瞬間最大風速   作:ROUTE

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最強と呼ばれた男

『自身の記録を塗り替え、十五人から連続奪三振。青道のエース斉藤智巳、チーム出塁率4割を誇る強力巨摩大打線に、全く隙を与えません!』

 

『これでまだ二年生なのですから、来年のドラフトが楽しみになってくる投手ですよ』

 

実況と解説の興奮を他所に、吼えるエースは気勢を上げてベンチへ帰った。

 

「ナイスピッチング」

 

チラリと御幸を見て、智巳は無言で頷く。

汗をかきはじめている本郷正宗とは違って、まるで汗をかいてないこのエース。

 

無言での頷きは、緊張の証。

 

力配分が出来ていない。いつもの手抜きにキレがない。

完全に敵の打力にちょうどいい塩梅で手を抜く力が失われている。

 

(延長に向けて体力温存。これが目的だって監督から聴いていた筈なのに、序盤はともかく今に来て一々マジになって投げている)

 

とんでもない怪物が、脱皮してきた。

だが、まだ脆い。まだ殻が柔らかく、成熟し切っていない。

 

(でも、本気出してもまだこの余裕は……)

 

キャッチャーミットが近くに見えたと、言っていた。

ストライクゾーンが見えると言っていた。

 

(今日になってまた成長するのか、お前)

 

引退の迫った先輩の為でもない。

引退が決まった先輩の最後の試合。

 

尊敬する人と行える、最後の試合。

 

(こんな試合、はじめてだもんな)

 

先輩を心から尊敬すると言うことがなかった智巳に、はじめて生まれた尊敬の念。

栄冠を共に掴みたいと言う、勝利を得ること以外に初めて湧いた我欲。

 

(緊張するのも、わかるぜ。敗けるのが怖いよな。この人たちとの最後の思い出が敗北だなんて、お前は絶対に認めない)

 

マウンドでは弱みを見せない。傍から見ればただひたすらに強大な敵。

だが、正面から見れば案外他のことが見える。

 

だが、それを伝える必要はない。

 

自分の投球に、勝利以外の欲を乗せたことがなかったエースが、ここに来て強烈な欲望を乗せてきた。

勝ちたい。あの人達との夏を、最後の思い出を、敗けなんかで終わらせたくない。できれば、最高のピッチングで飾りたい。

 

勝つ為だけではない。より美しい勝利の為に。

その欲が、殻を無理矢理に引き剥がしている。

御幸は何も言わない。言えばこの状態が終わるのではないかと、懸念していた。

 

(お前はもっと、自分のことを考えて投げていいんだぜ……)

 

より優れたピッチングを。

より美しいピッチングを。

より満足のいくピッチングを。

 

そんなことを、考えたことがない。

勝てればそれでいい。その考えに、欲望が乗った。

より、尊敬する先輩たちを送るに相応しいピッチングを。

 

投球の道への求道へ、一歩近づく。

 

(マウンドでは、投手は王なんだ)

 

鳴にお前が敗けてるのは内容への拘りの強さであり、お前が鳴に勝っているのは内容への拘りのなさ。

 

ピッチャーとしては成宮鳴が上。

エースとしては斉藤智巳が上。

 

(まあ、これは俺の所為だから結構気に病んでたんたけど)

 

やっと、投手としての自我が出てきた。

それが少し、嬉しい。

 

「何笑ってんだ」

 

「いや、まあね」

 

一瞬の確変だろうが、それでもいい。

存在しなかった自我は、一旦生まれれば死ぬことはない。

 

扱いが面倒くさくなるが、投手としてはより高みへ行ける。

 

「頑張ろうぜ」

 

「お前に言われなくても、俺はこれでも必死で投げてんだ」

 

「あー、まあそうだな。挨拶みたいなもんだよ」

 

おぉ面倒くさい男だこと。でも面倒くささを差し引いてもなおあまりあるこの魅力。

投手としての自我の萌芽。投手としての目覚めで生まれた、身体の使い方。

 

「少し、智巳は変わったな。本人には言わない方がいいか?」

 

「言わないでくれると嬉しいです。みんなにも言っておいてください」

 

「わかった」

 

投手には首を振る権利がある。捕手の仕事に、捕手のリードが気に食わない時、拒否する術がある。

智巳はそれを久しく使ってこなかった。ずっと頷いて、投げてきた。

 

