瞬間最大風速 作:ROUTE
―――青道高校。
言わずとしれた野球の名門……と言うか、成宮曰く古豪。
投手陣の炎上と単打単打の集中砲火で猛攻を見せる打撃陣と言う、どこかで見たような特色を持つチーム。
どこかで見た。名前は控えるが、主にかなり前の横浜で。
まあそんな1999年横浜ベイスターズの話題は置いておいて、この野球の名門にレギュラーの座とプロへの道を求めてその門を叩く者が居た。
「ここか……」
「うん」
金丸信二、東条秀明。松方シニアで同じ釜の飯を食い、大正義大江戸シニアの猛攻を受けた被害者の内の二人。
因みに、大正義大江戸シニアは御幸ー斉藤智のバッテリーで三年連続全国制覇、特に最後の一年は練習試合含めても負け無しという、頭のおかしいことをやっていた。
今は黄金期に比べれば暗黒だが、それはそれ。満塁で敬遠されること五回の御幸に、ノーノーをやること六回という斉藤智を擁したあの大正義っぷりは、当時のシニア所属生の中ではトラウマだった。
「ここに、あの人達がいるんだよな……」
金丸信二と東条秀明は、あの底意地の悪い捕手のリードと打てる気がしない威圧感を持つエースと戦い、二回とも敗けている。
あの頃の大江戸シニアは、おかしなことやっとる、と言うのがしっくりきた。
当時の関東最強捕手・滝川クリス優を雍する丸亀シニアですら、実力の劣った投手を一流に引き上げるクリスのリードと超一流を怪物に底上げする御幸のリードが火花を散らし、3対0で無四球無安打完封―――完全試合をされて敗けたのだ。
まあ、酷な話だが、化け物と擬似一流が戦ったらどうなるか、という話でしかなかったわけだが。
丸亀シニアの最盛期を二回にわたって粉砕してのけた地区大会決勝は、その当時衝撃だったらしいと、この二人は、先輩たちから聴いた。
もちろん東京地区にある松方シニアも打者斉藤智と満塁男の御幸に完璧に叩きのめされ、最強世代と呼ばれた一つ上の世代までもが全国に行けなかったのである。
最強世代と呼ばれただけあって、全国に行けた打撃陣だった。なのに、零封された。
更には国際試合でその当時、連勝記録を更新中だったキューバ相手に二人で18奪三振を含めて27個のアウトを一本のヒットすら許さずに零封―――つまりはノーノーをしたこともあいまって、『野球の要はエースと正捕手』と言うことが声高に叫ばれ始め、育成方法が変わったりもした。
それほど、無敵だったのだ。連投はしてこないが、だからこそ出てきたら、敵シニアを贔屓にしている観客がOBが帰るレベルで強かった。
「あの人達と同室になるかもしれないわけだよな」
「ま、まあ、そうだね」
若干げんなりしている金丸と、少しビビっている東条。
金丸には圧倒的な威圧感と意地の悪いリードで三振させまくられた苦い記憶があり、東条には投球に込められる闘志と如何なるピッチングをしても綺麗に整えられたマウンドを譲られたことによって、エースとしての差を見せつけられた過去がある。
それまでは、マウンドに立たされているという気持ちがあった。
だが、あの一戦からマウンドへ執着するように、東条はなった。
その結果得た準優勝と言う成果を見せる前にあの二人は引退してしまったのだが、だからこそ、見せられなかったからこそここへ来たのだ、という思いもある。
「でも、早く話してみたくもあるかな。心を整えてからがいいけど」
「東条……」
エースとしての立場に、東条は執着しているように見えなかった。
だが、あの敗けから執着するようになって、やや戸惑った覚えがある。
「そうだな。二年になるまでに胸張って会えるようになろうぜ!」
「ああ!」
二年からレギュラーの座を、と決意して二人は寮に向かったのだが。
「お、俺は丸亀シニアのクリスさんとか」
あの人今何してんだろ、と金丸が漏らした。
確か、去年の春以来公式戦の出場は無かった。
エースの斉藤智との相性が抜群な御幸に正捕手としての座を取られたのではないか、とも思われたが、それにしたってあの打撃センス。他の捕手―――名前は覚えていない―――を使うくらいなら、マシではないかと思う。
「えー……と」
「なんだ、まだ見つかんねぇのか?」
「うん。まだ貼られてないのかな」
わかりやすいように、青道高校の寮は人数が合わない限りは三年・二年・一年で一部屋。
入学が決まり、入寮日になると名札が三年、二年の左、つまり一番左に貼られるのだが、手違いもあり得る。
「まあ、まだ部屋はあるんだし探してみようぜ。貼ってないところが、お前のとこかもしんないし」
「そうだね」
金丸信二は、面倒見がいい。
同じリトルで、同じシニアで、同じ高校。付き合いが深いからこそ、丁寧に付き合う。
どこかのバッテリーとはえらい違いである。まあ、あれはあれで成立しているからいいが、かなり違う。
「おっ、あった―――ぞ?」
「どこ?」
金丸が見つけて固まり、東条が振り向く。
知っている人かな、と言う淡い期待を胸に秘め、目に映ったのは。
一番右、斉藤。
二番目、御幸。
三番目、東条。
「……え?」
「ま、まあ、有名じゃん。よかったな。
そ、それに……二年が二人、一年一人なんてあるのか?」
