瞬間最大風速 作:ROUTE
勝ち残れるのは。
一回も敗けずにこの夏を終えられるのは四十九のチームの中で、たった一つのチームだけ。
大阪桐生を破り、二回戦に駒を進めた青道高校。
一回戦、大阪桐生。
二回戦、西邦。
立て続けに強豪と当たる復活した名門、青道高校。
高校67本男、今大会では一戦目で140メートル弾も放った超高校級スラッガー、佐野修造。
極めて珍しい木製バットの使い手にして既にこの大会で本塁打を放っている。甲子園初先発初登板となる敗けないエース、斉藤智巳。
この大会での目玉の対決が、既にはじまろうとしていた。
「佐野とは前、練習試合で戦って勝った。恐れ過ぎずに、ガンガン攻めるぞ」
「当たり前だ。誰にも敗ける気はない」
まず一球目を投げる前にマウンドに上って言葉を交わし、プレイボールの声が上がる。
『一番ショート、宇都宮』
いい景色だ、と思った。
打者が下に見える。マウンドが高い。
心なしか、御幸が近く見える。
ピンチの時には遠く見える、18.44メートルの距離が、手を伸ばせば届きそうなほどの距離にある。
『以心伝心と言っていいでしょう。この世代最強バッテリーが選んだ最初の球は、ストレート』
『いきなり150を出してきましたねぇ』
返球を捕り、少し前屈みになってグラブを前に出す。
頷いて、2球目。
チェンジアップ。108キロ。空振り。
『極上のチェンジアップです。その速度差は約40キロ!』
最初は、三振ではじめたい。
幸先良いスタートは、丹波さんが既に切ってくれた。
ならば、やることは一つ。
『空振り三振ー!152キロ高速フォークで三振を奪い、エースが吼えた!』
二人目、ストレートで見逃し三振。
三人目、ストレートで空振り三振。
三者凡退。素晴らしい安定感で立ち上がりを終えて、智巳はヘルメットを被って打席に立った。
三番から一番に、この時打順が元の適性位置に戻っている。
『一個目の三振で吼える程の闘志が、斉藤智の代名詞です。この三者連続は名刺代わりになりました!』
『こうも良いピッチングを見せられると、西邦側も気負うでしょうからね。この立ち上がりが、重要になってきます』
『青道の攻撃は斉藤智からですからね。彼の木製バットでの打撃はかなり注目されてますから、どうかぁぁぁあっと!
内角の難しい球をコンパクトに腕を畳んで打った!これはフェンス直撃のツーベースになりそうです!
しかし斉藤智は歩きはじめていますが―――』
智巳の木製バットが力んだ1球目を捉えた。
白球は、ライナー性。
低い弾道を維持したまま、本当にそのまま、真っ直ぐバックスクリーンに突き刺さる。
『入ったぁぁぁあ!初回初球、先頭打者ホームラァァァアン!センター佐野の頭を、弾丸ライナーが唸って超えて消えていきました!
