瞬間最大風速 作:ROUTE
山守対青道。
この試合はどうなるんだろうと、甲子園ファンたちは興味を持っていた。
双子バッテリー対幼馴染バッテリー。
貧打対豪打。
山守が勝てるとすれば、投手戦。
しかし、青道は舘広美・古河義輝・神奈川のドクターKら好投手を燃やし尽くしてここに来ている。
神足弟も、危うい。
神足兄のリードの出来次第かと、言われていた。
「まず、一番の斉藤は打たせちゃダメだ。こいつが打つと、青道打線は勢いに乗る」
「うん、あんちゃん」
「だから、最悪歩かせてもいいから厳しく攻める。先頭バッターに四球は禁物だけど、こいつは例外だ」
初回先頭打者本塁打男。
舘広美、古河義輝の心に直撃させたその本塁打を弟が喰らえば、また同じ目に合う。
それには、後続を打ち取ること。
御幸さんサイドがどうやって心を攻撃して確実に勝てる体勢に持っていくかということを考えている時に、この二人は如何に凌ぐかを考えていた。
「斉藤はすごい投手だけど、いつも途中で降板してる。今年に入って完投したのは稲実戦だけだ。粘って粘って、後続を打つ」
と言って、粘れた相手がいないことをこの二人は知らない。
甲子園大会準々決勝。
山守学院(山梨)対青道高校(西東京)。
先発は、山守学院が神足弟。青道高校が、斉藤智巳。
当然ながら、エース対決となる。
甲子園のマウンドに上がるのは、二度目。
いい景色だと、再び思った。
「いい気分だ」
「今回も無安打無失点記録は伸ばせそうか?」
「ああ」
悠々と、マウンドに立つ。
妙に調子がいい。御幸の構えたところに投げられている。
勝ちたい。
チームの為に、応援してくれる皆の為に。
そして何よりも、先輩たちの為に。
まだ、このチームで戦いたい。
「今日は投げきろうかな」
「そうだな。丹波さんも疲れてるだろうし、準決勝は継投になる。投げきってくれ」
「任せろ。せっかくだし、ノーノーでも狙おうか」
「いいね。やろう」
切れ長の眼を斜めに流して、智巳は平然と御幸の冗談を受け止めた。
「最後まで投げさせてやれよと、観客に言われた。なら、投げきる姿を見せたい」
「……なるほど、珍しく狙ったと思えばそれか」
「そ。それ以外にないだろ?」
一番穴山が打席に入り、御幸がホームベースの後ろに座る。
プレイボールと、球審が言った。
(智、狙うなら連続奪三振も狙ってみろ)
(それは決勝でやろうと思ってたんだけど?)
(じゃあ決勝では完全試合でもしてみろ。それなりに良い記録になる)
それもそうか。
そう心で笑って、智巳は打者を睥睨した。
相手にならない。
遊び球なし、ストレートでの3球勝負。
二番一条、三番小幡と連続で三振を取り、吼える。
「智。お前、コントロール良くなったよな」
「お前が近くに見えるんだ。18.44メートルで投げてたのが、キャッチボールみたいに投げられている」
夏男だからか、或いは稲実と言う壁を乗り越えたからか。
それはわからないが、この成長は素晴らしい。
巧緻なまでの制球を得て、使えるピッチングの幅が増えた。
恐らくこれは一過性の、所謂ゾーンに似た物であろうが、こちらとしてはそれがある内はその味を活かしきってやればいい。
もともと勝利の為ならば怜悧狡猾になれる。このコントロールで散らし、ヤバイと思えば逃げる。審判を騙す。
こういうような、好き勝手をしたい。
「打順、お前からだろ。行ってこいよ」
「ああ」
木製バットを担ぐようなフォームで打席に入り、投げられる寸前でクイッと神主気味に広げて打つ。
変なフォームだなと思うが、本人曰く『横目にバットが見えると気が散る』らしいから担ぎ、『反応できれば打てるし、反応できなければ打てない』から、これでいいらしい。
だから、打てない時は打てないし打てる時は打てる。状況に合わせたバッティングができないこともあるし、とんでもない時に打てたりする。