だが、この試合、一回だけ首を振った。

 

そのことに、本人は気づいているのかいないのか。

 

(成功する野球選手なんてのは、ナルシストかストイックな求道者くらい。才能があっても他の誘惑に流されてたら、一流にはなれない)

 

ストイックな求道者ではあるが、ナルシストではない。

 

だが、今の彼は三振を取りたいと思っている。

 

投手が最も打者に勝ちを突きつける方法、それが三振。

ナルシスティックな投手は、最後を三振で締めたがる。何故ならばそれがカッコイイから。最後に映されるのは自分になるから。

 

こいつは稲実戦をセンターフライで締めたように、そういうところがないのだが。

 

(最高の投手としての自分を見せようとしてるって、ことか)

 

客にではなく、尊敬する先輩に。

見てくれ。最後なんだからと。多分そういうことで間違いはない。

 

いよいよ、確変じみてきている。

 

六七八番が打ち取られ、チェンジ。

 

再び、智巳はマウンドに上がる。

打席は七番から。

 

「御幸」

 

「うん?」

 

「ヒットを打たれたくない。リードを頼む」

 

「わかったよ。二人でやっていこうぜ」

 

任せろとは言わない。

一緒に打たれないピッチングを探求する。それがバッテリー。

 

頷いて、斉藤智巳はマウンドに行った。

 

初球は、スローカーブ。

完全に意表を突かれ、見逃し。

 

次の球のストレート、空振り。

 

最後は高速フォークで、空振り三振。

 

そして八番を見逃し三振。

 

九番は、本郷正宗。

勝ち気の強い、闘気が刺さる。

 

(どうする)

 

(スライダー軸。決め球は外いっぱいのストレート)

 

(わかった)

 

地鳴りのような応援にも、応えようとしない。見すらしない。その素振りに、余裕の無さが見て取れる。

 

切羽詰まっていると言うのか。敵には気づかれていないが、焦りがある。

欲望は歓迎するが、焦りはいらない。欲望に精神が慣れていないのだろう。

 

ワンストライクは取ったが、フォームの開きが早かった。

 

「タイムお願いします」

 

マウンドに駆け寄って、軽く頬を叩く。

 

「何をする」

 

「フォームの開きが早い。催促が多い。焦り過ぎ。お前は今絶好調なんだから、打たれないよ。敵は誰だ?」

 

「己」

 

「そう。目の前に居るのは?」

 

「俺の獲物だ」

 

「よく言った。それを忘れずにいけよ」

 

ドン、と胸を小突いてホームベースに戻る。

眼から、焦りが消えている。

 

『空振りぃー!18人を相手にして18個目!まだファールすら打たせません、斉藤智巳!』

 

空振りを取って、半回転。外野席の横断幕に向けて吼える。

誇りと、意地と、情けなさと達成感と。そして感謝。

 

それが漏れ出して、咆哮となる。

 

スタンドが沸いて、エースの背中を押した。

 

「ありがとよ」

 

「いつもこれくらいやらせろよ。こう言うのが、キャッチャーの仕事なんだから」

 

拳をぶつけ合ってベンチに戻り、智巳はすぐさまヘルメットをつけて打席に立つ。

 

本郷正宗。未だこの試合被安打は0。

 

この強敵に切り込むのは、一番の仕事。

今は九番だが。

 

もう多分、一番を打つことはない。現に今も打っていないし。

 

ならば、この打席を最後とする。

 

『スプリット打ったぁー!ランナーは一塁でストップ!』

 

『先頭バッター出塁ですね。今のが青道初ヒットです』

 

七回表、初ヒット。

続く打者は、一番倉持。

 

送りバントを決めて、二塁へ。

 

(そろそろ、最後だね)

 

有効打を与える、最後。

自分たちのエースを援護できる、最後。

 

『選んだ、フォアボール!小湊亮介くん、二個めのフォアボールを選びました!』

 

(まあ、俺らしいのはやっぱり、これでしょ)

 

四球で選び、チャンス拡大。それが二番打者の仕事。

次は、伊佐敷純。

 

三番打者の仕事を、今まで必死にボールに喰らいついてこなしてきた男。

 

(俺の役目は哲に繋ぐこと)

 

逆立ちしても敵わない、四番に繋ぐ。

決して目立つわけではない。だが、チャンスを拡大してバトンを渡す。それが彼の仕事だった。

 

