あなたの香りに包まれて   作:bui

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思い出の香り

雑談をしながら「男同士で香水の話をするなんて不思議ですね。」というと、

「確かに、漫画のお話でなければなかなかしないジャンルでした。」と高野さんは綺麗に笑った。

 

その笑顔からは今はもうだいぶ散ってしまったサクラのイメージが沸く。和装束を纏い、ひらひらと舞い散るサクラを背に扇を翻して舞う高野さんの姿が目の前に見えるようだ。

 

やはり高野さんのイメージで桜の香水を作ることができるかもしれない。

 

 

「香水は基本的には男女問わずの物なのですけど、日本では男性はそれほど使われませんね。そうだ、奥様とか・・・、高野さんはご結婚されているんですか?」

 

年齢的には若く見えるけど重責を担う立場でもあるわけだし家庭をしっかり持っていてもおかしくはない。

その軽い質問に高野さんは一瞬眉を上げて俺を見た後に眉間に皺を寄せて、指を顎にあて少し険しい顔で「まだご縁がなくて独身ですよ。」といつもより低い余所行きっぽいトーンで答えた。

 

少々考えるそぶりもあったことで心に想う人がいるのだろうかとは感じられて、すぐに平気そうな顔をしたけど一瞬見せたその態度になぜか少しチクリと胸が痛んだ。

 

どう見ても独身であることを嘆いているということではなさそうだ。

 

「えっと・・・、理想ってあるんですか?」と、あなたほどの人なら選り好みも出来そうなのにと傷んだ胸の居心地の悪さに、それ以上聞くのは野暮だとは分かっていたのに意地悪なことを俺は聞いてしまう。

本当はさっさとこんな話は切り上げたらいいのにと分かっている。だけど一方でこの綺麗な人がどうにもできない焦がれる気持ちを持て余しているのか?とねっとりとした嫌な感情が先ほどの胸の痛みに上書きされてどうにも処理できない複雑な感情となって表層に湧いた。

 

「そうですね・・・。」

 

高野さんが俺の目を見ながらも、俺ではないところに焦点を結んだ空虚な目で少し考えるそぶりをした。

 

おそらくこのまま話を続けるかどうか迷っているのだろうと感じられる。

 

最近親しくなったばかりでお互いのことをほとんど知らない赤の他人の俺が、こんな込み入ったことを聞くのはどうなんだろうと急に冷静になるものの、なんとなく引きどころが見つからなくなっている。この綺麗な人の中の何かを知りたいと思ってしまう俺はどうかしている。

 

もういいですよと言うべきだろうとは分かっているのにその一言が口から出ない。金縛りの呪文にでもかかっているように舌が動かず言葉を紡げない。

 

そんなことをぐるぐると考えていたら「恰好付けても仕方がないので正直に言いますと」と前置きをして「俺はいなくなった恋人が忘れられないというなんとも情けない男なんです。」と寂しそうに言った。

 

俺の顔を見ていた綺麗な瞳は捨てられた子犬のように不安げで揺れている。

 

こんなことを言わせてしまったと、直後に俺の中に後悔が湧き、今度は聞いたことを申し訳なく思ってしまって「す、すみません!」と激しく謝まってしまった。

 

 

いなくなったという言葉の意味するところは正確には分からないのだけど、単なる振られたというレベルではないことは分かる。

 

しかも高野さんの表情からは寂しさと苦悩が溢れていたのだ。

 

「昔のことなのに忘れられないんです。今でもその人のすべてををしっかりと覚えています。」

高野さんが今度は優しい目で俺を見て静かにそう言うのでまた俺は金縛りの呪文にかかったように気の利いた言葉も発せず「昔?」とオウムのように繰り返す。

 

「もう10年になります。」

 

十年・・・、その言葉に驚いてしまって失礼にもまた「お亡くなりに?」と、うろたえたまま聞き返すと「いえ、ある日いなくなってしまったんです。」

と高野さんは俺の目から視線を外して遠い所を見るようにポソリと言った。

 

「いなくなった?」

今の世で人が一人この社会から忽然といなくなれるものなのだろうか?

確かに拉致や監禁という物騒な事件はないことではない。しかしその場合はい事件であっていなくなるというのとは違うのだろう?

