瞬間最大風速 作:ROUTE
四回戦の相手は、明川学園。
精密機械と渾名されるエース・楊舜臣を投打の中核に置いたワンマン気味のチーム。
実際のところはそうではないが。
「あの四隅を丁寧についてくるコントロールを見ると、投手戦になる恐れもある。そこで、次の試合の先発は―――丹波。お前に任せる」
エース斉藤智巳、今季の登板は未だゼロ。
ちょっと悲しくなってきた智巳は、また一番レフトで出場することになっている。
因みに今までの夏の成績は、丹波が5回を投げて無失点、川上が5回を投げて無失点。
リリーフ組と智巳は、未だブルペンにも入ったことがない。
雑魚高校が二戦続いたとは言え、悲しい現実である。
「斉藤。この明川を越えれば次は市大三校、その次は仙泉、稲実と続く」
「はい」
片岡鉄心の考えは、単純である。
大量失点しては絶対に勝てないところ、大量失点する恐れがあるところにエースをぶつけ、それ以外は力量を測って丹波か川上をぶつける。
リリーフ陣は短いイニングとはいえ連投になりやすいから、勝てる時には投入しない。
幸いにも経験自体は関東大会で積めたわけだから、一年生の温存もそう悪いことではない。
「市大三校と稲実を、お前に任せる。西東京ビッグスリーの他2つを打倒できるのは、お前しか居ない―――そう。青道のエースの、お前しかな」
「抑え登板でも駄目ですか?」
「チィィーフ!後輩の役割を奪わないでいただきたい!こっちも投げられてないんですよ!」
「……同意」
投げたい病に罹っているエースは明日も元気に一番レフトで出場する。
片岡監督は、この核弾頭を気に入ったらしい。
現在二試合でプレイボールホームラン2本、スリーラン1本、ツーラン1本、併殺0、三振1、4四球のいい感じな活躍。出塁率は弱い相手だったからということもあるが、八割を超えている。
併殺もない。この采配、案外当たりだった。
「明日の試合でお前に求めるのは、精密機械の立ち上がりを狂わせる一打。お前がプレイボールホームランを打ち続けていることも、向こうは知っている。コントロールが自慢なだけに、厳しいところに来るぞ」
そして翌日、明川戦。
先攻は青道。後攻は明川。
『西東京予選四回戦、明川高校の先発はエースの楊くん。青道高校は右の丹波くん』
―――精密機械。
そう渾名されている楊舜臣は、これまで一回も先制点を許していない。
(今回の大会で未だエースの登板はなし……)
何かがあったのか、それとも野手に転向したのか。
一番打者として、と言うか景気づけとしては最高の打者と思われるが、相変わらず守備が雑。
その線は、おそらく無い。
ならば、温存だろう。
(プレイボールホームランを二試合連続で打ち上げている。ここはインコース低めから攻めるぞ。三試合連続を狙っているなら手を出してくる。手を出せば、打ち取れる)
(わかった、舜)
極めて優秀な核弾頭役。
切り込み隊長が九番の倉持ならば、この男は砲兵。後続が荒らし回る為に敵投手を砕く。
これまでバントをしたことがない、破壊力のある一番打者。
この男が一番にいるあたりに、打撃陣の層の厚さが見て取れる。
モーションに入ると、すぐさま構えが変わった。
セーフティー。
(揺さぶりをかけるつもりか)
当てることはせずに元の構えに戻したが、今の動きで性格は読めた。
個人の記録を屁とも思っていない。勝つことを目的に据えている男だと。
(となると、セーフティーはどうだ)
脚が長いからか、全力疾走してもそれほど走っているようには見えないこの男の脚の速さは、案外知られていない。
レフトで怠慢してる、くらいなものである。
(小技の巧さも未確認。内外野は後退させたまま。下手なバントならば俺が刺す)
捕手に意思を伝え、次は一球外す。
これを、智巳は見てきた。
(選球眼はある方。情報通り)
そして良く審判を騙す。
散々選球眼を見せつけておいて、スリーボールの状態でギリギリストライクの球を見たらさっさと歩き出すとか、そういうことをよくやる。
楊は捕手の構えたところに投げ込んでストライクゾーンの縮小を狙っているが、それと似たようなものである。
対角線上に投げ込む、制球重視のピッチング。それが楊舜臣の投球。
これと言って凄まじい球はないが、そのコントロールで決め球の欠如を補う。
ある意味、技巧派の極み。
インハイへ。
長身であることは必ずしも良いことづくめではない。
ストライクゾーンが広がり、ゾーンを広く使える。
針の穴を通すような投球ができる技巧派にとってはやりやすい。
インハイのストレートは、顔付近。
迫る硬球に避けるどころか眼すら瞑らず、智巳は静かに投手を見ていた。
「ボール、ツー!」
球審が宣告し、これでワンストライクツーボール。
(避けすらしないか)
片岡鉄心と御幸は避けない男にハラハラものだが、そんなことは知ったこっちゃないのがこの男。
「コントロールいいな」
ボソリと呟き、構え直す。
何に狙いを絞るとか、そんなことは一切考えていない。思ったことが口に出た。
