瞬間最大風速 作:ROUTE
「稲実戦のスタメンを発表する」
片岡鉄心は、相変わらずの強面のままでそう告げた。
時は稲実対桜沢の試合観戦をした日の夜。
心を整えさせる為に、早めの発表である。
発表されたスターティングメンバーは以下の通り。
一番ピッチャー、斉藤智巳。
二番セカンド、小湊亮介。
三番センター、伊佐敷純。
四番ファースト、結城哲也。
五番キャッチャー、御幸一也。
六番サード、増子透。
七番レフト、坂井一郎。
八番ライト、白洲健二郎。
九番ショート、倉持洋一。
投手を全員使って勝ちにいかなければならない都合上、守備に慣れてきた降谷はベンチ。
降谷に繋ぐこと、攻撃力のことも考え、甲子園まで日にちがあることから全力を出し切っていい智巳は初めてとなる一番・ピッチャーとしての出場。
後続には丹波・沢村・降谷が控え、継投体勢も万全。
監督のスターティングメンバー発表を終えて、クリスと渡辺を中心に、ベンチ入りメンバーたちは再び集まった。
再生されているビデオは、桜沢高校戦。
チェンジアップは4球、フォークは3球、スライダーは7球。
かなりストレート主体の組み立てで戦っていた。
「成宮は本来変化球を軸に投げる。この投球は本来のものでは無いだろうが、それでも学ぶところはある」
左投手特有の対角線に右バッターの胸元に刳りこむクロスファイヤー。
スライダー、カーブ、チェンジアップ、フォークなどの多彩な変化球と、140キロ後半のストレート。
嘗ては立ち上がりの悪さもムラもあったが、最近一年でそれは改善されつつある。
ビデオを見て、渡辺の解説を聞いて、この日は解散した。
そして一夜明け、明日が稲実戦だということもあり、相当なプレッシャーの中、智巳は次の日の練習に顔を出した。
完全に調整モードに入っているから、投げ込みなどは控えめ。
軽く走り込み、軽く立ち投げして、バットを振って配球と敵のデータを頭に入れる。
その準備運動を終えて学校周りを走っている最中に、智巳は横目にデカい車を見た。
青道に続く坂道を、一路走ってきている。
青道高校の周りは野球部のランニングコースであることもあってあまり車が闊歩している印象は無いのだが、この坂道は例外的に車道専用のような空気がある。
またOBかな、と思って軽く一礼して先を急ごうと思った彼を、聞き覚えのある声が呼び止めた。
「おう、智巳やないか!」
「あ。東さん」
「おう、せやで」
「今夏ですから、オフじゃないですよね。何故ここに?」
試合はどうしたんですか、と言いたくなる。
現在東清国が所属する横浜ベイスターズは最下位。
8月の時点でチームでホームランを二桁打っているのが東清国とアレックス・ラミレスだけと言うアレっぷりで、沈んでいる。
「…………まあ、色々あってな」
「故障ですか?」
「ちゃうわ!増量し過ぎたんで、痩せろ言われて二軍に居んねん」
打率は2割6分5厘、本塁打11、打点46。
新人として打率1割代の小池に代わって一塁を守り、学生時代のサードとは違うもののなんとかこなしていたのだ。
「新人王狙えたのに、残念ですね……」
「まあ、新人王には広島の野村さんあたりがなるやろ。新人王の夢は結城とお前に託すわ」
「え……哲さんはともかく、俺はプロになれるかも定かではないんですが」
因みに結城は新人として3割1分2厘、15本、70打点の好成績を残すも、則本(16勝5敗)に敗れて新人王ならず。
ファンから現役17年目とか言われる智巳(18)は、ほぼ唯一の尊敬する人物が居る福岡ソフトバンクホークスと、ファンである東北楽天イーグルスを希望するが楽天には指名してもらえず、第二候補のオリックスはくじで負けると言う経緯で10球団競合の末高卒でプロ入り。
背番号はエースの後釜の66。
エースの摂津の不調の為、去年の楽天が期待の新人・則本に開幕投手を任せたことに倣って開幕投手を任せられ、無四球、1エラー、被安打2、15奪三振でデビュー。
