瞬間最大風速 作:ROUTE
『東都の怪物斉藤智巳、27個目の連続三振、夏の甲子園はじまって以来の完全試合と、この大会通じて被安打0と言う完璧なピッチングで大会を締めくくりました!
文字通りの完全な強さを巨摩大藤巻に叩きつけ、青道高校、初めての全国制覇ー!』
青道ナインがマウンドに集まる。
エースの連投なし、リリーフでも三連投はなし、故障者0。
四番結城は夏の甲子園最高打率更新、最多安打更新、最多打点更新。本塁打は5本と届かなかったが、『どちらかと言えばアベレージヒッター』と言う彼の自己申告があっていることを、この成績が物語っていた。
斉藤智巳。
夏の甲子園初の、完全試合を達成。
夏の甲子園決勝史上最多の27奪三振、夏の甲子園決勝史上最速の、155キロをフォークで達成。
夏の甲子園の九回までの一試合における最多奪三振、自己の記録である24個を更新して、27個まで伸ばす。
延長戦を含めてもこの記録は一位であることから彼のドクターKぶりが伺える。
そして、夏の甲子園の一試合における連続奪三振記録となる、27連続奪三振。
夏の甲子園通じて被安打0、四死球0、失点0、自責点0。
防御率は3登板、23イニング投げて0.00。63奪三振。9.0を超えれば三振を取るタイプのピッチャーと言える奪三振率は24.65と言う化け物ぶり。自責のランナーを出していないからwhipも0。
今タレントやっているゆでたまごさんの残した85奪三振には届かなかったが、1試合の単位では勝つことが出来た。
たぶん全試合登板完投させていても更新できないだろう。62回で85奪三振は。だって肩が保たない訳だし。
そう考えるとハンカチーフガイはすごい。近代とは思えない記録で、69回で72奪三振。
たった23回しか投げてない男、智巳。丹波の方が投げている。
そして、結城哲也。
夏の甲子園最多となる一大会通算22安打、最多となる17打点、最多タイとなる5本塁打を叩き出した。
六人目にして七人目、一大会2回のサイクル安打。複数回の達成者としては最初らしい。
かたや、リトルからシニアへ、シニア国際大会でも日本のエースとして活躍し、高校野球でも一年生からエースとして君臨していた野球エリート。
かたや、赤堂中学と言う弱小から一般入試で入ってきて、一年時は全く期待されず、二年時から青道高校でその才能を開花させた下からの叩き上げ。
この二人が互いを尊敬し合い、極めて仲が良いのは皆が意外に思い、そして微笑ましく思うところだった。
「27奪三振での完全試合達成!おめでとうございます!今のお気持ちはどうでしょうか?」
「ありがとうございます。狙っていたので、達成できてホッとしているって言うのが、本音ですかね」
「これは史上初の快挙ですが、狙っていたということはやはり史上初のことをしてやろうと言う思いで、最初からマウンドに上がられたのですか?」
後にも先にも恐らく、こんなことは聴いたことがない。
アマチュアの大会であるが、この試合は恐らく今後も語り継がれていくであろう永劫不滅の記録である。
バットに最後まで当てさせずに勝った、ということも含めて。
「いえ。哲さんたちと野球ができるのはもうこれで最後なので、どうせなら最後、派手な終わり方がいいかな、と。思いついたのは途中からです。
エースの役割は、チームを勝たせること。それ以外は必要ないってことはわかってるんてすけど、雑念が混じってしまいました」
「雑念とは?」
滅多に使われない言葉、雑念。
ピッチングに雑念が混ざってしまったなど、勝った投手は中々言わないものだった。
「勝ち方にこだわった、ということです。エースと言うのは究極的なことを言うと、チームを勝たせられるなら何失点してもいいし、何安打打たれてもいい。逆に、何個三振をとっても敗ければ価値なんかありません」
「勝利至上主義ですね」
「個人の考えですが、敗けていいピッチャーなんてのは居ないと思うし、居てもなりたくはない。ノーヒットノーランしようが、完全試合をしようが、白星は2個換算になりませんよね」
―――どのような過程を辿ってもチームを勝たせることができるのがエース。
斉藤智巳はそう言い切った。内容なんてものは、監督が見るべきもので、ピッチャーはその評価を聴いて自省するだけでいいと。
「この白星は私にとって特別なものですが、傍から見れば一勝でしか無い。ここで綺麗に勝ったから、次は敗けてもいいとは、ならない。それは絶対に認められない。だから投手自身が自分の内容の特別さに酔っているようでは、話にならない」
「完全試合も、記録も、一勝でしか無いと言うことですか?」
あまりにも学生離れしているコメントに、少しインタビュアーが驚く。
もっと喜ぶか、泣くか。そうだろうと思っていたのに、予想を裏切られた感じだった。
史上初なのだから、もっと喜んでも、と思わなくもない。
「投げた側から見ると、そうです。外す必要のない無駄なボール球を7個も投げてしまいましたし、微妙にコントロール出来なかった球も二桁あった。それでも勝てたのは、運が味方してくれたと思います。
勝てた時こそ反省と研究をして、また次の勝利に繋げたいですね」
でもまあ、と。斉藤智巳は派手に喜ぶことを期待されている自分を客観視して、一拍置いてから笑った。
「やっぱり、嬉しいです。総合的に見るとまだまだですが、ベストピッチを先輩たちと過ごした夏の終わりに出せて。
