瞬間最大風速 作:ROUTE
『青道高校、選手の交代をお知らせいたします。レフトの斉藤智くんに代わり、門田くん。キャッチャーの御幸くんに代わり、滝川くん。ピッチャーの降谷くんに代わり、沢村くん』
エースを下げて守備を固め、守護神をマウンドへ。
御幸は不安だからエースに残っていて欲しかったのだが、片岡鉄心としてはより合理的な判断をした。
御幸を下げる以上、斉藤を残していても最大の力を出せるわけでもないからあまり意味がない。
ならば万が一を避けるべきだ、と。
『九番ピッチャー、沢村くん』
二度コールされ、絶対的守護神はマウンドに上がる。
失点0、自責点も0、防御率も0。
抜群の安定感、初見殺し性能が素晴らしい。
更にはクリスとのバッテリーで実力以上の駆け引きができるのだ。
スライダー、ストレート、そしてフォーク。主力三球種を全て受け止められるのが御幸しかいない智巳が、御幸(マグネットコーティング済み)の専用機と化している程の『絶対的』な組み合わせではないが、それに次ぐ。
性格的な相性もいいし、実力がまだまだで、なおかつ経験の浅い沢村の力を巧みに引き出せるのはクリスが一番なのだ。
何回目かになるが、御幸は一流を化物にできる稀有な捕手。化物と組んだらどうなるかは、この試合を見てもらえればわかるだろう。
クリスはその逆。経験の浅く、弱い投手を活かすことができる。
普遍的に見ればクリスの方が使える場面も広いし有用だが、組む相手によっては御幸が遥かに超える。
つくづく、面白い力関係である。
「打順は九番から。敵の勢いはあの二人が完全に殺したが、ここで打たれれば息を吹き返す恐れもある。それに、この打順だと確実に轟に回る」
「チーフが敬遠しようとした相手ですもんね」
「……いや、どうなんだろうな」
本人は敬遠しようって言ったのにこいつが勝負したんだよ、と言ったが、プライドの高い奴だということをクリスは知っている。
「でも、完全試合って言うすごい記録中だったんですよね?」
「そんなことはあの二人にはなんの意味も持たない。散々やってきたし、目的は勝利と言うところで完全に合致している。勝つ為なら敬遠もする」
「よくわかりますね、師匠」
「性格がわかりやすいんだ。あの二人は」
勝つ為なら敬遠もするし三振も取る。
なぜ勝負するかと言えば、それは相手のチームの核を捻じ伏せて心を折り、勢いを殺す為。
確実な勝利を得る為には?と訊かれて、『相手の心を折ること』と即答する二人である。
「……まあ、あれで打たれていれば誤算だったろう。あいつらはゲームプランを一々用意して、完全に管制下に置いてる印象だが、割りとミスをするからな」
ただし、それを利用して誤魔化す。
チラリとホームベースを見て、クリスは少し早口気味に後の言葉を紡いだ。
そろそろ、戻らなくてはならない。
「このようなミスを犯さないために、敬遠はある。お前は嫌っているようだが、あれもなかなかいい戦法だぞ」
「ウッス!」
「ファーストストライク。腕を振り切る。俺から言うのはこれだけだ。後は、リードを見てその意味を自分なりに考えること。これを忘れるな」
「了解であります、師匠!」
―――ガンガン打たせていくので、バックの皆さんよろしくお願いいたします!
クリスがホームベースに帰る途中で聴こえてきた大音声に、少し笑う。
(試合を作れるエース。それは唯一無二の物だが、お前は試合を決めるクローザー)
誰にでもなれるものではないんだぞ。
そう思って、ミットを構えた。
初球は、真ん中高めのやや甘めのムービング。
(こいつの最大の長所は、ビデオで見てもわかりにくいこと)
斉藤は素晴らしいピッチャーだ、とクリスは思う。
最速153キロの、空振りの取れるキレとノビを持つホップするストレート。
最速153キロの、追い込まれたら当てることすら困難な、使用率に比べて被打率が異次元な魔球高速フォーク。
最速153キロの、結城哲也や自分を相手にして五度とも掠らせすらしなかった死神じみた必殺球、高速スライダー。
わかりやすい強さ、である。これは如何にもエースらしい。そして決め球三つが等速と言うのもこの男の特徴で、見てみてすぐに凄いとわかる。
野球をしていなくても、これはヤバイとひと目でわかる凄さ。当然偵察班も、偵察班が撮ったビデオを見た相手もわかる。
しかし沢村は、打席に立ってみなければわからない。
リリース寸前まで見えない左腕、手元で動くムービング、傍から見ると普通にいい球としか見られないストレート。
(お前は気に食わないだろうが目に見えない凄さこそが、あいつにはないお前の武器)
甘い球としか思えないコースに、相手はすぐに手を出してしまう。
死んだ打球は、セカンド方向へ。
「お兄様!」
「わかってるよ」
沢村が呼び、いつもの通りの華麗な守備でファーストの結城が捕ってワンアウト。
秋葉も二球目に手を出し、ツーアウト。
ここまで三球でツーアウト。安定感が凄まじい。
(が、どうなるか)
次の打者は、轟雷市。
いっそ清々しい程の点差と、斉藤に粉砕されたことへの敗北感、三年生たちの夏を背負っていると言う重圧と期待から解放されたスラッガー。
自分のスイングを貫くことへの信念が、微塵もズレていない。
智巳が悪いよ智巳がー、と言うことになるが、額面上は2打点マイナス無失点なので2点のプラス、ということになっている。
最悪逃げてもいいが、前任者が三振、三振、三振と言う真っ向勝負を演じてしまったので、逃げ難い。
(勝負で行くぞ)
示したリードに、沢村の顔が輝く。
唯一の取り柄の制球が乱れ、まさかお前、真中が打たれたホームランが頭に残って……とかクリスに言われたりはしない。
他人が打たれたホームランでメンタルがガタガタになる程ヤワではないのだ。
まあそんな平行世界で沢村が打たれた後の川上のことはどうでもいいから置いておいて、沢村である。
彼はメンタルが強かった。
(チーフが本気で行ったこいつに勝てば、また近づける……!)
