瞬間最大風速 作:ROUTE
春期大会では、比較的リリーフ陣が燃えなかった。一回に平均二失点しかしないというベストピッチ(by御幸)と、先発の斉藤智と丹波が平均7くらいのイニングを稼いでくれること。
そして打線の好調で、比較的順調に勝ち進めていた。
ここに来て斉藤智巳、秋頃の不調(平均三失点)から脱却。七回を一失点で収めることも珍しくなくなり、かなり安定して―――つまり、OB会の胃に優しい感じに―――勝てるようになる。
七回投げられても、三失点する先発はいらない。そんな感じで爆破炎上を繰り返していたリリーフ陣もこれにはニッコリ。
そもそも、打線が好調で敵が弱ければ7、8点は取れるわけで、彼が先発の時は基本的にコールド(実質完投ないし完封)で進めていた。
七回平均五失点の粘投も虚しくで勝ち星を消されている丹波にどこか既視感を覚えながら、今日も智巳は代打として丹波に代わって打席に立って、ツーベース。結構走塁で無茶をするため、即座に代走を送られて交代。
結果、ベスト32。関東大会への道のりへの第一歩目を順調に踏み出せていた。
さて、春季大会がもうはじまっている。その先に関東大会も待っている。
関東大会には、一年生も出場できる。滅多にないが、よっぽど有望株ならば出場できるのだ。
そして、それは即ち。
「新入生の時間だぁぁあ!」
「うるさい」
御幸のワクワク期間の終了、現実と向き合う時間の開始を示していた。
現リリーフ陣のベストピッチ(一回平均二失点)では、夏は勝てない。
誰しもが認めるこの事実、解消には三つの道がある。
斉藤智巳が全試合完投すること。
現リリーフ陣を立て直すこと。
そして、新入生で補強すること。
一番目は、これは無理。
二番目は、これまでやって無理だった。
三番目。これに御幸は賭けていた。多分、監督も賭けている。何だかんだ言って、元投手。このままではヤバイというのは骨身に染みているはずである。
顔は怖いが、口には出さない優しい監督。それが片岡鉄心だった。
「誰が来るんだろーな、楽しみだなー」
グラウンドでは無いし、夜なんだから静かにしろよ。
智巳は言いかけて、黙った。根は優しい男なのである。
結構雑に扱っているが、相棒の苦労を推し量れないというわけではない。
「と言うか、わざわざ土手でバット振ってる人間に話し振らんでもいいだろ」
他のチームメイト、倉持とか前園とかノリとかに振れよ。
暗にそう諭したのも虚しく、御幸はまるで話すのをやめる気はなかった。
「いやでも智さん、新入生っすよ」
ワクワクのあまりどこか三下っぽい口調になった御幸を見て、少し智巳は悲しくなった。
そこまで追い詰められてたのか、という意味で。
「そうだな。楽しみだ」
「今回は投手の年のはずだから、かなり有望株が期待できる……関東大会では無理でも、夏の甲子園までにはリリーフとして戦力にできれば」
まだブツブツ言っている。
投手に恵まれない男・御幸。かなり哀れ。
捕手は畜生であることが多いし、その例に違わずこの男も畜生なのだが、最近はその度合いが増しつつある。ハードルを下げたのかもしれないが、皮肉に聴こえなくもないセリフが多くなった気がする。
ベストピッチでしょう、とか。
(まあ、改善されなかったわけだしな)
それに、7失点とか5失点とかに比べると、確かにベストピッチなのだ。予想の範疇を遥かに超えた神ピッチングとも言っていい。
自分がランナーを一塁に置かないで試合を終える。
丹波さんが七回で崩れない。
御幸がチャンスで打たない。
哲さんが凡退マシーンと化す。
これくらいありえないことであると、智巳は思っていた。畜生は伝染するらしい。
「でさ、お前は何でバット振ってんの?」
丹波さんとかノリとかは、投げ込みとかシャドーピッチングしてるけど。
そう言いたげな御幸の問いに、智巳は少し考えて白状した。
「練習以外で、投げ込みはしない。打撃とインナー中心に切り替えていく」
この言葉に、ワクワク状態の御幸が一気に冷めた。
何だかんだ言って、真面目。そして何より、このガラスのエースの面倒を見続けてきただけあって、その切り替えは早かった。