四球選びたいな、とは思っているが、打撃に関しては打てると思えば打つだけで、実にシンプルである。
ストレート待ち。変化球が来れば合わせる。それだけの打者。
アウトハイの直球を投げ、ストライク。
ツーツー、平行カウント。
五球目、インロー。
これはボール。フルカウント。
塁に出た場合、面倒くさいわけではない。しかし、この男に打たれて止められないままに失点という光景がよく見られた。
この上は、キッチリと打ち取りたい。
(インハイ、ストレート。先程の球より一個分内側に投げる)
ギリギリストライクゾーンに入った球を、智巳はわざとらしくならない程度に身体を逸らして避ける。
球自体は入っているが、今までインコース際どいところに投げても避けなかった男が逸らしたことは、大きい。
楊の示した球一個分の制球も可能とするコントロールか、際どい球を避けすらしない選球眼か。
こうなってくると、どちらを信じるかになってくる。
ここで力になるのは、知名度。
語学留学で来た無名の留学生と、シニアから名を轟かせている野球エリート。
「ボール、フォア!」
どちらの目利きが上かは、言わなくてもわかるだろう。
『おっと、ここで楊くんは先頭バッターにフォアボールを与えてしまいました』
『珍しいことですね。今まで研ぎ澄まされてきた制球が、少し乱れたのかもしれません』
そしてこの四球は、判定が打者よりになる嚆矢になる。
(いい仕事するねぇ)
見逃し三振していれば、ピッチャーよりに傾く。
それをわかっていて、ストライクゾーンに入った球を演技して見逃すその不敵さ。
塁上から、『行きますよ』とサインを送ってきている。
(盗塁……できるの?)
ノーリードだから、初球ではこない。二球目くらいだろう。
だが、盗塁したところを見たことがない。
脚も速いようには見えないから、慎重に行けとはサインを送ってみる。
(一球目は見て、二球目スイング……って!?)
モーションに入った瞬間にスタートを切り、ノースラで二塁へ。
実にあっさりと、得点圏にランナーが置けた。
(走るならリードを大きく取って少し帰るか、何球目からかくらい言おうね)
二塁上でとった、ごめんなさい、と言うジェスチャーを受けて仕切り直す。
(まあ確かに二球目に走られるよりは楽になったけど、博打過ぎない?)
サインは送りバント。
これくらいならば、小湊亮介ならばツーストライクからでも決められる。
だから、二球目で走っても良かったのだ。
ワンアウト、三塁。
(守備の時は本気で走ってなかったな、あの野郎……)
明らかに、レフトを守っている時とは別人レベルの脚。
打球を追いなれていないから全力では無理なんですよ、と言う言い訳をしたい智巳を余所に、伊佐敷は怒りと共に初球を打つ。
「後で説教だ馬鹿野郎ォ!」
向井太陽と対戦した時からもわかるとおり、伊佐敷純はコントロールのいい投手に強い。
悪球打ちだから、一個分の出し入れをされてもヒットになりやすいのだ。
高く上がった球はセカンドとライトの間に落ち、智巳は落ちたのを確認してから悠々生還。
1対0。
青道高校、ヒット一本で鮮やかに先制。
なおもワンアウト一塁。ここで四番・結城哲也。
(そう簡単にはいかないな)
一番の駆け引き。
二番の技術。
三番の打撃。
これであっさり1失点。
強豪を抑えるのは、そうはうまくいかない。
しかし、ここで切る。
楊は丁寧に四隅をつき、最後はこの試合初めてスライダーを引っ掛けさせてゲッツーに仕留めた。
あっさりとした表現だが、結城哲也がゲッツー叩くのは一年ぶり。
「次は打つ」
「哲、オーラ!」
隠し切れないオーラを滲ませる結城哲也と、投げたい病に罹患している智巳以外、この1点の大きさを感じている。
丹波は、大物食いはできないが格下相手にはむざむざ打たれない。
更に言えば、ピンチの弱さが克服されて粘りが増しているのだ。
「いい仕事だった。ああ言う駆け引きだったならば避けないのもいいが、危ないと思ったならばきっちりと避けろよ」
「でも当たっても塁に出られるからいいじゃないですか。一番としては―――あ、はい。避けますね」
眼つきがヤバくなった片岡鉄心から逃げるようにレフトへ行き、その先でもエースは伊佐敷に捕まる。
「お前、本気で守備でもあんぐらい走れ!めちゃくちゃ脚速ェじゃねぇか!」
盗塁技術も有るが、何と言っても身体能力が高い。
単純に脚が速くても盗塁は成功しないというのは言われていることだが、身体能力が低ければ成功率は低くなる。逆に言えば脚が速ければ成功率は高まるということである。
「いや、本気で走るとどこで止まるか可視化されないと止まれないんですよ、純さん」
「そこは落下点を予測して走るんだよ!」
「勘じゃなくて理屈でお願いします」
「来た球を打つお前が言うなァ!」
「いや、それは理屈として成立するじゃないですか」
「そんなこと言えば俺も理屈だろうが」
「え?」
「あ?」
投打に優れた才能に秀でた者、守備の才能に秀でた者。
その二人の会話が話が噛み合うわけもなく、取り敢えずダッシュしろということで話はついた。