斉藤智、これで甲子園通算二本目!二回戦で二本!』
『ミートしたというより、あのライナーの速さを生み出すパワーが凄まじいですね。敵チームからすれば当たれば飛ぶ、しかも結構当たるので怖い』
熱狂する実況と、ちょっと慣れてきた解説。
青道ベンチも、そんな感じであった。
「やっぱ一番っていいですね。不思議としっくりときます」
「そうか。だが、三番の時の打撃も悪くはなかった。中軸を打った時の感覚は忘れないようにしろ」
「はい」
片岡鉄心の言葉に頷き、智巳は静かに前を見た。
明らかに、敵のエースは動揺してしまっている。
不甲斐ないな、と智巳は思った。
初回に被弾してもあと全部ゼロ封すればまだ巻き返しが効くのに、動揺が先に立ってしまっている。
バッテリー間のタイムを取るも、二番小湊亮介、三番伊佐敷にヒットを打たれ、四番結城。
ここで西邦は守備のタイムをとった。
「速いな。二回しか使えないのに」
「誰のせいだと思ってるんですかね、智さん」
「向こうのエースのせいだろ」
ぐうの音も出ない正論とはこのことであろう。
言うなればこれは智巳が轟雷市に初回先頭打者ホームランを打たれましたというようなもので、彼は恐らく『やってしまった』と思いながらも後続を切るだろう。
既にメンタルとフィジカルはプロ並みなのだ。
結城哲也の応援歌、ルパン三世のテーマを御幸・智巳・沢村が輪唱している内に、守備のタイムが終わる。
どうでもいいが、この三人は妙に器用なところがある。合唱ではなく輪唱するあたり、特に。
「あ、リーダーから逃げるとは卑怯なり!」
「敬遠も配球だ。逃げられて敗けたら、それはチームの敗北。野球がチームスポーツである以上、それは敗けだろ」
タイムが終わった時点で御幸がネクストバッターズサークルに行き、伊佐敷も小湊亮介も塁上。
暇してるお話し相手は沢村くらいしか居ないわけで、自然と智巳は沢村に意識を向けていた。
だがまあ、マシンガン打線に例えられる青道打線は強い。
四番ローズを避けても、五番の駒田が居る。
四番結城を避けても、五番御幸が居る。
ニヤリと笑って、打席に立つ御幸からは陽炎のようなオーラが立ち昇っていた。
「どうして満塁で御幸に回しますかね」
「回した結果満塁だったってことだ。確実性のある哲さんの方が怖いしな」
打順の所為ということもあるが、プレイボールソロアーチスト智巳。
チャンスに強くスリーランホームランが多い結城。
恐怖の満塁本塁打男、チャンスに強い打点乞食、御幸。
打線が怖い。打線なら全国屈指である。
『これでボールスリー!御幸の前に、西邦のエース古河、ストライクが入りません!』
青いランプが3つしか灯っていない。
塁上は全て埋まっている。
「ピッチャーにとっては、堪らない状況だよな」
「流石のチーフもキツイですか!」
ピンチであればピンチである程、楽しいと思うのがこの男。
身震いする程に喜んで、彼はピンチに向かっていく。
でも流石にこの状況はキツイのかと、沢村は少しの共感と共にそう思った。
「いや、すっごく楽しそうじゃないか。あそこを無失点で切り抜けてみろ。敵の勢いを殺せるぞ」
「あっ、はい……」
でもまあそんな共感は無意味だったわけである。
こいつは野球を全力で楽しむ。単純に、ピンチを切り抜けるときのヒヤリとした感覚が楽しいのだ。
一方、打席の御幸。
(ストライク入んなきゃ打ち様がないから、別に四球でもいいんだけど、どうなんだろうな)
見逃してもいい。甘く来れば叩く。
そして4球目は、スッと入ってくる甘いスライダー。
(あー、最悪なパターンだよな)
ボールがストライクにならず、カウントを悪くして甘い球を投げて痛打される。
飛翔する球を完全に見送って、御幸はダイヤモンドを一周した。
5対0。
エース古河、アウトを一つも取れず5失点。そのままレフトに入り、マウンドには水戸。
「師匠、あの水戸さんとは?」
「スライダーとフォーク、140キロを超えるストレートを持つ二番手ピッチャー。コントロールが悪く四球が多い。しかし荒れ球で、被本塁打自体は少ない」
青道のデータベースに代わって智巳が答え、
「……よく覚えていたな、斉藤」
「いやまあ、エースですし、一番打者ですから」
実際この男は、実戦までは頭を結構使う。実戦になってからは打撃ではもう勘でしか打っていないが、ピッチングでは結構考えてたりもするし、御幸と話し合ったりもする。
割りとインテリであった。野球馬鹿だけど。
一方打撃陣は増子のツーベースに続けず、見殺しのような形でチェンジ。
「行くぞ、御幸」
「はいよ」
ここで四番・佐野修造。
これは実にいい。敵にはこちらの猛攻の後で
も、佐野さえ打てばと言う雰囲気がある。佐野なら打てると言う雰囲気がある。
相手の中核を捻じ伏せて、ここで完全にこのゲームを支配下に置く。
『今大会注目の、シニアの時には国際大会で日本を世界一に導いた黄金バッテリー対、高校通算67本の超高校級スラッガー・怪物佐野修造!』
甲子園の雰囲気が盛り上がる。
関東最強でしかなかった右腕が、全国に出る。
この勝負で、全国レベルかどうかが証明される。
(大丈夫だな、こいつ)
完全に見下ろしている。どこか挑む姿勢が強かった稲実戦とは違い、泰然と玉座の上から肘掛けに肘を立てて見下ろしている。
(そうやってる内は、お前は敗けねぇよ)
勝とうぜ。
そう思って、ミットを構える。
ニヤリと笑った捕手の構えたその場所に、乱れもせずにストレートが入る。
お前らのエースとは格が違うと、端的に示した1球目。
ストレートで空振りを取り、佐野ならという気持ちを陰らせた2球目。
見逃しに追い込んで、完全に試合の支配を終えた3球目。
いずれも、ストレート。
吼えすらせず、斉藤智巳は打席から去る佐野を見下ろしていた。
『怪物佐野を全球ストレートで3球三振!怪物を倒すのは、やはり怪物しかいないというのか!