そのまま勝ち続け、防御率0.96、22登板、20勝、222奪三振、10完封の成績で先発のタイトルを総ナメし、新人としては四人目の投手四冠と沢村賞のタイトルを取り、新人王になる。
ここまで化け物じみた新人は上原以来と言われ、ドラフトで獲りにいかなかった楽天が叩かれるのだが、それは後の話。
防御率、勝率的には研究されていない一年目がキャリアハイな男である。
それにしても、片岡鉄心の教育はすごい。
東清国、ドラフト三位。一年目最終成績は飛ばないボールで2割5分4厘、13本、62打点。
結城哲也、ドラフト一位。一年目最終成績は普通のボールで3割1分2厘、15本、70打点。
斉藤智巳、ドラフト一位。普通のボールで一年目最終成績は防御率0.96、20勝0敗、222奪三振。
御幸一也、ドラフト二位。普通のボールで2割7分5厘、8本、96打点。
上位指名を立て続けに四人出すのだから、六年間甲子園に行けない監督としての手腕が疑問視されても、教育者としては良いのではないか。そんな気もする。
だが、真価を発揮するのが来年の末からということを考えると、校長と教頭の判断も早いとは言い難いのかもしれない。
「アホ抜かせ。ウチの中堅よりよっぽどええピッチングするって、スカウトさんがこぼしとったわ」
「相手が学生ですからね。プロはまた、桁が違いますよ」
そんな未来を、この二人は知らない。
東が車の窓から腕と顔を出しながら、智巳はこの人と甲子園に行けなかったのだ、という少しの罪悪感を抱えながら路上から見上げる。
「と。そう言えば東さんは何故ここに?」
「おう、答えてなかったか。ドリンクとかを色々届けに来たんや。今できることは、これくらいやからな」
厳つい外見、誤解されがちな言動から、この良い人発言。
ドリンクやクーラーボックスなど、様々な物が積まれている後部座席を肘を軽く後ろに引きながら指す。
「乗ってくか?」
「走って付いていきますよ。そんなにスピード出さないでしょう?」
「まあな」
運転免許を取ったばかりだからというよりは、ランニングコースであるから遠慮気味に走るだけ。
学校にと言うより、寮の前に止めて後部座席のドリンクや何やらを二人で運び出す。
「お前、また背ぇ伸びたんちゃうか?」
「ええ。194になりましたよ」
背丈が1センチの差しか無いと、はっきり言って高い方はその差に気づかない。どちらかと言えば低い方が若干見下されていることに気づく。
「お前ホンマによう伸びるのぉ。恵体ってやつやな」
「父親譲りらしいですよ」
「ほぉ……こっちも父親はデカいけど、ここで打ち止めのような気がするわ」
「背なんか放っておいても伸びますよ。あんまり気にしてもどうにもなりませんし」
雑談しながら、元四番とエースが荷運び。
後輩にやらせろよとOBは思うが、元四番はそもそも練習している人間を扱き使う気はなく、智巳も自分でやれることは自分でやる主義。
マネージャーの助力も『こう言うのは男がやりますので』と断り、なんとなくその思想に乗せられた東清国と斉藤智巳は黙々と運ぶ。
「次は稲実戦か」
「ええ。仇は討ちますよ」
「あのな、智巳。ようやくの雪辱の機会って思うより、ちゃんと試合を楽しめや」
出た長打は結城の二塁打のみ。他は散発7安打。
圧倒的な無援護で、1点すら取れなかった。それが、前回の稲実戦。
そう責任を感じることはない。
そう言い聞かし切れずに、東清国はこの学校を去ってしまった。
そのことが、心残りになっている。
このメンタル面が完璧なエースの、唯一の傷。それがあのサヨナラ負け。
「それはできませんね。これまでと、これからでは訳が違いますから」
「何でや?」
「エースって言うのは、ここぞの場面で勝ってこそなんですよ。俺はまだ、その点においてはエースではない。そしてここぞの場面こそ、次の一戦」
絶対に勝ちますよ、と。不敵に笑いながら、ドリンクをベンチに置いた後に智巳は右拳を突き出した。
「暫定エースを信じてください。抱えるだけ抱えて、それでも平然とするのがエースです」
