瞬間最大風速   作:ROUTE

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結城の意地

吼えた後、智巳は心臓に右手を当てた。

 

怖かった。打たれるのではないかと、点を取られるのではないかと。

 

弱気はベンチに捨ててきた。マウンドに居る自分は、強い己。

 

憎たらしい程に晴れている大空を見上げて、額の汗を左腕で拭ってベンチに戻る。

 

「お疲れ様です、チーフ!」

 

「……ああ、ありがとよ」

 

膝に右肘を突き、右手の甲で額を支える。

 

疲れた。あの時にサヨナラを打ったのは原田雅功。

怖かった。後から振り返ってそう思う。

 

一点を取られれば、あの時のように敗けるのではないかと、そう思ってしまった自分が居る。

 

「どうだった、さっきの俺は?」

 

「かっこよかったです!臆さずに勝負する様は、正にエース!それでこそ我が目標!」

 

何も知らずに賑やかに褒めちぎる沢村の頭を軽くグシャっと撫でて、紙コップを返す。

 

「美味かった。ありがとよ」

 

「またお望みの時はご注文を!」

 

「わかったわかった」

 

1球に生きる。

 

帽子のツバに書かれた座右の銘を見て深呼吸し、智巳はやっと周りを見た。

 

結城哲也が、御幸一也が、小湊亮介が、伊佐敷純が。

ネクストバッターズサークルには倉持洋一が、打席には白洲が、後ろには騒がしいのが一人居る。

 

「智巳」

 

「はい、哲さん」

 

「そう心配するな。絶対に点は取ってやる」

 

その若干見られはじめた心の疲労を察して、結城哲也は静かに言った。

殊更に強く言うわけでもない。

 

だがその言葉は、心に沁みた。

キャプテンとは、このような選手を言うらしい。

 

言葉ではなく、心で感じる。

 

「心配するな」

 

小さい深呼吸を一回して、二回息を吸って整えて、虚勢を張らずに智巳は答えた。

 

「ありがとうございます」

 

まだ、終わりたくない。

ここで、終わりたくない。

まだ、このチームで野球がしたい。

ずっと、ずっと、このチームで野球をしていたい。

 

肌はひりつく。プレッシャーで試合前は潰れそうになる。

だけど、楽しい。投げることが、勝つことが、打つことが。

 

楽しい。

いつまでも、このチームでいたい。

ずっと、野球をしていたい。

 

「勝ちたいんです。マイナスから、ゼロに進む為にも」

 

勝者以外に明日は無いのが高校野球。

敗けましたではすまされない。

 

「その勝ちたいという気持ちは、わかっている」

 

少し口の端を釣り上げて、微笑みながら結城は言う。

 

「マイナスからゼロへと言うのはわからないが、俺は甲子園に行きたい。お前と、俺と、純と、亮たちで。このチームは、最強だ」

 

静かに、しかし熱く。

結城哲也は、ずっと目指してきた夢を語る。

 

「最強のチームの最強のエースと、最強のチームのキャプテンとして、甲子園に行きたい」

 

「俺も、行きたいです。哲さんと、皆と」

 

「これは俺の夢だ。だが、皆で努力しなければ叶わない夢だ。お前にも負担をかける我が儘だが、頼みたい」

 

頼むぞ、エース。

 

ポン、と背中を叩かれて、智巳は弱気を受け入れた。

弱気、嘗ての記憶、それを乗り越える。

 

何故なら最強のエースだから。

最強のエースと言えるのは何故か。

それは、尊敬する主将が認めてくれたから。

 

それ以上の証拠などない。必要もない。

 

打席に立ってあっさりセカンドゴロに倒れて成宮に三凡に打ち取られるも、その闘志はまるで消えていない。

 

「15回でも、20回でも投げます。絶対に点はやりません。気長に一点取ってください」

 

「らしくなったな。だがまあ、残念ながらこの試合は9回で終わりだ」

 

この次に点を取るからな。

そう平然と口にして、結城哲也はファーストの守備位置につく。

 

「おい御幸、ガンガン攻めのサイン出していけよ」

 

「……お前って、何というかこう、本質的には馬鹿だよな。乗せられやすいというか、なんというか」

 

「お前もだろ。俺に散々乗せられてきたじゃないか。馬鹿に乗せられる馬鹿、さしずめ大馬鹿といったところか」

 

「否定できない自分が憎い。けどまあその切れ味鋭い発言を見るに、復活したようで何より。ガンガン行こう」

 

「だからそう言ってんだろ」

 

本当に辛辣なんだからこの男は……と思いつつ、御幸は嬉しい。

この男は割りと鉄壁のメンタルを持っているが、若干稲実を意識し過ぎているところがあった。

 

それをあっさり取り除いた今、死角はない。

 

五番成宮、六番山岡、七番平井。九球で三者連続三振に切って取り、吼えるだけ吼えてベンチに帰る。

 

『五番六番七番の中軸からはじまる打線を、完璧に見下ろして切って捨てたぁ!