斉藤は二人居る。割とどこにでもいる苗字だから仕方ないが、その所為で斉藤智巳が登録名を斉藤智にしているのは、結構有名。
御幸とか、結城とか、小湊とか、伊佐敷とか。結構特異な―――筒香、梵ほどでないが―――苗字が多い青道高校に於いて、斉藤はいかにもありそうだった。だから被るのだろう。
「そ、そうだね。斉藤さんじゃない方の斉藤さんかも知れないし」
「あ」
ここで、金丸信二が気づく。
斉藤じゃない方の斉藤は、電光掲示板では『斉藤』だが、実は斎藤なのである。斉藤じゃない方の斉藤は誤字で、斎藤だと言う。
つまりここに居るのは、斉藤の方の斉藤だということになる。
幸いにも、東条は気づいていない。斉藤が上で御幸が下ということも、勘違いに拍車を掛けたのだろう。
「じゃ、じゃあまあ、御幸さんと一緒だけど頑張れよ」
「うん。信二もね」
そう言って、拳を合わせて二人は別れた。
金丸信二は丸亀シニアの滝川・クリス・優と。
東条秀明は斉藤と御幸と。
そう決められて、東条秀明はドアを開けた。
「失礼します……」
「お、来たな」
ニヤッと若干悪そうな笑みを見せて、御幸一也は新入生を出迎えた。
「俺、御幸一也。お前は松方シニアの東条だろ?」
「は、はい。覚えてくれていて嬉しいです!」
「うーん……まあ、そんなにかしこまる必要はないんだけど、これから二年、よろしくな」
「はいっ」
生真面目な東条秀明にとって、先輩後輩の立場の差と言うのは、かなり大きい。それがポジションは違えど尊敬できる先輩なら、なおさら。
「あの、もう一人の斎藤先輩はどこに?」
「ああ、あれね。あいつはじゃんけんに負けたから買い出しに行ってるよ」
あれっと、思った。
先輩後輩の立場に、差がなさすぎる。御幸一也はいい選手だが、それでも先輩後輩の差はあるはずで、じゃんけんに負けたからとか以前に、後輩が買いにいくのが普通な筈。
しかも、あれ呼ばわり。後輩の言葉ではない。
東条秀明、嫌な予感が蘇る。
斉藤じゃない方の斎藤なんじゃなくて、斉藤な方の斉藤なのではないか、と言う予感。
「おい、御幸。買ってきてやった―――」
「あ、智。これ新入生な。松方シニアの東条って、覚えてるだろ?」
「ああ、あの時の二年生エースか」
智。
トモ。
言葉を切って、そんな呼び名が聴こえた。
斉藤じゃない方の斉藤には、そんな字は含まれない。斉藤な方の斉藤には含まれる。
「東条秀明か。俺は消去法エースの斉藤智巳。エース争いで手加減はしないけど、後輩だからと言って侮りはしないし、遠慮しろとかも言わない。実力で語り合っていこう。よろしく」
つまり、こういうことだった。
語り合う前から、結果がわかる。これを人は語るに落ちると言うらしいが、東条はそんな場面に出会ったことが今までで一度もない。
今、身を以って知ったばかりである。
「智、怖がられてるぞ」
「……何で?」
「縦に恵体だからだろ。188センチだっけか」
「192だ。少し伸びたからな」
そんな会話をしつつ脇を通り過ぎていく智巳を見送って、東条ははたと気づいた。
自分は、返事をしていない。
「あ、あの」
「うん?」
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
あれ、思ったより優しそう。
それが初対面の感想だった。
「智、用意よろしく。俺は東条と話してるからさ」
「……まあ、お前は人当たりいいからな。そこは任せる」
「はいはいっと」
少し引っ込んで、ガサガサと何かやっている智巳から少し離れるように東条を連れていき、御幸は改めて話しかけた。
「ぶっちゃけ、マウンドで見たのでイメージ固定されてるだろ」
無言で頷く。
三振を取り、咆える姿。投げ終わった残心が残る身体、振り抜かれた腕と、真一文字に引き締まった口元。
そして、場を圧倒する威圧感。
「まあ、別人だと考えてもいいよ。俺はどっちも慣れてるし、二年間過ごすんだからどっちかは慣れた方がいいんじゃないか?
怖いって思うのもまあ、わかるんだけどな」
あれはクソ怖ぇもんな、と御幸は笑った。
「でもまあ、味方にすると頼れるんだよ。それに、マウンドでの見た目は怖いけど悪い奴じゃない」
「い、いや……あの、怖いんじゃないんですけど」
戸惑っている。それが一番なのかもしれない。
「怖いんじゃないんだと。よかったな」
「お前、そういうことするから威厳が消えて後輩から呼び捨てにされるんじゃないか?」
「そういうことって?」
「適当に言葉を引用して好き勝手に解釈してからかうとこだよ」
阿吽という言葉が、よく似合う。
間違いなく関東一のベストバッテリーを前に、東条秀明は緊張の度合いを薄めていた。
鬼が出るか蛇が出るかと構えていたら、案外とそうでもなかった。
話してみると気さくで、あれ程威圧感のあった顔はどこか親しみを感じる笑みが浮かんでいる。
「じゃ、これからの二年間に乾杯」
「乾杯」
「か、乾杯」
音頭を御幸が取り、三人は一気に烏龍茶を飲み干した。
部屋別でやることは様々だが、基本的に入寮日の今日は新入生歓迎会に費やされる。
馴染ませるための恒例行事が、春季大会を他所にはじまった。