 

そして10年前というと「学生の時ですか?」高野さんの正確な年齢は知らないけどその容貌から自分とさして年が違うとは思えない。となると・・・。

 

「高校三年生でした。」

俺の不躾な質問にも高野さんはきちんと答えてくれた。

 

高校生!?それはまた早熟な・・・。

「情熱的でいらっしやったんですね。」やや感嘆の混じったため息と共にそう告げると「恋人はもっと情熱的でしたよ・・・。」高野さんは口角を緩め溶けるように目を細めた顔でそう言った。

 

どんな女の子だったんだろう?高野さんにこれほど思わせて、その上でいなくなってしまった子って・・・。

 

「す、すみません。込み入ったことを聞いてしまって。」

 

急に先ほどのもやもやした嫌な感情が湧いてきて、俺はもうそれ以上のことを聞きたくなくなっていた。

 

以前、『初恋』というお題で香水を作るという打診があった。

その時に恋心ということについて激しく拒絶する自分がいることを知った。

そう、自分には恋心というものが分からないどころか嫌悪さえしているのだ。

 

かつて、乞われて女性と付き合ったことはあった。しかし結局俺は誰にも本気で恋心を抱くことはなかった。

相手が本気になればなるほど冷めてしまうのだ。

それ自体は、どれも大した結末ではなく、それこそトラウマになるほどの悲しい結末ではなかったのだけど今恋というワードを考えるだけで気持ちが重くなる。

おそらくその疑似恋愛は俺に恋心がわからないことを自覚させたのだろう。

そして恋自体が嫌になったのだ。

 

もし運命の相手と言う人が必ずだれにもいるのであれば、俺の相手はきっとどこか遠い所にいるに違いない。

そう、それは地球より遠い銀河のかなたの星の人かもしれないし、まだ生まれることさえしていない未来の人なのかもしれない。

 

だからきっと俺の恋人は見つからないしこれからも一生見つからないのかもしれないのだ。

 

ご縁か・・・。

 

高野さんのその人は高野さんとはご縁が無い人だったんだろう。

 

寂し気な瞳を見つめて高野さんの一番が現れることを祈る俺の胸がなぜかまた少しだけチクリと痛んだのだった。

 

 

 

 

 

 

監修を断ったにも関わらず、高野さんは細かく漫画の進歩を俺に告げてくれるので、俺は形になっていくその物語の先が楽しみになっていた。

 

「月刊漫画の編集は二十日大根なんですよ。」

 

あるとき、目の下のクマを隠しもせずにやって来た高野さんがそう言うので、どういうことなのだろうかと首をかしげると

「1カ月単位で雑誌を発行するために20日ほどはその仕事に忙殺されるんです。エメラルドは月末発行なので締め切りは毎月20日前頃、月初からプロット、ネーム、ペン入れと作家を追い立てて、原稿を手放さない作家から原稿をもぎ取って印刷所へねじ込むのが編集の仕事です。」と高野さんはそう言って「今月も無事に校了できました。」と満足そうに笑った。

 

程なくして高野さんが出来上がった雑誌を持ってきてくれたので「自分は漫画を読んだことがほとんどないのでなんだか新鮮です。」と早速パラパラとその漫画をめくって見る。

 

雑誌になる前の色校を見ているので内容は周知のモノだったのだけど本になるとなんというかわくわく感が違う。

そしてこのお話は女の子が本当にかわいいのだ。

 

「この子、好きな人に本当に一生懸命ですね。」飾り気のない感想だと自分でも語彙の足りなさに笑えたけど、高野さんがうれしそうに目を細めたのでだめじゃなかったかなとうれしくなる自分がいた。

 

そして「小野寺さんは失礼ですがお付き合いしている女性などは・・・。」

と先日とは反対に今度は高野さんが俺の恋愛事情を聞いて来たのだ。

 

「ご覧の通り奥さんはいませんし、恋人もいません。好きな人もいない寂しい一人身です。」

見栄を張るわけにもいかないので素直に現状を答えると、「じゃあ小野寺さん、俺と週末デートしませんか?」と言った。

 

「え?デ、デートですか?!」

 

デートってなんだ?男同士で何言ってんだ?この人、馬鹿じゃないかとうろたえている俺なのに、高野さんはお構いなしに「小野寺さんは休みの日などはどんなところに行かれるんですか?」とさらに追加で質問される。

 

「ひ、人混みがあまり得意ではないので昔から図書館とか本屋とかぐらいしか行きません。買い物はネットスーパーなんかを使うので・・・。」

と、寂しい一人暮らし度をさらに暴露するように言うと「本がお好きなんですか?」と出版社勤務の人らしく高野さんが嬉しそうに言う。

 

やっぱり笑う顔は綺麗だ。

きっともう時々見惚れていることなんてばれてるだろうな・・・。

そう思うと少しだけ冷静になれた。

 

高野さんが本当に俺をデートに誘う訳がない。

 

