あなたの香りに包まれて   作:bui

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桜の香り

調香師としての俺は大きなブランドの企業に年俸制のような契約で囲われている。

とは言っても行動の自由度は高く、アンテナショップ的位置であるこのお店を自分のイマジネーションのために任されているぐらいだ。

 

もちろんブランドの名前は出せないし、勝手に売るための香水を作ることはできない。

そして一年に何個かのタスクをこなせなければならないという契約もある。

 

ある出来事で香りの効能を知り、あまりにも香りにこだわるこの身体をもてあましたけっか、理系の大学で研究者をしていた時に調香したミュゲをそのブランドが買い上げたことが発端だった。

 

当時、その企業が俺たち大学の研究者のスポンサーだったこともあり、それに対して拒否権はあってないようなものだったし、俺自身もそれに抗うつもりもなく、その条件を受け入れ現在に至っている。

 

結果、そのブランドが俺の名をミュゲの完全再生パフューマーと称して前面に売り出したこともあって天才と呼ばれることになった。

 

しかし、天才とかはっきり言って迷惑な話だ。

 

いつだって命を削ぐような気持ちで香りに挑んでいる。苦労もなく成し遂げると思われるのは心外だ。

どうしても湧いてしまう香りへのこだわりを商業的な物へ転換させざるを得ないのは苦痛なのだけど、しかしこんな自分に他の何ができるだろう。

 

だけど自分の作った作品を楽しんでくれるお客様を見るのは嬉しい。存在を許されている気がしてホッと癒される。

 

毎年のお題はなかなかの苦痛で、自分のイメージが貧困であることを突き付けられる毎日だ。そしてとうとう毎年断り続けたイメージに今年は挑戦することになった。

 

俺の作る香水のシリーズ名『Ritu』の大元のコンセプトは、オリエントビューティ(日本)だ。お茶、モモやみかんの花、友禅シルク、白波、粉雪、色々なイメージの香水を作ってきた。もちろん日本的というだけではないものもあるのだけど今回とうとう『桜』がお題となった。

大概はあらかじめこれでという打診があるのだけど何度か断っていたためにとうとう焦れたのか打診なく正式に依頼が来てしまった。

 

つまり断れないというこ。

 

しかし、俺に桜のイメージする香水を作ることはきっと出来ない。

花の香りはいつだって香しいと思うのに桜だけは香りを感じることができないのだ。

 

桜の花は長い軸の先に咲き、ユラユラとはかなく揺れて、揺れながらやがて短い花としての生を終える。

その儚さは日本の桜独特のモノで、海外の桜は花の季節がかなり長い。

 

そして桜の本来の香りはかなり芳醇だそうだ。

日本で盛りと咲くソメイヨシノからはその匂いは儚くてほとんど感じられないらしいけど、ある特定の品種はかなり良い香りを発することが知られている。

 

自分たちが作る香りに求められるのはその香りそのもの(シングルフローラル)ではない。その花そのもの香りを香水にするのであればガスクロマトグラフィーでもかけてそれ通りに作ればいい。

 

その香りからイメージを膨らめ、美しい修飾語で言葉を飾るようにもととなるイメージに香りを重ね着させていく。

 

しかも今回のお題は男性用と来たもんだ。

ため息しか出ない・・・。

 

仕方がないのでここ数週間調香チャート残しつついくつか作ったのだけど、しかしどれもしっくり来ないという日々を過ごしていた。

来年の春発売予定のモノになるので少なくとも夏には完成させないと、マーケティングとして先が詰まってしまう。

 

今回はチューベローズをいれた時点でイメージが吹っ飛んだ。あんなに甘すぎる香りは違う、きっと違う・・・。

もっとストイックで寡黙で、咲いた桜ではなくて散った桜の花びらを軽くつまんで優しくフウと吹いてもう一度宙を舞わせる。そんなイメージで作りたい。

 

そんなに甘いばかりの香りじゃない・・・。

 

今作らないとおそらくだめだ・・・。 桜がなくなってしまったらきっともう作れない。だけどなぜか桜を見たくない。

 

そう、俺は日本人なのに桜が嫌いなのだ・・・。

 

10年前、俺と桜に何があったのか分からない。いや、覚えていない。

 

 

 

 

 

 

自宅は店と同じ最寄駅で徒歩で5分もかからないところにある。だから家と職場の往復でその他何もしない日が続くという悪循環に陥ることもあるわけだ。

ぐだっと部屋のフローリングの上に寝転ぶと、同じく床の上にあったスマホがグリグリと音を立てて震えた。

板と暴れまわる硬質な物のせめぎあいはどうしたって動けない板の方が分が悪い。

そのうるささに仕方なくゴロゴロと近くに転がっていくと画面には先日会ったばかりの高野さんの名前が表示されていた。

 

