瞬間最大風速   作:ROUTE

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一球に生きる

「ギア上げていくぞ、智。スロカブチェンジ多用、決めは緩急で」

 

「やっとか」

 

今までは縦カーブを2球、高速フォークを2球。カットボールを1球。あとは基本的にストレート。

 

ここに、二巡目からはチェンジアップとスローカーブを混ぜる。

 

どうにも調子が乗り切っていない智巳を勢いづかせる為に、そして切り替えを促す為に、御幸は敢えてそのような表現を用いた。

 

『四回の裏、稲城実業の攻撃。一番センター、カルロスくん』

 

ブラジル人とのハーフ。卓越した運動能力と、巧打を誇る一番打者。

起用法が打者智巳と似ているが、彼は金属バット持ち。ボール球で釣ってもヒットにされる可能性がある。

 

「カルロス、二巡目だしそろそろ打たないとな」

 

「この打席で打つさ」

 

「さぁて、打てるか?」

 

どう考えても、集中力を乱しに来ている。

こいつがいなければただのラスボス戦なのに、こいつが居るからラスボス戦ではない。

 

勝てるかどうかの、保証がない。

 

「最初はストレート。外角低め」

 

三味線か、本当のことか。

それがわからない。と言うより、そんなことを考えさせる為にわざわざ話しかけているのだ。

 

来た球は、外角低めのストレート。

 

「言った通り投げたのに、振ってこなかったな」

 

返事はしないが、耳に入ってくる。

 

「次はチェンジアップ」

 

と言いつつ、ストレート。

完全に無視してストレートに備えていても、どこかにチェンジアップをちらつかされていた。

 

「この二巡目は、徹底的にやらせてもらう」

 

そう言えば、基本的に一巡目はストレート8割、後は縦のカーブとカットボール、高速フォークのみ。

あのスライダーは、使ってきてはない。

 

速球狙い、一点張り。

 

後は捨てる。ここに来て、腹を括った。

何としても塁に出るのではなく、一回でもチャンスを作る。

 

勝負の3球目。投げられたのは、チェンジアップ。

 

完全に体勢を崩され、無様な空振り三振。

悔しさを露わにして、カルロスは打席を去った。

 

『106キロ、チェンジアップ。空振り三振です』

 

『前に投げられた成宮くんの対応されてもキレで勝負するサークルチェンジとは違い、完全に遅さで勝負に来ている球ですね。ただの棒球に近いんですけど、とにかく150キロの後に見せられるとどうしてもフォームが崩れてしまうんでしょう』

 

『つまり、リードが読まれれば打たれてしまう、ということでしょうか?』

 

『そうですね。多少のリカバリーが利く成宮くんとは違い、あくまでもリード頼りの球です。本来、彼のような決め球があったりするピッチャーはこう言う自分の力ではないところで勝負が決まる球は嫌いなんですけど、斉藤智くんはこの球を比較的よく投げます。

ですがまあ、ハマった時は強いですよ』

 

次の打者は、白河勝之。

 

これまた、厄介な男である。

 

(智、初球からいくぞ)

 

(OK)

 

御幸のリードに従うときは首を縦に振り、御幸の考えを把握して認めた時は左肩に手をやる。

 

左肩に右手を置いて、智巳は答えた。

 

初球は、快速球。本来は決め球に使うレベルの、智巳が投げるストレートの究極型。

 

ストレート待ちの白河でも反応できず、見逃し。

 

2球目のチェンジアップ、空振り。

 

(本気で来い)

 

(了解)

 

息を整えて、外ぎりぎり外れる形のストレート。

当然、白河は見逃す。ボール球だからである。

 

御幸としてはこのボール球を二個使って白河への警戒を上げたように見せかけ、三番の吉沢に適当配球で挑む。

そうすることで吉沢に『上位打線で俺だけ舐められている』と言う認識を植え付け(事実智巳は舐めている)、その後一番カルロスと二番白河を出してしまったとしてもこの三番の逸る打ち気を利用して引っ掛けさせ、ゲッツーを取れるようにする。

 

カルロスも白河も俊足だが、ウチの内野なら取れるだろう思っていたのだが。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

御幸の予想外が、はじめて起こった。

 

白河も驚いた顔をしていたが、ギリギリだったから手を出さなかったと言えばそれまで。

 

(いや確かに俺の構えたところより際どかったけど、ボールじゃない?)

