あなたの香りに包まれて   作:bui

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あなたの香りに包まれて

夏が去り、街はディスプレイも秋色に変えている。

 

他と遅れてはならないという強迫概念でもあるのだろうか?ウインドウはある日を境に一斉に色を塗り替えた。

 

俺達はと言えば…、

人を雇ってもリツの行方は分からず、清宮尚に至ってはそろそろノイローゼになるのではないかという焦燥ぶりだった。

 

両親の思惑は分からないが一族としての小野寺家ではリツに対して表立って何かをしたくはないらしい。

清宮尚の話を聞く限りでもリツの存在があまり好ましく思われていないことは明白だった。

事件を起こしたり逆に巻き込まれたりしなければいい。勝手に居なくなったならそれはこれ幸いとばかりに放置の方針のようだ。

確かにリツの経歴にはすでにいくつもの傷がついていて、しかも時限爆弾を背負っているようなものだ。何かの拍子にそれが爆発して精神的に問題を抱えた血縁がいるという事はビジネスにはダメージなのかもしれない。

 

清宮尚親子が面倒見てくれているのをいいことに、何もかもをリセットしているのはリツの記憶だけではなかったのだ。

 

金持ちってさ、意味わかんねな…。

 

ホント…。

 

リツも意味わかんねー。

 

 

 

 

 

「RITU」の新しい香水が出ましたね。

 

副編集長の羽鳥が担当作家のネームを確認している俺に小さい声でそう言った。

 

吉川先生のアロマの話は評判になり、ドラマ化までされた話題作となった。

ドラマではスピリチュアルな部分も少し加えられてなんとも女子受けしそうなものに仕上がり、イケメン俳優と相まって評判のモノになっている。

 

パワーストーンとかよくわからないし、ジャラジャラと数珠みたいなものを腕に何個もつけている女子を丸川でも見かけるけど俺には意味不明だ。

 

石ころになんの願いを込めるんだろう?それともお守り的な意味合いだろうか?

綺麗な石だけにそれが好きってのもありそうだけど他力本願な気持ちは否めない。

 

自分が何もできないことを見せつけられるようなモンは嫌いだ…。

 

 

 

 

羽鳥のその涼やかな表情からは不確かなことに対して探りを入れているとは到底思えないし、唐突に必要性のない今、そんな話を振るのは不自然だ。

「RITU」の話題を振って来たということは、何かを知っているのだろう。

 

小野寺律が「RITU」だと知っているのか?

 

ただ、いつもまじめでストレート、ドSかと思わせておいて実はM気質のこの男に、どうにもできない拗れた恋に悩む俺の気持ちまでも察しているとも思えないけど。

 

「人づての話ではあるんですが…。」

 

羽鳥は発する言葉を選んでいるように少し口ごもりながらも

「小野寺さんを見かけたという人がいたのでお知らせしておこうかと思いまして…。」

と言った。

 

やはり羽鳥は「RITU」が小野寺律だと知っているのだ。「小野寺」という言葉とどこまで知っているかという事にひやりとする自分と、羽鳥なら知っていて当然と思う自分がいて、自分の中でも何人もの自分がいるような錯覚に慌てる。

 

人の気持ちは多様性に富んでいる。

 

何か事が起これば肯定する気持ちと否定する気持ちが綯い交ぜになって、自分の本当の気持ちを隠す。

人に見せている外の薄い皮をつるりと剥ぎ、さらに層になった肉厚の身を用心深く何枚も何枚もペリペリと剥いてやっと見える生々しい芯に本音はある。

 

自分さえもごまかし続けて、痛みを伴う剥離に晒されたのち不安に震えるコアが語るものは何なのだろう。

欲も損もエゴも何もかもを脱ぎ捨ててたどり着く答えに慄く。

 

これは吉兆なのだろうか。知りたいことの筈なのに羽鳥のもたらすであろう情報に不安がよぎるのが妙に可笑しかった。

 

「どこで?」

 

さりげなさを装おうとして発した言葉は震えていて、ポーカーフェイスに失敗したことを知ると同時に、やはり不安よりも期待が増していて、脱ぎ切れていない欲の衣の存在を悟る

 

「アンバーグリス」

 

「え?」

 

「アンバーグリスというのはひどく獣臭くて淫靡な香りだそうです。」

 