はい、と電話に出るとスマホの向こうからテノールの音が丁寧に「丸川の高野です。」と耳に告げた。

 

登録さえあれば画面に表示されるので、友人などは自分は何者かも名乗らずに話を始めるというのにビジネすの世界は相変わらず礼儀正しい。

 

「先日はありがとうございました。お願いがありまして、本日お店の方にお伺いできないかと思いまして。」 という丁寧な高野さんの言葉に「今日は店には出ていないんです。」と申し訳なくも俺は返事をした。

 

オフは特に決めていない。体験などが入っている日は何もすることはないのだけど一応店には出かけている。

制作する場合もラボ的な個室があり、道具も揃っているので作業に没頭出来るという利点もある。

しかし、規約として最低週一回は休みを取ることが決められていて、俺が休まないと他のスタッフが休み難いと苦情も言われているのでそれに倣っているのだった。

 

「そうですか・・・。」

高野さんは俺が居ないとは思っていなかったようで、では・・・、と言葉を続けながらも頭の中のスケジュールを組みなおしているような感じがした。

 

「お急ぎの案件なのでしょうか?」

 

心配になって聞くと

 

「急ぐわけではないのですが連載漫画がスタートしているので早めがいいかと思っていまして・・・。」

 

尚もちょっと落ちたトーンの声に、どうせ暇だしと「では自宅の方へ来ていただいてもいいですよ。」と伝えると見えなくても、電話口の向こうの高野さんが嬉しそうな顔になったような気がした。

 

はじめはやや遠慮がちだったものの結局俺と高野さんは会うことになった。

 

もはや春という言葉は確実に不似合いな柔らかくない風が吹く日だった。

 

 

 

 

 

 

店からこのマンションまでは一本道だ。

しかし目印になるようなものもないのでマンション名を告げたもののやや心配も残る。

 

頃合いを見てエレベーターで1階に降りると、丁度高野さんがエントランスに到着していた。

 

すらりと背の高い高野さんなので、きっと大勢の中にいてもきっとすぐに見つけられるだろう。

入口に植えられている桜は葉桜になっていて強い風に名残の花びらを巻き上げている。

そしてそれを背にしている高野さんは相変わらず綺麗な顔をしていた

 

そうか、こういうイメージで桜の香水を作ったらどうだろうか?

 

盛りと咲く桜ではなくハラハラと散る儚い花びらと、日本的な美しい切れ長の目、長いまつげ、烏の濡れ羽色の髪が桜とともに風に揺れる・・・。

 

そうしたら香りは何を重ねていこう?

 

春の芽吹きのような草花の香りにリリーかミュゲ、芯がしっかりしていてだけど儚い夢のような香り・・・。

 

そんなことをぼんやりと妄想していたら高野さんが「小野寺さん?」と呼んだのでハッとすると、俺の顔を(つるばみ)色の瞳が覗いていた。

 

慌ててご挨拶をしてそのままエレベータに誘導し、12階を押すと閉ボタンをさなくても自動的にドアは閉じた。

 

密室になったエレベータでは当然高野さんの香りがするはずと思っていたら今日はあのハッカタバコの匂いがしなかった。

 

あれ?っと見上げるような視線を送ってしまって高野さんと目があって、俺が変な顔をしたのだろう、高野さんがなにやら問うような視線を返すので「あ、いえ、今日はタバコを吸っていらっしやらないのだなと・・・。」と、余計なことだと承知しているだけに語尾がごによごによしてしまってますます挙動不審に陥る俺はこの密室が居心地悪くて仕方がなくなった。

 

「香りに敏感な方にタバコはだめだろうと思って今日は一旦シャワーを浴びてから来ました。もちろんタバコは吸ってないですよ。」笑う顔はやっばり締麗で、ありえないぐらいつやっぽい。

これは女性ならイチコロ (死語?) だろう。

 

「小野寺さんには何にも隠し事が出来ませんね。ちなみに何食べたかとかわかるんですよね?」

と少し意地悪く笑うので、

「香りのきついものでなければそこまでは分かりませんよ。」と答えた。

 

でも高野さんからは飲んだであろうコーヒーの香りはしていて、ハッカタバコのきつい香りが無いという前提なら多少わかりますという言葉は飲み込んでいた。

 

何より今日の高野さんの発する香りは心地よい。

 

どこかでいつか香ったような?郷愁に近い香りを感じる。

 

