瞬間最大風速   作:ROUTE

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甲子園編
夏のはじまり


エース目当てのインタビュアーたちが何も聴けないほどに、智巳は泣いていた。

一年前、敗けた。尊敬する先輩達の夏を自分が終わらせた。

 

終わらせなくてよかった、終わらなくてよかったと、泣きながら言うだけで、精一杯だった。

 

勝ててよかったと、智巳は一度も言えなかった。

敗けなくてよかったと、終わらなくてよかったとしか、言えなかった。

 

ほぼ完璧なピッチングでチームを勝利に導いたエースに、話を聴きたくない、聴かなくていいと言えば嘘になる。

しかし、誰も詳しくは言わなかった。

 

この場面こそが本心だと、この場面こそが絵になるのだと、記者たちは鋭い嗅覚で悟っていたから。

 

その点結城は少し涙を拭いながらもキッチリとインタビュアーたちに答えて、様々なことを話した。

 

敗けてからのこと。春大会のこと。関東大会のこと。ベンチで言ったこと。敗けを乗り越えて、成長したエースのことを。

 

自分の手柄については、語らなかった。

だが、あいつは俺の誇りですと、あいつと野球をやれて嬉しいと。

そして、エースがあいつで良かったと、最後に言った。

 

「さあ、凱旋だぞ。そんなに泣くな」

 

「すいません……」

 

「お前は完封した勝利投手なんだ。胸を張れ。手柄を誇れ。笑え。俺はお前と甲子園に行けて、嬉しいんだぞ」

 

バスに乗る前に、OBや応援に来てくれた生徒達にお礼を言わなければならない。

智巳を何とか泣き止まさせて、結城哲也は、スタメンの中心に立って頭を下げた。

 

「応援、ありがとうございました!これからもよろしくお願い致します!」

 

―――ナイスゲームだったぞ!

 

―――甲子園でも勝ち抜けよ!

 

―――智、泣くなー!

 

―――純、泣くなー!

 

―――亮介と哲を見習えー!

 

からかい混じりのヤジと、心からの賞賛。

 

「すいません……」

 

「泣きたいときくらい泣かせてくださると嬉しいッス!」

 

エースは泣き続け、ウイニングボールの捕球者が謝りながら正当化して、ドッと周囲が湧く。

 

立派だったぞ、と仲間たちが褒められる中、頑張って泣き止んだ智巳は報道陣の前に引き返した。

 

ふとそれに気づいた御幸が後を追う。

 

「質問に答えられず、申し訳ありませんでした。泣いていたとは言え、同じことを繰り返して申し訳ないです」

 

予想外の謝罪に報道陣が面食らい、口々にその謝罪はする必要がないことを説く。

もう既に彼らは格好のネタを手に入れているし、もう色々と臨界点を突破していたことは見ていればわかる。

 

配慮が足りなかったよ、ごめんねと、口々に逆に謝られた智巳は少しの時間ではあるがインタビュアーの質問に答えて、去り際にもう一回頭を下げてバスに乗った。

 

もう何も考えていないこの無意識の行動が、マスコミたちに好印象を与えたことを、御幸以外は知らない。

 

時々涙を袖で拭いながら、智巳はアイシングしながらバスに揺られていく。

 

「何かチーフって『無敵ッ無敗ッ最強ッ』ってイメージあったんだけど、違うんだな」

 

「……僕も意外だった。あの人は、ここで勝っても平然と不敵に笑ってると思ってたから」

 

「でも、責任感は人一倍強い人だし、思うこともあったんじゃないかな」

 

クリスの隣の沢村、その後ろの席に隣で座っている降谷・小湊の一年生三羽烏にその泣きっぷりを驚かれる程に、智巳は泣きまくっていた。

まあ、汚い泣き方ではなく、新聞に無加工で乗せられるほどに絵になる泣き方をするあたり真性のエースなのだが、それは置いておく。

 

「……失望したか?」

 

「いえいえいえいえ!何かこう、意外だなって」

 

クリスの言葉に、沢村は慌てて首を振る。

智巳の号泣に釣られて泣いた観客も居たし、実際青道ナインの内の何人かの涙の長期化には確実に貰い泣きの要素が含まれていた。

 

綺麗な涙だったと思うのだ。沢村も勝ったという実感がわかないまま、釣られて泣いていたわけだし。

 

「……まあ、あいつはマウンドでは無敵だが、他ではそうでもないんだろう。カッコつけるやつだから弱みはあまり見せない分、余計な」

 