――――全力で振り切ってこい。自分のスイングを貫け。
そのとんでもないフルスイングと打撃が成立しているのは、そう言って一番に据えた片岡鉄心の教えによる。
本当に、来た球しか打てない。
あそこまで振り回されると、怖い。
キャッチャーとしてはそう思う。しかもここまでで甲子園通算三本目。当たれば飛ぶことを、成績が物語っている。
外角に低く外れた球を捉え、低い弾道が、スタンド目掛けて伸びていく。
智巳がバットを投げていないと言うことは、いかない。
あの弾道でも行くことはあるが、投げないとホームランにはならないのだ。
感覚で変わるのかもしれないが、とにかく投げればどんなに低い弾道だろうがスタンドにいく。
バットを投げなければフライ、ファール、或いは二塁打。
今回は、ファールだった。
ツーストライクツーボールで、智巳はバットを短く持ち直す。
『ここでバットを短く持ち直しましたね。ヒッティングでしょうか』
『どうせならフルスイングのままの方が面白かったんですけどね』
カメラに映し出された映像に、実況が気づく。
そして当然、神足兄弟バッテリーも気づいていた。
ヒッティングに切り替えた智巳は、正直あんまり怖くない。
フルスイングのいつでも一発のある打撃が恐怖だったのであって、コンパクトでは怖くない。
(厳しく攻めるの継続するけど、ストライク気味に。ここで打ち取って勢いに乗ろう)
そうエースである弟に伝えて、構え直す。
平成の怪物。
現在衰えに苦しむ、ボストンかそこらへんに居るであろう先代の異名を襲名して、この男はそう言われている。
神足弟は、このリードに頷いた。
核弾頭を攻略すること。これが青道に勝つ最低条件。
(気合入れて投げ込めよ)
(うん)
気合を入れなければ、あっと言う間に呑み込まれる。
それが嘗ての大阪桐生の残したチーム打率記録を超えている青道打線の恐ろしさ。
力を抜ける、場所がない。
『内角打ったぁー!しかしこれは三塁線鋭く切れましてファール!』
球足が速い。
気がつけば目の前にあるような打球のスピードを見た内野陣が、少し後ろに下がった。
神足兄は何も指示を下していない。だが、自主的に下がった。
もとより外野はかなり後ろに居る。抜けるかも、という恐怖が彼等を退かせた。
そして次の球も、ファール。今度は一塁線を鋭く切れる。
『斉藤智くん、追い込まれていますが、ファールで粘っています』
次の球は、ボール。
悠々とバットを構えたまま見逃し、フルカウント。
ここでわかると、御幸は思った。相手バッテリーの癖が、これでわかる。
意識していたのかはわからないが、一打席目から癖を見抜けるのは大きい。
投じられたのは、外に大きく外れたボール球。
これで四球。
「亮さん」
「なに?」
智巳がバットを置いて右打席から一塁に歩いていっているのを見ながら、すぐさまネクストバッターズサークルに駆け寄り、御幸は耳打ちした。
「相手、序盤に攻めて最後に逃げます。この癖を考えると、1球目は変化球で見逃しを取りに来ますよ」
「ふーん、なら走らせてもいいかもね。そこらへんを監督に頼むよ」
「はい」
結果、片岡鉄心は決断を下した。
この試合は、長打力で攻めない。徹底して、脚で攻めると。
幸いにも、走れる人間は身体能力の斉藤智巳・俊足の小湊亮介・技術の結城哲也・才能の倉持洋一と豊富で、確実性も高い。
1球目から行け。
そのサインを塁上の智巳に出して、頷いたのを確認すると小湊亮介にもサインを出す。
この頃の青道は打ちまくるという印象が強いだけに、そして走りまくる担当は白龍と言う陸上部と偽ってもおかしくないくらいの俊足軍団(巧打ではない)がいるだけに、なおさら盗塁のイメージは薄い。
ここで切ろうと考えているバッテリーにとって、盗塁は警戒する余裕がなかった。
これを手抜かりと思うかもしれないが、よく考えて欲しい。
