っと言うした顔や、おい、と言うような顔を見てきた御幸は知っている。

 

自分が後逸した時に見せた『え?』と言う顔と、味方のエラーを一切責めない態度でもそれとわかるだろう。

 

―――頼ってない奴を自動アウト及びエラー製造機だと思ってるだけだな、こいつは、と。

 

エラーされて得点が入りました。智巳は怒らない。

三振取れなかった俺が悪い。そっちに飛ばした俺が悪い。

凡退して帰ってきました。智巳は怒らない。

 

そりゃあそうだろう。お遊びで抽選に応募して、外れて怒る奴は居ないのだから。

 

守備位置に居ないと困るけど、代わりがいるから別にいい。代わりが居なくても、三振取れるから別にいい。

彼には、明確に頼られている側から見るとそう言う冷淡なところがある。

 

今のスタメンたちには裏表なく頼ったり打ってくれと言ったりしているし仲も良いが、その信頼の基は実力。

 

実力がなければ聖人でも頼らない。実力があれば誰でも頼る。

 

実力抜き、人間的にも完全に尊敬を勝ち得ている哲さんみたいな例もある。完全な実力主義ではないが、この男の場合、仲の良さと信頼はイコールではない。

 

「……お前、俺がクリスさんに敗けてると思う?」

 

「思うよ。だってお前がそう言ってたしな」

 

判断基準が御幸の言葉というところに、智巳のらしさが表れている。

信頼した奴の言葉は信頼するのである。御幸の冗談は信頼も信用もしないが、真面目なときは信頼する。

 

「ぶっちゃけ、どう配球するかなーって、迷ってる」

 

これが最高、と思ったリードを打たれたこともある。

そして抑えられた時は、決まって智巳の力に頼った力圧し。

 

ストレートで詰まらせて、フォークで空振りさせて。

そこにリードは要らない。智巳の適当配球でも抑えられただろうと思う勝負のみ、御幸は勝てた。

 

そのことを、御幸がそう思っていることを智巳は知らない。

 

「でも、お前がクリスさんに敗けても俺とお前はクリスさんに勝てる。

だから、迷わずにこれと思ったリードをしろ。俺はそのリードに従ってやるから」

 

だから無意識に、全く意図せずこういうことを言う。

こういう、過去の敗北から吹っ切れさせてしまうことを。

 

クリスが、智巳ならば言うだろうと思っていたことを。期待を裏切らずにこの男は言う。

 

「―――そうだな」

 

クリスに勝ちたいと言う、思いはある。一人の捕手として、何よりも尊敬しているから。

だが、一対一で勝つ必要などない。

 

自分にはこの相棒が居る。化物じみた実力を持つガラス製の魔人が。

 

「お前の力に頼った配球を、させてもらう」

 

「ああ、いいぞ」

 

「最後の球を打てないと仮定して追い込むことだけを考える。頼むぞ、相棒」

 

「完全に勝つ為だ。力を惜しむ気はない」

 

ホームベースに向かい、マスクを被る。

打席には、クリス。

 

「クリス先輩」

 

「吹っ切れたか」

 

「ええ。前の打席でやられておいて何ですけど、させませんよ。あいつの無茶苦茶に応えないと、相棒なんて務まらないんで」

 

そうだ、そうでなくてはとクリスは思った。

最近、まるでスライダーが取れていないということで御幸は少し自信を無くしつつあった。

 

ここで自信を改めて植え直すには、何かの壁を超えさせることが手っ取り早い。

その壁とは、自分。憧れにして個人としての勝利者。

 

「そうだな。それがお前らしい」

 

「悩んでたこと、バレてました?」

 

「表に出さないが、わかる奴にはわかる」

 

ミットが構えられる。

アウトコース低めいっぱい、152キロストレート。

 

―――速い。

 

沢村の手元で加速するストレートより角度があるからか、基本球速が違うからか、回転数の差か。

 

(コントロールの差だろうな)

 

冷静に考察し、クリスはバットを構え直す。

次はどうくるか、カウントを取りにくるならば、カーブ系かストレート系。

 

―――この球速は、ストレートか。

 

逆らわずに打ち返す。

そう考えていたクリスを裏切るように、甘めの球はミットに落ちた。

 

カウントを取るのに高速フォーク。

 

「なるほど、次はあれか」

 

「ええ。俺が止めれば勝ち、止められなかったら敗けです」

 

止められるさ、今のお前なら。

 

心の中でそう呟く。

技術が足りないわけではない。要は経験と、心。捕れるか捕れないかではなく、捕る。

 

化物じみたスライダーは、その意志を削っていった。それがわかるからこんなことをした。

本質的に教育者のクリスとしては、御幸の可能性を広げてやりたい。

 

お前はまだできるのだぞ、と。

 

「次、スライダーです。インハイから、アウトハイに真っ直ぐ横に切れ込んでストライクゾーンに入ります」

 

「そこまで言うと、打たれるぞ?」

 

「それでも打たれない球があるんですよ。俺が捕れないんですもん」

 

すっかり克服した御幸の後逸はない。

となれば、自分が打つしかない。

 

沢村を援護したい。この思いは、御幸の成長と同じくらいの比重を持っている。

 

ワインドアップモーションから、三球目。

小細工なしの真っ向勝負。それが似合うエースが目の前に居る。

 

投げられた球が、ストレートと同じような唸りを上げて迫る。

インハイ、外れている。しかし、ここから曲がるのだ。

 

クリスは、御幸が捕りそこねているところは見ていても、打席に立ったことがあるわけではない。

 

(まだ曲がらないのか)

 

ホームベースにつくまであと少し。なのに、曲がらない。

 

訝しむクリスとは違い、御幸は知っている。

この魔球は、ホームベースに僅かに侵入してから加速するように真横に滑るのだと。

 

金属バットが、空振った。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

ワンアウト。

 

魔球は、御幸のミットの中で完全に沈黙させられている。

 

「見事だ」

 

クリスが呟き、エースが吼えた。


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