羽鳥が言いたいことが分からずに聞き続けていると羽鳥は抑揚のない口調で話をつづけた。

 

「イギリスなどの海岸でまれに見つかるマッコウクジラの腸内に発生する結石で、希少でひどく高価なのだだそうです。」

 

吉川先生がアロマの話を書いてから、羽鳥はかなり詳しく香りのことについて学んだようで有名どころの香水についても詳しい。紹介されたアロマの専門家にも自分から願い出て何度か場を設けてもらったようだった。

 

「RITU」にクリスマス限定バージョンが発売されるそうですが、それがアンバーグリスが入ると噂になっています。」

 

リツがメリッサに休職扱いでいることを聞いていたので仕事をしていた事実に驚いた。確か一年間のノルマは果たしたと聞いている。だから休職であろうと契約は成立しているのだろう。

しかし、限定版?さらに追加の依頼があったという事なのだろうか?休職であってもやはりメリッサはリツを掌握していたのだろうか。

 

動揺は隠せずに瞬間的に羽鳥の目を見つめると羽鳥が少しだけ表情を緩めた。

 

それは上司への畏怖でもなく、年長者からの慈愛でもなく、どちらかと言えば哀れみに見える。

そんなに飢えた顔をしていたのだろうかと羞恥が湧く。

でも次の瞬間少しだけ表情が緩み、その顔には共感が浮かんでいるように見えて、卑屈な思いを一旦捨てさらに話を聞いた。

 

 

 

アンバーグリスは希少な香りの元、沈香などは確かにごく限られた場所でしか得られないために金より高値で取引されるという。

「RITU」はオリエントビューティをコンセプトにしているので、日本の香道につながる素材を使ったりするというし、香りは広く深くて重なりは無限大なのだろう。。

 

それでもまだ羽鳥の話の先が見えない。焦れてイライラしてしまう。

今は回りくどい説明をされているのか、一本道の途中なのか皆目見当がつかない。

 

「イギリスのとある海岸でアンバーグリスが取れることがあるそうですが、同じように日本の海岸でも見つかったことがあるという記録があります。」

 

日本でもアンバーグリスは取れる?確かに日本も捕鯨をする国だ。周りにクジラは生息しているのだろう。

あの大きな哺乳類は昔は日本人にとってはなじみの肉だったと聞く。

 

「アンバーグリスの和名は龍涎香(りゅうぜんこう)というのだそうです。吉川先生の所のスタッフがとある海岸で出会った人がそんな話をしてくれたそうです。」

 

「海岸?」

 

「RITU」の限定品の名前はクリスマスなのに「birthday」だそうですよ。キリストの誕生を祝っているという解釈が一般のようですけど、高野さんの誕生日、24日でしたよね?」

 

ハッとして腰を浮かそうとすると羽鳥がそれを制した。

 

「高野さん。香りは移ろいやすいものです。強い風を起こすと吹き飛んでしまいますから用心深く…。見失わないで。」

 

そう言って写真と地図を差し出した。

 

旅先で楽しそうに笑っている女性たちの向こう側に小さく海を見つめている人の後ろ姿が写っていた。

それは忘れもしないリツの茶色い髪と同じ色だった。

 

 

 

 

 

 

すぐにでもすっ飛んで行きたかった。

 

でも運動会で匙の上に乗せたピンポン玉を落とさないように用心するように、そろりそろりと歩くことにした。

 

慌てて見つけてもまた逃げてしまえば苦しい時間を繰り返すだけだ。

こんな追いかけっこはもうしたくない。リツを失い続けたら俺自身の心が死んでしまう。

 

せっかくの情報をきちんと精査してリツがいる場所を特定して、何をしているのかを調べることにした。

場所さえわかれば後はなんとでもなる。

無人島で自給自足をしているわけでもない。文明の恩恵に与っている限り外界を遮断することはできない。

そして秋が深まったころ、メリッサの保養所にリツが滞在していることも突き止めていた。

 

そう、リツの所属していた会社は『クリスマスの香り』の代価として表向き休職扱いとしてリツを匿ったのだ。

だから清宮尚の問い合わせの結果はあのようにつれないものだった。

 

夏の写真の中とあまり変わらないまま、季節外れの海岸にリツはいた。リツが決まって夕暮れに散歩をすることを調査書は俺に知らせていた。

 

 

 

 

海岸の寄せては返す波の行方をリツは見ていた。

シャリっと砂が鳴って、後ろ姿のままのリツの肩がピクリと動いた。

 

リツがいるこの浜は小さい入り江になっていて、季節はずれには人が訪れることは少ないのだそうだ。

 

「ストーカーですか?」

 

振り向きもせずにリツがそういう。

調査会社の手が自分にチロチロと近づいていたのを知っていたんだろうか。それとも会社経由で何かを言われたか?