「お前、肩なんか起きてんじゃないだろうな」
「起きてない。起きてたら、春大会は休んでる」
理屈としてはそうだ。だが、エースとしての責任感を人一倍感じて、果たそうとするこの男。どの大会であろうが公式試合を軽く見るのは考えにくい。
そんな疑念の眼差しにため息をついて、智巳は更に理由を吐いた。
「ただ投げ込むんじゃなくて、密度を増す。百球投げて、ピッチング練習は終わり。夏の大会での連投に備えて故障を防ぐ方向に切り替えて、それでもって貢献できる部分で負担の少ないところを伸ばす。シャドーピッチングをやってないのは、そんなところだ」
「……まあ連投はさせねえけど、それなら納得だわ」
最近、その打棒を監督が買ったのか智巳は代打として使われつつある。
スタメンは基本的に固定できているが、強いて言うならレフトが穴。おまけに代打の切り札と言える人員も居ない。
どうせベンチ入りするエースが代打の切り札になれるなら、それはかなり戦術の幅を広げることに繋がるだろう。
「中学の時は三番だったからな。九番ピッチャーも悪くないが、どうせならもっと貢献したい」
御幸が8本、斉藤智5本。どちらが多く打席に入っているかは言うまでもない。
「うちは単打と二塁打で繋いでいくだろ。投手も9人目の野手になれれば、もっと強くなるはずだ」
「……俺も振ろうっと」
「打点乞食でしかないもんな、今のところ」
その後無言で二時間ほどバットを振り込み、二人は風呂に入って、配球について組み立てなおしたりと忙しい。
同室なだけあって、同じように行動すればルームメイトに気を使わずにいくらでも練習できる。
それだけに、二人共練習以外に何も考えることがなかった。
しかし、これももうすぐ終わる。
三年より二年の方が人数が多いと言う関係上、二人部屋であったわけだが、新入生が入ってくればこうはいかなくなるのだ。
「新入生、どんなもんかな」
「投手の年だから、どこかのシニアからいいのとってきてくれるんじゃないか」
「じゃあ、お前と投げ合ったやつ居るかもな」
「うーん」
正直なところ、この男はライバルと言えるのが同じ地区の成宮だけで、他はあまり記憶になかった。
一から三まで、全国大会に出場できている。
それは三番斉藤四番御幸で点を取り、大事な試合は完封で勝つと言うことを繰り返してきたからなのだが、あまり苦戦はしなかった。
「クリスさんと成宮くらいだろ、苦戦したのは」
「北の本郷は?」
あいつ、お前が敗けた時に観戦に来てたけど。
そう言いかけて、止めた。傷を抉るのは別に、好調な今でなくともいい。
「あー、居たな。あいつは強かった」
「えげつないほどお前が調子良かったから勝てたけど、実際ヤバかったろ」
その日の斉藤、投げて一安打ピッチング。打ってサヨナラホームランアンド2安打。
一方御幸、3タコ、内2併殺。戦犯不可避な四番として見られていたし、そもそもこの相棒が神ピッチングしたときは必ず配球を覚えている。
確か、7回表ツーアウトに、本郷に打たれた。92球目、カーブ。インローだった。
ギリギリで、ノーノーが消えたのだ。
「ミスター完封同士の戦いだったもんな」
そして、リトル・シニアの公式戦無敗男と言う稀有な記録をもつ二人同士の戦いでもあった。
当時騒がれたのも、憶えている。
「ああ、試合終わったあとに決め球はスプリットかって訊かれたな、そう言えば」
「なんて返したんだ?」
「フォークだぞ、と。それだけで名前言って、握手して帰ってったけども」
「ふーん」
そう言えば、何か試合が終わったあとに智巳が捕まっていた記憶もある。
悔しさが滲みながらも、どこか尊敬するかのような、闘争心にあふれた眼をしていた。
「でもまあ、ここには来ないだろうな」
完敗しながらも、悔しさで立ち止まることなく敵の決め球を知る。
ライバル、ないしは壁。或いは先達。そう見ていることは間違いない。
会うならば、甲子園で。そして、今度こそ勝って、乗り越える。
そう考えていることは想像に難くない。
「そうだな。来てくれたら、非常に嬉しいんだけど……あいつ、俺のこと嫌いっぽいだろ」
「え?」