と言う相変わらずのポジティブ思考。横浜の非公認顔文字も同志認定するほどのポジティブっぷり。
端的に言って、凄い。もうここまで来ると才能である。
(行きますよ、師匠!)
低めギリギリいっぱいに、ムービングが決まった。
僅かに上に動いたその球は、ストライク。
勝負か、と。球場がざわめいた。
「ナイスボール」
「照れます!」
「…………」
緊張しているが、強張ってはいない。ほぼ理想的なコンディション。
追いかける背中を見ていて地面を見ていない。そんな感じだが、結果的にはいい感じなので良しとしよう。
クリスはそう思い、ついでにこれからは無言でボールを投げることを決意してホームベースに座った。
二球目はボール球が轟のバットに当たり、ファール。
三球目。
(外にボール二個分外す、ボール球)
普段三球勝負の鬼を見続けている沢村はこの配球の狙いを掴みかねるが、従って投げる。
後で考えて、自分なりに答えを出す。
それが成長に繋がることを、割りと厳しい師匠とチーフに言われた沢村は知っていた。
ただ今は、あのミットに応えることに集中する。
「ボール!」
轟も手を出さず、ボール。
ツーワン。未だ投手有利のカウント。
要求されたのは内角低めに外れるボール球。
轟が少し避けて、ツーツー。
並行カウント。
(外、低め。ストライクゾーンに掠る意識で)
そんな投げ分けは、青道投手陣の中では(部長曰く)低めの制球で一番の川上すらできない。
智巳は3つ目のストライクを取りに行く時限定でできる。
もちろん沢村もそれはできないが、もとより不規則に動くムービングボール。
多少クサいところに投げておけば、勝手に相手は手を出す。
鋭い当たりが一塁線を駆け、ギリギリファール。
轟は流石に、目を慣らしてきていた。
「……タイムをお願いします」
バッテリー間のタイムは制限がない。
クリスがマウンドへ上がり、沢村に話しかける。
「あいつは、眼を合わせてきている。次は打たれるだろう」
「でも、何か秘策が……」
「ない」
「え!?」
「冗談だ」
常時とはいかないが基本的に表情に乏しいクリスの冗談は、わかりにくいことこの上ない。
「ここでタイムを取ったことを、相手はどう思うか。そして、極限までに『ムービングを捉えるために』研ぎ澄まされた集中力はどうなる?」
「打たれるくらいなら逃げようって、そう相談してる、と?」
「そうだ。集中力は?」
「途切れるんですか?」
「そうだ。しかし相手も怪物。すぐに復活させてくる。そこでボール球のムービングを投げ込み、『逃げている』と言うことと、『やはりムービングだ』と言う認識を植える」
復活した意識は、より強固になる。
なんだ、と思えば思う程に。
「一球外して、ストレートで決める。渾身の球を、投げ込んでこい」
「はいッ!」
「ただし、一球外す前に首を何回か振って、一球外した時に悔しげに地面でも蹴っておけ。
あいにく俺は演技派ではないが、お前の目指すエースは演技派だ。実際使えるから、慣れておくんだな」
ムカついても顔に出さない。
動揺しても顔に出さない。
満塁の時でも、笑う。
顔に出すのは、味方を鼓舞する闘志と敵を圧し折る余裕だけでいい。
「どう演技すれば!?」
「悔しかったことを思い出せ」
「流石師匠、天才ですね!思いつきもしませんでした!」
「…………」
と言うことで、タイム解除。
ホームベースに戻り、大きく外す。
ここで沢村が、首を振った。
何回かこのやり取りがあって、クリスがわざと再び立とうとすると、沢村はいかにもイヤイヤとした感じで頷く。
ちょっとわざとらしいが、割りと演技派である。
だが。
「演技派だな、あいつ。クリスさんも中々だ」
「演技とはまあ、中々あくどいな。まあ、勝つ為ならいいけど」
「そうだな。演技ってのは、自分が演技って思わないレベルにまで浸透させなきゃいけないわけだし」
「おっ、智は言うね。流石は本職」
「お前もな」
このプロ二人には気づかれている。
沢村はマウンドででしかできないが、こいつらはマスコミ相手にやっているから場数が違っていた。
とにかく、沢村。
一球大きく外して、ボールをクリスを見ずに受け取って地面を蹴る。
いかにも悔しげなそれである。
「わざとらしい。ひと目でわかる」
「わかる。大袈裟でそれっぽくない」
「モロバレ。稚拙過ぎじゃない?」
「あれが限界なんすよ。馬鹿ですし」
ベンチのエースが正捕手に、正捕手がエースに、グラウンドの二塁手が遊撃手に、遊撃手が二塁手に。
計四人が酷評する演技力は、少なくとも割と余裕がない薬師の面々は騙せた。
(最後は、ストレート。渾身の球を、投げ込んでこい)
綺麗なストレートは、バットをすり抜け、加速するようにミットに吸い込まれる。
この試合の沢村、一回を投げて1奪三振。被安打0。
防御率0.00神話は終わらない。