瞬間最大風速 作:ROUTE
その後。
準決勝の青道は先発丹波が二飛翔で6回までに2失点の好投。
好永の主砲・『阿波の弁慶』志波真に一発を食らった川上が動揺を納められずに1回保たずに5失点。何の為に出てきたという空気の中、ロングリリーフが少し多めになっている降谷が登板。
前任者から満塁の場面を受け継いだ降谷が三者連続三振で無失点で切り抜け、沢村が2回を投げて無失点で13対7。
かなりの僅差で勝ち上がり、巨摩大藤巻も当たり前のように『東の横綱』帝東を下して勝ち上がる。
決勝戦は、巨摩大藤巻対青道。
本郷正宗対斉藤智巳。
誰もが、この大会のノーヒットノーラン達成者二人の、北の怪童と東都の怪物の投げ合いを望んでいた。
ノーヒットノーラン達成者同士が決勝戦で投げ合うなど、聴いたことがない。
甲子園は、否が応でも盛り上がっていた。
名門と呼ばれながら未だ甲子園を制覇したことはない青道が初優勝を決めるか、巨摩大藤巻が北の大地に初めて優勝旗を持ち帰るか。
「御幸、起きてるか」
「起きてるよ」
朝5時に、智巳は起きた。
もう少し寝たいと言う感情すら起きない程に、身体が活性化している。
「調子把握の為に、軽く投げる。受けてくれ」
「OK」
起きてるというより、こう言った大舞台の前は智巳は早く起きる。
それに合わせて起きようとしていたのである。
身体をほぐした後に軽くホテルの周りを走って温め、立ち投げ。
誰もいない公園で立ち投げをはじめてから数分経って、智巳はやっと御幸を座らせた。
「ストレートから行くぞ」
「おう」
いつもの、ゆったりとしたフォーム。腕を上げて、下ろして。脚を上げてから踏み込むように前に下ろす。
ミットを叩く、乾いた音が鳴った。
糸を引くようなストレート。他のいつでもなく、今こそがもっとも調子がいいのだと。
何よりも雄弁に、その球が語っていた。
「過去最高に良さそうだな」
「ああ。いつもの曲線だ」
高速スライダーと高速フォークを投げて、終わり。
もうこれ以上、確かめる必要はない。
「最後だ。勝とう」
「ああ。完璧に勝つ」
「それでこそ」
別れを惜しむ心とは裏腹に、身体は最後を悟ったかのようにここで調子を上げてきた。
最後を惜しむなら、最高のピッチングを。
ホテルへ帰りながら、その決意を固めた。
「お前たちも起きていたか」
「哲さんもですか」
「ああ。もう、これで終わりだからな」
最後の山。夏の甲子園、決勝戦。2012青道高校、最後の試合。
勝っても敗けても、泣いても笑っても、このメンバーで野球をする最後の試合。
結城哲也は、はやくも日が昇っている明け方の空を見つめて、ポツリと言った。
「お前が居なければ、ここまで来れなかった。もう、他に何も言うまい」
お前に全てを託す。
この三年間の集大成を。
この三年間の終わりを。
青道高校の夢と悲願を、
そして、新たなはじまりを。
頼んだとも言わない、任せたとも言わない。
ただ、託した。
「では、俺からも一言だけ」
「聴こう」
「あなたが居なければ、ここまで来れなかった。他には何も言いません」
必ずエースを勝たせてきた四番と、必ずチームを勝たせてきたエースと。
この二人が青道に揃う、最後の試合。
恐らくは、歴代でも最強のエースと四番。
片や努力で才能を開花させ、片や開花した才能を努力で育てた。
正反対の二人と言っていい。
だが、互いに信じている。
この人が居れば勝てるのだと。
斉藤智巳がゼロに抑え、結城哲也が点を取る。
最後まで、それを貫くだけでいい。
夜は明け、明け方は過ぎ、そして朝が来て、昼に差し掛かろうというその時間。
熱闘の幕が開く。
『第94回全国高校野球選手権、決勝戦。いよいよこの夏最後のドラマの幕が開きます!』
巨摩大藤巻(南北海道)VS青道(西東京)。
巨摩大藤巻の先発は、エースの本郷。
青道高校の先発は、エースの斉藤。
8月23日。夏最後の試合。
そのマウンドに最初に立ったのは、本郷正宗。
(やっとだ)
瞑目して、そう思った。
シニアの時に感じた屈辱。負けず嫌いの己に、尊敬すら懐かせたあのピッチング。
それを捻じ伏せて、超えて。
そして勝つ為に、ここに来た。
(北海道に優勝旗を?)