「いや、俺めちゃくちゃ睨まれたからな。タメ口きかれたし、繰り返しになるけど、決め球の話しの後に『お前の名前、憶えたぞ』って言われただけで、握手して逃げられたし」
握手してんじゃん、それは認めたってことだろ、とは言わない。
名前を向こうから、あの鼻っ柱が如何にも高そうな奴が、プライドの塊が、向こうから憶えたってことを言ってきたんだろ。それは『俺の名を次は憶えろ』ってことだろ。とも言わない。
そして、本郷正宗が割りと傲岸不遜で、己以外をエースとして認めないような自信家で、それに伴った実力を持っていることも、言わない。
試合中にチラッと確認したら奴が観戦に来てたことに気づいたのも、よくよくあの場面を見返してみると目の前のエースが敗けた時に『信じられない』と言うような顔をしていることも、言わない。
智さん、鈍いっすね、とも言わない。
だって、その方が面白そうだから。
だって、その方がエース対決が燃えそうだから。
どちらも、強過ぎるほどに強い。日本のエースになれる逸材だと、贔屓目なしに思う。
だから、面白い。だから、見たいのだ。誰にも介入されない頂上決戦を、己のリードで見たい。
それも、甲子園で。
そして、勝つ。これが最高で、これ以上はない。
まあ、それは個人としての思いで正捕手としての欲望ではない。勝つ為に必要なら、容赦なくバラす。
叶うならプロに行きたいし、そこでもまたバッテリーを組みたい。
しかし、世はドラフト全盛期。逆指名制度もない。
この、本郷正宗対斉藤智巳。前者は間違いなく、後者は怪我さえしなければ大エース。
この対決を、見たいと思わないわけがない。リードしてみたいと思わないわけがない。今しかできないかもしれないのだ。
「おお、そうだな。なら、誰が来るかな」
「それが思い浮かばないから思案してるんだろ」
「うん。まあぶっちゃけ、来そうな奴は知ってるんだよ。一人だけだけど」
智巳の目が、雄弁に語りかけてくる。
『また騙しやがったな』、と。いや騙してはいないのだ。なにせ、知っているとも言っていないのだから。
現に、知っているのは一人だけであるし。
「沢村……何だったかな。すっげぇ面白い球投げる奴が居てさ。東さんを三振に取ったんだよ」
「俺、そんなこと見たこともないし聴いたこともないんだけど」
「ああ、東さんはお前呼ばなかったからね、あん時」
『援護できずに敗けたのに、自分しか責めてない奴に会わす顔なんてないわ』とか、言っていた。
そして、智巳は監督と丹波の見舞いに行っていた。そこを狙って東清国は来たのだから、仕方ないとも言える。
「……やっぱり、夏を終わらせたヘボピッチャーには会いたくもないのだろうか」
ヘボピッチャーと、言われたことがある。まだエースでなかった頃で、ベスト8に行く頃には東清国もすっかりその力を認めていたが、それはそれ。言われたことは変わらない。
「いや、誰一人として責めてないと思うよ。マジで」
東世代も、哲さん世代も、あの一点を、あの敗北を責めはしなかった。
そのことが、未だに『消去法エース』でしかないと言う智巳の思い込みに繋がっている。
「まあ、二度同じ轍は踏まない。絶対に敗けないから、見とけ。特に稲実」
「ああ。俺達もキッチリ援護するよ」
「ランナーなしの時の打率が二割切ってるやつに言われてもな。哲さんに言われたら説得力あるんだけども」
ランナーなしの御幸は的場直樹。
得点圏の時の御幸は古田敦也、と言うのはよく言われている話。
因みに、いずれもリードが巧いということは認められている。
「いやまあ、そこらへんはおいおい直していくよ」
「期待しないで待ってる」
と言うか、宮内さんすら三球に一回は逸らす高速フォークを捕逸ゼロにし、リードが自分の気性と噛み合い、得点圏に強いだけで非常に有り難いのだ、とは言わない。
御幸はこんなものではないと、智巳は信頼している。限界は、御幸が決めたところ。まだ決めてないのだから実質無限だろう。
割りと、雑な扱いな割には信頼が深い。
「がんばれよ」
「任せろ」
「まあ、哲さんの方が頼りになるけど」
「……まあ、だろうけどさ」
でもその壁、かなり厚くて高いのでは。
そう思わないでもない御幸だった。