瞬間最大風速 作:ROUTE
咄嗟に、避けた。
当たったら死ぬのではないかと言う球威。それを眼で一目見て感じ取る。
だが、避け方こそ大袈裟だったが、これはボール一個分高い。
そう判断した彼を、審判のコールが覆した。
「ストライク!」
驚くも、判定は覆らない。
何故だ、と考える間もなく、次の球が来ていた。
アウトローに決まって、ストライク。
(何故だ?)
この二人には、審判は甘い。今までもそうだった。しかし、甲子園に来てから特にひどい。
3球目は、それを見る。
打てなくても仕方がない。何よりも、これを解明せずして勝利はない。
ドスン、と。ストレートが、ミットが構えられた外角高めギリギリいっぱいに決まった。
一ミリの、ブレもなく。
「ストライク、バッターアウト!」
去る円城の姿を、御幸は見た。
気づいたかな、と。
(まあいい。まだまだ、仕掛けはあるし―――わかったからといって、どうにかできるものでもないからな)
お前が見逃し三振とは珍しいな、と。
巨摩大藤巻の監督・新田幸造は声をかけた。
円城蓮司は選球眼に優れ、甘い球を見逃さない打撃力を持っている。
それがむざむざバットを振らずに帰ってきた。
その辺りになにかあると、新田監督は察している。
「ストライクゾーンが彼等に有利な一因を、突き止めました」
「ほう?」
「構えられたところに、投げ込んでるんです。寸分のズレもなく。しかも、御幸さんのキャッチングが巧いから全くミットが揺れない。
恐らく、際どいところに投げ続けているのは審判からの信頼を得るためでしょう。そしてそれは、こちらの打者の信頼を下げることにも繋がります」
避けて、ストライクが入る。
これを何回かやってしまった。
スライダーでも何でもない、ストレート相手に。
普通、打者が自信たっぷりに見逃せば、審判は迷う。
しかし、ストライクゾーンに入っている球を避ける打者の見極めを、審判は信じることはない。
六番打者の無理に打ちに行った末の空振り三振を見て、円城蓮司は奥歯を噛み締めた。
「今の三振で、更に彼等の支配領域は広がります。そして、俺たちバッテリーの支配領域は減っていく」
どうしても、あちらに比べてブレるから。
どうしても、あちらに比べて構えられたところに行かないから。
性能そのものがズバ抜けていた機体に、精密機械のCPUが積まれてしまった。
こうなってみると、結城哲也にギリギリを見逃され続けたのも痛かったのだ。あれでこちらの守りのストライクゾーンの主導権はあちらに行った。
今は実力では勝っている。
しかし、相手はまだまだストレートのみの速球投手でしかない。
更に言えば、マウンド上の制圧力に雲泥の差がある。
(こうして、ストライクゾーンを上げてくるのか)
思いつきもしなかった。如何に巧く捕るか、如何にいい球を投げさせるか。それが捕手の仕事だと思っていたから。
だが、向こうは捕手と投手の他に、バッテリーと言う枠組みで仕事をする。
スリーアウト、チェンジ。
心が収まらないまま、円城蓮司はホームベースの後ろで構えた。
こういう駆け引きをしてくる相手が居なかった。こういう駆け引きを知らなかった。
そんなことは言い訳にならない。向こうは思いついたのだ。
その有利さを得る為の道筋と、得る為のか細い道を走破して、こちらの領土を制圧した。
怪物。
平然と打席から去り行く智巳を見て、その思いを深くする。
白洲が三振、智巳がセンターフライ、倉持サードゴロの三者凡退で、三回表は凌いだ。
だが、凌いでも。
『三振!また三振です!これで九者連続三振!