高く上がったフライは、ライトへ。

 

『犠牲フライには充分です。さあ、斉藤智くん、少し遅れてタッチアップ!』

 

刺せる。

そう思って三塁に送球している間に、小湊亮介は二塁へ。

 

無論、智巳がタッチアップを遅らせたのはわざとである。

基本的には脳筋野球のチームだが、結構頭がいいのだ。

 

(スクイズの一打点だけでは、エースと四番と言われる資格がない)

 

これまで18奪三振のエースと並び称されるには、もう一打。

 

スプリット。本郷正宗の決め球を、結城は捉えた。

 

白球は、左中間を破る。

 

『四番結城、値千金のタイムリーツーベース!これでヒット2本で3点を取ったことになります!』

 

『打ち崩せてはいませんが、堅実に攻めていますからね。少しの突破口も逃さない。豪打のチームかと思えば走れて、走れるチームかと思えば送ってくる。選手たちが考えて、最善を尽くしていますね』

 

まだ、ヒットは2本。しかし3点。

これが、2012青道打線。打ち出し、ランナーが貯まると止まらない打線。

 

まあ、後続は本郷正宗にキッチリ抑えられたものの、差は3点。

 

七回の裏。

 

(気を引き締めていくぞ)

 

(応)

 

一番、二番。

勝ちたいと言う思いと、先輩たちへの餞として。

 

これで連続して、20個目。

 

「ちっとはこっちに飛ばしてこいや!」

 

「牽制もなしだと、腕が鈍ってしまうぞ」

 

「ファインプレーはもういらないってことかな?

まったく、生意気だねぇ」

 

まあ、頼りになるが。

 

それが野次を飛ばした三人の偽らざる気持ち。だから平然と野次れるとも言える。

 

「後ろに飛ばす気はないですよ」

 

「ほぅ……」

 

歓声で、内野までしか聴こえないような声で放たれた宣告に、結城哲也が何かを察して不敵に笑む。

 

「この試合、全部三振で勝ちますから」

 

「まあやれるさ、お前なら」

 

「大きいこと言ったね。やれなかったら……そうだな。剃り上げようか。髪」

 

「何話してんだ、オラー!」

 

純には後で教えてあげようかと言いながら、小湊亮介はにこやかに笑う。

 

迎えるは、三番大塚。

 

(さあ、宣言通りにやってやろう)

 

(ああ。剃り上げるのは御免被りたい)

 

三年のムードが、エースに活気を与えている。

2012青道のエースは、斉藤智巳。

 

(さあ、いこうぜ)

 

まだ見ぬ景色に。

日本一と言う、景色を見に。

 

1球目、ストレート。

2球目、チェンジアップ。

 

3球目で、決めに行く。

高速スライダーで、完全に振らせて空振り三振。

 

グラブを前に突き出して、再び吼える。

 

あと、アウト6個。

日本一まで、2イニング。

 

それは2012青道の終わりへの、カウントダウンでもある。

 

(楽しい)

 

こんな楽しいチームの終わりは、笑顔で。

笑って、さよならと、告げたい。

 

八回の表に移り、裏へ。

そこも抑え切って、九回へ。

 

『八回の裏が終わって、3対0。斉藤智巳、未だ一塁を踏ませません!』

 

さようなら。

 

初めて湧いた、尊敬と。

初めて湧いた、信頼と。

初めて湧いた、畏敬から。

 

八回の代打攻勢を抑えて、マウンドを下りながら智巳はそう思っていた。

24連続三振など、考えてすらいない。自分がどれほどのことをしているかすら、わかっていない。

 

九回表の攻撃が終わり、マウンドに行かなければならない。

 

あと、アウト3つ。

あと、アウト3つで終わり。

あと、アウト3つでさよなら。

 

「あとアウト3つで、日本一だな」

 

「え?」

 

結城哲也の言葉を意外に思って、智巳は振り向いた。

 

「え、じゃないよ。考えてなかったの?」

 

振り向いた先に居る小湊亮介が、少し笑う。

 

「日本一のチームってことになるんだよ。あと君がアウト3つ取ればさ」

 

「世界一2回、日本一3回のお前からしたらあれだろうけど、俺達にとっちゃあはじめてのことだからよ!頼むぜ、マジで!気ぃ張っていけよな!」

 