俺が男という部分を除外にしても、高野さんには忘れられない恋人がいるのだ。

俺をどこかに連れて行く何かの理由があるのだろう。

 

「ええ、暇があれば読みます。」

 

人混みが苦手な理由は香りが気になるから。

 

学生時代、通学の満員電車で押し寿司のようにプレスされ、匂いに酔って何度も駅で降りてたかが数十分の道のりを通ったことを思い出す。

だから帰宅時は時間をずらす意味もあって図書室にはよく行っていた。

そして俺は帰宅をずらすという目的だけではなく活字に身をゆだねるのが好きだった。知識はいろいろなシチュエーションで得るものだろう。

 

電子書籍が増えて俺が実際に紙の本を手にする機会は減った。

しかし紙の本のインクの匂いや少し古くなった本の独特の匂いは嫌いではない。

遠いあの頃を思い出す。満員電車で苦しくなった時に俺をかばってくれた香り・・・。

あれは何の香りだったのだろう。いつもその香りを思い出そうとすると目の奥がツンと痛くなるのだけど結局思い出の中のそれは具現化しない。記憶の中にそのシチュエーションは存在しないのだ。

 

きっと現実逃避したいほどつらかった俺の作り上げた幻想だったのだろうと今は思うようにしている。

 

きっと取るに足りない些細な出来事だったのだろう。それは学生という保護されて与えられた時代そのものなのかもしれない・・。

 

 

「お誘いしたかったのは丸川が開催するイベントです。」

 

高野さんがチラシを手に種明かしを始める。

 

「イベントですか?」

「ええ、同時期に実写とアニメの映画になる小説があって、合同でイベントを開催するん です。」

「へえ、楽しそうですね。」

「宇佐美秋彦先生とか隅先生とか来られて対談のようなこともします。」

 

高野さんがあげた小説家の先生には心揺れるものがあった。

お二人とも大好きな作家なのだ。

 

もちろんそのお誘いを俺は二つ返事でありがたく受けることにした。

 

楽しみだ。

 

わくわくする気持ちは大好きな作家の先生を見ることができる点に違いない。

久しぶりのイベントへの外出のせいもあるかもしれない。

 

さて、一体何を着ていこうか?

 

仮にも『デート』だしね。

 

そんなことばかりを考える日々だった。

 

 

 

 

 

 

 

イベントはとてもすばらしい内容だった。

 

映画化される原作小説はもちろんどちらもすばらしいのだけど、実写もアニメも監督になる方は新進気鋭で評判の高い方々で、キャストも豪華だった。

 

対談では若干の裏話なども聞くことが出来て楽しく、エメラルドの編集さんも皆参加されていて、独りぼっちという事もなく、さらには終わったあとに一緒に食事でもと誘ってくれた。

 

タバコも香辛料もお酒も嗅覚の感度を鈍らせるので恒常的には飲みはしないけど、出かけた時ぐらいはかまわないと思っている。

 

イマジネーションを糧にする仕事なのだ。何もかもをシャットダウンしていては枯渇してしまう。

 

そんな風に油断したのが間違いで、食事会から二次会三次会と続いた飲み会がお開きになる頃にには酒に対して耐性のない俺はすっかり酔いが回っていた。

 

意識はそれなりにあるのだけど足元がどうにもおぼつかない。

よたよたとしていたら高野さんが「小野寺さんの家知ってるから送ってく。」と言ってくれているのが聞こえた。

 

「小野寺さん、大丈夫ですか?」

 

高野さんの腕に抱え上げられるように支えられると久しぶりにハッカタバコの匂いがした。

 

そこで初めていつも俺に気を使って香りを付けないようにしてくれている高野さんの本来の香りがハッカ煙草と分離して感じられてまさにこれなのだと自覚できた。

 

この香りは桜を連想させる。

なんだか懐かしくて泣きたいぐらい幸せな何か・・・。

 

そうだ、高野さんの香りで桜の香水を作ろう。きっと素敵な香りを作れるはずだ。

 

その夜、少しだけかすむ意識の中で酔いのせいにして顔をこすりつけて高野さんの香りを脳裏に焼き付けた。

 

ハッカ煙草の匂いはあの出会いの日、苦しかった俺を救ってくれた匂いだ。

そして今のこのリキュールや酒場の香りに混じってする高野さんの香りは泣きたくなるような郷愁に似た思いを湧かせる。

 

日本人の中にある桜の花は美しく咲いて潔く散るそんなイメージだ。

香りは少ない。

 

だからこの狂おしい郷愁のイメージは間違えていないはずだ。

 