斉藤智、ここに来て完全にエンジンがかかってきました!』

 

どこか挑む姿勢から、完全に見下ろして待ち構える姿勢に。

この余裕と闘志から来る、敵を完全に呑んでかかる制圧力の高いピッチングこそ、斉藤智巳の真骨頂。

 

「頼みます」

 

「任せなよ」

 

先頭打者は、小湊亮介。

他に言葉など必要ない。

 

(先ずは塁に出てあげるからさ)

 

これまで二打数の一安打。

ヒット一本、攻めきれていない理由はここぞの場面が訪れる前に出塁できなかったから。

 

可愛い後輩の為に、さっさと点を取ってやりたい。

 

(細かいことは考えず、来た球を振る。そんなこと言ってる奴が二人程いるけど―――そんなことできるほど巧くはないんでね)

 

打席で完璧に抑えられた以上、負けん気の強い成宮は初球ストライクを取ってくる。

その球を狙い撃つ。

 

カーブを掬い上げ、ライト前へ。

 

『二番小湊くん、出塁!

圧倒的な投球の片鱗を見せつつあるエースに、援護点を与えられるか、伊佐敷くん!』

 

三番センター、伊佐敷。

ここまでヒットはなし。

 

(俺の仕事は、繋ぐこと)

 

後ろには、逆立ちしてもかなわない男が居る。

 

四番でキャプテンのその男が、ネクストバッターズサークルに静かに鎮座していた。

 

(ぜってぇ進ませるのが、俺の仕事だ!)

 

1球目のクロスファイヤーを空振りし、高めに浮いたサークルチェンジを叩く。

 

右打ち。ライトとセカンドの間に、ポトリと落ちるヒット。

これで、ノーアウトで一、二塁。

 

(頼むぞ、哲)

 

 

―――四番、ファースト、結城くん

 

 

ウグイス嬢がその名をコールし、四番がチャンスで打席に立つ。

 

青道高校、不動の四番。

 

「タイムをお願いします」

 

威圧感と闘気が、陽炎のようにゆらめく。

原田は、ここでタイムを取った。

 

「鳴、最悪敬遠でもいい。甘い球を投げるな。打ってくるぞ」

 

「わかってるよ」

 

歯を食いしばり、力む。

ツーアウト三塁で追い込んでいたのに、今はノーアウトの一、二塁で追い込まれている。

 

「雅さんも、あんま気にしないで攻めて行きなよ。あんな敵の失策に頼ったようなチャンスなんか、物にしても勝ったとは言えないんだからさ」

 

状況こそ違えど、奇しくも再びエース対四番。

 

原田雅功対斉藤智巳。

結城哲也対成宮鳴。

 

前者はエースが勝った。

後者は、どうなるか。

 

『立場、状況は違えど同じ二年生のエースと三年生でキャプテンで四番の対決!』

 

結城哲也は、静かに待つ。

成宮鳴は、気迫を顕わに挑む。

 

1球目ストレート、空振り。

 

「球走ってるぞ、鳴!」

 

「哲さん、頼みますよ!」

 

原田の声とエースの声をバックに、結城哲也は構え直す。

2球目、スライダー。

 

インコースから決まって、ツーストライク。

 

結城哲也は、打席を外さなかった。

最後まで、成宮を見ていた。

 

成宮を通じて、去年の光景を見ていた。

そして今、現実が被る。

 

次の球は、チェンジアップ。

これで稲実バッテリーは決めに行く。

 

―――超える。あの怪物を。勝負所で自分が全幅の信頼を置く主砲を打ち取ったあのエースを。

 

早打ちでここまで出塁してきた結城には、見せていない球。

 

(低めに決まれば魔球―――ここで仕留めて、あの怪物を超えるピッチングを見せてみろ!)

 

結城の下半身は、崩れなかった。

バットを下から出し、スクリュー気味のチェンジアップを完璧に捉える。

 

低めに決まった、成宮鳴のチェンジアップ―――サークルチェンジ。

 

白球は飛び、弾丸のような鋭さを維持したままに斜めに上がる。

 

『いったかぁぁぁぁあ!?』

 

白球は神宮のバックスクリーンの、電光掲示板を直撃した。

『稲実戦で好投を続けていたエースを援護する、特大の一発!

一年越しの援護は、主将結城のホームラン!』

 

ランナーの小湊亮介と、伊佐敷純とタッチする前に、結城哲也はベンチにゆっくりと歩いて寄った。

 

「随分と、遅くなったか」

 

「間に合ってますよ」

 

不敵に笑い合って、結城と智巳は乾いた音を立ててタッチし合った。

 

四番ファースト、結城哲也。ヒットとツーベースの後、スリーランホームラン。

3対0。六回の表、青道高校、3点先制。




読んでいただきありがとうございました。
感想・評価いただけると幸いです。

現在予定している番外編は『番外編・掲示板』、『番外編・御幸一也』、『番外編・甲子園編』『番外編・WBC』、『番外編・別れ』『番外編・紅白戦』となっております。

ほな、また……。

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