外野がゴチャゴチャ抜かすな。投げているのはこの俺だ。
俺が、俺の為に投げることに文句を言われる筋合いなどありはしない。
あいつに勝つ。あいつを超える。
そこで初めて、進めるのだ。
斉藤智巳は九番に下がっている。自分も九番に下がっている。
互いに、ピッチングに集中する為。互いに、敵の打線を捻じ伏せることに専念する為。
だが、これは違った。
両監督の頭には延長戦が入っている。お互いに打てるピッチャーは今投げているエースしか居ないので、そう言った場合中軸に打てない投手が入ることになる。
継投。
これを考えた打順だった。
斉藤智巳はこれを知っている。本郷正宗は、これを知らない。
一番は、倉持洋一。
(正宗。この男、塁に出すと厄介だぞ)
(出さねぇよ)
出るわけ無い。出られる筈もない。
全く持って、ナンセンス。
初球、ストレート。
どこかで見た配球だと知りながら、倉持洋一は空振りした。
エースってのは、こうなるのだろうか。ストレートで圧してくる。打ってみれるなら打ってみろと、打てない球を投げてくる。
2球目も、ストレート。
これも空振り。ストレートが、明らかに今までよりも走っていた。
3球目は、SFF。スプリット・フィンガード・ファストボール。
端的に言うならば、浅く握って速さを追加した速いフォーク。落差が小さいが、本郷正宗のスプリットは通常の物よりも落ちはじめが遅い。
空振り三振に仕留め、憮然としたまま返球を受けとった。
二番は小湊亮介。この打線の中でも一番厄介な打者。
だが。
『空振り三振ー!二者連続!フルカウントからボール球のスプリットを振らせました!』
心臓が強い。敵を呑んでかかっている、とも言う。
フルカウントから、ボール球になるスプリット。塁上でうるさい打者に目掛けてこれができるピッチャーは、そうは居ない。
三番伊佐敷も三振で仕留め、スリーアウトチェンジ。
計13球で三者連続三振での極上の立ち上がり。
『未だ甲子園では無失点!巨摩大藤巻の一年生エースがその実力を強力青道打線に見せつけます!』
そして。
「いくぞ」
「ああ」
言葉少なく、闘志は満ち。
斉藤智巳が、マウンドに上がった。
一番佐々木。
二番清水。
三番大塚。
迎えるは、この出塁率4割トリオ。
『さあマウンドに上がるは東都の怪物。未だ甲子園での被安打は0、四球も0、失点も0、準々決勝ではノーヒットノーラン!
この無敵のエースから一点を奪えるか、それが巨摩大藤巻の課題となってきます!』
一番佐々木、ど真ん中ストレートを見逃し三振。
二番清水、アウトローいっぱいのストレートを見逃し三振。
三番大塚、インハイ直球を避けて見逃し三振。
『ちょっとレベルが違いますね、この男……』
『全球ストレート、九球で三者連続の見逃し三振。まさに指にかかったストレートと言うべきでしょうか』
特にインハイギリギリなのに打者が避けたストレート。
鬼が憑いたかのような気迫と、当たれば死ぬんじゃないかと思う程の球が、三番大塚の上体を逸らさせた。
「相変わらずやべーな、あの人」
「今更なこと言ってんなよ」
円城蓮司の笑みは固い。
五番は自分。正直、あのストレートを前に打てる気がしない。
四番の福地さんも打てるのかと、疑問を抱いてしまうほどの圧倒ぶり。
「俺がゼロに抑えていれば、あいつは勝てない」
「次は結城さんだ。気をつけていけよ」
結城哲也。青道不動の四番打者。
三年になってからは智巳が登板する時はどんなエースが相手でも、確実に一打点一得点はする四番打者。
怖いと言うのが、円城蓮司の率直な感想であった。
「よろしくお願いします」
ヘルメットを取って頭を下げ、礼儀正しく打席に入る。
最初の球は、スプリット。
低めに外れるこの球を、結城哲也は微動だにせずに見逃した。
(あっさり見切ってくるか)
次の球は、内に切れ込むシュート。これもボール球。
当たらない程度の球とは言え、またも不動。
白いオーラが、立ち昇っていた。
(外そう)
明らかに不満顔の本郷に何とか2球外させて、歩かせる。
次の打者は、御幸一也。
恐らく結城哲也は走ってくる。
何度か牽制を入れさせ、2球目をウエストさせたが、結城哲也は走らない。
これでツーボール、ノーストライク。そろそろストライクを入れておきたい。
ここで、結城は走った。
完全にモーションを盗んでいる。
『巧いですねー』
『モーションを見切るのが早いし、正確なんです。脚も悪くないですし、将来が楽しみな選手ですねぇ』
ノーアウト二塁。
ここで打席には依然として得点圏に強い男、御幸一也が立っている。
フン、と鼻を笑って、本郷正宗は御幸を見た。
打たれてもいい。点をやらなければ負けはしない。
内に切れ込むスライダーで三振に取り、六番増子をキャッチャーフライ、七番降谷をセカンドゴロ。
(やっぱ、今までとは違う)
前に飛ばしてくる。結果としてはアウトだが、敵のエースがウチの打線相手に築いたアウトが示す事実とは、その内情は大きく異なる。
(やっぱり……)
四番福地が見逃し三振に打ち取られ、電光掲示板を見る。
141キロ。そんなに球速は出てない。
(延長に向けて、視野に入れた上でここで流して、立ち上がりを完璧に終わらせようとしてる)
五番は、円城蓮司。
名前をコールされて、打席に立つ。
(全球全力でも何でもないストレートでいくのは、疲労軽減の為か)
ふぅーと息を吐いて、バットを構える。
絶望的な威圧感が、両肩にのしかかってきた。
だが、ストレート自体に力はある。
前を見る。
するとそこには、軽い前屈体勢からこちらを見下ろす男が居た。
あそこで会った時とは、まるで別人。
自分を奮い立たせるように、笑う。
(来い)
人間が投げている以上、人間が打てないわけはない。
そうバットを構えた彼に、ストレートが迫っていた。