きっと・・・。

 

 

 

 

 

 

 

ハッと気が付くとそこは自分の家のベッドだった。 結局送ってもらう途中で俺は眠り込んでしまったようだ。

 

のそりと起き上がろうとすると頭がガンガン痛んで、明らかに俺は二日酔いの様相だ・・・。

 

しばらくそのままボンヤリと寝転んでいると不意に寝室のドアが開いて見知った顔が覗き「目が覚めてるみたいだな。」といつもの明るくてよく通る声が聞こえた。

 

「尚!?」

 

それは親友の尚だった。

 

びっくりして大声を出したのでまた頭がガンっと痛んでこめかみを押さえながら「なんでいる の!?」というと尚はキャハっと笑いながら「お前んちに来たら丁度あの人がお前を抱えて戻ってきたところだったから俺が引き継いだんだよ。」と言った。

 

あの人って高野さんのことだろうな。

まあ、尚は合い鍵を持っているので今ここにいること自体はなにも変ではないのだけれど・・・。

 

「お前いつの間にあの人とそんなに仲良くなったんだ?」

 

しかし続く尚の言葉に何か不満の色が淡んでいるように感じて「漫画のことで何度か会っただけだよ。」と取り立てて仲良くなったわけでは無いという意味を含めて返事をした。

 

俺が高野さんで香水を作りたいと思っている気持ちはともかく、尚に仲良くなったと言われるほど俺達は親密ではない。

 

あくまでも漫画を介しての関係なのだ。

 

「分かるもんか。お前鈍感だから。」

 

「鈍感ってなんだよ。意味がわかんない。」

 

俺のふて腐った態度に尚が呆れたようにため息をついて「明日からしばらく取材で不在になるからまたおまじないしてやろうと思ってきたんだけど?」と言った。

 

イギリス留学時代、俺には精神的にひどく不安定な時期があって、尚が現地の人に教わったというおまじないで不眠を解消してくれた過去がある。

 

なににそんなに怯えて不安を持っていたのか、そのおまじないのせいですっかり忘れたらしくて思い出せないし、尚もせっかく忘れたんだからと教えてくれない。

 

ただおまじないをしてもらうと気持ちがすっきり軽くなるので、尚はそのおまじないを時々俺にしてくれる。

 

人は生きていると色々とストレスがたまるものだと言う尚の言葉はもっともだと思い、さらにとても尚には感謝をしている。

 

香りのよい香油を額と頬と顎にチョンっと塗られると甘い匂いと爽やかな香りが身体を包む。

俺がこの道に入ったきっかけはこのイギリスに伝わる香油の効力を知ったからに他ならない。

瞑った目の上にもチョンっと香油をつけながら尚が手をそっと乗せ「大丈夫だから、 嫌なことはすべて忘れて、素敵なことだけ想って。そして眠って。」とつぶやく。

 

すると気持ちがスウっと晴れていくようで自然と大きく呼吸が出来るようになる。大丈夫•••。大丈夫。柔らかく通る尚の声に身をゆだねて、ゆったりと安心していつも俺はまた深い眠りにつく・・・。

 

もう大丈夫。

 

嫌なことも怖いことも苦しかったことも全部引き出しにしまおうね、律。

 

心の中で誰かが俺にそっとささやく。

 

いつもいつも。

 

 

 

 

 

再び目を覚ますとあたりは薄暗くて、どうやら既に夕刻を過ぎているのだと分かった。

 

尚のおまじないの後は深く寝てしまうので当然の結果なのだけど、なんとも休みを無駄にしたような気がしなくもない。

 

尚は俺におまじないをした後はさっさと帰ってしまうので俺は好きなだけ寝てしまえるのだ。

 

 

起きるのを待っていられたりしたらむしろ気がねだから丁度いいけどね。

 

尚とは10年の付き合いになるな・・・。

 

あいつによると俺はいつだってあいつに世話になってるらしい。

同じ年であいつの弟じゃないんだけどな。

 

そういえばつき合っている彼女とどうしたんだろう?

あいつが結婚したりしたらちよっと疎遠になったりするんだろうか?

それはそれで寂しいな・・・。

 

あ、そういえば桜の香水のヒントがあったような気がしたんだけどなんだったかな?思い出せない。

 

何かメモでも書いておけば良かった。

また一からグルグルと考えなければいけないのか。

 

やっばり桜の香水って気が重い。

 

なんで桜ってこんなにだめなんだろう。

 

 

一つため息をついて俺はペコペコの腹を満たすために尚が片づけてくれたであろう綺麗なキッチンへ向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

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