 

「恋人なのになんで?ストーカーってなんだよ。」

 

人の苦労も知らないで犯罪者あつかいか!?と、本当はもっと違うことを言いたいのにムッとして、つい意地悪な口調になってしまう。

 

こちらを振り向きもしない後ろ姿が夕焼けの中に吸い込まれてしまいそうで、それが錯覚だと分かっているのに急に泣きそうな気持になって、

恋しいと言いたいのに心細くなって、

溢れそうな苦情も思慕の気持ちも言葉にすることができなかった。

 

「なんでいるんですか?」

 

それっきり言葉を発しない俺の態度に焦れたのか、先に次の言葉を発したのはリツの方だった。

 

「お前さあ…、自己完結しないでせめて言い訳する時間ぐらいくれ。」

 

女々しい言葉だと思った。

何をどう言えばいいのかとずっと考えて来たけど結局何も言えなかった。

 

「言い訳って…、かっこ悪いですよ。」

「なりふり構ってなんていられるか、二度もお前に逃げられてるのに。使えるもんはなんでも使うし、やれることは全部やる。」

 

わざと偉そうに言ってやるけどリツは返事をしなかった。

 

凪が終わり海からの風が強くなってきて、リツの長い前髪がフワフワと揺れて輝く。

華奢な輪郭も境界線があいまいになって逆光がその影を砂に投影した。

 

「どこに行っても何をしても結局最後は高野さんしか俺にはなくて、どうしたものかと困惑してたんです。」

 

くるりと俺の方へ振り向いたリツが髪を耳にかけながら手をスッと目の前に差し出した。

反射的にリツの手の下に手を差し入れるとそこに小石のようなものが落ちて来た。

石とは違う感触に戸惑いリツを見ると、尖ったクリスタルの破片のような冴え冴えとした目が俺を見つめていた。

 

その視線はいつものリツの柔らかいものとは異なっていて、良いことも悪いことも悲しさや苦しさとかどろどろした事もみんなまとめてこね回した練り香水のような感じだ。

まとわりつくのは業の香り?

 

とたんに首筋がゾクリとして、ドミノ倒しのように鳥肌が腰のあたりまでたち、ブルっと震えると今度はリツがいたずらを成功させた子どものように無邪気な瞳で笑った。

 

「それはアンバーグリスです。実際はそれから香油を作るんですけど。クリスマスの香水に入れました。まだ少し獣臭い…。」

 

リツは今までアンバーグリスを握っていた手の平をパーに開いて鼻を寄せクンクンと香りを嗅ぐ。

これが羽鳥が説明をしてくれたアンバーグリスかと自分も嗅いでみてからつまみ上げて目の位置まで持ち上げて翳して見る。

 

「臭いクセに病みつきになるほどの香りで、他の香りと混じると淫靡な香りになる…。深くて強い生命力とか欲とかそんなものをイメージさせる。」

 

「とても聖なるなんて香りじゃないのに、先輩の、高野さんの生まれた日にすごくふさわしい気がしてどうしてもこの香りを入れたくて、これで気が済んだからもういろいろいいかなって思えたんです。」

 

まるでつきものが落ちたとか悟りの境地とかそんな感じのリツを見て、急に腹が立ってきた。また一人でそうやって収めてしまって、俺はどうしたらいいんだ。

 

「自己完結すんなって言ってんのに。お前何なの!?」

 

語気を荒げるとリツはびくっとして顔を伏せてしまう。

 

「顔を背けんなよ。」

 

腕を強くつかむと顔を上げたリツは迷子のように不安げに瞳を揺らした。

違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。

本当は不安も心配もない柔らかい所に仕舞って、だれにも見せないでひたすら愛でていたいんだ。

 