巨摩大藤巻、まだボールにバットが当たりません!』
チェンジのコール一つで帰ってくる。この絶望。
同じことをしているのに向こうには笑顔があり、こちらは固くなってきている。
『四回表。青道高校の攻撃は、二番セカンド小湊亮介くん』
ウグイス嬢が、打者を告げる。
この打者も、平然とボール気味の球を見送った。打線が一丸となって徹底してきていた。
大きいのは狙っていない。粘って粘って一点取る。
一点取れば、勝てる。
その信頼を与えた絶対的エースと、豪打の打線を形成する打者たちのプライドを踏まえてもなお徹底させた監督の手腕と不満を抱かせない人望。
絶対に、一点を。
その執念がある。
これで7球目。
ストライクか、ボールか。どう判断されてもおかしくない球。
「ボール、フォア!」
喜びもせずに、バットを脇において粛々と歩いていく。
だろうね、とでも言うように。
『選んだ、フォアボール!』
役者だ。
覚悟の見逃しを、確信の見逃しに変えた。
一か八かの博打に勝ったのに、それが当然であるかの様に振る舞っている。
『三番センター、伊佐敷くん』
1球目は、スプリット。3回を終えたここに来て更に切れ味を増したこの球を空振り、ワンストライク。
牽制を入れさせて、2球目。
「スチール!」
セカンドの西が叫んだ。
本郷正宗のクイックは遅い。智巳よりはマシだが、速くはない。
投げた球は、シュート。
これを大きく空振りした伊佐敷のアシストもあって、小湊亮介は二塁へ。
ノーアウト、二塁。ツーストライクで打者は三番。
ここで伊佐敷純は、無理矢理バットに当てた。
ただ後続の為に。
後続の打者が打ちやすいように、後続の打者が選びやすいように。
打線とはこうなのだ。打者が並んでいるから打線ではない。打者が1つの目的に向けて連なるから打線と呼ぶ。
右打ちでランナーは三塁へ。
そして、四番。結城哲也。
敬遠しても、一、三塁と言う好配置でチャンスお化けの勝負師御幸。
勝負しなければ、敗ける。
そこまで、いつの間にか追い詰められている。
自然体の、大きい構え。
先程の絶対に打つと言うオーラの代わりに、絶対に決めると言うオーラになっていた。
(点はやらない)
どこでも守れるらしい(実際はショート以外の内野だけ)、堅守・強肩・俊足・巧打四拍子揃った青道の絶対的な四番。ここまでの打率は7割を越え、得点圏打率は8割超。
この打者はどちらかと言えばアベレージヒッター。パワーもあるが、アベレージヒッター。
最強と呼ばれた男、ロバート・ローズ。
彼の如く、左中間を破る、ツーベースが多く見られた。
内野後退、外野前進。深めのバックホーム体勢で、本塁で阻止する構え。
静かに構えるその姿からは、何の緊張も見られない。
ボール球から入り、そして当然のように見逃される。
四番を打つに相応しい選球眼。
2球目、アウトローのストレート。
ストライクゾーンにギリギリの球が来たと、円城蓮司は思った。
それに対して、結城哲也が取った行動に、観客を含め、青道ベンチ以外の全員が度肝を抜かれた。
コツン、と一塁線上にボールが転がる。
『ここでスクイズ!打率7割、得点圏打率8割の男が、スクイズを狙ってきました!』
勢いの死んだ打球が転がり、三塁ランナー小湊亮介はホームへ。
『一塁はアウト!しかし、三塁ランナーはホームイン!
これでゲームが動き始めました!1対0。四回表、青道高校先制!』
五番御幸がランナーがいない時に打つ筈がなく、スリーアウト。
しかし、先制された。この事実は大きい。
この試合、被安打は0。
攻略とか、そう言ったことではない。
点を毟り取られた。その表現が相応しい。
本郷正宗は、悔しさを顕わにしてはいない。まだ四回だと、まだ被安打は0だと思っている。
しかし、この一点は重かった。
『見逃し三振、10個目ッ……!』
ズドンと低めにストレートが決まって、佐々木が打ち取られる。
十一人目、清水。
『高速フォーク、空振り三振!』
3球目で追い込まれ、ボール球になる高速フォークを振らされてアウト。
『外角高め!見逃し三振!』
三番大塚は、高めのストレートで見逃し三振。
これでスリーアウト。たった11球で、攻撃終了。
「正宗、気持ち切るなよ」
「切れるわけねぇだろ」
こんな投げ合いを望んでいた。
望んだものを突きつけられて、怯むバカはいない。投げ出すバカも居ない。
味方が打てなくとも、関係ない。
そんなものは自分の知ったことではない。
自分にできることは、投げること。
六番増子・七番降谷・八番白洲を18球で打ち取り、スリーアウトチェンジ。
エースは、味方の反撃を待って自分にできることをやる。
だが相手は、ルーキーイヤーの8登板目で初失点して8連続完封を逃し、7対1でマウンドを下りた時、『8回1失点(自責点0)でノックアウトしてやったぞ!』と敵チームファンに喜ばれた男。
そしてその次の試合に、ノーヒットノーランをやってのけた男。
「反撃、か」
ポツリと、智巳が四番を打席に迎えて呟いた。
四番福地、スライダーで空振り三振。
五番円城、ストレートで見逃し三振。
六番藤井、首を振ってから球種を指定し、ストレートで空振り三振。
四球・ヒット・エラーはもちろん、ファールすら挟まず十五者連続三振。
「こないよ。そんな時は」