「完璧ってわけじゃないんですね……」

 

「それはそうだ。心は誰しも穴だらけ。その穴を一つずつ埋めて、人は生きていくんだからな」

 

クリスの言葉に頷き、沢村は改めて試合を振り返る。

結局、自分の出る幕はなかった。9回を一人で投げて、エラーで作られたピンチに動じず、四番打者を相手にして不敵に振る舞い、ベンチでは常に余裕を見せて、味方の援護を待ち続けた。

 

そして援護を貰えば更に奮起して見せた、圧巻のピッチング。

最終回のピンチでも、大胆不敵に振る舞う豪胆さ。

 

目指す道は遥か遠く、背中が見えるだけで手は届かない。

 

「俺、チーフからもっと学びます。あの人から今まで学んだのは、教えられたことだけだった。でも、違うんですね。エースって言うのは立ち振る舞いから『らしく』ならなきゃいけない」

 

「そうだな。『らしく』振る舞おうとする前に、らしくなっていなければならない。チームメイトの心を掴み、信頼される。極論になるし、あいつは絶対に認めないだろうが、俺たちはあいつが打たれて敗けても悔いはない」

 

「青道のエースだから、ですか」

 

「そうだ。そして、あいつなら俺たちの三年間を任せられる。あいつが俺たちの三年間を、背負ってくれているからだ」

 

その結果勝って泣いたあのエースに、誰も何も言えない。

良かったなと、ありがとうと、背を叩くくらいだろう。

 

「お前も、そう言われるエースになれ。沢村が打たれて敗けたなら悔いはないと、そう言われるようなエースにな」

 

「はい、師匠」

 

肩をアイシングして、目蓋を御幸が用意した熱い濡れタオルで温めているエースの座席からはみ出た髪を見て、沢村は思う。

 

これまで何となく、チーフとはいつも一緒に練習できると思っていた。

いつでも当たり前のようにマウンドに立っていて、敵打線を軽々捻じ伏せた後に自分を見てニヤリと笑う。

 

早く奪ってみろよ、と。

 

だが、そんなチーフも引退して、卒業する時が来る。

そしてそれは、そう遠くない。

 

あと一年。そう考えると、とても短く感じられる。

 

(正面向いて教えてもらうんじゃない。あの背中から、学べることは沢山ある)

 

そしてこの時、降谷暁の心にも変化が起きていた。

 

彼は、中学から野球をはじめた。

天性の豪腕は簡単に豪速球を叩き出し、150キロを超える球と豪快な打撃を才能だけで身につけた。

 

しかしチームメイトに恵まれず、捕れる捕手も居らず、周りに捕ろうとする根性を持った人間もいなかった。

 

そして自分の球を捕れる捕手を見つけて入学した青道にて、その見つけられた捕手の御幸に言われて、すぐに使えるレベルの変化球を身につけられた。

 

彼は思っていた。エースになる為の課題はスタミナロール。スタミナとコントロールを付けることだと。

 

だが、違う。

一人ではできないことが、手に入れられない物が、エースになる為には必要なのだ。

 

だが、それを持っているからこのエースは強いのだろうか。

それを持っているから、このエースはあんな変化球を投げられるのだろうか。

 

わからない。

技術と身体と、メンタル。この3つが結びついてこその本当の実力と言われているが、あそこまで背負い込む必要があるのか。

 

あそこまで背負い込んで、本来の実力が出せなくなったらどうするつもりだったのか。

本来の実力であれば、敗けないのに。

 

あんな球を投げられれば、敗けないのに。

 

それが聴きたい。

 

(だけど流石に、今はダメかな……)

 

降谷、空気を読む。

主義が個人よりに傾いているだけで、本質的にはいい子なのである。

 

一方沢村。

彼はバスを降りて寮に付き、一年生たちや二軍の選手たちが帰ってきた先輩たちの荷物を運び込もうと駆け寄ったあたりから、ずっと智巳を見ていた。

 

「何だ、沢村?」

 

「いえ、見てるだけであります!」

 

「いや、何で見てるかを訊いてるんだよ」

 

「チーフの一挙手一投足にエースになる為の要素を見出すためであります!」

 

「あ、そう」

 

「そうであります!」

 

「うるさい。母校に帰り、さあ再び涙腺が緩もうという時に涙も引っ込むこのうるささ、って奴だ」

 

「恐縮であります!」

 

「……………」

 

この男、空気を読めない。

読んでないのかもしれないが、良いと思ったことをすぐに実行する。

 