はい、と答えた。

この人たちと日本一になれば、日本一のチームとして刻まれるのだ。

 

2012年の青道ナインは、敗けなかったと。最強だったと。

 

「絶対に、勝ちますよ」

 

「完璧な形で、か?」

 

「はい」

 

結城と拳を合わせて、マウンドへ。

足元をならして、ロジンバックを右手で触れる。

 

あとアウト3つ。

 

『ここは当然、斉藤智くんをあまり投げさせたがらない片岡監督も続投を選択します』

 

『まあ、前代未聞の24連続奪三振での完全試合中ですからね。あくまで代えていたのは肩を休ませるためですから、ここは代える意味もないでしょう』

 

七番を153キロ高速スライダーで空振り三振させ、ワンアウト。

八番を152キロストレートで見逃し三振、ツーアウト。

 

最後の打者は、本郷正宗。

 

『予選で、完全試合をやるならば後先を考える必要のない夏の甲子園の決勝だと、この怪物は言っておりました!

今まで青道の屋台骨を支えてきたエースが、前人未踏の記録を打ち立てることになるか!』

 

初球大きく外れて、ボール。

 

『あと1つで、夏の甲子園はじめての完全試合です。流石の斉藤智くんも緊張しているのでしょうか。初球ボールから入りました』

 

返された球を受け取り、再びロジンバックに手をやる。

この時間をもっと味わっていたい。

 

そんな子供じみた遅延行為がいつまでも続けられるわけもなく、ストレートがアウトローに浮き上がるようにして決まる。

 

全くお辞儀という表現から程遠いそのストレートは、流石に斉藤智巳と言うべきか。

滅多にお辞儀をしない男だからストレートも、そうなのか。

 

高速スライダーでツーストライク。

 

ファースト、結城哲也。

セカンド、小湊亮介。

サード、増子透。

ショート、倉持洋一。

センター、伊佐敷純。

ライト、白洲健二郎。

レフト、降谷暁。

 

斉藤智巳は、バックを見た。

もう、二度と見ることのできないバックを見た。

前を見ると、相棒が居る。

 

(決めるぞ)

 

頷いて、投げた。

 

構えられた場所にズバリと決まり、急激に落ちる伝家の宝刀・高速フォーク。

 

示された数字は、155Km/h。

 

高速で迫り、目の前で消える球。

それを空振り、赤いランプが消えた。

 

『155キロだぁぁぁぁあ!!155キロを落としました!』

 

今年の夏、ストレートで160キロが出た。

なのに、5キロ遅くてこの盛り上がり。

 

そんなことを考える暇もなく斉藤智巳は呆然と一塁方向を見た。

笑って、主将が駆けてくる。

 

『最後は高速フォーク、最後は決め球で三振を奪う!

勝者と敗者、この瞬間に明暗がくっきりと別れました!』

 

スタンドが狂ったように沸いて、暑い夏の終わりだと言うのに更に熱を帯びる。

 

『東都の怪物斉藤智巳、27個目の連続三振、夏の甲子園はじまって以来の完全試合とこの大会通じて被安打0と言う完璧なピッチングで、大会を締めくくりました!

文字通りの完全な強さを巨摩大藤巻に叩きつけ、青道高校、初めての全国制覇ー!』

 

マウンドに、最強のチームが集まっている。

夏の甲子園。第94回全国高校野球選手権の制覇者は、青道高校。

 

鉄壁の守備、繋がる打線、安定した投手陣。

最強の四番と、敗けないエースがいたチームが、全国制覇の栄冠を掴んだ。

 

楽しかった。

このチームで、この先輩たちと過ごした時間が、楽しかった。

 

このチームに涙は似合わない。

どうせなら、最後は笑顔で。

エースも主将も、泣かなかった。




読んでいただきありがとうございました。これで、結城世代の物語は終わりです。

今回のシナリオ:最強と呼ばれた男
最強の四番と呼ばれた不可欠の存在。
チームの為に戦い続けた男の、勝っても敗けても最後の試合。
青道初の全国制覇と自身の甲子園最多安打・最多打点記録を賭けたこの大一番に、万感の想いで向かう最後の最後、夏の終わり。
去り行く最強の四番に、完全試合を餞とせよ!

投手:斉藤智
打者:本郷正宗

史実:完全試合達成
完全クリア条件:バットに最後まで当てさせず、27者連続で三振を奪う

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