斉藤智巳!東都の怪物が、怪物佐野を圧倒しています!』
五番前橋を見逃し三振、六番千葉を空振り三振。
いずれも、ストレート。
「ナイスピッチングだ」
「ありがとうございます、哲さん」
更に頼もしさが増している。
その不敵さに思わず笑い、ヘルメットを渡す。
次の打席は、智巳から。
「じゃ、トドメ刺してきます」
「こっちに回してもいいんだぞ」
「いやいや、佐野にってことです。相手の投手陣は御幸が殺しましたから、これくらいはしないと」
黒塗りの木製バットを担いで、打席で背を反らす。
強打者のモーションに、敵のキャッチャーが警戒心を抱いたのがわかった。
初球、アウトロー厳しめ。
その球を、長い腕を伸ばして叩いた。
ボールが、消える。
『うわぁぁぁぁあ!またいったぁぁあ!センター佐野の遥か上!
打者としても自分の勝ちだと言わんばかりの特大のアーチが甲子園の最上段に吸い込まれる!これで今大会第三号ォー!』
驚愕と賞賛の視線を受けて、悠々と。
稲実という壁を乗り越え、覚醒した怪物が帰還した。
「監督、継投考えておいてください。俺はノーノーとかにこだわりはないので」
「……わかった」
さも当然のようにノーノーを狙えるピッチングをすると言ったエースの言葉を、誰も疑わない。
この男ならやる。その確信が共有できていた。
そして、5回の裏が終わって。
ノーノーどころか完全試合中。
「初登板でノーノー、あるいは完全試合は、誰もしたことがないだろう。本当にいいんだな?」
「野球は、チームスポーツです」
「わかった」
言葉通り5回までヒットどころか四球すらないエースに問い、帰ってきた言葉に頷く。
「降谷、マウンドに上がれ。レフトには斉藤」
「……はい」
静かに燃える、剛球投手。
その闘志は敵にも、味方のエースにも向けられていた。
「佐野と対戦して、色々学べ。牙は抜いておいたから」
「……今は」
「うん?」
「今は、牙を抜かれた敵を用意してくれたことを感謝します。ここを乗り越えて……僕が、あなたを超える」
エースナンバーをいただきます。
そう言った後輩の頭にポンと右手を乗せて、智巳はレフトへ走っていった。
背には、1。
まだ遠いよと言わんばかりに、その背は遠ざかっていく。
「御幸先輩、リードはお願いします」
「はいはい。完封リレーで終戦と行こうぜ」
5回、47球、無四球、12奪三振。
途中から手を抜いて打たせてとっていたから、奪三振は少ないがそのことは観客もわかっている。
手を抜いているのだ、と。
高速スライダーを使っていないのだから。
完全に見下ろしたピッチングは、既に習熟すら覚えた。
だが、見たいものは見たい。
『最後まで投げさせてやれよ』と、観客が叫んでいた。
「あの人の後を投げるに、相応しいピッチングをしますから」
「言うようになったね、お前も」
「……目指す場所が、わかったので」
降谷暁は、レフトを見た。
そこには、エースナンバーが映える男が、隣の伊佐敷と快活に笑いながら守りに入っている。
トン、と右拳を軽く胸に触れさせて、レフトを見て闘志を燃やす降谷に活を入れた。
「さあ、前を見ろ。行くぞ」
「……ええ」