 

これの原因は、主に斉藤智巳。

彼は割りとコントロールがいいピッチャーだが、やはり楊舜臣や向井太陽と比べると見劣りする。

 

スリーストライク、つまり最後の『ここぞ』ではコマンドに決められるが、他は正直ボール一個分から半個分ずれることも珍しくはない。

それが、この時のストライクゾーンに僅かにズレた。

 

そして何よりも、斉藤智巳は3球勝負が多いと判断されていた。

それは間違いではないし正しいのだが、『このボールも決めに来た』と思われてしまったのである。

 

かなり際どいコース。ストライクともボールとも取れる。

 

投手は四球0、ボール球が5個。それもわざと外したものばかり。際どいものはひとつもない。決めるところは3球勝負が多い。

 

打者の白河は三振が一つ。しかもインコースギリギリの初球を見逃した。選球眼は、どうなのだろうか。

 

さあ、どう判断するか。こう言った様々な条件の元で、審判の彼は判定をストライクとした。

 

(すまん。球が散った)

 

(いや、どうしようもないだろ、これは)

 

(どうする?)

 

(普通に打ち取っていこう。この打者は安牌だ)

 

ストレート3球勝負でキッチリ仕留め、次の回は四番の原田からはじめる。

 

その作戦を相互理解の上に決定したものの、このバッテリーははじめてここに来て試合が管制下から外れたことに些か動揺していた。

 

だから、勝負を焦った。

 

『インハイ打ったー!ショート後方、レフトの前!』

 

この打球は捕れるかどうかと言う、瀬戸際。

定位置で守っていた為、走って間に合うかどうかと言うところ。

 

「前で処理しろ、一か八かの無理はすんな!」

 

伊佐敷が叫ぶが、既に飛び込んでいる。

守備を買われてこの夏初めてのスタメンとして入っている。これまで二度のチャンスを潰している以上、挽回できるのは守備でのみ。

 

ここに来て、焦りが青道ナインの内の三人の足を引っ張った。

 

ダイビングキャッチは失敗に終わり、打球はレフトを転々と転がっている。

 

『レフト坂井くん、後逸。記録はヒットです!』

 

すぐさま伊佐敷がカバーに入り、バックホーム。

俊足をとばしてホームへ進もうとする素振りを見せていた吉沢が、三塁で止まる。

 

スリーベースで、迎えるは原田雅功。

勝負どころに強い、稲実の主砲である。

 

「……ハッ」

 

ここで、智巳は笑った。

目の前の四番に打たれたサヨナラの記憶を思い出しながらも、笑った。

 

ここで来るか。ここでこう来たか。

 

まだ自分をエースとは認めてくれないのか。まだ、自分に試練を与えるのか。

 

東清国の夏を終わらせた不甲斐ない男に、マイナスからゼロへ進む男に、この試練を与えたのか。

 

いいだろう。やってやる。

 

打者から、エースは逃げる。エースは隠れる。エースは怯む。勝つ為には、真っ向勝負する必要なんかどこにもない。

だが。与えられた試練からは絶対に逃げないのが、エースだ。

 

だから、俺は逃げない。

ここから、逃げない。

 

(捻じ伏せるぞ、御幸)

 

(だろうと思ってた)

 

味方のエラーは確かに頭に入れていなかった。だが、だから何だというのだ。そんな予想外はいくらでも起こる。

 

その予想外を乗り越えてこそ、勝ちは見える。

 

ランナーは三塁。ホームスチールはリスキーだから稲実はしない。

しかも打順は四番なのだから、勝負に来る。

 

ツーアウトだからスクイズはない。ランナーは三塁だからセットポジションから投げる必要もない。

 

非常に動作が遅いワインドアップモーションから、斉藤智巳は1球目を振りかぶって投げた。

 

153キロ、ストレート。空振り。

 

(速い)

 

わかっていても、下を振ってしまっている。

そのことを自覚して、目を瞑る。

 

―――相手投手の特徴も、成宮の相棒としてここがどういう場面かも充分頭に入っているな?

 

そう国友監督に訊かれて、自分は無言で頷いた。

ここで点を取らなければ、更に苦しくなる。

 

ピンチの後にチャンスあり。それを当てはめれば、ここを切り抜けられたら更に大きな波が押し寄せる筈なのだから。

 

―――ならば監督として一言だけ言おう。

この場面、キャプテンでもキャッチャーでもなく、四番打者として打席に入れ。

 

―――四番打者として、あの怪物と勝負してこい!