塁上の男は典型的なパワーヒッター、三振が少なく、四球と本塁打と併殺が多いアダム・ダン。
しかも194センチとかなりの恵体で、投手。
194センチと言えば3センチ程の誤差かあるが、鷹のペーニャ(191センチ)クラスである。もちろんと言おうか、ペーニャは盗塁などしない。
さあ、こいつは走るのか。
これは現在セ・リーグ最強捕手の阿部が盗塁するのか。それくらい簡単なことである。
常識的に考えれば、走らないんじゃない?と思われる。
阿部は遠い未来、具体的に言えば五年後の交流戦くらいに走っていたような気もするが。
長距離砲だし、狼と鷹の間の子のような精悍な風貌ながらあまりそういうイメージが湧かない。
なぜならフルスイングで身長が高いから。
誤解を恐れずに言えば、智巳はスイングが固定砲台っぽいのだ。
『おっと、一塁ランナースタート!』
当然実況もビビる。
神足兄もビビる。
そして当然、カバーに入るべき遊撃手もビビった。
咄嗟に送球するが、間に合わない。
座って走者をストライク送球で刺せるのは全盛期のクリスと、時たま威嚇代わりのお遊びですることがある今の御幸くらい(被害者は白河勝之)な為、当然セーフ。
送球が届く前に塁に着くと言う、いかにもスピーディーな盗塁に観客も湧いた。
(あいつは確かに都大会では走ってた。だけど、ここで走ってくるのか……)
ここは送ってくるだろう。そして三番伊佐敷の犠牲フライで1点。それが見える。
簡単には送らせたくない。
だが、小湊亮介に、もっと言えば片岡鉄心に送る気はなかった。
アウトカウントを、攻められている相手にくれてやる必要は全くない。
『おっと、ここでバスター!』
前進守備のショートの頭を越えて、打球が飛んだ。
動揺からか、或いは不要と思ったのか、外野後退が解除されていない隙間の空間をコロコロと転がっている。
小湊亮介は二塁へ。
智巳はそこそこ走ってホームへ生還。
そして三番の伊佐敷が犠牲フライで、タッチアップから三塁へ。
ここで結城哲也だが、息をするように敬遠される。
そりゃここまで一つしか三振しておらず、打率八割超えのパワーがあり過ぎるアベレージヒッターを相手にする必要はない。
どんなに酷い結果に終わっても、犠牲フライにはなるだろうから、ここは正しい。
(まあ、想定内だ)
一塁上で、結城哲也は考える。
敬遠されるのは結構よくあることなので、別に今更愚痴を言う気はない。
五番は御幸。ならばやることは一つ。
一、三塁よりも二、三塁の方が打率がいいのだから、盗むしかない。
『結城、スタート!』
これはもう予想内。実況も驚かない。
阿部と坂本ではやることが違うのは当たり前。前者は盗塁はしないけど、後者はする。
前者も盗塁してた気がするけど。具体的に言えば五年後くらいに。
それも連敗してる時に。
『これは悠々セーフ。盗塁成功です』
『彼は本当にモーションを盗むのがうまいんですよね。しかも脚も速い。斉藤智は脚が兎に角速いという感じでしたが、プロで通用するのはこう言った技巧の持ち主でしょう』
『まあそもそも、ピッチャーが盗塁っていうのはあまり聴きませんしね』
適当な雑談している実況は置いておいて、山守さんサイドはかなり追い詰められていた。
完全に、斉藤智の出塁からの流れが止まらない。ここで切りたいが、相手はチャンスお化け。
一塁を埋めたいが既に青道の化け物トリオの内の二人から逃げている。
逃げたくないと、弟の目が言っていた。
そして、その目は兄に伝わっただけではない。
同じ捕手に、伝わっていた。伝わってしまっていた。
(ここで攻める、か。ここで俺が打ち取られたら、相手は勢いに乗るな)
だが、満塁で『ここを抑えたら相手の攻めっ気を潰せるぜ』としか考えない亭主の女房役は、敢えてその考えに倣った。
(ここで打ったら、相手の心を砕けるぞ)
ここで打たなきゃ、女房役とは言えない。
振り抜いたバットは、白球を捉えた。