最後は笑って、終わりたかったので」
実に爽やかに笑う智巳だが、これはまあもちろん演技である。
何でこんなに騒ぐかな、と思っているのが事実。
だがこの爽やかな笑みで、彼は一定の支持者を得た―――つまり、荒木大輔からはじまる甲子園のスター選手の仲間入りを果たすのを決定的とした。
何故ならイケメンで爽やかで、少しストイック気味だけど好青年だから。
実物は求道者ぎみの演技派な、関心のない他人に優しく(冷淡とも言う)、関心のある他人に厳しく、自分にはもっと厳しい勝利至上主義者である。
(あいつ珍しく本音しか話してないな)
御幸一也はそう思った。
反省があるとか、その内容とか、価値観とか。
今まで求められるようなコメントを見極めて取捨選択して言っていたのに、今回はそれを無視している。
(ま、感情が高ぶってるんだろうな。これでもう終わりだし)
周りも口々にインタビュアーの投げた質問に対し答えたりと忙しい。
が、カメラが多く回っているのはやはり智巳と結城。あと自分。
求められていることで、自分の首を絞めないであろうことを選択してペラペラと話し、笑う簡単なお仕事である。
好きな球団とかはあるのですか、と言うモラルのない質問を敢えて無視して、御幸は答えられるものにだけ答えている。
好きな球団は鷹か燕だが、それを公言すると『他球団を牽制した』とか、『メディアを利用した事実上の逆指名』とか『入団拒否をチラつかせた出来レース』とか言われかねない。
バカ正直に『大阪近鉄バファローズです』と答えているエースも居るが、あれは嘘をついていないしはぐらかされてもいないが質問の意図と違う、と言う高度なアレなので真似できない。
そんな球団はもう無い。何故なら合併して消えたから。
イーグルスに乗り遅れた、ないしはその継承を認められなかった近鉄残党がまだそこらを行く宛もなくフラフラしているのは野球ファンなら周知の事実。
そしてこいつも消去法的にオリックスと楽天のファンだが、本質的には残党のそれに近い。
志望球団を一足先にリークしようとしてたのに、もう(球団自体が)ないじゃん。そんな感じになっている。
一方、結城哲也は当たり障りのない本心からの『特に贔屓はありません』と言う発言をしていた。
因みにこれは本当のことである。彼は沢村タイプ―――つまり見るよりやる方が好き、だからあまり見ないと言う型の人間だった。
ふと監督に目を向けてみると、いよいよインタビューがはじまろうとしていた。
「全国制覇、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
片岡鉄心の采配には、甲子園ファンからも結構文句が言われていた。
連投させない采配の為には有限のベンチ入りメンバーの中に投手の枠を多く取らなければならない。
彼は動かない監督である。そう言う風潮が、この甲子園を見た観客から生まれていた。
相手の監督・新田幸造は決勝戦で見せた代打三連続、準決勝で見せたこまめな継投などを成功させたりと、動く名将として名高い。
代打は、小湊春市くらい。
スタメンは全員守備固めが不必要なほどに守備が巧いから動かさない。
継投は基本的に降谷ー沢村。
新田幸造のように、手を変え品を変えとはしない。
勝利の方程式を守り、スタメンを鍛える。
本質的には教育者タイプなのだ。だから割りと結果を求めないと言うわけではないが、過程を普通の監督よりも重く見た情のある采配をする。
甲子園でエースが連投しないというのはまあ、数々の記録から見えてくるように、ちょっとありえないわけで。
「監督として、はじめての全国制覇。それが決まった時、どんなお気持ちでしたか?」
「結城たちの世代は、不作の世代と呼ばれていました」
近頃の青道には最初からずば抜けた存在が一人か二人プラス中堅何人か、と言うことが多い。
二年時から四番を打つほどにずば抜けていた東清国と、河内や木野。
一年からエースだった斉藤智巳と一年から正捕手だった御幸一也、倉持洋一に白洲健次郎。
一年から守護神・沢村栄純と、一年からセットアッパー・降谷暁に、小湊春市と東条秀明。
最初から、ある程度核とそれを取り巻く星が存在していた。
だが、現三年生はクリスのみ。
続く者も現れず、守備も打撃も駄目な野手陣に加えて、投手も駄目。
不作の世代と、彼らは呼ばれた。
「ですが、どの世代よりも努力した。結果が出るまで自主的に、自分で考えて、行動を起こした。努力を報われるまで行う、意志の強さがありました」
「彼等ならば、できるだろう。彼等ならば、やるだろう。そう思っていたので、監督としては特に驚きはありません。
しかし、誰よりも練習し、誰よりも育ったこの世代が全国制覇と言う栄冠に輝いたことを、教育者として誇りに思います」
その努力を見ていた。無論全てを見ることができていたわけではないが、それでも見ていた。
不作の世代。
OBたちにそう言われて、その言葉を跳ね返した『素材』の世代。
その素材を、その苗を、自分は育てられたのか。
余すところなく伸ばし切れたというような、偉そうなことは言えない。
「彼等と全国制覇できて、監督として、教育者として、これ程冥利につくことはありません」
片岡鉄心は、万感の思いを込めて言った。
入学から三年間。成長を見てきた一人の教育者としての言葉だった。