「10年前から好きだった。ずっと忘れられなくてお前だけを追いかけていた。」

 

途端にリツがハッと目を見開いて俺を刺すように見たかと思ったらアイスクリームが溶ける様に表情を外側から崩して行った。

 

「うそ…。」

 

「なんで嘘なんだ!?」

 

「いつも嘘ばっかりついて、また俺は高野さんに騙される!」

 

そう言われると言葉もなくて、吐く息が石になったみたいに喉の奥で固まって詰まる。

掴んでいた腕が震えてリツをまた無くしそうになって、力いっぱい引き寄せるとリツは抵抗もせずに腕の中に納まった。

 

「嘘なんてついてない。

全部お前のせいだ。

ずっとお前が好きなのも、

誤解していなくなったのも。

全部綺麗に忘れてまた俺の前に現れたのも…。

 

そしてこんな遠くまで来させたのも。

 

皆お前が悪いんだ。

 

だからお前は償いとして一生俺の傍にいなければならないんだ。」

 

言ってることは支離滅裂だと思った。

思ったけどもうなんでもいいからリツを手放したくないと思った。

 

腕に力を入れて抱きしめるとリツが苦しそうに腕を突っ張って身体をずらした。

そうしたらろっ骨のデコボコとか腰骨の段差とか、リツの骨格がだんだんと俺の窪みに居心地よいように合って来て、うなじに納まったリツの顔が少しだけ何かを言おうとしているようで息を吸った。

 

「だますなら死ぬまでだまし続けてください。」

 

それは俺の言葉に納得したということでもなかったようだけど、このまま腕の中にいてくれるという返事には違いがなかった。

 

クジラの腹の中のアンバーグリスの生成を想像する。自分を傷つけないようにクジラが行った自己防衛が淫靡な香りを生むという自然の不思議なめぐりあわせ。

人はその排泄物にも似たものに黄金以上の価値を見出してざわめく。

 

でも俺にはリツの体臭と髪から発する塩の香りがアンバーグリスの香りよりもっともっと淫靡に感じる。

リツを欲しいと思わせる。

 

わがままな欲だ。

 

たった一つ、黄金でも買えないリツ…。

 

ただ、リツだけがいればいい。

 

少し首を傾けて唇に顔を寄せると、リツは磁石のS極にに引き寄せられたN極のようにスッと唇を合わせてきた。

 

もう放せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クリスマスの香り、結構売れました、」

 

アロマのお店に復活したリツが、閉店後訪れた俺ににこやかに応対しながらそう言った。

 

「尚に一つプレゼントしたんですけどなんかずっと怒ってて、香水は仕事先の人に差し上げたそうです。」

 

相変わらずクンクンと嗅ぎながらなにかを調香していると思ったら、正月に店を飾るための香りを考えているのだそうだ。

 

 

『晴れやかな綾織のような香り』と訳のわからないイメージを口にした。

 

 

契約があるから売ることはできない香りは、初売りのプレゼントになるらしい。

 

それはいいのか?と少しだけ考えるけど、まあ、イギリスの会社じゃあここまでは目も行き届かないだろう。

 

それにしてもさ、そりゃ怒るよな…。

 

清宮尚にしてみれば恋愛も家族愛も友愛もすべての愛情をリツに注いでいたのだろうから。

 

なのになんの相談もされずに、自己完結してしまうって、切なすぎる。

 

「差し上げたそうですってことは、それでも何か言ってきたってこと?」

 

怒って絶交(子どもか?)なら連絡はないだろうに。

 

「ええ、そうしたらその子とちょっといい感じみたいで逆にもっとなんか寄こせっていわれました。」

 

そりゃまた目出度い。

 

「杏ちゃんっていう名前で香水作れって言われて、お世話になってるんで今考え中です。」

 

ほう、そりゃ建設的に前向きだ。

ずっとずっとリツだけを中心に生きて来た奴の世界も動き出したってことか…。

 

「みんなが幸せになるような香りを作りたいです。」

 

リツが透明の保存瓶を見つめて呟くように言った。

 

「そうだな。」

 

俺もそう思う。

心の底からそう思う。

 

好きな香り、苦手な香り、色々な香りの中でいつだって一番好きなのはお前の香り。

 

 

それさえあればほかの香りはもういいんだ。

 

 

いつまでも二人で。

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

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