 

鋭く、語気は強く。

国友広重にそう言われ、原田雅功は打席に入った。

 

いつになく研ぎ澄まされた勝負勘と、責任感を力に変えて。

 

(智、ノーボールでの真っ向勝負だ。本気でいくぞ)

 

(ああ)

 

タイムは取らない。取らなくても、意思疎通に齟齬はない。

目指すところはただひとつ。この試合の勝利。

 

3球勝負は球数の節約にもなる。だが何よりも、相手に余裕を与えないから好きなのだ。

一つのボールも投げない。それ自体が、プレッシャーになる。

 

次の球は、縦に曲がるスローカーブ。

 

一回上がって、ぽとんと落ちる。

これを初見ながら当てて、原田雅功はファールにした。

 

(緩急―――)

 

次はストレートだ。そうわかっていても振り遅れる。

 

3球目のストレートを迎え打ち、後ろへ打球が飛んで、ファール。

 

今度はチェンジアップか、スローカーブか。

裏を掻いてのストレートか、高速フォークか。

 

それとも、高速スライダーか。

 

(エースの役割が勝つことなら、四番打者の役割は点を取ること―――)

 

ここで打つ。

 

次に来た球は、チェンジアップ。

下半身がやはり、崩される。

 

その速度差は40キロあまり。ドラフト候補に挙げられる原田でも、この速度差は脅威だった。

しかし、ファール。粘っている。

 

『斉藤智くんはあくまでも強気のストライク先行のピッチングで攻め、原田くんは1球の球も見逃さないとばかりに気を張っています』

 

もはや5球目。決めてもいい頃。

誰もが感じていた。このエースと四番の対決の終わりを。

 

原田が、打席を外した。

速度差に騙された眼を慣らすための、少しの抵抗。

 

普通の投手ならば、ここで自分も姿勢を崩す。

相手がリラックスしたのだから、自分もと。

 

実際問題、緊張をほぐす為にもその選択は悪いものではない。

 

しかし智巳は投げる前の、腰を曲げて上半身を斜め前に突き出した姿勢のまま動かない。

獲物を狩る前の鷹のような切れ長の眼から下を右手で隠し、右手をグローブで覆っている。

 

見据えるのは、原田雅功自身ではない。

打席に入っていた、原田雅功。自分が勝負をする、一人の相手。

 

この時の智巳には、鬼が憑いていた。

 

『この一戦で、一打席で。互いの全てを賭けて火花が散っています。

エースの誇りか、四番の意地か―――』

 

構えたまま不動の姿勢が、強烈に打者を威圧する。

その圧に押されて、いつもより少し早めに打席に戻った原田が構え終えて、やっと智巳は動いた。

 

突き出した上半身を上げて、すらりと194センチの長身がマウンドで屹立する。

グローブが首元に構えられ、肘と共に上がった。

 

軸足が、片方の脚を上げるためにステップを踏む。

上がる方の脚が、上がった後に虚空を叩いてピクリと動く。

 

上がった腕の片方は、前に出された。

 

グローブは前に、右手は後ろに。

半身になって挑む様に、フォームがスライドしていく。

 

―――来る

 

原田にはわかった。決め球が来ると。

フォームでわかったのではない。そんなわかりやすい弱点はない。

一種鬼気を感じさせる、エースとしてのオーラが何よりも雄弁に語っている。

 

右腕が撓り、空気が軋む。

パスボールのことなど一切頭にない。

唸りを上げて、白球が迫った。

 

(来るか、高速スライダー!)

 

インコース付近に、迫ってきている。

ここからどう動くのか。

 

腕を畳んで、真ん中あたりにミートポイントを合わせて振り抜く。

真っ直ぐに加速しながら曲がるスライダー。生で見たことはないが予想はできる。

 

少しくらい目算から外れても、当ててファールにする。

 

 

 

そう思った原田の視界からスッ、と。白球が消えた。

 

 

 

『エースが吼え、外角にズバッと突き刺さって空振り三振ッ!インコースから入ったスライダーが、その球を読んで打とうとした主砲のバットを遥かに上回って構えられたミットの中へ!

投げたスライダーは自身最速に並ぶ153キロ!

ここ神宮で19年前に誰もが初めて見たスライダーが再び現れました!』


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