「ハッ、ホンマによく言うわ」
コツン、と。
軽く拳をぶつけ合って、東清国は呵呵大笑する。
心が強い。そう言うのは簡単だが、そう表すに相応しい人間がどれだけいることか。
「ワシらの果たせなかった夢も、抱えられるんか、おい?」
「もう抱えてますよ。重かったですが、この通り身体は大きいので案外と抱えられれば持っていくのは楽でした」
「ホンマ、よう言うわ。なぁ、哲!」
えッ、と。
思わず振り向くと、すぐ近くに結城哲也が居た。
「こんな後輩が居って頼もしいやろ?」
「頼もしいですね。投げてなくともいい。智巳が居るだけで、皆どこか安心できる」
自分たちの後ろにはエースが居る。
エースに任せれば、点を取られることはない。
このエースが投げていれば、敗けることはない。
その絶対的な存在感。ここぞを任せられる安心感。
それが、打線の爆発に繋がっている。
後ろを気にすることはない。自分たちが打てば勝てる。やれることはシンプルで、憂いがないのだから余計に強い。
「ですが、甘える気はありません。必ず成宮を打ち崩し、俺達が甲子園に行きます」
尊敬する先輩に声を掛け、結城哲也は改めてエースに向き直った。
一年前。ちょうど今頃。
このエースはマウンドに片膝をついて斃れ、自分はファーストでそれを見ることしかできなかった。
「前に俺たちは1点も取ってやれなかった。だが、約束しよう」
セカンド小湊亮介は、僅かに逸れた送球に悔いを顕わにし。
サードの増子はベンチであの圧倒的な強さを誇る後輩が敗けたことを信じられずに呆然とし。
センターの伊佐敷もベンチで無意識的に漠然と『アイツは敗けない』と思っていたことに気づいて尚更愕然として。
そして、現三年生は今に至る。
再び決勝へと進んだ、今へ。
泣いても笑っても、次の試合で全てが決まる。
「―――必ず、お前を援護する。見殺しにはしない。だから、お前はお前のやるべきことをやれ。気負い過ぎるな。お前の荷の半分なら、主将の俺が背負ってやる」
この一言は、皆の総意。
「マウンドに立つのはお前しか居ないが、グラウンドにはあと八人居る」
頼れ、でも。
信じろ、でもない。
頼られているし、信じられてもいるから、それがわかるからそんなことは言わない。
「俺たちに任せろ。必ず点を取ってやる。必ず、お前を勝たせてやる。二度とお前を敗戦投手なんかにさせやしない」
1日後。
先攻、青道高校。後攻、稲城実業。
夢の舞台へのただ一枚の切符を手に入れる為に、西東京の強豪同士が激突する。
熱い夏が終わるのか、それともはじまるのか。
むしっとする気温の中、青道ナインは来たるべき決戦に向けて最終調整に勤しんでいた。
「チーフ!そんなところで荷運びしてるならこの不肖沢村めのムービングの制御を―――」
だが、そんなところにやってくる、馬鹿が一人。
沢村栄純。嘗て見学に来た時、東清国を三振に打ち取った男である。
「あっ」
「あっ」
「あぁ……」
お互いに嫌ぁな記憶を蘇らせる沢村と東、何かを察する智巳。
そう言えばこの二人のいざこざを御幸が遠い昔に言っていた気もする。
「おいおい……お前あん時のクソガキやないかい」
「チーフ、実はこの沢村カットボールを―――」
「無視すんなやガキィ!」
173センチと割りと身長はある方な沢村だが、ここに居る三人は194(エース)/193(元主砲)/180(キャプテン)の三人。
こう並ばれると貫禄がある。
だがその中で一番面積が広いぶん威圧感がすごい東を華麗に無視するあたり、肝が太い。
「かつてこの沢村栄純が完膚なきまでに。
完膚なきまでに!完膚なきまでに叩きのめしたメタボリック先輩!」
「メタッ……喧嘩売っとんのかクソガキャー!?」
元気な二人が元気に喧嘩しているのを傍目に見て、智巳は取り敢えず蚊帳の外になった尊敬する先輩に目をやる。
結城哲也は、暇そうではあった。
「哲さん、今休憩中ですか?」
「ああ。指すか?」
「指しましょう、指しましょう」