そんな沢村を無視することを暫時決めて、智巳は自分の荷物を運び込もうとしてくれている東条に目を向けた。

 

「東条、自分の荷物くらいは自分で持つからいい。お前も練習してたんだろ?」

 

「いや、でも……」

 

「いいって。自分のことくらい自分でやるから、そんな時間あるなら俺に追いつくために努力してるんだな」

 

努力していたことを認め、更にその火を煽る。

なるほど、と沢村は思った。

 

「はいッ!」

 

「ま、この後祝勝会だから。死ぬほど走って死ぬほどウエイトして、ガッツリ腹空かして戻ってこい」

 

このやり取り、沢村としては活かしたい。

エースっぽいと、何となく感じたからである。

 

そこで沢村は、自分の荷物の近くにいた金丸信二に目をつけた。

 

「カネマール!俺の荷物は運ばなくても―――」

 

「言われなくともやんねぇから、お前は自分でやれ。今日は智さんが完封しただけで、お前は何もしてないだろうが」

 

クリスの荷物を持ちながら、金丸は言う。

先程の言葉は『智巳が先輩であること』、『ある程度の尊敬を勝ち得ていること』、『エースであり、目標であること』の3つが揃ってはじめて機能する言葉である。

 

守護神とは言え、沢村は沢村だから機能しない。

 

「いいよ、カネマール。自分のことくらい自分で―――」

 

「やれっつってんだろうが、馬鹿」

 

「馬鹿!?」

 

「おーおー、馬鹿っつたんだよ、馬鹿。この馬鹿」

 

完全に馬鹿にされながら金丸信二に去られ、沢村は久しぶりにぐぬぬ状態になった。

 

「チーフ、何故ですか!?」

 

「立場が違うからだろ」

 

「ぐぬぬぬぬぬ」

 

ぐうの音も出ない正論を叩き込み、沢村を後に置いて智巳は部屋に帰る。

バスの中でアイシングしたから一時間程外気に触れさせて肩を休ませるが、風呂にも入りたい。

 

ちんたらしてはいられないのである。

 

「お前があいつの真似しても滑るだけだぞ、沢村」

 

「何故!?」

 

「身長21センチ差、丸基調パーツでかわいげ童顔のお前と割りと鷹めいた鋭角のパーツが基調のあいつとの顔の差、これまでの実績、今出してきた結果。はい、この4つ」

 

「ぐぎぎぎぎ」

 

智巳ー御幸コンビの熱い袋叩きにあいながらも、めげない・しょげないが沢村の持ち味。

 

愛しきタイヤの元へと駆け出そうとして、小湊春市に止められる。

 

「駄目だよ栄純くん。僕達のお風呂の順番は帰って直ぐなんだから、そんなことしてる暇はないよ」

 

「何故!?」

 

「いや、お風呂の順番がもうすぐだからだけど。皆が綺麗になって祝勝会に出るのに、栄純くんだけそのままって言うのは……」

 

「ぐむむむ」

 

「ま、まあ、練習は祝勝会が終わってからでも出来るし、ね?」

 

決意に水を差された沢村は、おとなしく風呂に入る。

烏の行水を小湊春市に押し留められながら、きっちりと入った。

 

御幸と智巳は一時間の間、ビデオを使って今回のピッチングの見直しをしてノートに書き、キッカリ一時間後に風呂に入り、パパッと着替えて見直しを再開。

終わらせた後に祝勝会が行われる場所であるところの食堂に向かった。

 

「あれ、監督は?」

 

「俺達の前で泣いちまったからか、今部屋に引き篭ってるんだと」

 

泣いてしまったことが少し恥ずかしい。

厳つい外見に反して割りとシャイで恥ずかしがり屋なところがある。

 

片岡鉄心は、泣いてしまった。

自分が三年間見てきた生徒が決勝に進み、勝ったことに。

 

甲子園への切符を、自らの手で掴み取ったことに。

 

自分の首がセーフになったとか、そんなことを微塵も考えずに、ただただ嬉しくて泣いてしまった。

いい歳した大人が、である。

 

「純さん」

 

「わーってるよ、思ってるこたぁ同じだ」

 

監督を、引きずり出してこよう。

引きずり出して、みんなで祝おう。

 

祝勝会の料理が続々と出来ていく中、青道ナインは片岡鉄心を引っ張り出しに、監督室へ押しかけた。

 

7日後に、球児たちの最も熱い夏がはじまる。


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