そして先ほどからずっと感じている桜のイメージ・・・。

 

嫌いだったはずの桜の香水を高野さんをイメージしたなら作れるのかもしれないと思い続けていたのだった。

 

 

 

 

 

程なくして、エレベーターが12階に着き、高野さんを部屋に招き入れ、居間のソファーに座っていただくように勧めた。

 

もうすぐ新茶のシーズンということで、以前お茶のイメージで香水を作ったときに協力してくださった老舗のお茶屋さんが早出しの芽茶を送ってくれた。

それはいち早く初夏を運んでくれるような豊潤で甘くほろ苦い美味しいものだったので、早速それをお出ししようと「おかまいなく。」という高野さんの言葉をそのままに、俺はお茶の準備を始めた。

 

急須に茶葉をいれ、温めの湯ざましを高い所からゆっくりと細く注ぎ3分待つ。

決してここでガツガツと揺らしてはならない。

 

そう、待つことも茶の作法なのだと感じる瞬間だ。

 

その濃いお茶は香りもさることながらたっぷりと出しが出ているようにうまみが溢れていて、熱湯を無造作に注ぎ入れ、強制的に絞り出した汁からはそれは感じられない。

 

土ものの湯のみにその茶をいれ、高野さんの目の前にコトリと置き、前に座ると高野さんの大きな手が小さい湯飲みをすっと(たなごころ)で包みお茶をズっとすすった。

 

なんということも無いはずのその所作に見とれていると唇から湯呑が離れ「おいしい・・・。」とため息のような声が漏れ、次いで「先日はありがとうございました。それで・・・。」と高野さんが切り出しにくそうに話を始めたのだった。

 

 

 

 

テーブルにカサッと広げられた書類は想定していたもので、高野さんは「もしよろしければ今回の漫画のサポートをしていただくことは出来ませんでしようか。」と言った。

 

羽鳥さんはあの話に専門家の監修を立てていないと言っていた。どうやら漫画の中のことだから読者のお嬢さんたちが楽しめればいいと思っていたようだ。

しかしアロマはある種の危険を卒む。妊婦さんに注意が必要なものがあったり、直接肌に付けないほうがいい物や市販品でもよくない薬品が入っている物などがあるのだ。

 

個別に注意書きを入れるのは良いのだろうけど読者が拡大解釈をしないとは言えない。慎重に事を運ぶなら当然監修的立場の人がいた方がいいはずだ。

 

 

しかし自分の立場としてはできない。

「正式なサポートですか?」きっと俺の表情は曇ったのだろう。高野さんがそのまま話を続けようとしているので一旦それを切るように「私自身が特定の会社と契約をしている身なので御社の会社としての契約をご希望でしたら出来ません。」

と強めに伝えた。

 

「小野寺さんはMelle・MelissaのRituさんですか?」

 

 

高野さんから想定していた通りの質問が来て、それに対して俺は「そうです。」と抑揚なく答えた。

パーソナルデータを公表していない天才調香師Melle・MelissaのRituは誰かを探すのは難しくても逆引き的に俺が誰かをたどればそうなるのは明白だ。

出版社が会社として俺と契約をしたいというからには俺のことなど調査済みだろう。

そう、小野寺律の素性は別段無理に隠そうとはしていない。

俺がミュゲを大学で作ったこと、その後海外の企業に雇われていることなどを考えれば俺が誰なのかはすぐに分かる。会社はミステリアスなイメージを持たせたいと企んで、俺が誰かを隠しているだけだ。

 

しかし小野寺律とRituは同一人物なわけで、その俺が正式な契約をするとなると会社を通さざるを得ない。契約に関しては俺が一人でどうこうできるわけはなく、会社が提示するギャランティはおそらく莫大だろうと推測できる。

 

一瞬の沈黙の後、高野さんは静かに 「じゃあやはり名を出しての監修はむりですね。せめて不適切かどうかを見ていただくことは出来ますか?もちろん有料で。」

と言った。

 

いやいや、有料って契約も結べないのにそれはないだろう。

固人的にアドバイスをしたとしても表にも出られないし当然矢面にも立てない。

ブランドイメージとはそう言うことなのだ。何もできないのにお金をもらうことはどう考えてもおかしい。

 

想定していた流れに俺は「きちんとした方を紹介します。」と脳内にいくつか用意していた代替案の一つを高野さんに伝えた。

 

懇意にしているアロマの関係者の中には宣伝を兼ねてそういうことを積極的に受けている人もいる。

高野さんにその人達の連絡先をあとでお送りしますと伝え、自分から紹介されたと告げてくださいと言い話を閉めたのだった。

 

 

 

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